2014年1月11日土曜日

1月11日




久しぶりのブログである。

年末からその兆候はあったのだが、年始の休みにダウンしてしまった。
きっかけは風邪だった。

知恵熱、知恵熱とうそぶいていたが、高熱が続いた。珍しく食欲もダウン。せっかくのお節も味はしなかった、と書きたいところだが、ちゃんと味わった。

熱はいまは落ち着いたが、知恵は枯渇したまま。どうする?

そのうえ、酷い咳も続いた。ぜいぜいという自分の胸の音が気味悪かった。

振り返ってみれば、子どもの頃、気管支が弱かった。

ここ数十年、タフな落合と言われ続け、自分でもそう思ってきたが、小学生低学年の頃は、よく熱を出して学校を休んでいた。

ぜいぜい、である。すると母は蒸し器で何枚もタオルを温めて、温湿布をしてくれた。息が楽になるのだ。

「ゆっくり眠りなさい、今度目を覚ましたとき、もっと楽になっているからね」

額に手を当てて優しく言った遠い昔の母の言葉を思い出しながら、寝正月を決め込んだ。

その間、ずいぶん本が読めた。熱が下がり始めると、読書の速度は
早まって、「よーし」、ベッドサイドに積んであるいま読みたい本を次々に読破。

その中の一冊に、スーザン・ソンタグの『こころは体につられて 上』もあった。ソンタグの本はたぶんすべて目を通しているはずだが、「日記とノート1964-1980」というサブタイトルがついている。河出書房新社刊。

わたしが現在のもっともすぐれた翻訳者のひとりでもあると信じている木幡和枝さん
が訳されている。ソンタグの『私は生まれなおしている』も『夢の賜物』も木幡さんの訳である。ニッキ・ジョヴァンニの詩集も彼女は訳している……。

先ごろ大ヒットした映画ドイツ映画『ハンナ・アーレント』に、米国での彼女の理解者であり女友だちとして登場する「メアリー」、メアリー・マッカシーについても、
ソンタグは『こころは体につられて 上』で触れている。

「あっちのひと」と「こっちのひと」が、映画と本の中でひとつになるたのしみもまた、
この年始に久しぶりに味わえた映画『ハンナ・アーレント』を観たあと、ハンナに寄り添う米国の女友だち、「メアリー」とファーストネームでしか登場しないその女性が、わが青春の愛読書の一冊、
『グループ』の著者、メアリー・マッカシーと同一人物であったことを知ったときの喜び。そして、ソンタグの本の中で、メアリー・マッカシーと再会する喜び。知恵熱からの贈りもの、である。

ハンナ・アーレントの本は学生時代に読みだしたが、最後までじゅうぶんに読破できたものがないので、その中にメアリー・マッカシーが登場したかどうかも知らない。
ちゃんと読み直そう。

それにしても、メアリー・マッカシーにしても、むろんソンタグにしても、

もちろんハンナ・アーレントにしても、ある意味「闘う女」である。

映画『ハンナ・アーレント』の監督、フォン・トロッタさんもまた。

トロッタさんは初作品である『カテリーナ・ブルームの失われた名誉』の時からファンだ。

というように、わたしはやっぱり「闘うひと」が好きだなあ。闘いかたは
さまざまではあるのだけれど。

2014年、わたしもささやかながら闘うひと、のひとりでありたい、と遅ればせながら、
年頭のご挨拶を。