2013年6月29日土曜日

6月29日

原発の輸出に熱心な政府がここに。
海の向こうで、この国で繰り返された
「安全神話」を拡大し続けていくのだろうか。
情けなく、恥ずかしい。
福島の事故のことなど、なにひとつ考えていない証拠だろう。
原発の輸出は、「核の輸出」だ。
核不拡散条約を結びながら、核を「拡散」している国。

先日乗ったタクシーの運転手さん。
娘さんが海外で暮らしているとおっしゃる。
「日本を出て、原発のないこっちにおいでと言ってくれるんですが、
原発を認めてきてしまった大人のひとりとして、反対をするためにも、
この国で暮らし続けます」
そうおっしゃっていた。

今日は一日、大阪。
グリーフワークのシンポジウムだった。

2013年6月24日月曜日

6月24日

曇り空の月曜日。
都議選の結果は、ご存知の通りだ。
このまま参院選に突入してしまうのか。
土曜日は「パック・イン・ジャーナル」が「デモクラTV」に変わって、
はじめての参加だった。
日曜は、茨城の母親大会に。
1954年3月1日、米国がビキニ環礁で行った水爆実験に抗議して、
平塚らいてうさんをはじめとして、全世界に向けて「原水爆禁止のための訴え」を送り、
スイスでの世界母親大会に日本から河崎なつさんたち14名が参加。
日曜日の茨城にも大勢の女性たちが参加。
反原発、反改憲、反基地、反TPPなどを力強くアピールした。

ねえ、どうして、こういう大会でも、男性のスピーカーにお茶を入れるのは女性なの? 
お弁当の空き箱を片付けるのも女性なの?
自分でやろうよ、それくらい。

そういえば、TPP「聖域」死守は半数以下、という報道が。
本当は、それ以上かもしれない。
経済界ばかりに、応えている政策。
それも輸出産業ばかりがよくなればいいという政策は、間もなく破綻では?
経済は、輸出もあれば、輸入もある。
輸入品の値上がりに、悲鳴、ですね。
医療、保健、薬など不安は山積み。
なんだかなあ、です。
「子どもの貧困対策法」も具体策はこれから。
子どもはどの国の、どの家に生まれるか選択はできない。
子どもの将来が、生まれ育った環境に左右されないように整備して行くのが政治というものだと考えるが、
逆行しているね、それぞれの問題が。

2013年6月14日金曜日

6月14日


今日も東京は、湿気の多い梅雨の一日だった。
午後早くまでは珍しく自宅で原稿を。
こんな時、晴天だと洗濯をし、外に干したくなって、
原稿ははかどらないのだが、きょうは仕方なく乾燥機使用の洗濯だった。

クレヨンハウスでキットを買って始めた糠漬け、美味!
朝ご飯でしっかりと味わった。

午後からはクレヨンハウスでいくつかの取材と打ち合わせを。
韓国からみえた児童文学者や作家など出版関係の人たちからの
取材をお受けする。わたし自身、海外で取材をするとき、なによりも
充分な時間が欲しいと願うので、頑張って充分な時間をとっての取材だった。

復興庁参事官のツイッターでの暴言、酷い。
すべての官僚がそうだとは思いたくはないが、
被災地の復興などてんで考えていない「復興庁」の参事官だ。
「左翼のクソども」だって。
「相手の知性の欠如に対する哀れみのみ」だって。

わたしは「右翼」でも「左翼」でもないけれど、どこまでも上から目線だ。
何かが欠如しているのは、果たしてどちらだ? 

「知性の欠如」と言っているが、
このひと(個人レベルの問題だけか?)たちに欠如しているのは、
被災されたひとたちの、「痛みに対する想像力」ではないか。
そうして他者と自己の痛みに対する想像力を、わたしは「知性」と呼びたい。
SHIT!!!!

このあと、東京を発ちます。

2013年6月13日木曜日

6月13日

昨日水曜は、幾つかの取材がまずあった。
特に、「さようなら原発」の呼びかけ人をご一緒させていただいている
敬愛する作家の澤地久枝さんが『ゆうゆう』に連載されている、
ひと自身を探訪される頁の取材と対談。

和服について、わたしは全く無知なのだが、
とても涼しげな白地の夏の一重に、
沖縄紅型の濃紺の帯を締められた澤地さん。とてもきれい、だった。
クレヨンハウスでの写真撮影。
その後、うちの編集部にも立ち寄られて、いろいろなお話をした。
編集部をご覧になりたいとおっしゃるので、
日頃、乱雑な編集部の横の会議室を、みんなが整理整頓してくれた。
満天星躑躅の枝に、モンステラの大きな葉。
白い細みのユリと淡い紅色の芍薬を活ける、
というより投げ入れ風。(これが案外いいのだ)。
お召しものに似合いそうな、花でお迎えできて、ほっ。
普段はこんな風にはいかない。
置いてあるものに躓いたり、探し物の途中で外に出て、
何を探していたのか忘れて、呆然としたり、といった按配だ。
澤地さんと出版社のかたがたはそのままクレヨンハウスで夕食を。

わたしは、昨年のこの日、6月12日に49歳で亡くなられた
弁護士でありジャーナリストでもあった日隅一雄さんの遺志を継ぐ、
『日隅一雄・情報流通促進基金』の授賞式に。
福島第一原発の事故以来、東京電力の記者会見に欠かさず参加。
情報公開のかけがえのなさを、主権在官の社会を市民主権の社会へと
病を押して、最後まで活動された日隅一雄さん。
去年のこの日、「さようなら原発」の呼びかけ人の先輩たちとわたしは
議員会館で、国会議員のかたがたに、
わたしたちがなぜ、原発に反対をしているのかを話していた。
ふっと見ると、他の議員のかたがたと最前列におられた
社民党党首の福島瑞穂さんが、
携帯をふっと見て、急ぎ会場を出ていかれた。
日隅さんとご一緒に活動をされることが多かった、弁護士
海渡雄一さん(福島さんのパートナーでもある)から緊急の連絡が入り、
日隅さんがおられる病室に急ぎ向かったのだと後になってわかった。

詮無いことだが、ここに彼がおられたら……。何度もそう思った。
この『基金』の、受賞作の選考委員をお受けした理由も
日隅さんの志と実践を微力ながら少しでも深め、広めることができたら、

という思いからだった。

特別賞は、東京新聞「こちら特報部」。
奨励賞は CRMS(市民放射能測定所 代表 丸森あやさん)と
     福島原発告訴団(代表 武藤類子さん)
大賞は  情報公開クリアリングハウス(代表 三木由希子さん)

武藤類子さんには久しぶりにお目にかかることができた。

こんなに素晴らしい機会を作ってくださった日隅さんに
心から感謝しつつ、妙な言い方だが、ここにこそ
日隅さんはおられるべきだった、とも思う。
どんなに、どんなに「自立した市民の抬頭」に喜ばれたことだろう。

2013年6月11日火曜日

6月11日

せっかく、ラッキョウを漬けたのに。
糠床の、キュウリやナス、ニンジンやピーマン、
キャベツも美味しくなっているのに、東京を離れる日が多く、
大好物が漬かり過ぎたりして、なんだかすっごくくやしい。
ラッキョウは手抜きして、クレヨンハウス大阪店で
すでに洗ったものを購入。林檎酢や洗双糖、鷹の爪などで、
大きな瓶に。すでに飴色に近くなって、これが美味しい。
ドライローレルを二枚ほど入れてみた。
凝らない、実にシンブルなつけ方だが、案外、いける。
カレーのおともに最適。
糠漬けは、東京店でこれも手抜きで糠漬けキットを購入。
一日一度は糠をかき混ぜることが必要とキッドの説明書には
書いてあるが、それが実行できない日が続いているのも、
ちょっと無念だ。
でも、とても簡単に漬物ができるので、うれしい。
祖母や母の世代は、もっと本格的に漬物を漬けていたが。
特にお気に入りはキャベツ。糠床からとりだして、洗ってそのまま食べても
美味だし、すりおろしたり微塵にした生姜を添えても美味。
これからナスやキュウリの最盛期だ。楽しみが増える!
デモや集会が続くと、こういうことをやってみたくなるのだ。
暮らしの基本と自分がしっかり結びついていないと、
思想も姿勢も心まで硬直しそうで、こわい。
 
 
ところで、今朝の東京新聞。
一面は、「原子炉など処分場未定」という大きな見出しが。
その隣には、連載の「検証・自民党 改憲草案」が並んでいる。
どちらも、この夏の参院選の争点である。
「野党」と呼ばれる政党と候補者は、このふたつの争点を
軸に、なんとか柔らかく結びつくことはできないのか。
比較的近い過去の歴史を鑑みても、困難なことはわかるのだが。

2013年6月10日月曜日

6月10日

昨日は終日、宮城だった。早朝に東京を発った。
新聞各紙を膝に置きながら、
しばらくぼーっと外を見ていた。
(まだ完全に目覚めていなかったみたい)
たて続けにコーヒーを2杯。
車窓から見える緑の色が、うん?
じょじょに、じょじょに明るい色になっていく。
東京に近い緑は、すでに夏の色だったが、
北に向かうほどと、新緑の初々しい、若い緑になっていく。
同じ緑といっても、こんなに違うのだ。
日本列島の形を、緑の濃淡で確認させてもらった。

宮城では、里山の池に、びっくりするほどの量の、おたまじゃくしが。
久しぶりだ、おたまじゃくしと対面。

土曜日の「朝の教室」
金曜日の官邸抗議デモをずっと主催されてこられたおひとり、ミサオ・レッドウルフさん
を講師にお招きしての1時間30分。
とても誠実で真っ直ぐな人柄がにじみでるようなお話だった。
わたしより二十数歳若い彼女だが、しっかりと明日を見据えて、
運動体を運営されているのがよくわかる講演だった。

今日月曜の東京新聞(中日)夕刊から、日曜を除く毎日の連載「この道」が始まる。
連載といえば、週一に慣れてしまっている身には連日となるとハードだが、
いまのところは、ハードさそのものを楽しんでいる感じがする。
五か月はこの状態が続くので、健康に気を付けなくては。

いつ、どこで、「わたし」は「わたし」になったのか……。
そして、わたしは、どこに向かおうとしているのか。
自分で自分のルーツを探り、「明日」の方向性を確認するような面白さもある。
お時間の余裕があるときには、お目を通してください。
と書いて、この春から始まった新しい連載にも触れないと、フェアでじゃないのでご紹介を。

『こころ』  平凡社・刊 隔月連載で、「三匹の犬と眠る夜」というタイトルで。
70年代にヒット曲を持つスリー・ドッグ・ナイトというグループ名から、タイトルをお借りした。
寒い夜には、三匹の犬と一緒に眠り、暖をとるという意味のグループ名であるが。
三匹の犬は、過去・現在・未来を意味する場合もある。
ご担当者が、音楽や映画がお好きで、夢中になって一匹目の犬、
過去のヒットポップスなどについても話をさせていただいる。

「普通の人々と普通の暮らし」は共同通信社を通して、各地方紙に贈られてる原稿だ。
いつもは使わない「普通」という言葉を敢えてタイトルに持ってきたのは、
東日本大震災、そして福島の原発事故以来、
昨日の次に明日がとどこおりなく来ることのありがたさを痛感しての命名。
男性介護者のいま、沖縄のいま、助産院での女性たちのおしゃべり、
統合失調症といわれた人々のサロン等々。
「普通」といっても、「普通」は人の数だけあるよ、
という意味も含めての久しぶりの取材原稿。
といった按配で、以前から続いている連載等も含め、
ちょっとばかり飽和状態ではあるけれど、こういう状態もまた、たのしんでいる、と思う。

2013年6月6日木曜日

6月6日

6月6日付けの『日刊ゲンダイ』に、
福島の子どもの甲状腺がんについての記事が掲載されている。

福島県の「県民健康管理調査」で、甲状腺がんが確定したひと(18歳以下)が12人。「疑いがある」とされたひとが15人いることが判明したという記事だった。

福島県立医大は、放射線の影響は考えられないとしているらしいが、
ご存知のように通常、子どもの甲状腺がんの発生は100万人あたり1人~3人と言われている。
今回の数は、一時検査の結果が確定した17万4000人の内訳だというから、
単純に計算しても、記事の小見出しのように、およそ「70倍」に当たる。

甲状腺がんについては、ベラルーシ共和国の首都ミンスクにある国立甲状腺がんセンターで、
小児甲状腺癌の外科治療を中心に医療支援活動に従事したした現松本市市長、菅谷昭さんと『通販生活』で対談をさせていただいた時、詳しい話しをうかがっている。

今年2月の発表の時も、
チェルノブイリの事故の時もだいたい4、5年で発症したから、「福島の場合、発症が早すぎる、もともと(その子が)持っていたのではないか」という調査をした側のコメントがあったが、
チェルノブイリの場合、甲状腺がん等を精密に検査をする機械が導入されたのが、事故発生から4年ほどたってからで、それで、「急増のように見えた」。その数字をそのまま適用はできないと、菅谷さんはおっしゃっていた。
今回の「日刊ゲンダイ」の記事。しっかり向かい合いたい現実の側面である。

ところで今週土曜日8日の「朝の教室」の講師は、毎週金曜日の官邸デモをガイドしているミサオ・レッドウルフさん。
個人的に深く存知あげているわけではないが、あの官邸デモを指揮するのは並大抵のことではない。
2日の集会、3日の経産省前テントひろばの応援講演会でもお目にかかったが、普段は、静かで穏やかなかたである。

仕事はイラストレーター。レッドウルフさんという名前は、ペンネームだそうだ。
彼女がなぜ、反原発の手をあげ続けているか。いつ、どのようにして現在の彼女自身になったのか。
そして、目指すものは? 大きな運動体を持続させる意志の力とは?
伺いたいことがたくさんある。

突然ながら、ラッキョウをつけた。
糠漬けも再開した。
デモや集会が続く日々は特に、こういうことをしたくなる。

2013年6月3日月曜日

6月3日

2日は、東京だけでもそれぞれ三つの会場で、反原発の集会が行われた。
共通のロゴを作って連帯しあっての、集会&パレードだった。
「さようなら原発」は、昨年の5月5日、日本中の原発が止まったあの記念すべき日の集会と同じ、芝公園で。
狭い公園に、各地から、大勢の方々が集まった。
大江健三郎さん、鎌田慧さん、そして原発立地の各地から参加された代表のかたがたのスピーチなど。
天気が崩れるという予報もあって不安だったが、開始の頃にはピーカンに。特別注文したような晴天に。
陽射しは強く暑かったが(おひとりが熱中症に)、湿気は少なく、風も気持ちよかった。
それぞれのスピーチのあと、芝公園から日比谷公園までパレード。
途中、日曜でひとはいなかったが、東京電力のビルの前ではシュプレヒコールを。
このところ、腰が痛かったのだが、日比谷公園まで歩いたら、なんと!完治していた。
椅子に座るより、姿勢よく歩くほうが腰にはいいみたいだ。
大江さんも鎌田さんも完歩された。

今日月曜は、午後一番に、新宿で関東の介護士さんの集まり。
そのあと一度クレヨンハウスに寄って(寄って、という感覚は問題だ。わたしのベースであるのだから)、
夕刻から明治大学リバティータワーで、経産省前テントひろばの応援団の講演会が。
そのあと、申し訳ないのだれど、途中から抜けて、
岩波ホールの支配人だった高野悦子さんのお別れ会に参加。 

新聞等の報道はほんの数行になっていたが、以下、2日の集会でのわたしのスピーチ。

南海トラフ巨大地震をはじめとして、近いうちに大きな地震があるのではないか、
という報道が日々されています。そういう「地球の時代」を、わたしたちは生きています。
ハリケーンにしても同様でしょう。
しかし、「予知困難」と言われる巨大地震の報道や、ハリケーンの報道を、国は、メディアは、
なぜ原発を全く独立した別個のものとして報道するのでしょう。
3・11を既に過去のことにしてしまっているのでしょうか。
テロについても、同様です。
テロを問題とするのなら、原発の存在をまず考えるべきではないですか。
防衛費は増やしながら、福祉は狭めながら、事前の防災を呼び掛けながら、
原発と連動して考えようとしない、この国の相変わらずの「国策」に、わたしは抗議します。
私たちは異議申し立てをしてきました。
原子力発電はもとより、この国を覆い尽くす「原発的体質・構造」そのものに。
けれど、聞き耳を持たない現政権は原発と原発的体質、構造をそのままにして、
トルコに原発を売り、さらにインドにと海外の国々を訪れています。
福島第一原発の事故の収束をまったく見ないまま、平然と「死の商人」となっているのです。
10万人以上のひとびとが、家に、郷里に帰れないまま、放置されているのです。
だから、わたしたちはまっとうな市民感覚を素手に握り、闘い続けましょう。
現在は少し控えていますが、夏の参院選の結果によっては、
96条の改悪、そして憲法そのものの改悪もまた出てくるでしょう。
現政権が、福島の人々から、憲法が保障した生存権を、基本的人権を、
主権在民を奪い続けている事実にも、わたしたちは抗議しましょう。

まずは先の選挙で棄権をした多くの層をいかに選挙に呼び戻すかです。
呼び戻すことができたなら、この流れは確実に変わり得ます。
同時に、「違いは違い」としたまま、とにもかくにもこの時代を拓くために、
いくつかの野党は、「柔らかな結束」はできないのでしょうか。

幼い頃に遊んだ「結んでひらいて」を思い出してください。
ネットワークという言葉を、時にわたしはニットワークと言いかえますが、
ここでは「結び」、ここでは「ほどき」というネットワーク、
ニットワークを実現できないのでしょうか。
たとえば反原発、たとえば憲法改悪阻止を二つのメインイッシュウにし、
柔らかくつながることは本当に、真実、不可能なのでしょいうか? 
どうせ、と結論を早々に出す前に、です。
わたしたちは、ある地方に、そこに暮らす人々に、
「いのち」と「安全安心」に犠牲を強いたまま、暮らしてきました。
福島も沖縄もそうです。明らかなるこの差別に、加担し続けることはできません。
人あっての、発展です。子どもの未来あっての、繁栄です。

「開発」という名の、「発展」という名の、「拝金」という名の堕落と破壊に、
まやかしの繁栄にわたしたちは抗議しましょう。
この鎖から、わたしたち自身を解き放つことができるのは、
結局はわたしたち、ひとりひとりです。

わたしたちはすでに「権力」の正体に、彼がもくろむ社会に気づいているのです。
無この市民を不安と不穏と不信の中に突き落としながら、
自分たちは安全地帯に置いてきたのが、権力です。

だから、わたしはわたしに問いかけます。準備はできてるかい?
なにをしかけられても、どんな場合でも、どんな状況になっても、
わたしたちはわたしたち自身を裏切らないか? わたしはわたしを売り渡さないか?と。

わたしたちには権力はありません。いらんと思う反面、事故以来、欲しいと思うわたしがいたのも確かです。
けれど、彼らを越えるものが私たちにあるとするなら、
わたしたちには愛するものがいる、心からそのひとの幸福を祈るひとがいる、ということです。
それは子どもや孫、あるいは血縁はなくとも、誕生前のいのちで、わたしたちがこの社会を譲りたい存在です。
あのひとたちが欲得で結びつくのなら、わたしたちは、友情や共感で結びつけるはずです。
わたしたちには、安全・安心・平和という名のゴールを求める権利があります。
わたしたちは、沖縄の人々を苦しめながら、沖縄の過去と現在を体験しています。
わたしたちは福島の人々、ほかの原発のあるところの人々を苦悩させながら、原発を体験しています。
大事なことは、体験そのものではないでしょう。
体験から何を引きだし、何を引き受けるかです。
そしてわたしたちは、何を引き受けるか、すでに答えが出ています。
このところ、見せしめとしか思えないような逮捕が続いています。
細心の注意とデリカシーと、果敢をもって、今日も元気に歩きましょう。
無理はどうかされないでください。

2013年6月1日土曜日

6月1日

6月、JUNEの始まりだ。
昨夜は、鎌倉芸術館であった、鎌倉九条の会の集まりに参加。
内橋克人さん、金子勝さんとご一緒にスピーチと鼎談を。
この前に鎌倉九条の会に参加した時は、
井上ひさしさんがお元気でいらっしゃった。
裏方に回り、席の状況などをチェックしておられた姿が
目に浮かび、胸がいっぱいになった。

1500のチケットが完売とか。
大勢のかたがたが集まってくださったが、問題は、会場の外。
それ以上の大勢のひとたちが、
原発にも改憲にも無関心という状況がある。
「無関心」の理由はさまざまだろうが、
この層が動くことで参院選の地図は変わるはず……。
そんな話もさせていただいた。

絵本作家、長野ひで子さんも主催者側のおひとりとしておられたし、
お目にはかかれなかったが、1969年3月、ベトナム戦争、
ナイジェリア内戦に抗議して焼身自殺をしたフランシーヌ・ルコントに思いを馳せた歌、
「フランシーヌの場合」でおなじみの新谷のり子さんも会場におられて、
新しいCD『ありがとう唄たち」を係のかたにことづけてくださった。
このところご無沙汰気味だが、お目にかかるたびに思う。
年を重ねるほどカッコよくなっていかれるかただ、と。

土曜日は、埼玉で保育士さんたちの集まりが。
「明日のデモ、疲れないでくださいね」とのお声も。
「夏の学校」に参加してくださっている保育士さんたちとも再会。

そして、明日日曜日は
「つながろうフクシマ! さようなら原発集会」が芝公園23号地で。
12時30分からコンサート。
13時~ 集会発言。
14時15分~ パレード出発の予定。

わたしも参加しますが、無理のない範囲で、ご参加を。