2013年8月31日土曜日

8月31日

長野から帰京したところだ。
女子中、女子高の生徒さんと保護者のかたがたの集まりだった。
えっ? わたしが中学生だったのは、何十年前?
彼女たちが、新しい時代を作りあげていくのだ。

「自分で考えること」をテーマに、いろいろな話をさせていただいたが、
大人を対象とする講演よりもはるかに緊張した。
彼女たちの誰もが、いかなる意味においても、
被害性も加害性も持たない大人になってくれることを願いながら。
そして大人のひとりとして、同じことを自分に課しながら。

明日は朝の教室。
久しぶりに早乙女勝元さんのご講演に接することができる。
二十年も以前になるか、新聞の仕事でご一緒していた。
昨日、電話でお話をさせていただいたが、
お声も、その穏やかな口調も変わっていない。
穏やかに、熱く、真っ直ぐに反戦・反核を語る早乙女さん。
ラジオの番組で、福島の浪江や南相馬を訪れた時のお話も
お聞きすることができると思う。

「朝の教室」、終了後は、日比谷公会堂での
「さようなら原発」の集会。
今回は、小出裕章さんのお話もうかがえる。
福島からも大勢のかたが参加されるそうだ。

今朝の朝日新聞。
「国会、汚染水審議先送り
福島第一 五輪招致影響も懸念」との記事が。
子どもたちがいま、福島で暮らしていることよりも、
五輪招致のほうが大事なのか。
海外メディアの「五輪招致の費用をいますぐに福島に注ぎこめ」
という、あのメッセージ(友人から教えてもらったのだが)を刻みたい。

2013年8月30日金曜日

8月30日

気が付けば、また週末。
猛暑がぶり返したようだ。
どうかご自愛を!

徳島から帰京。
徳島の人権についての講演会では、
狭山事件の石川一雄さんが最初の講演者だった。
間もなく、ドキュメンタリー映画も完成するという。

明日土曜日はまた東京を離れる。
移動の時間は、読みかけの本を読んだり、
週刊誌を読み比べたり、ぼーっと車窓を観たりと、
孤独の果実を丸かじりするわたしにとっては、
かけがえのない時空なのだけれど。
例の汚染水のことが不安で不安で。

先日も汚染水の報道のすぐあと、
テレビのニュースは、秋の魚の大漁を伝えていた。
二つのニュースは全く別個のものとしてそこに、
この国に存在するのだ。
違和感を覚えるのは、わたしだけだろうか?

9月1日、クレヨンハウス「朝の教室」の講師は
ご案内のように作家の早乙女勝元さん。
1945年の東京大空襲を12歳で体験した少年は
大人になってからも、そして80代になられた現在も、
「自分が体験したこと」から一度も目をそらすことなく、
反戦・反核むろん反原発を訴えておられる。
早乙女さんにお目にかかると、わたしはいつも
心がやわらかく解きほぐされる思いを体験する。

10月は27日(日)に、汚染水のいま、というテーマで、
原子力資料情報室の山口幸夫さんが
朝の教室 緊急講演、緊急解説をしてくださることに決定。
山口さんは亡くなった高木仁三郎さんと
ご一緒に活動をされてきた、共同代表でいらっしゃる。
もっともわたしたちがいま知りたいことを
しっかりと学びたい。

2013年8月28日水曜日

8月28日

また少し残暑がぶり返す、
と今朝の天気予報が告げていました。

「気分的にとっても疲れてしまって……」
そんな声をよく耳にします。
本当に本当に本当に! 
酷い日々が続きます。
汚染水はだだ漏れ。
収束など遠い遠い、いえ、永遠に来ないかもしれない現実。

福島の高校生が怒っていました。
……自分たちは原発なんて選んでいない、と。
……勝手につくっておいて、それを置いていくのか、と。
……大人たちが先に死んでしまうのだって、ずるい、と。
返す言葉もありません。
彼らや彼女にとって、原発は生まれた時から、そこにあったものです。

今日から東京を離れます。
どこに行っても、誰と会っても、反原発を心の軸に置いて。
今週日曜日、9月(なんですね)の朝の教室は、作家早乙女勝元さん。
傘寿を迎えられた戦争体験者が語られる、
原発、反戦、反改憲。
ご一緒に学びましょう。

午後は、日比谷での集会ですね。
暑さが続きます。
くれぐれもご自愛を! と言うとき、
わたしはわたしの年齢を忘れちまっているのだなあ。

2013年8月27日火曜日

8月27日

猛暑も少し和らいで、風の感触が心地よい東京。
昨日は、「子ども・被災者支援法」の早期実施を求めた記者会見が議員会館であった。
参加したかったのだが、記者会見の時間が当初の13時スタートから15時に変更になったために、
仕事の関係でわたしは欠席。詳しくはまた改めて、ご報告を。

それにしても、この大量の汚染水の流出……。
「収束」宣言をしたのは前政権だが、原発を推進してきた政党として、
そして再稼働を公言する政権として、さらに海外に原発を売る政権として、
この事態を現政権はどうとらえているのだろう。
輸出に際して、福島の事故を体験し「高度の技術をもって」と言っているようだが、
そうであるなら、その「高度の技術」を大量の汚染水流出を止めることに使ってほしい。

昨日は午前中から「婚外子差別」についてクレヨンハウスで取材を受けていたが、
ランチをとっておられた、福島から見えた二家族のかたから声をかけられた。
ゆっくりはお話ができなかったが、それでも必死であることが、その表情から口調からも伝わってくる。
それを聞いておられた小さな男の子と一緒の東京の女性が、
「わたしたちも脱原発に向けて、絶望してませんからね。
一緒に運動させてください」。
と、力強い言葉を。
このところ、ちょっとばかり落ち込み気味だったわたしが
むしろ喝を入れていただいた感じだ。

今週日曜日、9月1日の朝の教室。講師は作家の早乙女勝元さん。
12歳で東京大空襲を体験。戦争の悲惨さをあらゆる機会を通して、
記録し、書き、そして語ってこられた敬愛する先輩だ。
主な著作は、『東京大空襲……昭和二0年三月十日の記録』、
『わが街角』、『猫は生きている』、「戦争と青春』等々。
特に『パパママバイバイ』は、1977年に横浜で発生した
米軍機墜落事件を題材にした絵本で、アニメーションも制作されている。
1977年9月27日、その日、厚木基地を飛び立ち、
千葉館山に待機する空母ミッドウェーを目指したが、エンジンから出火。
2人の乗員はパラシュートで脱出するものの、燃える機体は墜落。
数軒の家を焼きつくした。
特にエンジンが直撃した土志田和枝さんと夫の妹さんは、3歳の裕一郎さんと1歳の康弘さんを抱えて、 燃える家から飛び出したが……。裕一郎さんと康弘さんはその日の深夜と、明け方に 母親が運ばれた病院とは別の病院で亡くなった。
そして和枝さんも、事件から4年後、31歳で亡くなった。
この事件を、子どもの視点から描いたのが、早乙女さんの『パパママ バイバイ』だ。
あれから36年。沖縄の基地問題は一向に改善されることもなく、
そして福島もまた……。
穏やかなお人柄、語り口の中に、戦争はもとより、「国家の犯罪」に対して終生、
憤りの焔を燃やし続ける早乙女さん。昨年、傘寿を迎えられたはずだが、
この夏も反戦・平和をテーマに各地で精力的に講演と取り組んでおられる。

2013年8月24日土曜日

8月24日

酷いことになっている。
福島の現実である。
言葉もない。
いつまで東電に任せておくのだ。
3・11以降、わたしたちは少なくとも学んだはずだった。
彼らが、一般の市民のことなど全く頭にないことを。
都合の悪い真実は隠すことを。
それらをいやというほど学ばされてきたはずだ。
福島でいま起きていることは、ただごとではない。
3・11以降、ずっと続いている異常事態ではあるのだが、
さらなる過酷な現実が加わった(というか、ずっと起きていたことだろうが)。

敬愛する友人から以下のメールが送られきた。
「『オリンピック誘致の金を、即、いま、福島に投入せよ』とありましたが、
これを何故、日本の報道機関は言えないのでしょう?
当の日本は、五輪誘致と原発セールスで踊っている首相を報道するばかり。嗚呼」

絶望はいつだってできる、いまは絶望の時ではない、と思うのだが。
これからまた東京を離れる。

2013年8月16日金曜日

8月16日

午前中は、必死で原稿書き。 まだ終わらない! 今夜中に終わらせよう。 そのあとは各所をばたばた。 頭の中から汗が、まさに「滝のよう」。 なんつー、暑さだ、いったい。 猛々しいというよりも、なんか、意地の悪い暑さ。 夕方、明日の「朝の教室」のために上京された 「福島原発告訴団団長」武藤類子さんと、 「クーヨン」編集長とクレヨンハウスで夕食。 「不起訴へ」という報道が先行してしまっているが、 これだけの苦しみと喪失を住民に強制しながら、 「不起訴はないよね」、と。 明日の朝の教室では、「福島の現在」、「陳述書」について、 そして、チェルノブイリ原発事故以来、反原発に取り組んでこられた 武藤さんの日常についても、お話を聴ける予定。 胸が痛くなるような「福島のいま」……。 ご一緒に考える時間を! 

8月15日

68回目の終戦記念日。
母たちの世代は、いつも言っていた。
「戦争は、もう二度とごめんだ」と。
心からそう思っていたのだろう。

この国が戦争に雪崩を打って突入していく時、彼女たちは選挙権がなかった。

だから、「そんなにいやなら、なぜ反対しなかったの?」という中学生のわたしの質問は、ある意味、酷だったかもしれない。
しかし終戦後、選挙権を手にした女性たちの中で何割が,
「平和」を軸に、漸く手にしたところの選挙権を行使してきただろう。
そして、男たちは?

そして2013年。
この夏の参院選を終えて、はじめて迎える終戦記念日。
集団的自衛権にはすぐにも手がつけられようとしている。
撤回はしたが、ナチズムを肯定するような声が政府内部からあがった。
それを問われる参院選であったはずなのだが。

気落ち気味の終戦記念日。
「夏の学校」でも紹介したが、井上ひさしさんの
「少年口伝隊 1945」(講談社 刊)、ご一読を。
妹とかくれんぼをしていた英彦少年が、
祖母の肩たたきをしていた正夫少年が、
そして川で母親と芋を洗っていた勝利少年が、
1945年のあの日以降に、辿った日々とは。
原爆投下のヒロシマを舞台にしたものだが、
妹とかくれんぼしていた誰かが、
祖母の肩を叩いていた誰かが、
川で芋を洗っていた誰かが、
ある日突然……ということが、
起きないと誰が保障できるだろう、この時代、この社会で。

2013年8月13日火曜日

8月13日

宮城県石巻から帰京したところ。どこも猛暑。
石巻も例外ではなく…。向日葵が頭を垂れていました。

東日本大震災で破滅的な被害を受けた町や村の、
比較的年長の女性たちと、
(主婦もいれば、食べもの屋を再開できない女性も)
「いしのま★キッチン」という店をはじめた女性。

東京から住民票を石巻に移しての、30代のパワフルな女性と、
そこで働く女性たちや、仮設住宅で暮らすの話をうかがった。
取材が終われば、帰る家があるわたし。
仮設の真夏は過酷だ。

間もなく終戦記念日がやってくる。
日本の総人口の4人に3人が戦後生まれと言われている現在。
決して風化してはならない戦争の記憶が遠ざかっていくような。

政治家も、戦争の実体験のないひとたちが増えた。
それに呼応するように、きな臭い動きが。
この国を「戦争のできる国」にしてはならない、
と考えているひとは少なからずいる。
それでも、その思いが選挙に反映されない、
言いようのない無念さは押入れに放り込み、
わたしたちは、それぞれが自分できる方法で、
けれど、ちょっとだけ無理もして、
異議申し立てを続けなければならないはずだ。


今週17日、土曜日の朝の教室の講師は、
福島原発告訴団の団長、武藤類子さんです。  >「朝の教室」概要

8月9日の朝日新聞一面トップに、
「原発事故全員不起訴へ」という記事が掲載された。
それを受けての告訴団事務局のホームページには、
次のような拡散希望の緊急のお報せが掲載されているのでご紹介を。


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<福島原発告訴団HPより>

【拡散希望】朝日新聞報道を受けて。

本日(8月9日)、朝日新聞の1面トップに「原発事故全員不起訴へ」という記事が掲載されました
福島の告訴団事務局には、早朝から「不起訴は許せない」、「地検に抗議の電話しました」、「がんばってください」と、
ひっきりなしに電話がかかってきています。また、
お葉書作戦は続けるのでしょうか」という質問も多くいただきました。
朝日新聞の記事は、あくまで推測であり、地検はまだ判断を出してはいません。
…とはいえ、地検内の誰かのリークがニュースソースであるだろうと思われ、
判断を出す日は近いのかもしれません。

お葉書作戦を今こそ大拡散してください。どんどん葉書を出してください。
「朝日の記事には驚きましたが、よもや不起訴ではないでしょうね」と!
弁護団が、「不起訴報道」に対して、「反論の投稿をしよう」とコメントを作成し、朝日新聞に連絡しましたが、
「今回は掲載を見合わせる」という返事が返ってきました。
そこで、「不起訴報道への反論稿」を以下に掲載いたします。みなさま、広く拡散をお願いいたします。

なお、朝日新聞の記事は、「福島原発告訴団の告訴」と、別の方々の告訴(数件)もいっしょにまとめて書かれています。
福島原発告訴団は「菅直人元首相」、「枝野幸男元官房長官」、「海江田万里元経済産業相」を告訴していません。


【不起訴報道への反論稿】

何の津波対策もとらなかった東電免責はあり得ない
    河合 弘之(弁護士・福島原発告訴団弁護団代表)

去る8月9日本紙朝刊に、月内にも福島原発事故について、我々が行っていた告訴・告発について不起訴処分がなされる方向で検察庁が調整に入っているという報道がなされた。記事において不起訴理由とされている点を取り上げ、告訴人らの考えを述べ、検察官・検察庁の再考を強く求めたい。

本紙報道によると不起訴の理由は、「事故と災害関連死との因果関係はないとは言い切れない。今回のM9規模の大地震と津波は、専門家の間で予測されていたと言えず、事前に想定できたのはM8.3までだった。巨大津波の発生と対策の必要性を明確に指摘していた専門家も少なかった。東電が2008年に津波高さ15.7メートルと試算していた点についても、専門家の間で賛否が分かれ、東電も『実際には起きないだろう』と受け止め、対策を検討したものの、具体化は見送った。東電の津波対策は十分ではなかったものの、刑事責任を問うことは困難。」とされている。

検察官の立脚する予見可能性の議論には次の疑問がある。15.7メートルの津波は東電内部の検討において確かに試算されていた。この原発の想定津波高はわずか6メートルであった。この地域でマグニチュード8.3程度の地震と高さ10メートル程度の津波が来ることは、地震と津波の専門家なら、だれもが頷く普通の想定であった。

電源喪失を防止するための対策としては、防潮堤の設置だけでなく、外部電源の耐震性強化、非常用ディーゼル発電機とバッテリーの分散と高所設置等、構内電源設備の耐震性,耐津波性の強化など多様な措置がありえた。

浜岡原発においては、老朽化した1,2号機は耐震補強を断念し、2008年には廃炉の決定がなされていた。福島第1原発1-3号機についても、同様の措置は十分あり得た。にもかかわらず、東京電力は一切何の対策もとらなかった。予測されたレベルの地震と津波対策を講じたにもかかわらず、それが不十分であったわけではない。東京電力自身が、原子力改革特別タスクフォースの報告において、結果を回避できた可能性を認めているのだ。

事故以前の東京電力社内のすべての証拠を収集し、どのような検討がなされていたのかを解明するには、強制捜査による関係資料の押収が欠かせない。このことは、捜査機関として当然の責務だ。検察庁は、テレビ会議録画や社内メールなどの任意提出を受けただけで、今日まで強制捜査を実施していない。多くの市民の生命と生活、生業を根こそぎ奪ったこの事故について、強制捜査もしないで捜査を終結するような事態は絶対にあってはならない。検察内部の良心が検察庁を揺り動かし、強制捜査の実施と起訴が実現することを心から願ってやまない。



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【緊急のお願い】地検への『お葉書』作戦!

この8月中旬にも「不起訴」の決定が下りるとの見通しが報道されています。
どうしてこの未曾有の事故責任が不問にできるのでしょうか?! 
一日も早く強制捜査に踏み切り、是非とも起訴するように、大至急、
東京と福島の地検に、お願いしてください。
みなさん、地検への『お葉書』作戦にご協力ください! 拡散大歓迎!

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■福島原発告訴団より緊急のお願い:地検への『お葉書』作戦■
“心に訴える暑中見舞い”を

**<地検住所>***
 福島地方検察庁 〒960-8017 福島県福島市狐塚17番地
 東京地方検察庁 〒100-8903 東京都千代田区霞が関1丁目1-1

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○ 夏ですから、出かけた先から飛び切りきれいな絵はがきで、まず自然称賛の文面を。
   または手持ちのステキな絵はがきなどを使って・・・
○ 「でも、ここから放射線が・・・」とか、「一瞬で灰色に」など福島原発震災に対する思いを書く。
○ それに加えて以下のようなひとことを添えて結びとする。
* 「早く強制捜査を」
* 「どうして起訴しないのですか?」
* 「早く責任者の刑事責任を!どんどん証拠隠滅されてしまいます」
* 「東電本社の家宅捜査をしてこそ東京地検!」
* 「原発に家宅捜査に入ってください!」
* 「現場調査を」
* 「これでも法治国家といえますか?」
* 「海外でひんしゅくを買っています」

等々、心を込めて書きましょう!

○ 差出人の住所・氏名も、出来るだけ書く方が効果的です。
○ 仮に不起訴の決定が出ても、それへの異議を唱える文面に変えて、引き続き送ってください。

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2013年8月8日木曜日

8月8日

恒例の「夏の学校」も無事終了した。
受講生のかたがた、そしてスタッフにもおつかれさま、でした。
今年は特に、早くから希望されるかたが一杯になってしまって、
キャンセル待ちなどでドキドキされたかたもおられたと思う。
とにかく、熱中症になられるかたもひとりもなく、
無事に終わってほっとしているところだ。
「来年もよろしく!」と多くの方にお声をいただいたが、
そして来年を無事に迎えられていたら、むろん夏の学校は続けるが。

講師のおひとりだった京都大学原子炉実験所の小出裕章さんが
全大会でも分科会でも何度も繰り返されたように、
わたしたちは「放射能との戦争」の最中にいる。
悲観的なことを強調するのはためらうが、安心材料など何一つない現状だ。
それでも、わたしたちは原発を受け入れてしまった大人のひとりとして、
責任も負いながら、生きていくしかない。
山田洋次監督の、作品「同胞」や寅さんのフィルムを使っての、
「民主主義とは?」という問いかけも素晴らしかった。

与党が言うところの、「自己責任」とは別の意味で、
わたしたちは自らの権利と責任を果たしていこう。
誰のために? 自分の尊厳と、次の世代に向けて。

2013年8月2日金曜日

8月2日

目の色変えて、原稿を書いている。
明日3日からは恒例の「夏の学校」

「サマーカレッジ」と呼んでいた頃から数えると、
すでに30回も毎年、8月の2泊3日は大事な夏の行事だ。
井上ひさしさん、灰谷健次郎さんなど、かつて講師として
お迎えしたかたがたの中には、すでに亡くなったかたもおられる。
それぞれの講師の真っ直ぐにして、深いメッセージはいまでも心に刻まれている。
3・11以降、井上さんや灰谷さんがもし、ここにおられたら、と思うことがたびたびある。
……遺されたわたしたちは、かつていただいた先達のメッセージを素手に握りしめて、
今日を明日に繋ぐしかないのだが。

今年の夏の学校の講師は
山田洋次監督、絵本作家のささめやゆきさん、長谷川義史さん、
京都大学原子炉研究所の小出裕章さん、詩人の谷川俊太郎さんなど、
わたし自身が講演をお聞きしたいかたばかり。
むろん、毎年、講師の人選はかなりわがままに「わたしの願い」を
かなえてもらっているのだが。

すでにスタッフは、ホテルに入って明日からの準備をしている。
原稿を書き終えたら、わたしも合流。

各地からの受講生の中には、今日既に東京入りして、クレヨンハウスに
立ち寄ってくださっているかたもいるようだ。
現在、クレヨンハウス東京店の一階では、「夏の学校」の講師のおひとり、
ささめやゆきさんの原画展を開催中。

ツイッターというものに今まで一度もトライしたことはないのだが、
スタッフに教えてもらい、明日からは、この欄に入れたい。
長くなってしまうのだよね、わたしの文章は。