2013年12月8日日曜日

12月7日

あれだけ多くの人々の、反対の声に一顧だにせず、
6日、特定秘密保護法が成立した。
議員の数からいえば、当然予想できたことではあるが、
市民の声に全く耳を貸さない彼らのやりかたに改めて恐ろしさを覚える。
こうして、「声」は消されていったのだ。歴史はいつだって。

原発もまた再稼働する方針だという。
これらの暴挙に対して、わたしたちは何ができるのか。
特定秘密保護法施行までは一年。
6日を、改めてわたしたちの「はじめの日」として、
あらゆる知恵を持ち寄って。

土曜日は長野、日曜は静岡。

 銀杏が散る国会周辺でかけあった声を素手で握りしめて、
再度の「わたしたちのはじまりの時」を。

寒くなってきた。
お身体、くれぐれもご自愛を。

2013年12月6日金曜日

12月6日

南アフリカの大統領であり、アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃闘争のガイド役でもあったノーベル平和賞受賞者ネルソン・マンデラさんが亡くなった。95歳。反差別の象徴的人物だった。差別を撤廃しようとするその思想と行動ゆえに、27年半の獄中生活を強いられた彼だったが、90年に釈放。アパルトヘイトが撤廃された後も、白人に対する報復にも強く反対をし、平和な内に政権移行を主導したひとでもある。

マンデラさんの訃報を受けて、安倍首相は、彼を偉大なる指導者と呼び、国葬(予定)への参加も検討しているというニュースが流れた。が、マンデラさんが、闘ったのは、白人支配の社会であり、個人の基本的人権や自由を収奪する社会の仕組みそのものだった。

現在与党が数の力で押し切ろうとしている特定秘密保護法案が独り歩きする社会と、マンデラさんは闘い続けてきたのだ。昨日も、国会周辺の抗議行動、1万近くものひとが秘密保護法案に抗議するために集まった、という。

マンデラさんが獄中で迎えた誕生日に、スティーヴィ・ワンダーはロンドンだったかの公演で、あの「心の愛」を歌い、捧げたという記事をずっと以前にどこかで読んだことがあった。
I Just Called To Say I Love You

2013年12月4日水曜日

12月4日

先週、日比谷野音で行なわれた特定秘密保護法案反対集会で、
「ふざんけんな!」と叫んでしまった結果、
今日水曜日の国会包囲ヒューマンチェインでは、
「ふざけんなと叫んだ落合さん」と、名誉ある(?)紹介をされた。

パブリックコメントでも9割が反対しているにもかかわらず、
政府はなんとしてもこの憲政史上最悪と言われる法案を衆議院に続き、
参議院でも6日までに通そうとしている。

与党幹事長は、国会周辺の抗議の声を「テロ行為」と一度はブログに書いたが、
これこそ、特定秘密保護法案の「正体」そのものだ。
自分たちにとって都合が悪いものはすべて、「テロ」とみなし、網にかけるのだろう。

彼らにとって、反原発の活動も、基地反対の声も、TPP反対も、
その研究や話し合いさえも、すべて「テロ行為」であるに違いない。

「ただひたすら己の主張を絶叫し、多くのひとの静穏を妨げるような行為」と彼はいうが、
市民の声に耳を傾けず、「ただひたすら己の主張」を強制しているのは、どちらだ。
市民の静穏な暮らしを破壊しようとしているのはどちらだ。

反対する市民の声を「絶叫」と呼ぶなら、なぜ「絶叫」になるのか教えてあげたい。
市民が、静かな声音で話し合う場を、
あなたたちは一度でも設ける努力をしたのか。聞こうとしたか。

第一原発の過酷事故を体験した福島での公聴会。
自民推薦の浪江町の町長でさえ反対したのは、情報が隠される恐ろしさを、
この間、いやというほど体験したからだ。

いかようにも拡大解釈でき、いかようにも適用できるこの法案の危険性を、
たとえばスピーデイーの情報を隠され、その結果、
避けられたはずの低線量被ばくをさせられたひとたちは、いやというほど知っている。
その情報は今法案に該当しないと担当大臣は言っているが、
「特定の原発に対するテロの情報に関する警備計画は該当する場合もある」
と使い分けをしている。
そして「場合もある」の「場合」を決めるのは、わたしたちではなく、
彼ら、権力者であるのだ。

36か所も「その他」のある法案である。
いかようにも解釈できるし、いかようにも「該当する場合」は拡大できる。

民主主義に、平和主義に、主権在民に逆行し、
集団的自衛権や日本版NSCとセットになった、
つまり戦争に参加する危険性が極めて高いこの法案にどうして賛成できるだろう。

反対の声をテロ行為と呼ぶなら、市民の声に耳を傾けず(いつだってそうなのだが)、
特定秘密保護法案を強引に可決させようとする彼らのやりかたこそ、
民主主義への、わたしたち市民への、テロ行為だとわたしは呼ぶ。

かつてこの国には、機密保護を目的とした二つの法律があった。
軍機保護法と国防保安法。両法律とも「機密」の範囲は「曖昧なまま」独り歩きをした。

飛行場や軍港を写真に撮っただけで、軍事的なうわさ話をしただけで、
権力に「該当する」とされただけで、無辜の市民が次々に検挙された。
「機密」の範囲が曖昧なまま、というのは今回の特定秘密保護法案と相似形だ。

この法案が恐喝、脅迫、見せしめとして持つ力も無視はできない。
すでに始まっているかもしれないメディアの自主規制。市民の委縮。市民相互の不信感。
そして、「見ざる、言わざる、聞かざる」の時代はそこまで来ている。

今日は、13時と13時30分の二回、ヒューマンチェーン、
参加者が手をつなぎ合って、国会をぐるりととり囲んだ。
ウィークデイの昼過ぎであるにもかかわらず、各地から集まった市民の数は、
なんと6000人。脚本家の小山内美江子さん、評論家の佐高信さんたちと、
わたしもご一緒した。

クレヨンハウスはクリスマスプレゼントの絵本や玩具を探すひとたちで賑わっている。
抗議の集会が続き、仕事が少々遅れ気味。

若い父親の腕の中で眠る幼い子どもの、
なんとも愛らしい盆の窪から贈られた元気を握りしめ、さ、仕事をしよう。
明日も朝から忙しい。

2013年12月2日月曜日

12月1日


昨日は横浜市での講演会。
人権、特に高齢者の人権と介護をテーマにしたものだった。
お天気もよく、大勢のかたがお集まりくださり、感謝!
特定秘密保護法案、反原発も「わたしたちの暮らしに、
人権そのものにかかわること」という話もさせていただいた。

このところ週末はほとんど東京を離れている。
どこでも「反対」の声に接するのだが、
それが議員たち、特に与党の彼ら彼女らには
全く届いていないのが、無念だ。

今週も東京でも多くの集会が予定されている。
まず明日月曜日は、16時~衆議院第一議員会館
多目的ホールで、女たちの特定秘密保護法案に反対する大集会が。
「この指とまれ、女たち! 秘密保護法反対!大集合」
澤地久枝さん、渡辺一枝さんたちもご参加の予定。
わたしも参加します。
事情が許すかたは、是非ご参加を。
その後18:00から参議院議員会館前でキャンドルデモが予定されています。

2013年11月25日月曜日

11月25日

日曜日は広島の三原での人権講演会だった。
多くのかたがたに集まっていただいて、感謝!

反原発、そして今週にも衆院を通過しそうな特定秘密保護法案についてなど、
講演の後もいろいろなかたから、お声をいただいてきた。

空港と会場の往復。
すっかり色づいた楓の真紅が目にしみた。
戦前に逆戻りするような法案。
そしてそれらが通れば、
まさに21世紀の「戦前」を作るような法案をいま、
なぜ、政権は通そうとしているのか。
世界の潮流は情報開示に向かっているというのに。
無念きわまりない。

以下、26日(火)のお報せを。

11・26の集会 是非ご参加ください。また下記 内容を拡散願います。
さような ら原発1000万人署名提出行動
とどけよ う!脱原発の声を2013年6月15日に、
最初に集約した7,514,066筆を政府 に提出しました。
その後も署名は続けられ、
約90万筆の署 名が全国から寄せられましたので、
11月26日(火) に、再び政府に署名を提出します。
提出後に下記の集会を行います。是非ともご参加ください。

18:30開演(18:00開場) 日比谷野外音楽堂
                                  司会:木 内みどり(女優)
                                  署名提出の報告:鎌田慧(ルポライター)
                                  福島からの訴え:千葉親子(脱原発福島県民会議)
                                  リレー トーク:内橋克人(経済評論家)
                                                     大江健三郎(作家)
                                                     落合恵子(作家)
                                                     澤地久枝(作家)
                                                     佐高信(評論家)
                                                     辛淑玉(人材育成コンサルタント)
                                  署名をされたからのメッセージ:林洋子(女優・クランボンの会主宰)

19:30~デモ出発  日比谷野音~東電前~銀座~数寄屋橋~鍛冶橋駐車場(流れ解散)

主催: 「さようなら原発」一千万人署名 市民の会
         内橋克人、大江健三郎、落合恵子、鎌田慧、坂本龍一、澤地久枝、瀬戸内寂聴
         辻 井喬、鶴見俊輔

さようなら原発1000万人アク ション事務局
東京都千代田区神田駿河台3-2-1連合会館1F 原水禁 気付
http://sayonara-nukes.org/

ヘルプページ:   http://help.yahoo.co.jp/help/jp/groups/
グループページ: http://groups.yahoo.co.jp/group/sayonara_nukes/
グループ管理者: mailto:sayonara_nukes-owner@yahoogroups.jp


2013年11月22日金曜日

11月22日

昨夜は、特定秘密保護法案に反対する集会、
そしてデモに暮れた。

朝から仕事が続き、
衆院議員会館で同法案に反対する女性たちや議員さんたちと記者会見。
それから日比谷公園野外音楽堂で開かれた反対集会へ。
どれくらいのひとが集まってくれるか予想がつかなかったが、
1万人近くの人たちが集結。当然音楽堂にはいりきらなかった。
ステージも寒かったが、屋外の会場のかたがたはもっと寒かったに違いない。

同法案はもしかしたら昨日に可決ではないかと言われていたが、来週に持ち越し。
何が秘密なのか。それも秘密、と言われるおそろしい法案が可決されれば、
戦前と同じような息をするのすらつらい時代が。
「修正案」がいろいろと論議されているが、
条件闘争など不要だ。

修正論議はいらない。丸ごと廃案しかない。
疲れたが充実した一日。26日頃に可決という声を聞くが、
こんな法案、民主主義へのテロリズムそのものではないか。
子どもたちの明日は、どうなる!
おなかが空いて、帰りにネギラーメンと餃子などという
オーガニックライフとはほど遠い夜食をとってしまった!

明日の「朝の教室」。
新聞連載のみならず、単行本も20万部突破と言われている
「プロメテウスの罠」、取材班代表の依光隆明さん。
高知新聞時代から県庁の不正融資を暴いた取材班代表を務め、日本新聞協会賞受賞。
朝日新聞に移られてからは
原子力発電所の事故の追跡・検証する連載企画『プロメテウスの罠』でも、日本新聞協会賞受賞。
どんな風に取材班は作られ、福島第一原発事故をどのようにめいめいが取材し、
そして一本の記事となり、掲載に至るのか……。
その間、どんなことが内部でも、また外部からも起きたか等、

伺いたいことは山ほど。
お楽しみに!

2013年11月21日木曜日

11月21日

なんという時代なのだろう。
なんという政治なのだろう。
自民党の中にも、保守系リベラルな議員がいるはずであるのに。

特定秘密保護法案が今国会成立の見込み。
ジャーナリズムの報道の自由も、当然わたしたちの知る権利も
大幅に狭められる。
何を「特定の秘密」とするか、それ自体が秘密だという、
恐ろしくも呆れた法案である。
各地で反対の集会が続けられている。
民主主義そのものの崩壊を意味し、戦争への道に雪崩を打つ
この法案を決して許容することはできない。

本日も18時30分~日比谷野外音楽堂で、反対の集会が。
わたしも参加する。
都合がつくかたは、是非!

23日の「朝の教室」。
朝日新聞連載「プロメテウスの罠」を取材し、記事にし続けてこられた
編集委員・依光隆明さんを講師にお迎えしている。
この連載が始まる時、取材班の部屋のドアには、誰が書いたか
「ポチになるな」という紙が貼ってあったという話を聞いたことがあった。
本物の犬の「ポチ」には申し訳ないが、
むろん権力の「ポチ」になるなという意味である。
記事になるまで、そして記事になってからも様々なプレッシャー、
その他があったであろう。
そんなお話はむろんのこと、メディアのこれから(いまもっとも大事なテーマのひとつだ)
をお聞きで来たらと考える。

風邪でキャンセルされるかたが数名おられたので、僅かだけ空席が。
お申込みはお急ぎで。

今日は朝から仕事。
夜の集会まで、どのようにテンションをキープするかが問題。
昨夜の食事が遅く、朝は食べたくないから、お昼はしっかり食べよう。


2013年11月7日木曜日

11月7日

小雨がちの木曜日。

またもや長い間、ブログがご無沙汰になってしまった。
先週末は下館、そして福島と回ってきた。
福島には毎日でも行きたい。
けれど、行くと悲しさと憤りを
必ずさらに増量させて帰京するわたしがいる。

いまのこの時も第一原発で被曝しながら作業されているひとたち。
故郷のあの家に帰れないひたち。
大きな不安を抱きながら、そこで暮らすひとたち……。
笑顔のひとたちに出会い、目に涙をいっぱいためたひとたちに出会い……。
それでも、わたしは「帰ってくる」のだ。
朝に出た、いつもの東京に、そして家に。
ああ、と思う。

先週の「朝の教室」。講師をお願いした山口幸夫さんから
手に入りにくい二冊の本をいただいた。
『1960年代 未来につづく思想』と『戦車の前に座り込め』。
前者の表紙には、わたしの世代には懐かしい、けれど決して古びない
あの言葉が撮影(どこかの壁に記されたものを撮影したのだろう)されている

……連帯を求めて孤立を畏れず
  力及ばず仆れることを辞さないが
    力を尽くさずして挫けることを拒否する……

2013年10月6日日曜日

10月6日

気持ちのいい秋晴れの北の国。
コスモスが咲き乱れ、ナナカマドが深紅の実をつけている。
昨日は、ニセコで講演。
つるべ落としの夕暮れの中、千歳にあるホテルへ。
今日は恵庭市での講演。
朝一番に北海道新聞を開いたら、小出裕章さんの写真が目に飛び込んできた。
九月に札幌であった講演会の紹介の記事だ。
止められない汚染水。原子力に未来はない、という趣旨の講演だった。
同じ本日付けの一面には、
福島第一原発で4か月作業をした札幌の男性(55)が、がんを併発。
原因は放射線被ばくにあるとして、労災申請をしたという記事が。
汚染水は事故からずっと流れていたし、今も状況は変わっていない。
これからも、どれほど多くの人が、
この国の命運を追って、現場ではたらきつづけることになるのだろう。
北海道といえば、270箇所のレールの異常が発見されたのは、つい最近のこと。
JRも、民営化=利益の追求優先、という循環のなかで、生じた事件ではないだろうか。
確かなことは、この国に存在したあらゆる安全神話は、
内側から崩壊した、というか、
国民のための安全を考える組織は存在しないということか。

2013年9月27日金曜日

9月27日

柄にもなく、体調を崩した10日間。

本当に、こんなに「怠る」が続いたのは、久しぶりだった。



風邪は酷くなるし、声は出しにくいし、下を向くと鼻水ツツ、といった按配。

微熱も続き、ダルさに参った日々。

仕事は休まずにやっていたけれど、帰宅すると、お風呂に入り、

遅らせられない原稿をせっせと書いて、そのままベッドにダイブ。

そんな日々が続いていた。



 今朝は快晴。気持ちのいい秋晴れだ。

しっかりと玄米の朝ご飯を食べて、よーし、元気回復!



しかし、今朝の東京(中日)新聞一面の記事は……。

東京電力は昨26日、柏崎刈場原発の6・7号機の再稼働に向けた申請を、

今日午前にすると発表した。

このところ東電と対峙し、反対してきた新潟県知事も、

条件付きではあるが、申請容認。

条件とは、フィルター付きのベント設備を使う場合は、

地元の事前了解を得る、ということだ。

新しくなった規制基準においては、

前掲のフィルター付きベント設備の設置は不可欠ではあるが、どうなることか。

9月15日夜から、この国では原発は一基も稼働していない。

なんと気持ちのいいことか。

一基も稼働してなくとも、あなたの家の、我が家もそうだが、

冷蔵庫は止まっていないし、電気はつく。



いまもってだだ漏れ状態の汚染水。

東京オリンピックがある2020年には、どうなっているのか。

海への汚染はさらに広がっているという専門家の意見を、この国はどう聞くのか。

「結局、私たちは切り捨てられたのです」という福島の知人からのメール。

幾度、「棄民」を繰り返せば気が済むのか、この国は。



ダルさにかまけた10日間。

たまりにたまった各地からの資料に丁寧に目を通そう。

今日は、一月から始まる新しい連載の打ち合わせと取材が三つ。

久しぶりにクレヨンハウスのアウトテリアで、

太陽を全身に浴びた。

不安この上ない、「だだ漏れ汚染水」についての「朝の教室」

10月27日(日)、原子力情報資料室の山口幸夫さんが講演をしてくださる。

2013年9月13日金曜日

9月13日

明日14日は、
亀戸中央公園で「さようなら原発1000万人アクション」の集会です。
原子力規制委員会は、7月に新規制基準を施行。
それに合わせて電力各社(北海道電力、関西電力、四国電力、九州電力)が
再稼働に向けて申請を行い、各地で再稼働への動きにアクセルが踏まれた。
福島第一原発の過酷事故は、IOCでこの国のトップが何と言おうと、
全く収束の道筋は見えないまま。
二年半がたったいまも、事故の原因すら藪の中、といった状態だ。
その中での再稼働の動きである。

UNDER CONTROLL。
どこがどのようにCONTROLLされているのか。
国民を欺き、海外の人々も欺き、この国はどこに向かおうとしているのか。
五輪一色のこの大騒ぎに乗じて、平和の対極にある、あらゆるものがもぞもぞと、
ある瞬間から加速度を増して、いっせいに動き出す気配がしてならない。
再稼働も、その重大なひとつであることは言うまでもない。 

 ……理性、判断力はゆっくりと歩いてくるが、
偏見は群れをなして走ってくる。 (ルソー)
群れをなす五輪一色の中で、わたしたちはそれでも声をあげよう。
いのち、それも次世代のいのち以上に、
かけがえのないものなどないのだから!

2013年9月11日水曜日

9月11日

9月11日は、東日本大震災から2年と6か月に当たる日である。
同時に2001年に起きた米国中枢同時テロの日にもあたる。
当時の米国大統領ブッシュが、アフガニスタンへの報復攻撃を
決定した時、正確には、同年9月14日に米国連邦議会が、
大統領に「必要で適切なあらゆる軍事力を行使する権限を与える」という決議を選択した。
全米のほとんどが、あの酸鼻この上ない悲劇の光景に涙し、報復攻撃を支持したその時……。
ニューヨークの片隅で
「NOT IN OURNAME わたしたちの名をかたるな」
というメッセージを手に、報復攻撃に反対するデモが起きた。
反戦デモの一隅でアピールしているのは、9.11の遺族だった。

拙著「自分を抱きしめてあげたい日に」(集英社新書)でも、
ご了解を得て紹介させていただいたが、そのことを、
祖父江拓史さんという詩人が詩として書いておられる。
創風社の『反戦アンデパンダン詩集 POEMS AGAINST THEWAR』(2003年刊行)に、
ある日見つけた詩である。
……憎悪と怨さに煽りたてられ、
「ゴッド・ブレス・アメリカ」とともに
アメリカ全土を覆い尽くそうとしたそのとき
……もう一つの歌「イマジン」が
マンハッタンの片隅から、沸き起こった……
……「石油のために血を流すな」
  「戦争は解決にならない」
そうして、ニューヨークの反戦デモのその中に、
次のように声をあげながら行進する人々がいた。
「NOT IN OUR NAME」
……胸には両親の遺影 そう、あの9・11の遺族たちだ。

東京五輪一色としか言いようのない、ここ数日のメディア報道。
確かに、励みを感じるひともいるだろう。
異なった文化について学ぼうとする子どもたちもいるだろう。
しかし、「一色」は恐ろしい。
福島第一原発の「現在」も、仮設住宅で暮らす人々の苦しさも、
消費税アップもTPPも、非正規社員の苦悩も、
「五輪一色」で抹消していくような。
「NOT IN OUR NAME」である。

……社会は危険と矛盾を生産し続ける一方、
それらへの対処は個人に押し付ける。
2001年に刊行されたジークムント・バウマンの
『襟キッド・モダニテイー 液状化する社会』(森田典正 訳、大月書店)の一節だ。
これも前掲の拙著の中で紹介しているが、
「自己責任」というあの言葉と呼応する液状化社会のありようである。
福島第一原発の過酷事故、
そしてその後の対応とも呼べないような対応を見ていると、
バウマンのこの言葉を思い出す。
IOCの総会で、この国の首相は
福島第一原発は「Under Controll」と述べ、
汚染水に関しても「ブロック」していると晴れやかな表情で宣言した。
いま、こうしている間にも、汚染水はダダ漏れ状態であるのにもかかわらず。
「東京は安全」という言葉のもとに、「FUKUSHIMA」は、
そこに暮らす人々は切り捨てられてしまうのか。
どんな小さな異議申し立てをもできないような、
この「一色」の空気の中で、窒息しそうだ。

2013年9月5日木曜日

9月4日


2日、埼玉や千葉を襲撃した竜巻。

テレビのニュースでも何度もその映像が流れていた。

被害に遭われたかたがたの、一日も早い復興と、
災害救助法の適用を望んで止まない。
同時に、もしあの竜巻が福島の第一原発を直撃したら……
と考えたのは、わたしひとりではないだろう。

「日刊ゲンダイ」の9月5日号も、早速、そのテーマで大きな記事を掲載している。

その中に次のような記述がある。

……心配になって東京電力に特化した荷重設計はしていません。
それぞれの設備については建築基準法に基づいて設計し、
安全性に支障がないことを確認しています」(広報担当者)……。

こわい話ではないか。
日刊ゲンダイは、「東電の危機意識のなさが一番怖い」と締めている。

2013年8月31日土曜日

8月31日

長野から帰京したところだ。
女子中、女子高の生徒さんと保護者のかたがたの集まりだった。
えっ? わたしが中学生だったのは、何十年前?
彼女たちが、新しい時代を作りあげていくのだ。

「自分で考えること」をテーマに、いろいろな話をさせていただいたが、
大人を対象とする講演よりもはるかに緊張した。
彼女たちの誰もが、いかなる意味においても、
被害性も加害性も持たない大人になってくれることを願いながら。
そして大人のひとりとして、同じことを自分に課しながら。

明日は朝の教室。
久しぶりに早乙女勝元さんのご講演に接することができる。
二十年も以前になるか、新聞の仕事でご一緒していた。
昨日、電話でお話をさせていただいたが、
お声も、その穏やかな口調も変わっていない。
穏やかに、熱く、真っ直ぐに反戦・反核を語る早乙女さん。
ラジオの番組で、福島の浪江や南相馬を訪れた時のお話も
お聞きすることができると思う。

「朝の教室」、終了後は、日比谷公会堂での
「さようなら原発」の集会。
今回は、小出裕章さんのお話もうかがえる。
福島からも大勢のかたが参加されるそうだ。

今朝の朝日新聞。
「国会、汚染水審議先送り
福島第一 五輪招致影響も懸念」との記事が。
子どもたちがいま、福島で暮らしていることよりも、
五輪招致のほうが大事なのか。
海外メディアの「五輪招致の費用をいますぐに福島に注ぎこめ」
という、あのメッセージ(友人から教えてもらったのだが)を刻みたい。

2013年8月30日金曜日

8月30日

気が付けば、また週末。
猛暑がぶり返したようだ。
どうかご自愛を!

徳島から帰京。
徳島の人権についての講演会では、
狭山事件の石川一雄さんが最初の講演者だった。
間もなく、ドキュメンタリー映画も完成するという。

明日土曜日はまた東京を離れる。
移動の時間は、読みかけの本を読んだり、
週刊誌を読み比べたり、ぼーっと車窓を観たりと、
孤独の果実を丸かじりするわたしにとっては、
かけがえのない時空なのだけれど。
例の汚染水のことが不安で不安で。

先日も汚染水の報道のすぐあと、
テレビのニュースは、秋の魚の大漁を伝えていた。
二つのニュースは全く別個のものとしてそこに、
この国に存在するのだ。
違和感を覚えるのは、わたしだけだろうか?

9月1日、クレヨンハウス「朝の教室」の講師は
ご案内のように作家の早乙女勝元さん。
1945年の東京大空襲を12歳で体験した少年は
大人になってからも、そして80代になられた現在も、
「自分が体験したこと」から一度も目をそらすことなく、
反戦・反核むろん反原発を訴えておられる。
早乙女さんにお目にかかると、わたしはいつも
心がやわらかく解きほぐされる思いを体験する。

10月は27日(日)に、汚染水のいま、というテーマで、
原子力資料情報室の山口幸夫さんが
朝の教室 緊急講演、緊急解説をしてくださることに決定。
山口さんは亡くなった高木仁三郎さんと
ご一緒に活動をされてきた、共同代表でいらっしゃる。
もっともわたしたちがいま知りたいことを
しっかりと学びたい。

2013年8月28日水曜日

8月28日

また少し残暑がぶり返す、
と今朝の天気予報が告げていました。

「気分的にとっても疲れてしまって……」
そんな声をよく耳にします。
本当に本当に本当に! 
酷い日々が続きます。
汚染水はだだ漏れ。
収束など遠い遠い、いえ、永遠に来ないかもしれない現実。

福島の高校生が怒っていました。
……自分たちは原発なんて選んでいない、と。
……勝手につくっておいて、それを置いていくのか、と。
……大人たちが先に死んでしまうのだって、ずるい、と。
返す言葉もありません。
彼らや彼女にとって、原発は生まれた時から、そこにあったものです。

今日から東京を離れます。
どこに行っても、誰と会っても、反原発を心の軸に置いて。
今週日曜日、9月(なんですね)の朝の教室は、作家早乙女勝元さん。
傘寿を迎えられた戦争体験者が語られる、
原発、反戦、反改憲。
ご一緒に学びましょう。

午後は、日比谷での集会ですね。
暑さが続きます。
くれぐれもご自愛を! と言うとき、
わたしはわたしの年齢を忘れちまっているのだなあ。

2013年8月27日火曜日

8月27日

猛暑も少し和らいで、風の感触が心地よい東京。
昨日は、「子ども・被災者支援法」の早期実施を求めた記者会見が議員会館であった。
参加したかったのだが、記者会見の時間が当初の13時スタートから15時に変更になったために、
仕事の関係でわたしは欠席。詳しくはまた改めて、ご報告を。

それにしても、この大量の汚染水の流出……。
「収束」宣言をしたのは前政権だが、原発を推進してきた政党として、
そして再稼働を公言する政権として、さらに海外に原発を売る政権として、
この事態を現政権はどうとらえているのだろう。
輸出に際して、福島の事故を体験し「高度の技術をもって」と言っているようだが、
そうであるなら、その「高度の技術」を大量の汚染水流出を止めることに使ってほしい。

昨日は午前中から「婚外子差別」についてクレヨンハウスで取材を受けていたが、
ランチをとっておられた、福島から見えた二家族のかたから声をかけられた。
ゆっくりはお話ができなかったが、それでも必死であることが、その表情から口調からも伝わってくる。
それを聞いておられた小さな男の子と一緒の東京の女性が、
「わたしたちも脱原発に向けて、絶望してませんからね。
一緒に運動させてください」。
と、力強い言葉を。
このところ、ちょっとばかり落ち込み気味だったわたしが
むしろ喝を入れていただいた感じだ。

今週日曜日、9月1日の朝の教室。講師は作家の早乙女勝元さん。
12歳で東京大空襲を体験。戦争の悲惨さをあらゆる機会を通して、
記録し、書き、そして語ってこられた敬愛する先輩だ。
主な著作は、『東京大空襲……昭和二0年三月十日の記録』、
『わが街角』、『猫は生きている』、「戦争と青春』等々。
特に『パパママバイバイ』は、1977年に横浜で発生した
米軍機墜落事件を題材にした絵本で、アニメーションも制作されている。
1977年9月27日、その日、厚木基地を飛び立ち、
千葉館山に待機する空母ミッドウェーを目指したが、エンジンから出火。
2人の乗員はパラシュートで脱出するものの、燃える機体は墜落。
数軒の家を焼きつくした。
特にエンジンが直撃した土志田和枝さんと夫の妹さんは、3歳の裕一郎さんと1歳の康弘さんを抱えて、 燃える家から飛び出したが……。裕一郎さんと康弘さんはその日の深夜と、明け方に 母親が運ばれた病院とは別の病院で亡くなった。
そして和枝さんも、事件から4年後、31歳で亡くなった。
この事件を、子どもの視点から描いたのが、早乙女さんの『パパママ バイバイ』だ。
あれから36年。沖縄の基地問題は一向に改善されることもなく、
そして福島もまた……。
穏やかなお人柄、語り口の中に、戦争はもとより、「国家の犯罪」に対して終生、
憤りの焔を燃やし続ける早乙女さん。昨年、傘寿を迎えられたはずだが、
この夏も反戦・平和をテーマに各地で精力的に講演と取り組んでおられる。

2013年8月24日土曜日

8月24日

酷いことになっている。
福島の現実である。
言葉もない。
いつまで東電に任せておくのだ。
3・11以降、わたしたちは少なくとも学んだはずだった。
彼らが、一般の市民のことなど全く頭にないことを。
都合の悪い真実は隠すことを。
それらをいやというほど学ばされてきたはずだ。
福島でいま起きていることは、ただごとではない。
3・11以降、ずっと続いている異常事態ではあるのだが、
さらなる過酷な現実が加わった(というか、ずっと起きていたことだろうが)。

敬愛する友人から以下のメールが送られきた。
「『オリンピック誘致の金を、即、いま、福島に投入せよ』とありましたが、
これを何故、日本の報道機関は言えないのでしょう?
当の日本は、五輪誘致と原発セールスで踊っている首相を報道するばかり。嗚呼」

絶望はいつだってできる、いまは絶望の時ではない、と思うのだが。
これからまた東京を離れる。

2013年8月16日金曜日

8月16日

午前中は、必死で原稿書き。 まだ終わらない! 今夜中に終わらせよう。 そのあとは各所をばたばた。 頭の中から汗が、まさに「滝のよう」。 なんつー、暑さだ、いったい。 猛々しいというよりも、なんか、意地の悪い暑さ。 夕方、明日の「朝の教室」のために上京された 「福島原発告訴団団長」武藤類子さんと、 「クーヨン」編集長とクレヨンハウスで夕食。 「不起訴へ」という報道が先行してしまっているが、 これだけの苦しみと喪失を住民に強制しながら、 「不起訴はないよね」、と。 明日の朝の教室では、「福島の現在」、「陳述書」について、 そして、チェルノブイリ原発事故以来、反原発に取り組んでこられた 武藤さんの日常についても、お話を聴ける予定。 胸が痛くなるような「福島のいま」……。 ご一緒に考える時間を! 

8月15日

68回目の終戦記念日。
母たちの世代は、いつも言っていた。
「戦争は、もう二度とごめんだ」と。
心からそう思っていたのだろう。

この国が戦争に雪崩を打って突入していく時、彼女たちは選挙権がなかった。

だから、「そんなにいやなら、なぜ反対しなかったの?」という中学生のわたしの質問は、ある意味、酷だったかもしれない。
しかし終戦後、選挙権を手にした女性たちの中で何割が,
「平和」を軸に、漸く手にしたところの選挙権を行使してきただろう。
そして、男たちは?

そして2013年。
この夏の参院選を終えて、はじめて迎える終戦記念日。
集団的自衛権にはすぐにも手がつけられようとしている。
撤回はしたが、ナチズムを肯定するような声が政府内部からあがった。
それを問われる参院選であったはずなのだが。

気落ち気味の終戦記念日。
「夏の学校」でも紹介したが、井上ひさしさんの
「少年口伝隊 1945」(講談社 刊)、ご一読を。
妹とかくれんぼをしていた英彦少年が、
祖母の肩たたきをしていた正夫少年が、
そして川で母親と芋を洗っていた勝利少年が、
1945年のあの日以降に、辿った日々とは。
原爆投下のヒロシマを舞台にしたものだが、
妹とかくれんぼしていた誰かが、
祖母の肩を叩いていた誰かが、
川で芋を洗っていた誰かが、
ある日突然……ということが、
起きないと誰が保障できるだろう、この時代、この社会で。

2013年8月13日火曜日

8月13日

宮城県石巻から帰京したところ。どこも猛暑。
石巻も例外ではなく…。向日葵が頭を垂れていました。

東日本大震災で破滅的な被害を受けた町や村の、
比較的年長の女性たちと、
(主婦もいれば、食べもの屋を再開できない女性も)
「いしのま★キッチン」という店をはじめた女性。

東京から住民票を石巻に移しての、30代のパワフルな女性と、
そこで働く女性たちや、仮設住宅で暮らすの話をうかがった。
取材が終われば、帰る家があるわたし。
仮設の真夏は過酷だ。

間もなく終戦記念日がやってくる。
日本の総人口の4人に3人が戦後生まれと言われている現在。
決して風化してはならない戦争の記憶が遠ざかっていくような。

政治家も、戦争の実体験のないひとたちが増えた。
それに呼応するように、きな臭い動きが。
この国を「戦争のできる国」にしてはならない、
と考えているひとは少なからずいる。
それでも、その思いが選挙に反映されない、
言いようのない無念さは押入れに放り込み、
わたしたちは、それぞれが自分できる方法で、
けれど、ちょっとだけ無理もして、
異議申し立てを続けなければならないはずだ。


今週17日、土曜日の朝の教室の講師は、
福島原発告訴団の団長、武藤類子さんです。  >「朝の教室」概要

8月9日の朝日新聞一面トップに、
「原発事故全員不起訴へ」という記事が掲載された。
それを受けての告訴団事務局のホームページには、
次のような拡散希望の緊急のお報せが掲載されているのでご紹介を。


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<福島原発告訴団HPより>

【拡散希望】朝日新聞報道を受けて。

本日(8月9日)、朝日新聞の1面トップに「原発事故全員不起訴へ」という記事が掲載されました
福島の告訴団事務局には、早朝から「不起訴は許せない」、「地検に抗議の電話しました」、「がんばってください」と、
ひっきりなしに電話がかかってきています。また、
お葉書作戦は続けるのでしょうか」という質問も多くいただきました。
朝日新聞の記事は、あくまで推測であり、地検はまだ判断を出してはいません。
…とはいえ、地検内の誰かのリークがニュースソースであるだろうと思われ、
判断を出す日は近いのかもしれません。

お葉書作戦を今こそ大拡散してください。どんどん葉書を出してください。
「朝日の記事には驚きましたが、よもや不起訴ではないでしょうね」と!
弁護団が、「不起訴報道」に対して、「反論の投稿をしよう」とコメントを作成し、朝日新聞に連絡しましたが、
「今回は掲載を見合わせる」という返事が返ってきました。
そこで、「不起訴報道への反論稿」を以下に掲載いたします。みなさま、広く拡散をお願いいたします。

なお、朝日新聞の記事は、「福島原発告訴団の告訴」と、別の方々の告訴(数件)もいっしょにまとめて書かれています。
福島原発告訴団は「菅直人元首相」、「枝野幸男元官房長官」、「海江田万里元経済産業相」を告訴していません。


【不起訴報道への反論稿】

何の津波対策もとらなかった東電免責はあり得ない
    河合 弘之(弁護士・福島原発告訴団弁護団代表)

去る8月9日本紙朝刊に、月内にも福島原発事故について、我々が行っていた告訴・告発について不起訴処分がなされる方向で検察庁が調整に入っているという報道がなされた。記事において不起訴理由とされている点を取り上げ、告訴人らの考えを述べ、検察官・検察庁の再考を強く求めたい。

本紙報道によると不起訴の理由は、「事故と災害関連死との因果関係はないとは言い切れない。今回のM9規模の大地震と津波は、専門家の間で予測されていたと言えず、事前に想定できたのはM8.3までだった。巨大津波の発生と対策の必要性を明確に指摘していた専門家も少なかった。東電が2008年に津波高さ15.7メートルと試算していた点についても、専門家の間で賛否が分かれ、東電も『実際には起きないだろう』と受け止め、対策を検討したものの、具体化は見送った。東電の津波対策は十分ではなかったものの、刑事責任を問うことは困難。」とされている。

検察官の立脚する予見可能性の議論には次の疑問がある。15.7メートルの津波は東電内部の検討において確かに試算されていた。この原発の想定津波高はわずか6メートルであった。この地域でマグニチュード8.3程度の地震と高さ10メートル程度の津波が来ることは、地震と津波の専門家なら、だれもが頷く普通の想定であった。

電源喪失を防止するための対策としては、防潮堤の設置だけでなく、外部電源の耐震性強化、非常用ディーゼル発電機とバッテリーの分散と高所設置等、構内電源設備の耐震性,耐津波性の強化など多様な措置がありえた。

浜岡原発においては、老朽化した1,2号機は耐震補強を断念し、2008年には廃炉の決定がなされていた。福島第1原発1-3号機についても、同様の措置は十分あり得た。にもかかわらず、東京電力は一切何の対策もとらなかった。予測されたレベルの地震と津波対策を講じたにもかかわらず、それが不十分であったわけではない。東京電力自身が、原子力改革特別タスクフォースの報告において、結果を回避できた可能性を認めているのだ。

事故以前の東京電力社内のすべての証拠を収集し、どのような検討がなされていたのかを解明するには、強制捜査による関係資料の押収が欠かせない。このことは、捜査機関として当然の責務だ。検察庁は、テレビ会議録画や社内メールなどの任意提出を受けただけで、今日まで強制捜査を実施していない。多くの市民の生命と生活、生業を根こそぎ奪ったこの事故について、強制捜査もしないで捜査を終結するような事態は絶対にあってはならない。検察内部の良心が検察庁を揺り動かし、強制捜査の実施と起訴が実現することを心から願ってやまない。



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【緊急のお願い】地検への『お葉書』作戦!

この8月中旬にも「不起訴」の決定が下りるとの見通しが報道されています。
どうしてこの未曾有の事故責任が不問にできるのでしょうか?! 
一日も早く強制捜査に踏み切り、是非とも起訴するように、大至急、
東京と福島の地検に、お願いしてください。
みなさん、地検への『お葉書』作戦にご協力ください! 拡散大歓迎!

********

■福島原発告訴団より緊急のお願い:地検への『お葉書』作戦■
“心に訴える暑中見舞い”を

**<地検住所>***
 福島地方検察庁 〒960-8017 福島県福島市狐塚17番地
 東京地方検察庁 〒100-8903 東京都千代田区霞が関1丁目1-1

**********

○ 夏ですから、出かけた先から飛び切りきれいな絵はがきで、まず自然称賛の文面を。
   または手持ちのステキな絵はがきなどを使って・・・
○ 「でも、ここから放射線が・・・」とか、「一瞬で灰色に」など福島原発震災に対する思いを書く。
○ それに加えて以下のようなひとことを添えて結びとする。
* 「早く強制捜査を」
* 「どうして起訴しないのですか?」
* 「早く責任者の刑事責任を!どんどん証拠隠滅されてしまいます」
* 「東電本社の家宅捜査をしてこそ東京地検!」
* 「原発に家宅捜査に入ってください!」
* 「現場調査を」
* 「これでも法治国家といえますか?」
* 「海外でひんしゅくを買っています」

等々、心を込めて書きましょう!

○ 差出人の住所・氏名も、出来るだけ書く方が効果的です。
○ 仮に不起訴の決定が出ても、それへの異議を唱える文面に変えて、引き続き送ってください。

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2013年8月8日木曜日

8月8日

恒例の「夏の学校」も無事終了した。
受講生のかたがた、そしてスタッフにもおつかれさま、でした。
今年は特に、早くから希望されるかたが一杯になってしまって、
キャンセル待ちなどでドキドキされたかたもおられたと思う。
とにかく、熱中症になられるかたもひとりもなく、
無事に終わってほっとしているところだ。
「来年もよろしく!」と多くの方にお声をいただいたが、
そして来年を無事に迎えられていたら、むろん夏の学校は続けるが。

講師のおひとりだった京都大学原子炉実験所の小出裕章さんが
全大会でも分科会でも何度も繰り返されたように、
わたしたちは「放射能との戦争」の最中にいる。
悲観的なことを強調するのはためらうが、安心材料など何一つない現状だ。
それでも、わたしたちは原発を受け入れてしまった大人のひとりとして、
責任も負いながら、生きていくしかない。
山田洋次監督の、作品「同胞」や寅さんのフィルムを使っての、
「民主主義とは?」という問いかけも素晴らしかった。

与党が言うところの、「自己責任」とは別の意味で、
わたしたちは自らの権利と責任を果たしていこう。
誰のために? 自分の尊厳と、次の世代に向けて。

2013年8月2日金曜日

8月2日

目の色変えて、原稿を書いている。
明日3日からは恒例の「夏の学校」

「サマーカレッジ」と呼んでいた頃から数えると、
すでに30回も毎年、8月の2泊3日は大事な夏の行事だ。
井上ひさしさん、灰谷健次郎さんなど、かつて講師として
お迎えしたかたがたの中には、すでに亡くなったかたもおられる。
それぞれの講師の真っ直ぐにして、深いメッセージはいまでも心に刻まれている。
3・11以降、井上さんや灰谷さんがもし、ここにおられたら、と思うことがたびたびある。
……遺されたわたしたちは、かつていただいた先達のメッセージを素手に握りしめて、
今日を明日に繋ぐしかないのだが。

今年の夏の学校の講師は
山田洋次監督、絵本作家のささめやゆきさん、長谷川義史さん、
京都大学原子炉研究所の小出裕章さん、詩人の谷川俊太郎さんなど、
わたし自身が講演をお聞きしたいかたばかり。
むろん、毎年、講師の人選はかなりわがままに「わたしの願い」を
かなえてもらっているのだが。

すでにスタッフは、ホテルに入って明日からの準備をしている。
原稿を書き終えたら、わたしも合流。

各地からの受講生の中には、今日既に東京入りして、クレヨンハウスに
立ち寄ってくださっているかたもいるようだ。
現在、クレヨンハウス東京店の一階では、「夏の学校」の講師のおひとり、
ささめやゆきさんの原画展を開催中。

ツイッターというものに今まで一度もトライしたことはないのだが、
スタッフに教えてもらい、明日からは、この欄に入れたい。
長くなってしまうのだよね、わたしの文章は。

2013年7月26日金曜日

7月26日

きのうは金沢から帰京。
石川県はまだ梅雨明けになっていない、とか。

向日葵が咲いて、立ち葵も薄紙のような大きな花をつけているのに、
海の色は確かに、まだ本格的な夏のものではないような。

介護についての全国大会。
介護にかかわる大勢の方々が各地から。
みな意欲的で熱い。
幾つもの分科会もあり、タイトルを見ているだけで
受講したいものばかりだったが。
わたしはいま、あらゆるテーマの受講生になりたい気分だ。

今日は長野へ。
これは、保育についての大会だ。
わたしはいま、あらゆるテーマの受講生になりたい、気持ちが強い。
外に向けて、発信する日々がずっと続いていて、受信したい気持ちになっているのだろう。
勉強がしたい。

東海村の村上村長さんが、今回の村長選には立候補しないことを表明された。
脱原発首長会議のガイド役が立候補されないことは残念だ。
反原発の活動はむろん続けていかれる、とか。

首長という仕事も、わたしたちが予想できないほどハードであるだろうし、
外へ向けての発信も並大抵ではないだろう。
おつれあいを見送ったばかりであり、少しゆっくりされてから、
再び共に歩んでいきたい、と心から。

2013年7月24日水曜日

7月24日


参議院選挙も終わって、ふーっと溜息ひとつ。
投票率は52・61パーセント。戦後3番目の低さ、だ。
集団的自衛権をはじめとして憲法、原発、基地問題、消費増税、TPP
と、こんなにも争点があったにもかかわらず、
それらの争点がぼやかされてしまった選挙であった。

「自民優勢」というメディアのアナウンス効果が、有権者の、
「どちらにしても結果は同じ」という思いに結びついたのか。
あるいは、政治に関して、かすかな期待すらすでに失っているのか。
また、今回の参院選でも、選挙区における例の「一票の格差」も是正されてはいなかった。

このテーマについては、いろいろなところに原稿を書いてしまったので繰り返さないが、
どんな状況になったとしても、私は、改憲反対、反原発、反基地、反TPPを貫きたいと、改めて考える。

明日からは、東京を離れる。
気が付けば、7月ももう終わり。
8月初旬からは、恒例の2泊3日の「夏の学校」。

わたし自身がお話を聴きたいかたがた、いままでの受講生のかたがたからのご要望に応えた夏の学びの日。
後ずさりなど、誰がするか。

では、行ってまいります。

2013年7月20日土曜日

7月20日


比較的しのぎやすい土曜日。
いま、静岡県清水市の講演から帰京したところだ。

いよいよ明日は参議院選挙の投票日だ。
与党が大勝した場合は(その可能性は大きいと言うが)、
原発は再稼働し、消費税は増税され、TPPへの参加も目に見えている。
いまもって、垂れ流される汚染水の処理さえできないまま。
いまもって、事故調でさえ「人災」と呼んだ福島第一原発の原因究明も宙に浮いたまま。
そうして、改憲へと雪崩を打って突き進むのか。

TPPに参加すれば、国家の主権など飛んでしまう。
外国の企業の利益のみのが優先されるだけ。
食糧に限らず、医薬で何か重大な事故が起きたとしても、
判決よりも何よりも海外の企業の利益が優先される社会で、
わたしたちの健康はどう守られるのだろう。
原発の再稼働にしても、TPP参加にしても、
国民の「いのち」は二の次,三の次、いやもっと後方に位置付けられる。

そして改憲。いよいよ「戦争のできる国」になってしまうのか。
いつだって、戦争で最初の犠牲者になるのは、
「もの言わぬ、市民の父であり、息子であり、夫」である。
オーストラリアのシンガーソングライター、ジュデイ・スモールの
「MOTHERS、DAUGHTERS、WIVES」の歌詞を思う。
父を、息子を、夫を、愛する男性を戦争に奪われた母であり、
娘であり、妻である女性たちの思いを歌った曲だ。

わたしたちは再び、あの日々を繰り返そうとしているのか。
そういう社会を、そういう国を、わたしたちは子どもたちに残そうとするのか。

 選挙は未来の選択につながっている。
「いのち」からの一票の行使を。

衆参の「ねじれ解消」を与党は訴えている。
この「ねじれ」が解消されてしまったら、
独裁の時代に突入するだけだ。
妙な言い方だが、現在のこの国はにおいては、
「ねじれ」が辛うじて民主主義を支えているとも言える。
改憲も反原発も反基地も反TPPも
「ねじれ」そのものに、微かな期待をかけるしかないのだ。
与党を大勝させて、「ねじれ」を解消させてはならない。

それにしても、たとえば「反改憲」、「反原発」、「反基地」のせめて三本の柱で、
野党は柔らかな連携、選挙区の割り振りを考えることは不可能だったのか。
強力な与党に対抗して、「脱原発」を訴える候補者が何人も立つ地区では、
野党の候補者が互いに票を食い合い、結局は与党に利する形を作っている。
そのことを、それぞれの党の「選挙のプロ」は気付かないはずはない。
与党の姿勢にはむろん賛同できないが、
この地区では何党の誰それ、こっちでは、わが党の誰、というような譲り合いなしに、
与党に対抗する野党を育てることはできない。
それがなんとも無念だ。

それでも、やはり一票を行使しよう。

2013年7月19日金曜日

7月19日

久しぶりにブログを書く。東京を離れてあちこちを旅したり、
あれこれ集会に出たりして、今夕ようやく落ち着いた時間を持つことができた。

そして、気がつけばもう!金曜。
明後日はいよいよ参院選の投票日だ。
情勢はあらかた「決まり」という報道も多いが、ほんとに
これでいいのだろうか。

福島では今もって自宅に帰れないひとびとが10数万人もおられる。
10数万人、とマスでとらえるのは間違いで、
そこにひとりひとりの人生があり、ひとつひとつの人生に繋がるいのちがあるのだ。
「年寄りは足手まといになるだけです。わたしはお墓に『避難』します」
そう書いて、家族の歴史を刻んだ自宅の庭で自死された彼女の
喪失の悲しみは宙を浮いたまま、なのか。
核不拡散条約に締結しながら、原子力発電を海外に売って歩くことは、「核」の「拡散」ではないか。

日曜の投票を終えれば、今後3年間は選挙はない。
3年あれば、現政府は何でもできる。
これこそ世界に輸出したい平和憲法に手をつけることも、
彼らのスケジュールの中には明らかに織り込まれているに違いない。

経済を否定するつもりはないが、いまこの国で大企業を除いて、
特に輸出業を除いて、暮らしが以前に比べて潤ったと感じるひとがどれほどいるだろう。
大マスコミ(日刊ゲンダイ風な呼びかただが)は、いつから政府の広報部と化したのか。

それでも、か、あるいは、それだからか、とにかく棄権はしたくない。
結果が見えていても、一票を行使する。

その後は、やっぱり反原発、反改憲の活動が待っている。

2013年7月9日火曜日

7月9日

先週半ばから今週はじめまで、東京を離れる日が続いた。
金曜夕方は官邸前、首都圏反原発連合主催の、抗議行動に参加。
といっても、今回は取材させていただく側に。
「絶対、後ずさりしない、諦めない、ぶれない、がモットーです」
「去年の6月から毎週、来ています」
「休んだのは、風邪ひいたときだけだったかな」
「おかげで、夫婦の会話が増えました」
「気がついたら、大勢の友人ができていました」
比較的年配のかたがたの声。
ファミリーエリアでは、小さなお子さんも一緒の家族連れが。
本当に頭が下がる。ありがとう。
「おっ、怒髪のひと!」と、しっかり記念写真などにもおさまって
空がうす暗くなる頃には、歌声やリズム感のあるシャウトが混じり合う。
土曜は早朝から高松へ。講演を終えて、帰路のために空港への途中。
忙中閑あり。空港に戻る帰路、大きな園芸店を見つけた。
出発までにまだ時間はある。本当は連れ帰りたい苗木や鉢植えがたくさんあった。
しかしなあ。後ろ髪惹かれる思いを振り切って、帰京。

日曜は新幹線で名古屋へ。尾張を中心とした九条の会の講演会。
参院選公示の最初の日曜。くらくらするような猛暑の中、大勢のかたが集まってくださった。
90代のかたもお2人。うれしいことに10代のかたも。
もっとも多い層は、50代から70代だったが、満員御礼の状況だった。感謝、感謝!
名古屋からそのまま大阪へ。旅先からiPadで原稿を送ることにも慣れた夏。

相変わらず、改憲、原発再稼働をゴールとした政党が「圧勝」の予想はあるが、
原発の輸出は、「核の拡散」そのものであることを、わたしたちは忘れてはならない。
しっかり一票をつかおう。

2013年6月29日土曜日

6月29日

原発の輸出に熱心な政府がここに。
海の向こうで、この国で繰り返された
「安全神話」を拡大し続けていくのだろうか。
情けなく、恥ずかしい。
福島の事故のことなど、なにひとつ考えていない証拠だろう。
原発の輸出は、「核の輸出」だ。
核不拡散条約を結びながら、核を「拡散」している国。

先日乗ったタクシーの運転手さん。
娘さんが海外で暮らしているとおっしゃる。
「日本を出て、原発のないこっちにおいでと言ってくれるんですが、
原発を認めてきてしまった大人のひとりとして、反対をするためにも、
この国で暮らし続けます」
そうおっしゃっていた。

今日は一日、大阪。
グリーフワークのシンポジウムだった。

2013年6月24日月曜日

6月24日

曇り空の月曜日。
都議選の結果は、ご存知の通りだ。
このまま参院選に突入してしまうのか。
土曜日は「パック・イン・ジャーナル」が「デモクラTV」に変わって、
はじめての参加だった。
日曜は、茨城の母親大会に。
1954年3月1日、米国がビキニ環礁で行った水爆実験に抗議して、
平塚らいてうさんをはじめとして、全世界に向けて「原水爆禁止のための訴え」を送り、
スイスでの世界母親大会に日本から河崎なつさんたち14名が参加。
日曜日の茨城にも大勢の女性たちが参加。
反原発、反改憲、反基地、反TPPなどを力強くアピールした。

ねえ、どうして、こういう大会でも、男性のスピーカーにお茶を入れるのは女性なの? 
お弁当の空き箱を片付けるのも女性なの?
自分でやろうよ、それくらい。

そういえば、TPP「聖域」死守は半数以下、という報道が。
本当は、それ以上かもしれない。
経済界ばかりに、応えている政策。
それも輸出産業ばかりがよくなればいいという政策は、間もなく破綻では?
経済は、輸出もあれば、輸入もある。
輸入品の値上がりに、悲鳴、ですね。
医療、保健、薬など不安は山積み。
なんだかなあ、です。
「子どもの貧困対策法」も具体策はこれから。
子どもはどの国の、どの家に生まれるか選択はできない。
子どもの将来が、生まれ育った環境に左右されないように整備して行くのが政治というものだと考えるが、
逆行しているね、それぞれの問題が。

2013年6月14日金曜日

6月14日


今日も東京は、湿気の多い梅雨の一日だった。
午後早くまでは珍しく自宅で原稿を。
こんな時、晴天だと洗濯をし、外に干したくなって、
原稿ははかどらないのだが、きょうは仕方なく乾燥機使用の洗濯だった。

クレヨンハウスでキットを買って始めた糠漬け、美味!
朝ご飯でしっかりと味わった。

午後からはクレヨンハウスでいくつかの取材と打ち合わせを。
韓国からみえた児童文学者や作家など出版関係の人たちからの
取材をお受けする。わたし自身、海外で取材をするとき、なによりも
充分な時間が欲しいと願うので、頑張って充分な時間をとっての取材だった。

復興庁参事官のツイッターでの暴言、酷い。
すべての官僚がそうだとは思いたくはないが、
被災地の復興などてんで考えていない「復興庁」の参事官だ。
「左翼のクソども」だって。
「相手の知性の欠如に対する哀れみのみ」だって。

わたしは「右翼」でも「左翼」でもないけれど、どこまでも上から目線だ。
何かが欠如しているのは、果たしてどちらだ? 

「知性の欠如」と言っているが、
このひと(個人レベルの問題だけか?)たちに欠如しているのは、
被災されたひとたちの、「痛みに対する想像力」ではないか。
そうして他者と自己の痛みに対する想像力を、わたしは「知性」と呼びたい。
SHIT!!!!

このあと、東京を発ちます。

2013年6月13日木曜日

6月13日

昨日水曜は、幾つかの取材がまずあった。
特に、「さようなら原発」の呼びかけ人をご一緒させていただいている
敬愛する作家の澤地久枝さんが『ゆうゆう』に連載されている、
ひと自身を探訪される頁の取材と対談。

和服について、わたしは全く無知なのだが、
とても涼しげな白地の夏の一重に、
沖縄紅型の濃紺の帯を締められた澤地さん。とてもきれい、だった。
クレヨンハウスでの写真撮影。
その後、うちの編集部にも立ち寄られて、いろいろなお話をした。
編集部をご覧になりたいとおっしゃるので、
日頃、乱雑な編集部の横の会議室を、みんなが整理整頓してくれた。
満天星躑躅の枝に、モンステラの大きな葉。
白い細みのユリと淡い紅色の芍薬を活ける、
というより投げ入れ風。(これが案外いいのだ)。
お召しものに似合いそうな、花でお迎えできて、ほっ。
普段はこんな風にはいかない。
置いてあるものに躓いたり、探し物の途中で外に出て、
何を探していたのか忘れて、呆然としたり、といった按配だ。
澤地さんと出版社のかたがたはそのままクレヨンハウスで夕食を。

わたしは、昨年のこの日、6月12日に49歳で亡くなられた
弁護士でありジャーナリストでもあった日隅一雄さんの遺志を継ぐ、
『日隅一雄・情報流通促進基金』の授賞式に。
福島第一原発の事故以来、東京電力の記者会見に欠かさず参加。
情報公開のかけがえのなさを、主権在官の社会を市民主権の社会へと
病を押して、最後まで活動された日隅一雄さん。
去年のこの日、「さようなら原発」の呼びかけ人の先輩たちとわたしは
議員会館で、国会議員のかたがたに、
わたしたちがなぜ、原発に反対をしているのかを話していた。
ふっと見ると、他の議員のかたがたと最前列におられた
社民党党首の福島瑞穂さんが、
携帯をふっと見て、急ぎ会場を出ていかれた。
日隅さんとご一緒に活動をされることが多かった、弁護士
海渡雄一さん(福島さんのパートナーでもある)から緊急の連絡が入り、
日隅さんがおられる病室に急ぎ向かったのだと後になってわかった。

詮無いことだが、ここに彼がおられたら……。何度もそう思った。
この『基金』の、受賞作の選考委員をお受けした理由も
日隅さんの志と実践を微力ながら少しでも深め、広めることができたら、

という思いからだった。

特別賞は、東京新聞「こちら特報部」。
奨励賞は CRMS(市民放射能測定所 代表 丸森あやさん)と
     福島原発告訴団(代表 武藤類子さん)
大賞は  情報公開クリアリングハウス(代表 三木由希子さん)

武藤類子さんには久しぶりにお目にかかることができた。

こんなに素晴らしい機会を作ってくださった日隅さんに
心から感謝しつつ、妙な言い方だが、ここにこそ
日隅さんはおられるべきだった、とも思う。
どんなに、どんなに「自立した市民の抬頭」に喜ばれたことだろう。

2013年6月11日火曜日

6月11日

せっかく、ラッキョウを漬けたのに。
糠床の、キュウリやナス、ニンジンやピーマン、
キャベツも美味しくなっているのに、東京を離れる日が多く、
大好物が漬かり過ぎたりして、なんだかすっごくくやしい。
ラッキョウは手抜きして、クレヨンハウス大阪店で
すでに洗ったものを購入。林檎酢や洗双糖、鷹の爪などで、
大きな瓶に。すでに飴色に近くなって、これが美味しい。
ドライローレルを二枚ほど入れてみた。
凝らない、実にシンブルなつけ方だが、案外、いける。
カレーのおともに最適。
糠漬けは、東京店でこれも手抜きで糠漬けキットを購入。
一日一度は糠をかき混ぜることが必要とキッドの説明書には
書いてあるが、それが実行できない日が続いているのも、
ちょっと無念だ。
でも、とても簡単に漬物ができるので、うれしい。
祖母や母の世代は、もっと本格的に漬物を漬けていたが。
特にお気に入りはキャベツ。糠床からとりだして、洗ってそのまま食べても
美味だし、すりおろしたり微塵にした生姜を添えても美味。
これからナスやキュウリの最盛期だ。楽しみが増える!
デモや集会が続くと、こういうことをやってみたくなるのだ。
暮らしの基本と自分がしっかり結びついていないと、
思想も姿勢も心まで硬直しそうで、こわい。
 
 
ところで、今朝の東京新聞。
一面は、「原子炉など処分場未定」という大きな見出しが。
その隣には、連載の「検証・自民党 改憲草案」が並んでいる。
どちらも、この夏の参院選の争点である。
「野党」と呼ばれる政党と候補者は、このふたつの争点を
軸に、なんとか柔らかく結びつくことはできないのか。
比較的近い過去の歴史を鑑みても、困難なことはわかるのだが。

2013年6月10日月曜日

6月10日

昨日は終日、宮城だった。早朝に東京を発った。
新聞各紙を膝に置きながら、
しばらくぼーっと外を見ていた。
(まだ完全に目覚めていなかったみたい)
たて続けにコーヒーを2杯。
車窓から見える緑の色が、うん?
じょじょに、じょじょに明るい色になっていく。
東京に近い緑は、すでに夏の色だったが、
北に向かうほどと、新緑の初々しい、若い緑になっていく。
同じ緑といっても、こんなに違うのだ。
日本列島の形を、緑の濃淡で確認させてもらった。

宮城では、里山の池に、びっくりするほどの量の、おたまじゃくしが。
久しぶりだ、おたまじゃくしと対面。

土曜日の「朝の教室」
金曜日の官邸抗議デモをずっと主催されてこられたおひとり、ミサオ・レッドウルフさん
を講師にお招きしての1時間30分。
とても誠実で真っ直ぐな人柄がにじみでるようなお話だった。
わたしより二十数歳若い彼女だが、しっかりと明日を見据えて、
運動体を運営されているのがよくわかる講演だった。

今日月曜の東京新聞(中日)夕刊から、日曜を除く毎日の連載「この道」が始まる。
連載といえば、週一に慣れてしまっている身には連日となるとハードだが、
いまのところは、ハードさそのものを楽しんでいる感じがする。
五か月はこの状態が続くので、健康に気を付けなくては。

いつ、どこで、「わたし」は「わたし」になったのか……。
そして、わたしは、どこに向かおうとしているのか。
自分で自分のルーツを探り、「明日」の方向性を確認するような面白さもある。
お時間の余裕があるときには、お目を通してください。
と書いて、この春から始まった新しい連載にも触れないと、フェアでじゃないのでご紹介を。

『こころ』  平凡社・刊 隔月連載で、「三匹の犬と眠る夜」というタイトルで。
70年代にヒット曲を持つスリー・ドッグ・ナイトというグループ名から、タイトルをお借りした。
寒い夜には、三匹の犬と一緒に眠り、暖をとるという意味のグループ名であるが。
三匹の犬は、過去・現在・未来を意味する場合もある。
ご担当者が、音楽や映画がお好きで、夢中になって一匹目の犬、
過去のヒットポップスなどについても話をさせていただいる。

「普通の人々と普通の暮らし」は共同通信社を通して、各地方紙に贈られてる原稿だ。
いつもは使わない「普通」という言葉を敢えてタイトルに持ってきたのは、
東日本大震災、そして福島の原発事故以来、
昨日の次に明日がとどこおりなく来ることのありがたさを痛感しての命名。
男性介護者のいま、沖縄のいま、助産院での女性たちのおしゃべり、
統合失調症といわれた人々のサロン等々。
「普通」といっても、「普通」は人の数だけあるよ、
という意味も含めての久しぶりの取材原稿。
といった按配で、以前から続いている連載等も含め、
ちょっとばかり飽和状態ではあるけれど、こういう状態もまた、たのしんでいる、と思う。

2013年6月6日木曜日

6月6日

6月6日付けの『日刊ゲンダイ』に、
福島の子どもの甲状腺がんについての記事が掲載されている。

福島県の「県民健康管理調査」で、甲状腺がんが確定したひと(18歳以下)が12人。「疑いがある」とされたひとが15人いることが判明したという記事だった。

福島県立医大は、放射線の影響は考えられないとしているらしいが、
ご存知のように通常、子どもの甲状腺がんの発生は100万人あたり1人~3人と言われている。
今回の数は、一時検査の結果が確定した17万4000人の内訳だというから、
単純に計算しても、記事の小見出しのように、およそ「70倍」に当たる。

甲状腺がんについては、ベラルーシ共和国の首都ミンスクにある国立甲状腺がんセンターで、
小児甲状腺癌の外科治療を中心に医療支援活動に従事したした現松本市市長、菅谷昭さんと『通販生活』で対談をさせていただいた時、詳しい話しをうかがっている。

今年2月の発表の時も、
チェルノブイリの事故の時もだいたい4、5年で発症したから、「福島の場合、発症が早すぎる、もともと(その子が)持っていたのではないか」という調査をした側のコメントがあったが、
チェルノブイリの場合、甲状腺がん等を精密に検査をする機械が導入されたのが、事故発生から4年ほどたってからで、それで、「急増のように見えた」。その数字をそのまま適用はできないと、菅谷さんはおっしゃっていた。
今回の「日刊ゲンダイ」の記事。しっかり向かい合いたい現実の側面である。

ところで今週土曜日8日の「朝の教室」の講師は、毎週金曜日の官邸デモをガイドしているミサオ・レッドウルフさん。
個人的に深く存知あげているわけではないが、あの官邸デモを指揮するのは並大抵のことではない。
2日の集会、3日の経産省前テントひろばの応援講演会でもお目にかかったが、普段は、静かで穏やかなかたである。

仕事はイラストレーター。レッドウルフさんという名前は、ペンネームだそうだ。
彼女がなぜ、反原発の手をあげ続けているか。いつ、どのようにして現在の彼女自身になったのか。
そして、目指すものは? 大きな運動体を持続させる意志の力とは?
伺いたいことがたくさんある。

突然ながら、ラッキョウをつけた。
糠漬けも再開した。
デモや集会が続く日々は特に、こういうことをしたくなる。

2013年6月3日月曜日

6月3日

2日は、東京だけでもそれぞれ三つの会場で、反原発の集会が行われた。
共通のロゴを作って連帯しあっての、集会&パレードだった。
「さようなら原発」は、昨年の5月5日、日本中の原発が止まったあの記念すべき日の集会と同じ、芝公園で。
狭い公園に、各地から、大勢の方々が集まった。
大江健三郎さん、鎌田慧さん、そして原発立地の各地から参加された代表のかたがたのスピーチなど。
天気が崩れるという予報もあって不安だったが、開始の頃にはピーカンに。特別注文したような晴天に。
陽射しは強く暑かったが(おひとりが熱中症に)、湿気は少なく、風も気持ちよかった。
それぞれのスピーチのあと、芝公園から日比谷公園までパレード。
途中、日曜でひとはいなかったが、東京電力のビルの前ではシュプレヒコールを。
このところ、腰が痛かったのだが、日比谷公園まで歩いたら、なんと!完治していた。
椅子に座るより、姿勢よく歩くほうが腰にはいいみたいだ。
大江さんも鎌田さんも完歩された。

今日月曜は、午後一番に、新宿で関東の介護士さんの集まり。
そのあと一度クレヨンハウスに寄って(寄って、という感覚は問題だ。わたしのベースであるのだから)、
夕刻から明治大学リバティータワーで、経産省前テントひろばの応援団の講演会が。
そのあと、申し訳ないのだれど、途中から抜けて、
岩波ホールの支配人だった高野悦子さんのお別れ会に参加。 

新聞等の報道はほんの数行になっていたが、以下、2日の集会でのわたしのスピーチ。

南海トラフ巨大地震をはじめとして、近いうちに大きな地震があるのではないか、
という報道が日々されています。そういう「地球の時代」を、わたしたちは生きています。
ハリケーンにしても同様でしょう。
しかし、「予知困難」と言われる巨大地震の報道や、ハリケーンの報道を、国は、メディアは、
なぜ原発を全く独立した別個のものとして報道するのでしょう。
3・11を既に過去のことにしてしまっているのでしょうか。
テロについても、同様です。
テロを問題とするのなら、原発の存在をまず考えるべきではないですか。
防衛費は増やしながら、福祉は狭めながら、事前の防災を呼び掛けながら、
原発と連動して考えようとしない、この国の相変わらずの「国策」に、わたしは抗議します。
私たちは異議申し立てをしてきました。
原子力発電はもとより、この国を覆い尽くす「原発的体質・構造」そのものに。
けれど、聞き耳を持たない現政権は原発と原発的体質、構造をそのままにして、
トルコに原発を売り、さらにインドにと海外の国々を訪れています。
福島第一原発の事故の収束をまったく見ないまま、平然と「死の商人」となっているのです。
10万人以上のひとびとが、家に、郷里に帰れないまま、放置されているのです。
だから、わたしたちはまっとうな市民感覚を素手に握り、闘い続けましょう。
現在は少し控えていますが、夏の参院選の結果によっては、
96条の改悪、そして憲法そのものの改悪もまた出てくるでしょう。
現政権が、福島の人々から、憲法が保障した生存権を、基本的人権を、
主権在民を奪い続けている事実にも、わたしたちは抗議しましょう。

まずは先の選挙で棄権をした多くの層をいかに選挙に呼び戻すかです。
呼び戻すことができたなら、この流れは確実に変わり得ます。
同時に、「違いは違い」としたまま、とにもかくにもこの時代を拓くために、
いくつかの野党は、「柔らかな結束」はできないのでしょうか。

幼い頃に遊んだ「結んでひらいて」を思い出してください。
ネットワークという言葉を、時にわたしはニットワークと言いかえますが、
ここでは「結び」、ここでは「ほどき」というネットワーク、
ニットワークを実現できないのでしょうか。
たとえば反原発、たとえば憲法改悪阻止を二つのメインイッシュウにし、
柔らかくつながることは本当に、真実、不可能なのでしょいうか? 
どうせ、と結論を早々に出す前に、です。
わたしたちは、ある地方に、そこに暮らす人々に、
「いのち」と「安全安心」に犠牲を強いたまま、暮らしてきました。
福島も沖縄もそうです。明らかなるこの差別に、加担し続けることはできません。
人あっての、発展です。子どもの未来あっての、繁栄です。

「開発」という名の、「発展」という名の、「拝金」という名の堕落と破壊に、
まやかしの繁栄にわたしたちは抗議しましょう。
この鎖から、わたしたち自身を解き放つことができるのは、
結局はわたしたち、ひとりひとりです。

わたしたちはすでに「権力」の正体に、彼がもくろむ社会に気づいているのです。
無この市民を不安と不穏と不信の中に突き落としながら、
自分たちは安全地帯に置いてきたのが、権力です。

だから、わたしはわたしに問いかけます。準備はできてるかい?
なにをしかけられても、どんな場合でも、どんな状況になっても、
わたしたちはわたしたち自身を裏切らないか? わたしはわたしを売り渡さないか?と。

わたしたちには権力はありません。いらんと思う反面、事故以来、欲しいと思うわたしがいたのも確かです。
けれど、彼らを越えるものが私たちにあるとするなら、
わたしたちには愛するものがいる、心からそのひとの幸福を祈るひとがいる、ということです。
それは子どもや孫、あるいは血縁はなくとも、誕生前のいのちで、わたしたちがこの社会を譲りたい存在です。
あのひとたちが欲得で結びつくのなら、わたしたちは、友情や共感で結びつけるはずです。
わたしたちには、安全・安心・平和という名のゴールを求める権利があります。
わたしたちは、沖縄の人々を苦しめながら、沖縄の過去と現在を体験しています。
わたしたちは福島の人々、ほかの原発のあるところの人々を苦悩させながら、原発を体験しています。
大事なことは、体験そのものではないでしょう。
体験から何を引きだし、何を引き受けるかです。
そしてわたしたちは、何を引き受けるか、すでに答えが出ています。
このところ、見せしめとしか思えないような逮捕が続いています。
細心の注意とデリカシーと、果敢をもって、今日も元気に歩きましょう。
無理はどうかされないでください。

2013年6月1日土曜日

6月1日

6月、JUNEの始まりだ。
昨夜は、鎌倉芸術館であった、鎌倉九条の会の集まりに参加。
内橋克人さん、金子勝さんとご一緒にスピーチと鼎談を。
この前に鎌倉九条の会に参加した時は、
井上ひさしさんがお元気でいらっしゃった。
裏方に回り、席の状況などをチェックしておられた姿が
目に浮かび、胸がいっぱいになった。

1500のチケットが完売とか。
大勢のかたがたが集まってくださったが、問題は、会場の外。
それ以上の大勢のひとたちが、
原発にも改憲にも無関心という状況がある。
「無関心」の理由はさまざまだろうが、
この層が動くことで参院選の地図は変わるはず……。
そんな話もさせていただいた。

絵本作家、長野ひで子さんも主催者側のおひとりとしておられたし、
お目にはかかれなかったが、1969年3月、ベトナム戦争、
ナイジェリア内戦に抗議して焼身自殺をしたフランシーヌ・ルコントに思いを馳せた歌、
「フランシーヌの場合」でおなじみの新谷のり子さんも会場におられて、
新しいCD『ありがとう唄たち」を係のかたにことづけてくださった。
このところご無沙汰気味だが、お目にかかるたびに思う。
年を重ねるほどカッコよくなっていかれるかただ、と。

土曜日は、埼玉で保育士さんたちの集まりが。
「明日のデモ、疲れないでくださいね」とのお声も。
「夏の学校」に参加してくださっている保育士さんたちとも再会。

そして、明日日曜日は
「つながろうフクシマ! さようなら原発集会」が芝公園23号地で。
12時30分からコンサート。
13時~ 集会発言。
14時15分~ パレード出発の予定。

わたしも参加しますが、無理のない範囲で、ご参加を。

2013年5月29日水曜日

5月29日

東京、水曜日の今日は終日、雲が垂れこめ、
時折り小雨がぱらつく空模様だった。

午後から「日隅一雄・情報流通促進基金」主催の
「情報流通促進基金賞」の選考会が、霞が関の弁護士会館で。

メディア総合研究所事務局長の岩崎貞明さん、
メディアアクティビストの津田大介さんと選考を。
顔なじみの弁護士各氏がそれぞれの応募作の「応援演説」を。

どの作品(自薦・他薦)も、市民のまなざしと思想と姿勢を軸にした、果敢にして地に足をつけたものだった。
受賞作については、日隅一雄・情報流通促進基金事務局から追って発表が。

席上、日隅さんと共著を刊行し、最近、
その第二弾『検証 福島原発事故・記者会見2―「収束」の虚妄』(岩波書店)を出されたジャーナリスト木野龍逸さんとも久しぶりにお目にかかることができた。

「表現の自由」、「情報公開」、「国民主権」の促進を志し、実践されてきた日隅一雄さんのご命日にあたる6月12日(水)に、表彰式等が予定されている。

東海村にある日本原子力研究機構の実験施設で発生した放射性物質漏れの事故も、23日のお昼頃に発生し、
25日未明には数人の被ばくが確認されているが、茨城県が機構から事故の通報を受けたのは、一日半がたってからのこと。

日隅さんが主張された情報公開も、国民主権も、当局の発表を待たねばならない表現・報道の「不自由」もまだまだ拓かれてはいない現実がここに。

2013年5月25日土曜日

5月25日


あっという間に、一週間がたってしまった。
ブログはご無沙汰。
帰宅して入浴すると、ベッドにダイブする日々が続いた。
あれこれ気になることが多々あるのだが、
あちこち連絡をしなければならないこと、と、ところも多々あるのだが、
なんだかドーンと疲れがたまった一週間であった。

一時間の番組のインタビューの準備などに、
三日間のほとんどがとられてしまったことも、理由のひとつかもしれない。
クルーは頑張ってくださっているのだが、
慣れないことだから、気がつかれてしまう。

今週は刊行されたときから読みたいと思っていた
キャロル・キングの自伝を読んだ。
分厚い本だが、とても読みやすかった。
読みながら、心の奥で、
彼女が作った歌が鳴り響いていた。
サブタイトルにもなっている「ナチュラル・ウーマン」は
大好きなナンバーのひとつだ。

キャロル・キングと並行して、
亡くなって65年になるインド「独立の父」、
マハトマ・ガンジーの資料も読んだ。

……臆病者は数の力を喜ぶ。しかし、
勇敢なる精神を持つ者は、ひとり戦うことを誇りとする……。

STAND ALONE

この姿勢と思想を、わたしも大事にしていきたい。
「どこにも属さず」、けれど柔らかく結びつく……。
数の力を頼み、憲法を改悪しようとしている与党に、
わたしたちひとりひとりができることは……。
ずっと考えている。
いろいろなミーテイングにも出ることはあるのだが、
まだまだ明確な何かに出会えないでいる。

2013年5月17日金曜日

5月17日

5月10日発生した経産省前テントひろば、スタッフの逮捕・勾留に関する声明。
以下の「経産省前テントひろば」のサイトをご覧ください。
http://tentohiroba.tumblr.com/

ますますいやな時代の幕開けが早まったような。
逮捕されたBさんは心臓疾患をお持ちだそうなので、とても心配だ。
金曜の官邸デモに参加したいのだけれど、今夕は、それにもかかわる
大事なミーティングがあって参加できないのが、残念。
この官邸デモを率いるおひとり、ミサオ・レッドウルフさんには
6月8日(土)「朝の教室」36回目の講師をしていただくことになっている。

続いて、お報せをひとつ。
明日のクレヨンハウス「子どもの本の学校」の講師は
イラストレーターであり、音楽にも映画についてのご著書も
ある和田誠さん(「お楽しみはこれからだ})。
谷川俊太郎さんとのコラボ「これはのみのぴこ」等絵本も刊行されています。
わたしもご一緒に『そらをとんだたまごやき」等を出版した。

ずっと以前、和田さんとお話しをしていた時、こんな話題になったことがある。
「それがとてもよくできた完成度の高いポスターである場合、
そしてそこにとても魅力的に兵隊さんになりましょうとあった場合、
若いひとはそのポスターに惹かれて、本当になってしまうかもしれないね。
ぼくのように絵を描くものも、表現者はみな、
そういうことにもセンシティヴでなくてはならないはず」
おつれあいの平野レミさんと共に、ますます素敵に年を重ねていかれる和田誠さん。
お孫さんと絵本とのかかわりについても、聞かせていただけるかも。
対談の相手は、ご指名を受けて、落合です。
お問い合わせ等は、クレヨンハウスに、と別のところで、わたしはこのブログを書いている。

天気のいい、陽射しの強い金曜日だ。
そろそろ花の植え替えもしなくては。
この夏は白と薄紫を基本カラーにして、真紅でアクセントをつける予定。
テントひろばの方々に、お水を! と、いまメールをしたところ。
いましがた、沖縄取材の原稿をようやく書き終えた。
もろもろの発言に接しても、この国の政治家は人権意識が
もろ欠如していると思わされる。酷い。
さ、これから打ち合わせだ。

2013年5月15日水曜日

5月15日

関西に行ってきた。
堺市の市立病院の、看護フェアでの講演が目的。
病院内の小さな会場に、それでも大勢のかたがたが集まってくださって、
看護師さんたちは立ったまま一時間半の話を聞いてくださった。
母を介護していた頃、病院はとても近い存在だったが、
このところはご無沙汰。
そういえば、去年の暮れ、クレヨンハウスの忘年会の最中に、
突然気分が悪くなり、夜半に吐血。
緊急で1日半だけ入院したことがあったが、忘れていた。
病院というと、どうしても母のことが思い出される。
講演後、院長さんと大阪府政などについて話を。

ところで大阪でも連絡をとりあっていたのだが、
心配な経産省テントひろばでの任意同行→逮捕の件。
以下のメールをいただいたので、すでにご存知のかたも
おられると思うのだけれど、お知らせを。
以下、引用。
ブログで広めていただければ大変ありがたいです。


◇◆◇◆◇◆ 「脱原発テントといのちを守る闘い」今後の日程 ◇◆◇◆◇◆

5月16日(木)~ 訴訟取り下げを求める連続共同ハンスト(22日正午まで)
        http://fukusimatotomoni.blog.fc2.com/blog-entry-70.html
5月22日(水) 弁護団・応援団共同記者会見 14:00~ テント前
5月23日(木) 午前10時~11時 東京地裁前抗議行動、
         午前11時~第一回口頭弁論(地裁526号法廷)
         午前11時15分~12時 霞が関周辺デモ予定
         13時~報告集会(弁護士会館クレオA)
6月 3日(月) テント裁判を考える講演会 18:30~ 明治大学リバティホール


◇◆◇◆◇◆ 「脱原発テントといのちを守る闘い」テントからのお願い ◇◆◇◆◇

「応援団」賛同について
(呼びかけ文)
「経産省前テントひろば応援団」参加の呼びかけ
いま、「経産省前のテントひろば」に、新たな攻撃が加えられようとしています。
2011年9月11日から、経産省前テントひろばは、全国の、全世界の脱・反原発運動の支えとして、まさに共同の広場として、今日まで597日間、経済産業省の一角に立ち続けています。
このテントの存在は、2011年3月11日、経産省が推進し、認可した、福島原発大爆発事故に対する抗議の意志表示でありますが、福島原発事故の被災者をはじめとする原発立地の人々、原発の廃絶を願う全国の人々が集う市民的交歓の場であり、自らの抗議の意志を顕し、声を挙げる非暴力・直接民主主義実践の場となっています。
ところが、政府は福島原発事故に対する自らの責任を顧みることなく、「(土地)明け渡し請求訴訟」を東京地裁に申し立てました。
自民党政府と経産省の原発推進政策による、原発事故の責任は極めて重大なものがあります。まだこの事故の収束など出来ておらず、事故の原因等についてもほとんど解明されていません。にも関わらず国策としての原発をさらに強引に進めようとして、世論によって止められている原発を、再稼働させようとしています。
その動きの準備としての今回の「明け渡し請求訴訟」です。私たちはこの国による「経産省テントひろば」に対する、攻撃を座視するわけにはまいりません。何故ならこのテントは、脱・反原発を願う全ての人々の想いが共有しているものだからです。
私たちは、脱・反原発を願う人々の、共同の広場としての経産省前テントひろばを、全国民的な希望で支え、応援したいと思います。
原発の速やかな廃絶と廃炉を願う、全国・全世界の人々の熱い思いによって、「経産省前テントひろば」を守り抜きましょう。
「経産省前テントひろば応援団」へのご賛同・ご参加をお願いいたします。

呼び掛け人(あいうえお順)
落合恵子(作家) 鎌田 慧(ルポルタージュ作家) 神田香織(講談師)
澤地久枝(作家) 瀬戸内寂聴(作家) 中嶌哲演(僧侶) 広瀬 隆(作家)
ミサオ・レッドウルフ(イラストレーター)

別 記
経産省前テントひろばを応援する講演会
場所 明治大学リバティーホール(JRお茶の水駅から徒歩4分)
日時 2013年6月3日(月曜)18時開場 18時30分開演(先着500名・資料代500円)
主催 現代史研究会(明治大学 生方卓教授主催)
共催 経産省前テントひろば応援団

上掲の、6月3日の講演会。わたしも参加します。

以下はクレヨンハウスからのお報せ。
「朝の教室」はおなじみかもしれませんが、
クレヨンハウスでは子どもの本にかかわる作家のかたがたをお招きして
毎月「子どもの本の学校」を主催しています。
今週土曜日は、イラストレーターであり、絵本もたくさん刊行されている
和田誠さん(「週刊文春」の表紙でも毎週おなじみです)と、わたしの対談。
(16時~ レストランが会場に早変わり)
反原発の素敵なポスターも描いておられます。

2013年5月12日日曜日

5月12日

久しぶりに、今日は午後遅くまで、家での仕事だった。
原稿の書き溜めと、おっと、その前に洗濯。
洗濯は好きだ。たらいでごしごし洗濯していた祖母の姿を思い出す。
母の世代だって、ある時までは洗濯というとそうだった。
洗ったものを干し終え、風に揺れるそれらを見ていると、
一日の仕事のすべてを無事完了、といった充実感にとらわれる。

間もなく掲載が始まる新聞原稿の6日分を書き終えて、さ、
これからクレヨンハウスへ買い物兼書棚の整理に行こうと思っていたところに、
経産省前のテントひろばの知り合いから、緊急のメールが入る。

金曜の夕方、わたしも行ったのだが、それより一時間ほど前、
テントひろばの「あおぞら放送」の準備をしていたおひとりが、
丸の内署に任意同行され、そのまま逮捕されたというメールだ。
メールの内容をそのままお伝えする。

……お会いした折には私も知らなかったのですが、その1時間ちょっと前でしょうか、
テント前で「あおぞら放送」の準備していたところに、経産省職員がカメラを持って現れ、
少々のすったもんだがあったあと、丸の内署に任意同行した仲間が逮捕されました。
今も同署に入れられているようです。
実はその人は日曜に一緒に泊まっている人で、非常に穏やかで救援センターにも居た人で、少々興奮したのが意外なくらいです。
心臓に持病を持ち、いつも食後に薬を飲んでいたこともあり、身体も心配です。
もうすぐテントからも声明を出します。
私も今日は2回丸の内に抗議電話しました。同日のことなので一応お伝えします……。

わたしが行った時も、明らかに抗議行動とは別、
と思えるひとたちが遠巻きに抗議行動を取り囲むように見ていた。
「足を踏んできた側が、足を踏まれてきたものの、
どんなにささやかな抵抗にでも出会うと、こういった形をとる場合が多い。
「少々のすったもんだ」がどの程度のものであったにせよ、
任意同行、そして逮捕が横行する社会は、それだけで弾圧の時代と言える。
明日、抗議の声明文が発表される予定と聞いているが、
充分に報道されるのかも不安だ。
詳しいことが分かり次第、またお知らせを。

2013年5月6日月曜日

5月6日

連休も今日で終わり。
連休の賑わいの中、経産省前「テントひろば」には
いつも通り泊まり込みで抗議を続けているかたがたがいます。
いましがた、そのおひとりと電話で話したところです。

ご存知のように、福島第一原発の過酷事故をきっかけに、
反原発の意志を抱いた市民たちによって、
2011年9月11日から設置されている経産省前の、このテントひろば。
国からテントひろばの撤去を訴えられ、経産省からこの間の「敷地使用料」として
ほぼ1100万円の請求があっということは、すでにご存知だと思う。

今後のスケジュールについて、以下のメールをいただいたので、お知らせを。

「脱原発いのちを守る闘い」今後の日程
5・10までに「起訴取り下げ」署名
5・10 抗議集会・起訴取り下げの署名提出 経産省正門前 17時~
5・16 「明渡請求訴訟」抗弁書提出
5・23 「明渡請求訴訟」第一回公判 東京地裁前(経産省前テントひろばの近く) 10時~集合

23日に出席するよう求められたが、
残念なことに当日は以前からの予定があって、動けない。
10日の17時からの署名提出に、できたら参加する予定。

2013年5月4日土曜日

5月4日

昨日は我孫子での憲法を考える会での講演だった。
大勢のかたがたが来てくださった。ありがとうございます。

90歳の女性もおいでで「彼女が我孫子で市民主体の憲法の会を
立ち上げた姉の世代です」と今回の実行委員長の女性にうかがった。
この会で話をするきっかけを作ってくれたのは、「さようなら原発」の集会とデモだった。
誰がどこにいるのかわからない、あの人混みで、
この会の実行委員長さん(あとで、そうだとわかったのだが)に肘に掴まれ「来てください」。
その気持ちのいい迫力と解放感が、わたしを即座に「行きます!」と答えさせていた。
3日はいろいろなところで集会が重なったが、無事、実現。
富士山が世界遺産に登録されたという報道があったその日。
この平和憲法こそ世界遺産に相当する!
経産省前のテントひろば。いよいよ大詰めが近づいたような。
その件で、鎌田慧さんからご連絡があり、話を。

 今日4日は、午前中は家で原稿を書く。
なかなか進まず、洗濯したり、朝ご飯を終えた直後から、夜の食事の準備をしたり。

机の前に座るのがいやだと、やらなきゃいけないことを見つけ、
今すぐでなくともいいのに、とりかかってしまうのだ。
午前中に作った今夜のメニューは……。
パスタ三種と、サラダのパレード。
いまクレヨンハウス野菜市場でやっているイタリア産のオーガニックパスタフェアで求めた、いろいろな形のパスタの中から、一番細いパスタを使ったトマトの冷製パスタ。
これは夜帰宅してから茹でることにして、ソースだけ作る。
熱したオリーブオイルに細かく切ったニンニクを入れて炒め、
狐色になったら、その中に、ざく切りのトマトと鷹の爪、黒胡椒と塩をいれて、
適当に(適当、が得意だ)に炒める。最後に醤油を数滴垂らして、冷やす。
食べるときに、このトマトソースにレモンを絞り、冷やしたパスタにかければ完了。
乾燥バジルでは味気ないので、今日は大葉を使ってみる予定。
もうひとつは、太いショートパスタを使ったもので、
これもわが店で仕入れてきたバジルペーストを絡めたものを作る予定。
もうひとつは、フキノトウをつかったパスタ。小さ目のそれはそのまま(形を残したい)
バター、塩、黒胡椒で炒め、残りは細かく切ってバターで炒めて、パスタに絡ませる。
炒めて時間がたつと特に、ふきのとうの緑が黒っぽくなってしまうのが難だけれど。
あとは、水菜とブロッコリーとタマネギのスライスのサラダ。トマトとロケットのサラダ。
バナナとスライスしたアーモンドをプレーンヨーグルトであえて、
少しだけメープルシロップを垂らしたサラダ、こんなに作って、どうする! 
夏に向けて、あと3キロは体重を落とそうと計画しているのに!

2013年4月29日月曜日

4月28日

 頭上すれすれに「寡婦製造機」と呼ばれるオスプレイが飛ぶ。

偵察機が普天間基地から飛び立ち、輸送機が基地に戻る。
それが宜野湾市の日常だ。

基地のゲート前では、朝早くから夕方まで、
60代から70代の地元の人々が、
「NOオスプレイ」と書いた紙を手に抗議行動を続けている。
その前を通過する車の中から、
少なからぬ人々が手を振って通り過ぎしていく。
頭を下げて、会釈するひとも。
「屈辱の日」のノボリも至るところに。

思い出したのが、ジークムント・バウマンのあの言葉だ。
……社会はあらゆる危険と矛盾を生産し続ける一方で、
それらへの対処を個人に押し付ける……。

沖縄の歴史はまさにそうであったはずだ。

サンフランシスコ講和条約が発効した1952・4・28は、
沖縄が日本から分離され、置き去りにされた日である、
という沖縄の人々の言葉に、東京で暮らす私も深く共感する。

その「屈辱の日」に、「なぜ、いま、主権回復の日」として記念式典をひらくのか。

沖縄の人々の人権、主権は回復してはいない。
米軍や米兵は、日米地協定で特権を保障されたまま。
いまもって日本にある米軍基地の74パーセントは沖縄にあり、
酸鼻な事件は跡を絶たない。

「銃剣とブルドーザー」と言われた、強制接収による基地建設。
銃剣はそのまま、そこにオスプレイまで加わった。
2004年海兵隊の大型ヘリコプターが、
国際大学構内に墜落炎上した事故があった。
「事故」とメディアの多くは報道したが、
その後の米国の対処からいえば「事件」であったはずだ。

米軍が現場周辺の民間地を封鎖をしてしまい、
沖縄県警の現場検証さえ、拒否したのだから。

米兵によるひき逃げ事件や暴力事件、性暴力事件も後を絶たない。

現政権は国防軍とか集団的自衛権とか96条改変とか、
平和憲法改変には熱心でありながら、
さらに極めてナショナリステイックな発言を重ねながらも、
他方で、沖縄の主権を一貫して侵害し続けてきた。

この差別構造はそのまま、
危険極まりない原発を過疎地と呼ばれるところに押し付け、
そして福島第一原発の過酷事故を迎え、
それでも原発を推進していく流れと似ている。

せんだっての核兵器の人道的影響に関する共同声明にも署名せず、
特に広島・長崎の人々を失望、怒らせたこの国の政権である。

「違憲国会」が、違憲のまま歴史にも個々の痛みに対しても想像力欠如させたまま、
「主権回復の日」を祝った、ということでしかないだろう。

今日は東京での仕事。

明日は3・11以降、自宅兼アトリエのあった福島から関西に居を移した彫刻家・安藤栄作さんの
はじめての絵本『あくしゅ だ』刊行を記念して、丸木美術館で、安藤さんとトークをする。
津波で愛犬と共に、すべての作品を流された安藤さん。
脱原発を心に活動を続ける安藤さんと久しぶりにお目にかかって、お話ができる。
この前に安藤さんとお目にかかったのは、昨年の3月。霙降る銀座の画廊だった。

クレヨンハウスの朝の教室にいつも参加してくださる女性から、
安藤さんのブログを紹介され、その言葉の深さと切実さに惹かれて、出かけていった個展。
そこではじめて安藤さんにお目にかかり、作品を拝見している間に、
絵本を描かれたら、と思い……。

そんな日々の中で『あくしゅ だ』は生まれたのだ。

埼玉県東松山市原爆の図丸木美術館から:
安藤栄作さん&落合恵子さん対談イベント 

4月29日14:00から。
13:00に東武東上線森林公園駅南口から
美術館への送迎車が出る。
参加費500円。入館料800円も別途必要。

2013年4月25日木曜日

4月25日

沖縄から帰京。
いつもそうなのだが、沖縄を訪れると、そして美しい海や
ハイビスカスのあざやかな色の南の花を見ると……。
さらに穏やかな口調と穏やかな表情のかの地の人々と
お話しをするたびに……。
この人々の、長い忍従と犠牲の上に、
わたしたちは暮らしてきたのだと痛感する。
今回の取材は主に、頭上をオスプレイや偵察機が飛ぶ、
保育園の日常についてだった。
4月28日の「主権回復」の式典を前に、
基地のフェンスや周辺には「主権回復」ではなく、
「屈辱の日」の文字が風にはためく。
確かにそうだ。
穏やかな人々をこれほど憤らせることを
この国の政府は、そして米国はしているのだ。
保育園取材のあくる日、思い立って基地のゲートに行ってみた。
そこで抗議行動をしているひとたちが
今朝もいるかもしれない、と聞いたからだ。

ウィークデイの朝8時45分。
数人の女性と男性が、オスプレイNOと書いた紙を手に
すでにゲート付近にいた。
ゲートを守るのは、沖縄県警である。
「落合さん、昔、雑誌に原稿を依頼したことあるんですよ」
そんな風に声をかけてくださったひとりの男性は70代。
定年を迎えてから、沖縄に移住されたという。
学校の教師をされていたという女性は繰り返す。
「また戦争をしたいのでしょうか、この国は。
基地にもオスプレイにも反対ですが、基地に居る
まだ10代の兵隊を見ると……いろいろな問題を
起こしている兵隊もいますが……多くは、何も知らない、
知らされていない若者です。彼らをもまた、
戦争に巻き込みたくないと心から思います」

抗議行動を続ける人々はお昼すぎに、
次のグループと交代して、日々休むことはない。
平日ということで、人数も少ないが、
広い道路を行きかう車にも丁寧に手を振るひとたち。
車の運転台から手を振り返してくれるひとたちも多い。

沖縄も福島も、
ある地域の人々とその暮らしを犠牲にすることに
痛みを感じないやりかたは同じだ。

見てきたこと、感じたこと、考えたことを、さ、
原稿をにまとめなくては。

チェルノブイリ原子力発電所事故1986年4月26日1時23分(モスクワ時間)
あれから27年。

2013年4月21日日曜日

4月21日

昨日から、冬に逆戻りしたような寒さだ。
一度仕舞い込んだレッグウォーマーがまた活躍してくれている。
昨日は「朝の教室」を終えて、大田区での講演を。
前夜から25枚の連載のまとめをしたので、結局は徹夜になってしまった。
が、この連載はテーマも含めて大好きなので、気分はいい。
ノーマ・ジーン・ベーカー=マリリン・モンローとグロリア・ステイネムとについての、原稿だ。

昨夜は料理をする気力もなく、野菜室のアスパラと、
スタッフに教えてにもらったラッキョウをてんぷらにしたら美味、
を気にしつつも、日本蕎麦を遅い夕食に。
蕎麦は大好物で、毎日食べても飽きない。
最近見つけた店だが、鴨の塩焼きも、筍の天ぷらも、
なぜか蕎麦屋であるのに、ポテトサラダも美味しかった。
何より蕎麦が美味。つゆも、さっぱりしているのに濃くがある。

外で美味しいものに出会うと、レストランのスタッフを連れてきて、勉強をと思う。
まだ若い、まだまだ勉強が必要だ。素材が有機であることに甘えてはいけない、とも思う。
今日、日曜日は日本ペンクラブと国際子ども図書館共催の、
子どもの本についての講演会。ジーパンにしっかりレッグウォーマーをして出かけた。
上野から根津あたり、覗いてみたい店もあるのだが、直行直帰。
子どもと子どもの本と原発と平和と憲法というテーマで話をした。
わたしは子どもの本屋でもあるのだけれど、本だけの話で完結するわけにはいかない。

沖縄の取材がはじまる。

2013年4月17日水曜日

4月17日

淡路島を震源とする地震があった朝。
大阪に向かっていた。余震もあるかもしれない、
交通に乱れが生じる可能性もある、と
予定より早い時刻に東京を発った。
その頃、画家の坪谷令子さんは、18年前の
阪神淡路大地震と比較しながら、次のように思っておられたという。
坪谷さんのメールより。
……今日は大丈夫だったけれど、これが、もっと強い地震で、もし
大飯原発に事故があれば…それは、もはや事故ではありません。
原発を止められなかった私たちは“事件の加害者”になってしまうのです。
私は、“未来の人たち”に対する加害者になりたくないです。
さらに、思います――
経産省前のテントを「不法占拠」などと、よく言ってくれますよね。
政権が、この国の今と将来を含めた時空をナイガシロにするなら、
それこそがトンデモナイ「不法占拠」ではありませんか!
正当な怒りはエネルギーになりますね。

そうです。
正当な憤りを持続し続けて、歩んでいきましょう。
正確な記憶ではありませんが、マハトマ・ガンジーの言葉にならうなら、
善きことは、かたつむりのごとく動く……。
ある時はかたつむりの速度で、そしてある時は疾走するピューマのごとく。
内なる憤りの暴れ馬を諦めで眠らせることなく!

20日、土曜日の「朝の教室」
講師は非電化工房の藤村靖之さん。
工学博士で、NPO法人那須希望の砦の理事長。
1984年息子さんがアレルギーぜんそくになったのを機に、空気清浄器を発明。
電化製品の非効率性を説き、電力を使用しない家庭用機器を発明・設計。
東日本大震災後は、行政に頼ることなく暮らす市民の力で放射線被害から身を守るため、
地域住民とともに安全で安心な暮らしができることを目的として、
2011年5月から講習会や放射線計測、
除染研究などを実施する市民団体「那須を希望の砦にしようプロジェクト」に参画。
2012年に「那須希望の砦」としてNPO法人化し、理事長に就任したかただ。
足尾銅山事件の田中正造さんが亡くなって、今年で100年。
同じ栃木からの「声」に耳を傾けたい。

2013年4月16日火曜日

4月16日

13日土曜日。大阪堺での講演。
地震のニュースに、予定より早めに大阪に向かったが、
大飯原発は?  と気が気ではなかった。
これからもずっと、わたしたちは「それ」を恐れ、
「それ」に振り回され続けるのだろうか。
「それ」とは自然災害そのものというより、
地震列島に作り続けた、原発そのもののことだ。

汚染水の漏れは、その後はどうなった? 
ビニールシートでつくっていた? 
信じられない。
これが「原発」の実態の、ほんの一部であるのだ。
次から次にでてくる稚拙としか言いようのない事故への、対応の仕方。
事故前の対応も、この連続であったに違いない。

2013年4月12日金曜日

4月12日

今夕、経産省前のテントひろばでは大きな抗議集会が。
残念ながら、さきに入っている仕事のために
わたしは参加できなかったが、以下のメッセージを。

落合恵子です。
本日は参加できず、とても残念です。
「国有地なので、立ち入り禁止」というならば、
福島の、それぞれの家族が暮らす、それぞれの家族の歴史を刻んだ
かけがえのない「私有地」に、そうして福島の田畑に、森に山に海に、
ことわりもなく、放射能を「立ち入らせた」のは、誰なのか。
「立ち入り禁止」のかけがえのない個々の暮らしに、今なお収束しない現実をつきつけ、
放射能をばらまき、汚染水を漏らし、「不法占拠」し続けているのは、一体、誰なのか。
わたしたちは決して忘れない。
本日は仕事の都合でお訪ねできません。
また参加します。
お疲れでしょう。どうかどうか、ご自愛ください。

2013年4月11日木曜日

4月11日

相も変わらずばたばたと走り回ってブログをご無沙汰気味。

脱原発サミットin茨城では、サイエンスライターの田中三彦さん、
脱原発首長会議のリーダーであり東海村村長の村上村長さんとご一緒に。
熱い会だった。

昨日は取材で京都へ。
男性の介護者の集まりに。
妻を介護している60代の男性たちが多かったが、
「罪滅ぼし」とか「恩返し」という言葉がよく会話によく登場した。
みな、よくやられている。
でも、完璧を目指すとバーンアウトしてしまう。
息子さん(といっても定年退職された)と一緒に
参加してくださった99歳の女性が書かれた文言
……また戦争の時代になってしまいそう……
が心に残った。
取材のあと、嵯峨野の常寂光寺で、「女の碑」を。
石碑に刻まれた平和を願う女の言葉が前掲の99歳の女性の言葉と重なる。

いま気がかりでならないのは、漏れている汚染水のこと。
これが「安全な原発」の実態であるのだ。
事故から二年余り、これが原発の「安全」の現実である。
それでも安全性を確認して、また動かすというのか。

今週も週末は旅が続く。

2013年4月7日日曜日

4月6日


 
関東地方は荒れ模様の土曜日、
なんだか不穏な天気である。

近くに桜の樹があるはずはないのだが、
今朝の窓に数枚、花びらがはりついていた。

風に乗って、花びらもちょっと遠出をしたのかもしれない。

6月からスタートする、日曜を除いて連日の
原稿一週間分を書き上げて、外の仕事へ。
明日は大荒の空模様らしいが、東京を離れる。

万が一電車が走らなかったら、とかシミュレーション。
電車不通の場合のルートも確保し、ほっとする。
約束をたがえるわけにはいかないから。

出がけに鶴 彬(つる あきら)の川柳を思い出す。

……蟻食ひを噛み殺したまま死んだ蟻
……暁をいだいて闇にゐる蕾

1909年石川県の現かほく市生まれ。
1937年、29歳の折ににその作品が反戦・反軍的であるとされて
二度目の検挙(その前にも治安維持法違反で収監)。

1938年、留置されたまま死去。死因についてはいろいろと言われている。

……枯れ芝よ! 団結をして春を待つ

2013年4月5日金曜日

4月5日

今日は朝から、月に1度のクレヨンハウスのミーティング。
朝9時スタート。
今朝は8時30分に出社。
まずはアウトテリアのプランターやハンギングバスケットに咲き乱れる花を摘む。
そうしてわが家から持参した古いケトルに挿して、アキニレの木陰に飾る。

ケトルはその昔、ホウロウ製の真紅で、
ずいぶん長い間、コーヒーを淹れるときの大事なおともだった。
古くなっても味のある、丸い形がキュートなケトルだった。
が、限界を迎えたが、いろいろな思いがあって処分できないでいた。
そして、夜明け前、原稿を書いていて、
そうだ、クレヨンハウスのアウトテリアで花瓶替りに使おう、と思いついた。
ところどころに焦げがついたまま、ひびも入ったケトルだが、
真紅の地色は残っている。
そこで、白いノースポール、紫の濃淡のビオラやパンジー、薄紫の花をつけたローズマリーなどをごっそり挿して、アキニレの下に飾った。

花や緑の香りに包まれての、もっとも楽しい作業が終わる頃、スタッフの多くが出社。
14時まで、会議や打ち合わせが続き、
おなか空いたねえと言いながら、ミズ・クレヨンハウスの取材に立ち合う。
反原発・脱原発の書籍を集めている理由などについても説明。

ミズ・クレヨンハウスに限らず、クレヨンハウスの主なるコンセプトは、OTHER VOICES.
周辺の声、主流ではない価値観、別の声、ともいえる。
男性優位社会における「女・子どもの声」、
生産性の効率のみを重視する社会における「高齢者の声」、
すでに障がいと呼ばれるものがある人の声、
などに光を当てる作業をささやかながらお手伝いするのが、この空間である。
原発事故の被災者の声もまた、OTHER VOICESである。

終了後、蕎麦屋さんへ。
せいろをお替りしてスタッフに呆れられる。小食なのだ、みんな。
みんなに言わせると、わたしが大食、ということになるのだが。
蕎麦屋さんから帰って、原稿を一本。
それから8月3・4・5日に行う「夏の学校」の打ち合わせに参加。
1年に1回の、クレヨンハウス最大のイベントなので、みんな真剣な表情。
真剣な表情で議論する若いひとたちの表情を見ているのは、
樹や花を見るのと同じくらい好きだ。

最近、読んだ反原発の視点からの本で、とても印象深かったものの一冊に
「朝の教室」の講師も引き受けてくださった木野龍逸さんの
『検証 福島原発事故 記者会見2』(岩波書店)がある。
1・「収束」宣言 2・漏れ続ける汚染水、3・被曝隠し、4・情報非公開
……から9・いま何をすべきか、まで。
……記者会見を、そして、現地での取材を重ねた著者が、
欺瞞に満ちた「収束」の虚妄を、明らかにする……(表紙袖の一文より)

特にあとがきの以下の文章は心に響く。元気づけられる。
……社会を劇的に変える方法はない。私たちが着実に歩を進めることでしか、
社会の変化は定着しない。時に無力に思えるかもしれないが、意見を発信し続け、
動き続けることを止めてはならない。日々のニュース報道や、当事者らの話に
耳を傾むけ、自ら感じ取った思いを胸に、彼ら・彼女らの傍らに立ち、関心を持ち続けることが、求められている(後略)……。
時に無力感・非力感に打ちのめされそうになるとき、
1966年生まれの、若いこの著者の言葉をわたしは素手で握りしめる。

2013年4月4日木曜日

4月4日

仕事をしなくてはならないなあ、
と焦りながら輪郭が溶けたような、
曖昧でぼーっとした時間を漂うことがある。
その中で歳時記を、これまたぼーっと見ていたら、
「花疲れ」ということばに出会った。
お花見の人出に酔ったのか、
気怠い疲労が残った状態をそう呼ぶようだ。
ひとに「花疲れ」があるよしたら、花自身にも疲れはないだろうか。
花がどこまでそれを意識しているかどうかは別だが、
「咲く」という行為は、
とてつもないエネルギーを要するものだと思う。
花には花の、鳥には鳥の、虫には虫の疲れがあるのかもしれない。

絵本作家で、無類の鳥好き、鳥の巣研究家でもある鈴木まもるさんの新刊に
『おじいさんとヤマガラ』(小学館)がある。
主人公は、虫や鳥が大好きなおじいさん。
おじいさんはいつも冬のあいだに、ヤマガラのために巣箱をとりつける。
2011年。福島第一原発事故があったあの年も、家の周りに巣箱をとりつけた。
虫が食べる葉にも放射性物質がついたかもしれない。
その葉を食べた虫を親鳥はヒナに食べさせるかもしれない。
ヒナは大丈夫だろうか……。
サブタイトルは『3月11日のあとで』。
それぞれがそれぞれの方法で、
原発事故と「その後の社会」と向かい合っている。
悲しみと憤りと、祈りをこめて。

2013年4月3日水曜日

4月3日

花冷えという言葉が、ぴったりくるような日々が続いている。
またもやレッグウォーマ登場、である。
足首を温めるため、この冬は愛用していたが、
もう不要かと思いっていたが。
今後のデモのためにも、足はしっかり温めておこう。

母を介護していた頃のこと、寝不足と疲れがたまりにたまって、
けれど違った意味での張りと充実感もあった頃、
スカーフとレッグウォーマーを取り違えて、
首に巻いてステージにあがったことがあった。
「スカーフ」が、なんだかいつもより短く思え、
何度も首に回し直している間に、気づいたのだ。
これはスカーフではなく、レッグウォーマーだと。

もともと粗忽なうえに、寝ぼけたまま家を飛び出したのかもしれない。
そうだった、郷里の栃木での講演会だった。
どんなに疲れても、家に帰れば、母がいる。
認知症であっても、ほんのりとした笑いを浮かべてくれる母がいる……。
それだけで、充実していた。
眠かったけれど、医療のパターナリズムにはいつも腹を立てていたけれど。

どこにだって、「ムラ」はあるのだよね。
患者やその家族が、従順なPATIENT(まさに、我慢強いという意味もあるが)な時は
いいが、
少しでも詳しい内容を知りたがったり、さらに少しでも疑問を鋏むと……。
「ムラ」の住人たちは、牙をむく。大学病院は特にそうだった。
似ているな、この「ムラ」は。

原発に関して、わたしたちはPATIENTではいられない。
改憲に関しても同様だ。
母を介護していた日々、わたしは「うるさい家族になる」と決めた。
そうしなければ、母のいのちが危ないと思えた時も正直、あった。
そしていま、わたしは改めて自分に誓う。
わたしは「うるさい市民」になる、と。
いのちと人権の問題なのだから。

仕事がたまっている。
今夜は徹夜になりそうだ。

2013年4月1日月曜日

4月1日

先週末、福島に行ってきた。今年に入って4度目の福島。
大勢の方々が集まって、拙い話を聞いてくださった。
ほかのところであるなら、もっとスムーズに話ができるのに、
福島で暮らしておられるこの方々に、
一体わたしは何を伝えることができるのだろう。
何度となく言葉に詰まり、何度なくこみあげるものがあった。
がんばってなどとは言えない。
充分すぎるほど、あの日から、そうしておられるのだから。
ご一緒に、とも言えない。
背負うものがこんなにも違うのだから。
共にという言葉も、不遜であり、おこがましい。
それでも、共に居させてください、と心からお願いする。

詩人・堀場清子さんが記されているように、
「一億総ざんげ」の一員に加わることは、わたしは拒否する。
それで終わりにしたくはないし、それで終わらない問題を福島に暮らす人々は山ほど抱えておられるのだから。

3月12日に亡くなった佐藤祐禎さんのお話もさせていただいた。
今回持参した資料のひとつに、「はんげんぱつ新聞」1月号に、
「朝の教室」でも講師をしていただいた石丸小四郎さんのエッセイがあった。
旧聞に属するが、石丸さんはブラジルで発行されている日系ブラジル人向けの新聞に
掲載されたという「求人広告」について記しておられる。
「廃棄物の除去・20キロ圏内/日当3万円」、
同じく「廃棄物の除去・安全な場所/日当1万円~1万2千円・日曜休み・住宅と3食付」
という雇用条件が記されていたという。
石丸さんに情報を提供をしてくれたひとは、次のようにおっしゃっていたという。
「20キロ圏内というのは原発そのもののことではないか。将来の補償はどうなんですかね」と。

被曝労働を多重な下請けの構造の中で、作業員に押し付けてきた電力会社は、
さらなる犠牲を生み出すのか、と石丸さんは憤りを記される。
被曝労働については、樋口健二さんのご著書にも詳しいが、
支配・被支配の構造、差別構造をそのままに、
アベノミクスは空疎この上ない未来像を今日を描き、強大な支持率を誇っている。

2013年3月29日金曜日

3月29日


都内を歩いていると、風に乗って、どこからか桜の花びらが。
この季節特有の少し強い湿った風に舞っている花びらや
道路の上をくるくると回転していく花びらを見て、
近くに桜の樹があることを知るのも、この季節のことだ。

午前中は原稿書き。午後からは幾つかのインタビューや打ち合わせに終始した一日だった。

あと一か月弱で、沖縄「主権回復の日」と呼ぶひともいるけれど、
現実は、主権回復どころか、日米地位協定によって改めて沖縄が米国の支配下に登録された日でもある。

沖縄の人びとと、沖縄の地が。

4月28日前後にわたしも沖縄を取材で訪れる予定だが、
こんなにも多くの沖縄の人びとの民意を踏みにじったまま、
普天間基地へのオスプレイ配備、そして辺野古埋め立て要請……。
どこに「誠意を尽くした話し合い」があるのか。
沖縄のいまと福島のいまが重なる。

2013年3月26日火曜日

3月26日

昨日月曜日は、淡い花冷えの一日。
おかげで満開に近い東京の桜もまだ少しもちそうな気配が。
しかし、花自身にとってはどちらがいいのだろう。
一日でも長く枝にいるのと、ぱっと咲いて、ぱっと散るのと。

今日も花曇り風な一日だったが、朝刊を開いて、Oh!
問題となりながら、長年放置されてきた「一票の格差」。
「違憲」としながらも、それ以上は足踏み状態、踏み込めなかったじれったい司法であったが、広島高裁は、小選挙区の区割りを「違憲」とし、広島1区、2区について「無効」とする判決を言い渡した。
去年の衆院選挙に関して、司法の「違憲」判断は相次いだが、「無効」ははじめてというか、およそ半世紀となる「一票の格差」訴訟で、「無効」の判決は一度もなかった!のだ。
それ自体、三権分立に対して「違憲」とも言えるのだが。

昨年の総選挙について5件の違憲判決は出るには出たが、「無効」は回避されたままだった。
公益に反する場合は棄却できる「事情判決の法理」(難しい呼称だ)と呼ばれるものがあり、これが国会に「違憲と言われても、無効にはなるまい、まっいっか」という緩さと不遜意識を培ってきたのだろう。

「違憲国会に、改憲をされてなるものか」と、わたしはいろいろなところで書いてきたのだが。
公平な選挙は民主主義の基本だ、と続けて書いて、虚しさを覚えるのも事実だ。
違憲状態であることを充分認識しながら、それを是正しようとしない候補者たちに1票を投じたのも、有権者ひとりひとりだと考える、と、なんだかなあ。
それでも判決は評価したい。
「0増5減」の法律はできたが区割りは未完だし、
「0増5減」方式は違憲状態のおおもとと言われている「一人別枠方式」を温存させたものでもあると言われている。
とすると、抜本的改革にはまだまだ遠い。

2013年3月25日月曜日

3月25日

先週の金曜日、22日は夕刻から経産省テント広場の抗議集会に参加。
今までなかった「国有地につき、立ち入り禁止」の看板が。

福島の、それぞれの「私有地」に放射能という、
この上なく危険なものを許可なく、まき散らしておいて、
よくも、と腹が立つ。
私有地にこそ、まずは「放射能、立ち入り禁止」であるのだ。
3月11日の東京新聞にはおよそ800名の福島のかたがたが
原発事故の「関連死」と呼ばれる最期を迎えた
という記事が掲載されていたが。
福島のかたに聞くと、「もっと多いかもしれない、
1000名になるかも」とおっしゃる。
何を{関連死}(なんと悲しい、無念な言葉か)の基準とするかは微妙だが、
それほど多くのかたがたが、
その寸前の日々を送っておられるか。
これからも、もっと増えていく可能性がある。

使用済み核燃料プールの30時間にわたる停電。
それひとつとっても、国も東電も「想定外」と言い放った事故直後と精神構造は
まったく変わっていないと解釈するしかない。
仮設の配電盤で「間に合う」としてきた、いい加減さは、
たぶん他にも多々ある。
「事故」を「事象」と言い換えることもまた、
事故前と同じまま。

今日は花冷えの天気で、東京の桜はまだもっている。
花に嵐のたとえがあったとしても、
反原発を目指す人々の心まで
「散らす」ことは決してできないはずだ。

2013年3月22日金曜日

3月22日

イラク戦争から10年。メディアは特集を組んでいる。
あの頃、わたしは母の介護をしていた。
朝一番のバイタル(血圧や脈)は通常通り。ほっとしたのも束の間、
1時間後に血圧が突然上がったり下がったり、
頻脈が起きたり……。
「ジェットコースター」の日々だった。
当時、上院議員だった現大統領バラク・オバマは戦争に反対だった記憶があるが、
いま彼がしていることを見ると(TPPにしろ何にしろ)首を傾げざるを得ない。
大国・米国の威信のためなら、なんでもやる、ということか。

ノーベル平和賞は何のためのものだったのだろう。
それでも、共和党か民主党か、どちらかと言われれば、民主党を選ぶしかないのだが。
イラク戦争に反対する集会。母の体調がいつどのように変化するかわからず、
スピーチは「予定」とチラシに印刷していただいた。
当時、新聞に連載していた『母に歌う子守唄』(朝日新聞 刊)でも、
自らの中のジレンマを書いた記憶がある。
母を介護し、ひとつのいのちをなんとかサポートしようとすることと、
海の向こうの大勢の人々のいのちに対してなんとかしようとすること(たとえできることは微小であっても)の間で、
わたしは常時、二つに引き裂かれている、と。
辛い日々だった。
ジークムント・バウマンの『リキッド・モダニテイ……液状化する社会』(大月書店)を読んだのは、
ちょうどその頃だったろうか。
本書に関しては、『自分を抱きしめてあげたい日に』(集英社新書)で詳しく触れているが、
バウマンは次のように言っている。
……社会は危険と矛盾を生産しつづける一方、それらへの
対処は個人に押しつける……(森田典生・訳)

思い出していただきたい。
当時の政権が使った「自己責任」という、あの言葉を。
イラク人質事件に関して、どれほどこの言葉を流布し、
多くも、この言葉を受け入れた。
この「自己責任論」に容易にのってしまう社会は危険だ、と
もろもろのコラムで書いた記憶もある。
しかし、「自己責任」という大きな声に、異議などは消されていった。
その後も、「自己責任論」の危険性に関しては、
いろいろなところで書いている。
なぜなら「自己責任」という概念と言葉がさらに拡大解釈されれば、
そして深まれば、バウマンが指摘したように、
社会(国とも代言できる)はこの上ない危険と矛盾を生産しつづけながら、
すべての対処(責任)を個人に押しつけるからだ。
この構図は、原発事故と相似形ではないか。
福祉の切り捨てもまた、この「自己責任論」の上に成立するものだ。
今日は収録と打ち合わせが一日中。

2013年3月21日木曜日

3月21日

まずは大事なお報らせから。
先月に仕事をご一緒したNHKのディレクターさんから
以下のメールが入りました。

……3月22日(金)深夜25:00~ 『Eテレ・アーカイブス』〔NHK教育〕
未来潮流 『科学を人間の手に~高木仁三郎・闘病からのメッセ-ジ~』(99年放送 74分)
原子力資料情報室の創始者である故・高木仁三郎さんの遺言となった番組です。
原子力発電を手がける企業に就職してから、大学の研究者を経て脱原発運動に踏み出すまでの歩みを、
若い世代に託した思いとともに伝えるものです。
(番組は、後に 岩波新書『市民科学者として生きる』 として書籍化されました。)
現在から振り返ると、私自身を含む社会の側の認識の甘さに愕然とします。
よろしければ、ご覧ください。

22日深夜1時。わたしもテレビの前にいます。

ところで、福島第一原発、使用済み核燃料プールなどの冷却が同時多発的に止まった事故。
20日、内部の壁に焦げた跡が見つかって、近くにはネズミらしい小動物がいた
というのが、東電の発表。
「事故」でなく、「事象」だって。

先週末にお通夜と告別式があった福島双葉の佐藤祐禎さんの短歌を思う。

・一基にて日に数億を稼ぐといふ原子炉の寿命知る人のなし
・質問の答へは確信触れぬまま原発健全性の説明会閉づ
・反原発のわが歌に心寄せくるは大方力なき地区の人々
歌集『青白き光』 いりの舎・刊 いりの舎・☎03-6413-8426
ミズ・クレヨンハウスにも置いてあります)

それにしても、未だ収束など何一つみていない、あの苛酷事故から丸2年。
事故発生直後に設置した「仮設」の配電盤のままできた東電である。
あれほどの事故を起こしても、まだこの程度の認識なのか。
15万余の人々が家に帰れず、一方福島で暮らしている人々がいることを
東電は、そして政府はどう考えているのか。
こうして伏せられ、蓋をされてきたことが、山ほどあるのだろう。
この停電だって、事故前であったら、発表さえされなかったかもしれない。

もうひとつお報せが。
☆仮処分に対する「記者会見」と「集会」のお知らせ
経産省テントひろばを開設して1年半、福島をはじめ脱原発を訴える全国のさら
に世界の人々が訪れる文字通りの脱原発ひろばに危機が来ました。
債権者として「国」がテントひろばに「占有移転禁止仮処分」を訴え、
東京地裁がこれを認め、3月14日にテントひろばに仮処分を通告。
次に土地の明け渡し請求訴訟を準備していると思われます。
そこで、私たちは顧問弁護士の出席をお願いして、次の様に緊急の記者会見と集会を
開催します。
メディア関係の皆さまには両方への取材および報道をお願いしたく、全国のテントの
支援者の皆さまには集会への参加をお願いしたく、ご案内申し上げます。

経産省前テントひろば
○ 記者会見 
日時 2013年3月21日(木)13時~14時
場所 経産省テントひろば前(雨天等の場合はテント内)
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1-3-1
出席者 淵上太郎、正清太一、原発いらない福島の女たちから、弁護士、他
問合せ 経産省前テントひろば(070-6473-1947)

○ 抗議集会
日時 2013年3月22日(金)17時~18時半
場所 経産省テントひろば前
出席者 淵上太郎、正清太一、原発いらない福島の女たちから、弁護士、他著名
問合せ 経産省前テントひろば(070-6473-1947)

21日は時間調整ができないのですが、明日22日はなんとか調整して
参加したいと思います。

2013年3月19日火曜日

3月19日

ただいまー、である。
先週金曜15日が広島、16日が細かい雪が降る札幌、
17日、8日が大阪で講演と東京を離れる日が続いていた。
開花宣言が聞これる地域もあれば、道路の両側に雪の山を
視ながら風花散る地域もあって、強風にあおられた揺れる飛行機の中で、
列島の縦長の形を再確認させられた週末から週のはじめ。

少々疲れ気味だったせいか、大阪豊中での講演会では、
突如冷や汗がしたたり落ち、眩暈発生。
OH,どうする? ひやっとしたが、会場との質疑応答に5分ほど
進行を変えて(この間だけ座った)、無事終了。成功。
「あなた、自分を幾つだと思っているの?」。
いつも心配をかけている友人たちからの叱責を思い出す瞬間がある。
案じてくれる友人たちに感謝しながらも、質問には
「68だよ!」
と、型通りに答えることにしている。
あと何年、元気で走れるかはわからないが、
いま走らずして、いつ走る! 落合である。

大阪ではクレヨンハウスの大阪店にも立ち寄ってきた。
隣の男性もの用のファッション店で、リネンの気持ちよ
さそうなシャツなどを購入。服を購入する時間がないまま、
このところ「あなた、同じような恰好ばかりしているわよ」
(よき友人は往々にして口が悪い)のこれまた注意を思い出しながら。

今朝の東京新聞。
一面は「南海トラフ被害220兆円」の大きな見出しが。
南海トラフで東日本大震災と同じM9級の
巨大地震が発生すると、最悪950万人が
避難が必要となり、もろもろの損害は
220兆円になるという想定を、内閣府
中央防災会議がまとめたものだ。
この筋には、東日本大震災の福島第一原発
での、数字にできない精神的被害も、
まだ明らかではな建物被害や経済活動の
被害も加算されてはいない。
この記事の横には、「原発事故盛り込ます」
という至極まっとうな見出しがついた記事と、
その下には、福島第一原発での停電事故、
燃料給油プールが冷却停止した記事(3時間後に
公表)も掲載されている。
去年も4号機プールで冷却が停止し、
水温が一時43度まであがったことも、わたし
たちは忘れてはならない。
今なお「何があっても不思議ではないこの列島で」
政権は原発を推進し、海外にまで輸出しようと
している。
豊中での集まりには、親子で関西に避難している
女性も参加されていた。
4人のお子さんのうち、高校生のおねえちゃんだけ
福島の祖父母の家で暮らしている。
「小さいのもいないと淋しい、という両親の言葉を
聞くたびに、わたしはわがままなのでは? 帰ら
なくてはいけないのでは}と思います、と涙ぐんで
おられた。彼女は、9日の反原発集会でも
素晴らしいスピーチをされた。

今日は朝から快晴。
たまった洗濯をしながら(乾燥機を使わないで
すむのがうれしい)、これまた、たまった原稿を書いて、
夕方からは外での仕事だ。
いい天気だ。

2013年3月14日木曜日

3月14日

春の嵐、というと、なんだか文学的でも
あるけれど、昨日もまた砂嵐が。
10日もデモに出る直前から砂嵐になったが。

福島双葉出身の歌人、佐藤祐禎さんが
12日に亡くなられたことは、一昨日のブログでお報せした。
土曜日がご葬儀だそうだ。

ゲームクリエーターの飯野賢治さんも亡くなった。
40代。若すぎる、本当に若すぎる死である。
わたしはゲームをしないので知らなかったが、天才的
クリエーターだと言われていたという彼である。
その飯野さんが、2011年福島第一原発事故のあと、
ご自分のブログで、反原発をおっしゃっていることを
編集部のスタッフから聞いて、クレヨンハウスの
育児雑誌『月刊クーヨン』でインタビューをさせて
いただいたのは、2011年7月号の『クーヨン』だった。

穏やかなかただった、と取材にいったスタッフも言っていた。
そのインタビュー記事を改めて、ご紹介したい。

……もともと原発の問題には関心があって、いくつかの活動に名を
連ねてはいたんですが、たいした運動をしているわけではありませんでした。
仕事のこともあって、公然と「原発反対」と言ってこなかったところもあったん
ですが、このタイミングで言わなければ ずっと言わないだろう、それも気持ち悪い
なと思ったんです。
自分の態度を公にして、その姿を子どもにも見てほしい、そして考えてほしいと思っ
たんです。

原発の話って、経済効率や安全性はどうか、だから反対か賛成か という話になりが
ちだけれど、
そういう論理的なことで判断していくと、失敗してしまうと思うんです。
ぼくは、先の世代を考えることが大事だと思う。
原発は廃棄物の処理に10万年もかかる。そんな後回しはないですよね。
世の中「自分がOKなら OK」と言ってしまうと、環境問題でも何でもどうでもよく
なってしまう。
たとえば、ふだん「親や友だちには迷惑をかけたくない」と 思いますよね。
そんなふうに気にかける範囲を広くし、時間軸まで 広げていくやさしさが
ひととしては大事で、原発にはその視点が欠けていると思います。

子どもに話すときも、論理的な説明はあまり届かないんです。
それよりも、こっちもまだ悩んでいる、ことばを選んでいる、そういう気配を、
子どもって敏感に感じ取るんですよね。
逆にそういう態度を見せられないと、親ではなくなってしまう気がしたんです。
テレビや本が言うことと、変わらなくなってしまいますから。
結局は 息子が自分なりに考えてどう思うかでいいんですが、話してみたら
意外と原発にポジティブで驚いたんです。いまの子は普通に生きているとそうなっ
ちゃうんだ、と。

子どもはこういうときの親の行動を見て、ちいさなひとこともよく聞いています。
いま親がどう動くか、そのコピーで大人になると思っていい。
そう考えると、いまほど教育の機会はないと思いますよ。
ぼくが先の世代を考えれば、息子もその先の世代を考えてくれる。
伝えなければその視点をもたない。だから話をしようと、
うちの親父が聞いたら笑っちゃうような当たり前のことを言っているだけなんです。

話せる状況はふだんからつくっておかなきゃ。
わがやは年に一度、上の息子が小学2年生くらいから父子旅行をしているんですよ。

下の子にも、そのうち話をしていかなきゃいけないですね……。

2011年の春にこのインタビューをお願いしたとき、
その春に中学に入学した「上の息子」さんと、
まだ小さかったもうひとりの息子さんと、
飯野さんは写真におさまってくださった。

2013年3月12日火曜日

3月12日

3日間に渡って続いた反原発の集会&デモが
昨夜の品川「きゅりあん」の集会で終わった。
次の集会は6月と聞いているが、わたしたちの闘いの日々は続く。
確かに、けれど焦らずに、反原発の日々を歩んでいこう。

以下、昨夜の閉会の辞を。

このところ、わたしの内側で響いている言葉をまず紹介します。
ジークムント・バウマンの『リキッド・モダニティ液状化する社会』(大月書店)
に記されたフレーズです。
「社会は危険と矛盾を生産しつづける一方、
それらへの対処は個人に押し付ける……」

そんな社会に、わたしたちは暮らし続けています。
先のフレーズの「社会」を「国」に言いかえることも可能です。
原発事故に伴い避難やストレスによって亡くなった、
原発関連死と、悲しくも無念な言葉で呼ばれる死も増えています。
その上、昨年の9月に続いて、2月13日にはさらに二人の子どもの甲状腺がんと、
ほかに7人のお子さんも疑わしい状況にあると判明したという発表がありました。

ところで、丸2年がたって、一体、何が変わったでしょうか。

廃炉は決まったのでしょうか。
原発輸出は禁止されたのでしょうか。
福島で暮らす子どもたちは安心して外で遊べるようになったでしょうか。
いいえ。
2月にあった集まりに来られた女性たちは、
集会のあったすぐ外の公園でも線量が高くて
子どもを遊ばせることはできないと嘆いていました。
離れ離れに暮らす家族がもう一度一緒に暮らせるようになるのはいつのことでしょう。
叶うとしたら、それは、いつ、どこで叶うのでしょうか。

1月末の南相馬、小高(おだか)区。雪はいったんやんで、
青空が見えるまだ早い土曜日の午後。
かつては150軒もあったと言われる商店街で、店が開いていたのは、一軒、理容室だけでした。

長年原発を推進してきた自民党が、政権第一党です。
円安株高、経済優先で浮かれている経済界がいます。
「安全が確認された原発を再稼働させる」とこの政権は言明しました。
米軍の普天間基地の辺野古への早期移転を決めると言明している政府です。
防衛費は増え、福祉は削られ、オスプレイは日本中を飛べるようにしているのです。
憲法改悪を国民的議論に高めようと発議しているのが、この政権第一党です。

3・11この日だけを、時計の振り子を戻す「記念行事の日」にしてはならないのだ、と私は考えます。
この国の歴史は、いつだって無この市民の悲しみと喪失と憤りを置き去りにしたまま、
見せかけの、繁栄を築いてきたのです。
福島第一原発事故に関して、この「置き去り」を決して適用させてはならないと思います。
9日の集会デモ、昨日10日の首都圏反原発連合の集会デモ、そして今夜のこの会。
この3日間、私はある意味ではとても居心地よく過ごしています。
何かに反対を唱えるものが、同じ考えや志を抱き集まる時空はとても気持ちがいいものですから。

しかし、それだけでは自民党を第一党にし続けてしまうのです。
イラク戦争から10年。自己責任という言葉がこの国を席巻したことを思い出しましょう。
恐ろしい言葉です。
本来責任をとるべきものが逃げて、責任があるのはおまえだと市民に転嫁するやりかたです。
原発に関しては、そして原発事故に関し、市民に責任があったとしたら、
それはより知ろうとしなかった責任、無関心という責任です。
しかし、その責任ゆえに、私たちは本当に責任あるもの、
国策として原発をすすめてきたものたちへの責任を追及する手を緩めてはならないはずです。
第二次世界戦争の敗戦がそうであったように、
「一億総ざんげ」で、終わらせてはならないはずです。

お報せがあります。
9日の「さようなら原発」の集会&デモで逮捕がありました。
そのおひとりがすぐに釈放とお聞きして安堵していましたが、もうおひとりは逮捕されたままであることを、
そのお友人からクレヨンハウスにご連絡をいただき、今朝知りました。
心臓疾患やインシュリンの治療を受けているかたで、とても心配でしたが、
さきほど釈放され、その足でこの会場においでいただき、先ほど、お目にかかることができました。

デモはわたしたちの権利であるのですが、取り締まりは今後より一層厳しくなってくると思います。
注意をしましょう。

今日3月11日を、時計の振り子を戻す「記念の行事」にしないことを自分と約束して、
閉会の辞とさせていただきます。

 昨日、わたしは逮捕されたTさんのことで、あちこちに電話をし、
「こちら特報部」の田原 牧さんからも貴重なアドバイスをいただいた。
その間にもう一本、別に気がかかりなことがあって、電話をかけていた。

ブログはむろんのこと、コラムなどでもご紹介してきた双葉郡大熊町の佐藤祐禎さん。
農業をされながら、長年、短歌を詠まれ続けた佐藤さんを知ったのは、
いりの舎から刊行された歌集『青白き光』を通してだった。
お手紙をいただいたこともあったが、昨年の秋に倒れられ、
意識不明のままであることは、前掲のいりの舎のかたからお聞きしていた。
丸二年を迎えて、どうされているか、とても気になって昨日電話をした。
そうして、12日夕、亡くなられというご連絡をいただいた。
お目にかかりたかった。
本当に悔しい。

・反原発のわが歌に心寄せ来るは大方力なき地区の人々
『青白き光』より)

2013年3月11日月曜日

3月11日

昨10日は、クレヨンハウス「朝の教室」講師は弁護士の宇都宮健児さん。
反原発についてのお話はもとより、
わたしには都知事選での体験談、特に敗因の分析が興味深かかったです。
選挙戦でむしろ体調がよくなった、という淡々と明るい姿勢が、とても心に響きます。
「一喜一憂してもしかたがない。続けることです」
多重債務などに取り組んでこられた、第一人者の言葉は、そのままあらゆる活動につながります。

「朝の教室」に参加されたかたがたからも「これから日比谷野音です」。
わたしもお昼を早めに食べて、首都圏反原発連合主催の、集会とデモへ。
反原連の、ミサオ・レッドウルフさんをはじめとして、
とてもデリケートな気配りをされている姿が印象的でした。
福島からの女性のお話も、ほかのかたがたのスピーチも。
デモは衆議院会館と参議院会館まで。
そこで請願書を政治家に手渡して、砂嵐の中でのデモは散会。
それからわたしは、ほかの仕事へ。
二日間、歩いて、ちょっとふくらはぎがつり気味だけれど、気分はいい。

以下、昨日のメッセージを。
(といっても、これは事前のメモからで、
その場で変更するフレーズがあったはずだけれど、記憶で)

**********************************************************
メッセージ

あの日から、1年と364日(よっか)。
明日11日で、東日本大震災は3年目を迎えます。

まやかしの平和利用という名のもとで、安全神話を流布しつづけ
地域を分断し、人々を苦しめ続けている原発推進を続けてきた政党が
最大政党になりました。

憲法を改悪しようとする改憲勢力が、衆議院で3分の2を超え、
この7月の参議院選挙の結果によっては、
憲法改悪は現実のものになる可能性も否定できません。

「さよなら原発1000万人アクション」も、820万人以上の署名が集まっているのに、
原発推進派を圧勝させてしまいました。

どうしてでしょう?

志も思いも一緒で、ここに来ると安堵しますね。
まだ、だいじょうぶだ、という気になります。けれど一歩、ここを離れて、銀座の街を歩けば、
「反原発? まだやってるの?」という人々も大勢います。

そう、わたしたちが向かい合わなくてならないのは、いま、ここに来ていないひと、
無関心なひとたちです.

もう一度原点に戻り、ひとりが5人に6人に7人に語り掛けていきましょう。

無関心は、原発推進、原発輸出、憲法96条改変、集団的自衛権容認となってしまいます。

改憲勢力が衆議院で3分の2を超えています。
7月の参院選いかんでは憲法改悪が現実になってしまいます。原発は稼働されます。輸出されます。

円安が100円に迫る、株高だ、と浮かれているあいだに、
武器輸出三原則の緩和も目前になりました。日本中をオスプレイが飛ぶようになりつつあります。

今朝の東京新聞一面トップによると、福島第一原発の急造タンク群が3年後に破綻する、という記事がありました。
そうであるなら、汚染水がまた海に放出されるかもしれません。

子どもたちは、どうなるのでしょう? この社会の未来はどうなるのでしょうか?

今日ここにおられる、ひとりひとりとは繋がっている自信があります。
しかし、それだけでいいのでしょうか? 
ここに、関心のない人たちを引っ張り出さないと。

息子さんや娘さん、お孫さんにも働きかけましょう。

地震が続いています。
また原発に何かあれば、放射能は、脱原発に無関心なひとをも、
関心のあるひとをも平等に襲います。

2年前の3・10日、おだやかだった野山や海や空を、またたくまに放射能が汚染してしまいました。
いまもって、収束していません。いまもって、わが家に帰れないひとがたくさんいます。

子どもたちは、原発のある国を選んで生まれてきたわけではありません。
生まれてきたら、原発が54基もあったんです。いちばんの被害を受けるのは子どもたちです。
原発のある国を子どもたちに遺さない。
反原発運動を、きょうからまた、やりなおしましょう。
自分との約束において。

2013年3月10日日曜日

3月10日

昨9日は、久しぶりの「さようなら原発1000万人アクション」
の集会&デモが東京明治公園で。
各地でも、昨日から11日に向けて、さまざまな集会やデモが。
大江健三郎さんは、お嬢さんからプレゼントされたとおっしゃる
素敵なスニーカーをはいて、集会のあと、デモ完走というか、完歩されました。
昨日のデモで、デモデビューをされたかたもいらっしゃいました。
わたしは以下のよなメッセージを。

……東日本大震災という自然災害から、そして福島第一原発の過酷事故から、1年と363日です。
わたしたちは、あの日から誰をも犠牲にしない、今までとは違う暮らし方、拓かれた社会を求め続けてきました。
けれど、長年にわたり原発推進を押し進めてきた政党が今や最大政党です。
そして再稼働と原発輸出が公然と語られるようになりました。
オスプレイが日本中を飛行するようになりました。
参院選のあとには、憲法改悪も控えています。
それでもわたしたちは、力強くけれど淡々と、果敢にけれど確かに、一歩一歩、
毎日を反原発デイにしていきましょう。
毎日が反原発デイということは、原発単体に反対するのは無論のこと、
この社会にある、ありとあらゆる犠牲や差別の構造を切り開いていくことです。

私は強く求めます。廃炉を。
そして一部の利益のために、多くが苦しむ社会そのものを変えることを。
そのために、私たちは決して決して、後ずさりしないことを。
誰かを置き去りにしないことを。私は強く求めます。

私は忘れません。
ひと月ほど前の、南相馬の土曜日、真昼時。
目ぬき通りに人影はなく、雪の中で信号だけが点滅していた風景を。
私は忘れません。
仮設住宅から通い続け、相馬の野馬追いの馬たちが食べる藁を切っていたあのひとを。
「元の暮らしに戻せ、それだけを言いたい」と言ったあのひとを。馬の深い目を。
私は要求します。何度でも繰り返し。
今この時も、被曝しながら原発の中で黙々と作業をし続けるひとの保障を。
私は約束します。
福島を忘れないことを。
毎日を反原発、原発的構造に反対しつづけ、できることにはすべて取り組むことを。
私は強く求めます。他でもない自分自身に。
郡山の駅で、わたしの手を握り、
「忘れないでください、わたしたちがここで暮らしていることを」
とおっしゃったあなたを忘れない、と。
私は注意深く見極めます。
まやかしやその場逃れの言葉たちと、市民のまっとうな声を。
 福島とつながります。福島は私たち自身でもあるのです。
沖縄が私たち自身であるように。

ニヒリズムは押入れの奥に放り込んで、共感をもって今日もご一緒に歩き続けましょう。
私たちが目指すゴールは少し遠のいたかもしれません。
長い長い旅になるかもしれません。
移ろいやすさを否定して、私たちは生きている限り、
原発反対を心の真ん中に据えましょう。
今日この日を改めて、鎮魂とあらがいのための日として、再びの一歩を踏み出しましょう……。

以上

2013年3月8日金曜日

3月8日

大阪での国際女性デイの講演を終えて、遅くに帰京。
新幹線の車中では、いつものように週刊誌の読み比べ。
途中、居眠りも。
出がけに読み返したくなってバッグに入れた山村暮鳥の詩集も、
紙コップ入りのコーヒーを飲みながら。
明日は朝の教室。早めに寝ようと思いながら、種子の通販カタログなど開いている。
素材はたくさんあるのだが、2冊の単行本のまとめが未完のまま。
コラムやエッセイは短い時間の中で書けるのだが、
単行本となると細切れの時間の中ではどうにも落ち着かない……と言い訳してしまう。

9日~11日は、集会&デモが続く。
この3日間だけではなく、毎日をわたしの反原発・反戦・反基地、
反改憲の日々にしようと改めて。
昨年の衆院選、東京高裁が「違憲」と判断。
最大で2・43倍もある格差で選挙をしたのだから、当然だろう。
しかし、原告が求めた選挙無効の訴えは退けられてしまった。
「政治的配慮」というものか。
しかし違憲と判断されても、政治は遅々として一向に動かず。
「違憲国会」のもとで、原発も再稼働し、改憲が推し進められるのか。

2013年3月7日木曜日

3月7日

関東地方、朝からぽかぽか陽気。
すっかり春、である。
仕事の合間の小一時間、新宿の画材屋さんを覗いた。
すぐには使わないのだけれど、
グリーンの濃淡の絵の具を何本か買ってしまった。
ばら売りの絵の具が大好きなのだ。
夜は打ち合わせが幾つか重なる。
金曜日は東京を離れる。
憲法と原発をテーマに話をする予定。

9日土曜日は「さようなら原発1000万人アクション」主催、
「つながろうフクシマ! さようなら原発大集会」の集会&デモが明治公園で。
大江さん、鎌田さん、澤地さん、広瀬さんたちとご一緒。
オープニングコンサートも予定されています。

10日 日曜日朝9:00~は、クレヨンハウス 「朝の教室」。
講師は弁護士の宇津野健児さん。
同日13時からは日比谷公会堂で首都圏反原発連合主催の、集会。
14時から国会への請願デモに出発します。
あの日から2年がたつ11日は、18時30分~品川きゅりあんで、
「さようなら原発」の講演会。

その合間、合間に以前から予定していた講演などが入っていて、
疾走状態だが、福島の人々を考えれば、なんのこれしき! の心境。
デモをすると、身体が軽くなるのもうれしい。
ダイエットには食事制限などせずに、反原発のデモをしよう(笑)

先週、多摩方面で講演をしたとき、会場におられたという70代の女性から、
「9日、送ればせながら、私もデモデビュー、しまーす」
と嬉しいご連絡が。WELCOM!
幸い、温かな日が続きそうだが、無理せず、
けれど確かに歩き続けよう。

2013年3月5日火曜日

3月5日

陽射しは明るく、暖かく、春だなあ、の火曜日。
クレヨンハウスもわが家も次々に
季節の花が咲いてくれている。
あれもこれもそれも、やらなければという日々が続き、
ちょっとバタバタ気味。

春から始まる新連載の原稿はどちらもすでに
担当の編集者さんにお渡し済み。
連載の一、二回目はやはり緊張するし、この緊張感が好きだ。
初夏からは、土・日を除く、日々の連載も始まるので、
この緊張は初夏まで続くのかもしれない。
毎日の連載は、遠い昔、新聞に小説を連載して以来のことだし、
今度はエッセイなので時事問題もしっかりいれたい。
参院選を前にして、それもお引き受けした理由だ。
エッセイの鮮度のようなものを考えると、
前もってドーンと書きだめておくのは、気分的につまらない、といった按配で、
現在、どのように原稿をいれるかはご相談中。
自分の仕事のことはあまり書かないブログにしようと思っていたが、
緊張感がこうして書かせているのかもしれない。

「朝の教室・講師は都知事選でも頑張ってくださった弁護士の宇都宮健児さん」
と書いた日時を10日(日)と訂正します。いつも土曜日なので間違えました。
10日(日)朝9;00からです。すいません。ブログも修正しました。

以下。大事なお報せ。
転載・拡散歓迎のメールが、祝島から回ってきた。
一昨日だったか、新聞報道に接して、ウン?と思った
祝島漁業補償金についての、当事者のかた。島民の会事務局からのメールである。
以下、是非お目通しを。

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皆様

昨日の漁業補償金の受け取りの件についてご心配をおかけしています。
以下、島民の会blogに掲載した文章をお送りいたします。

祝島島民の会 事務局 山戸孝

(下記、転送・転載を歓迎いたします)
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山口県漁協祝島支店の総会の部会における、補償金受け取りの是非の結果について
たいへん残念なお知らせをしなければならなくなりました。

昨日、2月28日に祝島で開催された山口県漁協祝島支店の総会の部会において、
上関原発にかかる漁業補償金についての受け取りの是非が議案として提案され、
投票の結果、正組合員53名中、受けとる意思があるという漁師が31名、
受け取らないという漁師は21名となり、受けとるという漁師が多数という結果になっ
てしまいました。(議長一名は投票せず)

これまで祝島では、祝島漁協時代に何度も上関原発計画に反対し、補償金受け取りの
拒否を貫いてきました。

山口県漁協に合併して祝島支店となった後、山口県漁協は祝島支店の決議や意見に反
して補償金を受け取り、また祝島支店が受け取りを拒否したことによって供託されていた補償金を引き出しました。

そして祝島の漁業者に補償金を受け取るよう何度もはたらきかけてきましたが、
時には多数で、時には僅差で受け取りを拒否し続けてきました。

昨年の2月にも同様の議案が提案され、多数で拒否した後、
今後は祝島支店内では補償金の受け取りについて議案としないという緊急動議が出さ
れ可決されました。

今回、山口県漁協は祝島支店に相談もなく総会の部会の開催と「漁業補償金につい
て」と題した議案の提案を通知してきました。

それに対し祝島支店組合員のうち正組合員32名と准組合員8名が連名で、
祝島支店の昨年の決議を無視した県漁協の行為に抗議し問いただす申し立て書を送付
するなどして書面でやり取りをしましたが、県漁協は開催する姿勢を崩さず、今回の総会の部会の開催となり、冒頭のような結果となってしまいました。
ただこれで祝島の大勢が原発容認に傾いたかと言われれば、決してそうではありません。

福島第一原発の事故を受けて新規の原発計画が宙に浮く中で「もう上関原発計画は進
むことはない」という空気、高齢化が進み漁獲量や魚価の低迷が続く中で経営の厳しい祝島支店の赤字を漁業者自身が直接負担している現状、そういった状況の中で、残念ではありますが、あくまで上関原発計画に対する是非ではなく、苦しい経済状況なかで支店の運営や漁業者の負担をどのようにするのかという側面から今回の件を判断した漁業者がいたという見方もできます。

今回の議案で受け取りに賛成したとみられる漁業者自身がマスコミ等の取材に対し
「どうせ原発は建たないのだから補償金をもらっても問題ない」といった趣旨の発言
をしたという報道もあります。
また今回の決議の結果としてすぐさま祝島の漁業者が補償金を受け取ることになるわ
けではありません。
今後は支店内でこの補償金についての配分委員会が作られ、その中で決められた配分
方法に沿って漁業者個人に補償金が渡されるという流れになります。
ただしこの場合、配分委員会が提示した配分方法が総会の部会の場で3分の2以上の賛
成を得ることができなければ認められず、配分もされません。
今回受け取りに反対した漁業者が今後も反対の姿勢を貫けば、そして適正な手続きの
中で物事が進められていくのであれば、「わしらは海を売っちょらん!」、
「原発の金なんかいらん!」という祝島の漁業者の声はこれからも生き続けていきます。

祝島の島民約450名のなかで53名の漁業者(正組合員)がおり、
そのなかの31名が今回結果的に補償金を受け取る意思を示したということは、残念な
がら事実です。
しかしながら多くの祝島島民、また祝島島民の会としては、30年にわたって上関原発
計画に反対を貫いてきたその意思にいささかも揺らぎはないことを、
今後の具体的な取り組みや行動を通して島外の皆様には改めてお伝えしていきたいと
思います。

祝島島民の会
http://blog.shimabito.net

2013年3月4日月曜日

3月4日

「もう」なのか、「まだ」なのかは、それぞれ違うだろうが、
東日本大震災、そして福島第一原発事故から2年を迎えようとしている。
なにも、本当になにも収束していないのだ。
「わたしたちが、ここで暮らしていることをどうか忘れないでください」
そんなメールやファックスがここ数日より増えている。
忘れはしない。どうして忘れることができるだろうか。
それは、すべてのそれぞれの「わたし」が、あの日から引き受けた、
生きていくうえでの根源のテーマなのだから。
「ここ」から目を逸らしてしまったら、わたしたちはいないことになる。
考えてみよう、何度でも。
わたしたちが暮らしていくうえで、真実、必要なものとは何なのかを。
注意深く見つめてみよう。
原発を、電力の問題に決して矮小化させてはならないという視点で。
ニヒリズムも、「どうせ」も、ため息も、押入れの奥に蹴りいれよう。
いま、わたしたちに必要なのは、
持続であり、確かな意志の力であり、新しい哲学であり、
あまり好きな言葉ではないが、拓かれた倫理であるのだから。
経済と原発を併記して、「どちらを選ぶか?」と
二者択一を迫るようなメディアを信じる必要はない。

10日(日)の、原発とエネルギーを考える「朝の教室」
講師は都知事選でも頑張ってくださった弁護士の宇都宮健児さん。
先週、ある会合でお目にかかった。
知事選という熾烈にして、
いやおうなくテンションが高くなる「体験」を
つい最近されたばかりだというのに、
いつもの穏やかで静かな宇都宮さんだった。
「暮らしびと」であることを、脇にやらない姿勢がすばらしい。
「朝の教室」の会場がもっと広いといいのだけれど、
ただいまキャンセル待ちの状態。お許しを。
その「朝の教室」のあとは、
「さようなら原発1000万人アクション」の集会とデモが続く。
週末は幸い天気もいいようだ。
10日(日)は、首都圏反原発連合が主催する国会請願デモも。
日比谷公園に集まり、それから国会に。
11日夜は、品川区立総合区民会館「きゅりあん」での集会。
きゅりあんってラテン語で「集会所」の意味だとか。
集い、考え、考えたことを広め、深め、
さらにもう一度自分に引き寄せてよう。

宇都宮さんともお目にかかれた先週の会合。
故高木仁三郎さんのパートナーもお見えになっていた。
大勢の中での立ち話だったが、互いに涙ぐんでしまった。
「朝の教室」の前身で、最初の講師をつとめてくださったのは、
高木仁三郎さんだった。

2013年2月24日日曜日

2月24日

「朝の教室」も30回を越えて、
23日の講師はご案内したように評論家の佐高信さん。
笑いをまじえながら、「いいひと」であることの危険性、
裏を読まない、読めないことのおそろしさを厳しく指摘された。
わたしたちが向き合うものの強大さについても。
ひと足早く、新刊の『いま日本はタカ派ばかり……佐高信の政経
外科XV』(毎日新聞社)も届いて、受講生は満足。

そうなのですよね、「いいひと」は「いいひと」であるがゆえに
疲れきり、闘っているつもりの相手に翻弄されて、追い詰められ、
やがては……。
つぶされないためにも、メディア・リテラシーと同時に、人間そのもの、
社会構造そのものの、リテラシーが必要だ、と再確認。

原発は原発単体の恐ろしさと同時に、この国そのものが
頭のてっぺんからつま先まで「原発的体質」で出来上がっていることを
確認すべきだろう。
どの国でもそうに違いない。

映画『シルクウッド』ではメリル・ストリープが演じた実話、
カレン・シルクウッドはなぜ告発寸前、事故に遭っていのちを落としたのか。
信じるひとを信頼するのと並行して、わたしたちは構造そのものと
向かい合い、解きあかす目を自分の中にさらに育てていきたい。

日曜日の今日は、埼玉へ。
新連載の原稿を入れる季節なので、ちょっと緊張気味の2月末。
時間がもっとほしいと一瞬思うことがあるが、そんなことはない。
暮らしの時間も分断・寸断された福島のひとたちを考えれば。

2013年2月20日水曜日

2月20日

今日は一日中、東京での仕事。
朝一番に入れる約束の原稿(反原発について)を書いて、
外に飛び出した。
いろいろなひとに会って、いろいろなことをインタビューしたり、されたり、
春からの仕事の打ち合わせをしたりの一日。

早めに帰宅して、新連載(400字×23枚)の原稿を。
まだ書きかけなので、まずは最後まで書き上げ、それから手直しをしなくちゃ、と
言うわりには、かなり気分的に余裕があるのは、書きたいテーマが決まっているからかもしれない。
若い頃は1日に80枚ぐらい書いていた時期があったが、いまはとても。

今夜は、蕗の薹をはじめ、野菜のてんぷら。
菜の花のおひたしと、蓮根ボール、それから
湯豆腐にしようか冷奴にしようかまだ迷っているのだけれど
そのどちからか、とシジミの味噌汁の予定。味噌は玄米味噌。
ご飯もむろん玄米。お茶も玄米茶と、玄米尽くし風。
昨日は一日中、外食と駅弁だったので、自分で作ったものを
食べたくて仕方がない。

ところで……。
朝の教室」の春の講師が決定!
2月23日 佐高 信さん(評論家)
3月10日 宇都宮健児さん(弁護士)
4月20日 藤村靖之さん(非電化工房)
5月11日 澤地久枝さん(作家)
素敵な講師陣であると、ちょっと自負しています!
お話をうかがうことができるのが、楽しみ。
2月・3月はすでにご予約でいっぱいですが、
キャンセルがでる場合もありますので、
ご希望のかたは、ご連絡を。

さあ、仕事をしよう。

2013年2月19日火曜日

2月19日

早朝に京都に。
お寺の妻たちの大会。

クレヨンハウスは被災地の子どもたちに
絵本を送る「HUG&READ」でも、各地の
お寺の、主に女性たちに温かな協力をいただいた。

ところで、このところ地震がまた頻繁であるようだ。
今度大きな地震がこの国をおそったら、
福島は、そして他の原発はどうなるのだろう。

2月19日付の「日刊ゲンダイ」(日付が1日早い)では、
フランスの「ルモンド」紙が伝えた、チェルノブイリ原発の
「いま」が報道されているという。
「ルモンド」は読めていないので、詳しいことはわからないが、
27年前の事故後、核燃料は石棺に閉じ込められた。
同じような石棺が福島第一原発にも可能かどうかという
論議もあった。
が、チェルノブイリの、老朽化した壁のあちこちに
このところ亀裂が見つかり、あらためて耐用年数100年の
シェルターの建設が始まっていたという。
今回は建物の屋根が倒壊、陥没し、作業中だった80人は
避難したというが、内部には、「200トン近い使用済み核燃料が
残っている」と報道は伝えている。
廃炉までに100年はかかると言われているが、
チェルノブイリの場合は、1基の事故である。
とすると、福島第一は?

風の強い火曜日。
京都を発つ頃には、散っていた風花もやんでいた。
風に散る純白の山茶花の花びらと、風花がいっしょになって……。
京はまだまだ冬の中、だった。

2013年2月18日月曜日

2月18日


明日もまた雪かもしれない、と今夜の天気予報が。
先週土曜日は徳島、日曜日は都内と講演が続いている。
明日もまた東京を離れる。
しかし、どんなに寒くとも、先月末に福島南相馬や飯舘で見た光景。
人影は全くなく、信号だけが点滅する雪景色を見てしまったからには、
「寒い」などとは到底言えない気分だ。

13日に発表された福島の子どもたちの甲状腺がんの実態。
3人になったというが、子どもの甲状腺ガンは通常なら、
100万人に1名なのに、2次検査した151人の子どもの中から、
10名の小児甲状腺ガン(確定と、ほぼ確定の計)が見つかったという
ニュースがまた。嚢胞や結節等の異変が見つかったのは、
6~10歳女の子の55.6%、11~15歳の女の子の58.2%に。
甲状腺がんに限らず、今回の結果は、今後発生するかもしれない
子どもの様々な疾病への予兆でないことを、わたしたちは祈るしかないのか!
「円安」、「株高」にうかれていていいのか、わたしたちは!

以下の、拡散希望の緊急声明が回ってきた。
是非、ご一読を。

◎ 福島の子どもたちの甲状腺がんについての緊急見解
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/130216Matuzaki-report.pdf

2013年2月15日金曜日

2月15日


岩波ホールの総支配人である高野悦子さんが亡くなったニュースが、
今朝の新聞に。
大部具合がお悪いことは、岩波律子さんからもうかがっていたが…。
9日に亡くなったことも高野さんと親しい友人から聞いていた。
「国際女性映画週間」のジェネラルプロヂューサーとしての活躍。
国際フィルムセンターの初代名誉館長。映画に関する著作も少なからずある。
日本にもっともっと女性の視点を大事にした女性監督の出現を、と
お目にかかるたびに力説されていた。
ここ数年は体調を崩して、女性映画祭への参加もままならなかったが。
ここ数年、わたしたち妹の世代に多くの示唆や刺激を贈ってくださった

姉の世代を、何人も見送っている。そうして、彼女たちからの
たくさんの宿題がいま、ここに。
わたしたちもいつか……たぶんそんなに遠くない明日……見送られる日が来るのだ。その前に取り組んでおきたいことが、たくさんではない、
ほんの少し、わたしにはある。

母を見送った後、喪失の深い悲しみの中で、しかし死もまたひとつの「解放」と感じたわたしがいた。それは、母の死が「自然死」であったからであり、たっぷりの介護の時間があったからであるだろう。
被災地、特に福島第一原発事故での関連死などは決して、そういったものではない。どんな風に、ひとは愛するひとの「人災死」を納得すればいいのか。

わたしはいま68歳。あとどれくらい現在と同じ速度と濃度をもって走ることができるかは、わからない。が、とにかく走り続けたいと思う。
原発と原発的構造を持つ、この国とこの社会に、どんなにささやかでも
どんなに小さくとも、けれど確かな風穴を開けるために。
雨の金曜日夜に、自分との約束を考える。