2013年9月27日金曜日

9月27日

柄にもなく、体調を崩した10日間。

本当に、こんなに「怠る」が続いたのは、久しぶりだった。



風邪は酷くなるし、声は出しにくいし、下を向くと鼻水ツツ、といった按配。

微熱も続き、ダルさに参った日々。

仕事は休まずにやっていたけれど、帰宅すると、お風呂に入り、

遅らせられない原稿をせっせと書いて、そのままベッドにダイブ。

そんな日々が続いていた。



 今朝は快晴。気持ちのいい秋晴れだ。

しっかりと玄米の朝ご飯を食べて、よーし、元気回復!



しかし、今朝の東京(中日)新聞一面の記事は……。

東京電力は昨26日、柏崎刈場原発の6・7号機の再稼働に向けた申請を、

今日午前にすると発表した。

このところ東電と対峙し、反対してきた新潟県知事も、

条件付きではあるが、申請容認。

条件とは、フィルター付きのベント設備を使う場合は、

地元の事前了解を得る、ということだ。

新しくなった規制基準においては、

前掲のフィルター付きベント設備の設置は不可欠ではあるが、どうなることか。

9月15日夜から、この国では原発は一基も稼働していない。

なんと気持ちのいいことか。

一基も稼働してなくとも、あなたの家の、我が家もそうだが、

冷蔵庫は止まっていないし、電気はつく。



いまもってだだ漏れ状態の汚染水。

東京オリンピックがある2020年には、どうなっているのか。

海への汚染はさらに広がっているという専門家の意見を、この国はどう聞くのか。

「結局、私たちは切り捨てられたのです」という福島の知人からのメール。

幾度、「棄民」を繰り返せば気が済むのか、この国は。



ダルさにかまけた10日間。

たまりにたまった各地からの資料に丁寧に目を通そう。

今日は、一月から始まる新しい連載の打ち合わせと取材が三つ。

久しぶりにクレヨンハウスのアウトテリアで、

太陽を全身に浴びた。

不安この上ない、「だだ漏れ汚染水」についての「朝の教室」

10月27日(日)、原子力情報資料室の山口幸夫さんが講演をしてくださる。

2013年9月13日金曜日

9月13日

明日14日は、
亀戸中央公園で「さようなら原発1000万人アクション」の集会です。
原子力規制委員会は、7月に新規制基準を施行。
それに合わせて電力各社(北海道電力、関西電力、四国電力、九州電力)が
再稼働に向けて申請を行い、各地で再稼働への動きにアクセルが踏まれた。
福島第一原発の過酷事故は、IOCでこの国のトップが何と言おうと、
全く収束の道筋は見えないまま。
二年半がたったいまも、事故の原因すら藪の中、といった状態だ。
その中での再稼働の動きである。

UNDER CONTROLL。
どこがどのようにCONTROLLされているのか。
国民を欺き、海外の人々も欺き、この国はどこに向かおうとしているのか。
五輪一色のこの大騒ぎに乗じて、平和の対極にある、あらゆるものがもぞもぞと、
ある瞬間から加速度を増して、いっせいに動き出す気配がしてならない。
再稼働も、その重大なひとつであることは言うまでもない。 

 ……理性、判断力はゆっくりと歩いてくるが、
偏見は群れをなして走ってくる。 (ルソー)
群れをなす五輪一色の中で、わたしたちはそれでも声をあげよう。
いのち、それも次世代のいのち以上に、
かけがえのないものなどないのだから!

2013年9月11日水曜日

9月11日

9月11日は、東日本大震災から2年と6か月に当たる日である。
同時に2001年に起きた米国中枢同時テロの日にもあたる。
当時の米国大統領ブッシュが、アフガニスタンへの報復攻撃を
決定した時、正確には、同年9月14日に米国連邦議会が、
大統領に「必要で適切なあらゆる軍事力を行使する権限を与える」という決議を選択した。
全米のほとんどが、あの酸鼻この上ない悲劇の光景に涙し、報復攻撃を支持したその時……。
ニューヨークの片隅で
「NOT IN OURNAME わたしたちの名をかたるな」
というメッセージを手に、報復攻撃に反対するデモが起きた。
反戦デモの一隅でアピールしているのは、9.11の遺族だった。

拙著「自分を抱きしめてあげたい日に」(集英社新書)でも、
ご了解を得て紹介させていただいたが、そのことを、
祖父江拓史さんという詩人が詩として書いておられる。
創風社の『反戦アンデパンダン詩集 POEMS AGAINST THEWAR』(2003年刊行)に、
ある日見つけた詩である。
……憎悪と怨さに煽りたてられ、
「ゴッド・ブレス・アメリカ」とともに
アメリカ全土を覆い尽くそうとしたそのとき
……もう一つの歌「イマジン」が
マンハッタンの片隅から、沸き起こった……
……「石油のために血を流すな」
  「戦争は解決にならない」
そうして、ニューヨークの反戦デモのその中に、
次のように声をあげながら行進する人々がいた。
「NOT IN OUR NAME」
……胸には両親の遺影 そう、あの9・11の遺族たちだ。

東京五輪一色としか言いようのない、ここ数日のメディア報道。
確かに、励みを感じるひともいるだろう。
異なった文化について学ぼうとする子どもたちもいるだろう。
しかし、「一色」は恐ろしい。
福島第一原発の「現在」も、仮設住宅で暮らす人々の苦しさも、
消費税アップもTPPも、非正規社員の苦悩も、
「五輪一色」で抹消していくような。
「NOT IN OUR NAME」である。

……社会は危険と矛盾を生産し続ける一方、
それらへの対処は個人に押し付ける。
2001年に刊行されたジークムント・バウマンの
『襟キッド・モダニテイー 液状化する社会』(森田典正 訳、大月書店)の一節だ。
これも前掲の拙著の中で紹介しているが、
「自己責任」というあの言葉と呼応する液状化社会のありようである。
福島第一原発の過酷事故、
そしてその後の対応とも呼べないような対応を見ていると、
バウマンのこの言葉を思い出す。
IOCの総会で、この国の首相は
福島第一原発は「Under Controll」と述べ、
汚染水に関しても「ブロック」していると晴れやかな表情で宣言した。
いま、こうしている間にも、汚染水はダダ漏れ状態であるのにもかかわらず。
「東京は安全」という言葉のもとに、「FUKUSHIMA」は、
そこに暮らす人々は切り捨てられてしまうのか。
どんな小さな異議申し立てをもできないような、
この「一色」の空気の中で、窒息しそうだ。

2013年9月5日木曜日

9月4日


2日、埼玉や千葉を襲撃した竜巻。

テレビのニュースでも何度もその映像が流れていた。

被害に遭われたかたがたの、一日も早い復興と、
災害救助法の適用を望んで止まない。
同時に、もしあの竜巻が福島の第一原発を直撃したら……
と考えたのは、わたしひとりではないだろう。

「日刊ゲンダイ」の9月5日号も、早速、そのテーマで大きな記事を掲載している。

その中に次のような記述がある。

……心配になって東京電力に特化した荷重設計はしていません。
それぞれの設備については建築基準法に基づいて設計し、
安全性に支障がないことを確認しています」(広報担当者)……。

こわい話ではないか。
日刊ゲンダイは、「東電の危機意識のなさが一番怖い」と締めている。