2012年1月31日火曜日

1月31日

2012年の1月も今日が最終日。
明日からは、もう2月だ。

福島県川内村は、原発の事故で避難区域に指定された自治体ではじめて、
今日31日「帰村宣言」をする。
4月から、郡山市に移っていた役場や小学校、中学校、
診療所などの業務を再開する方針だという。
早く戻りたいというひともいれば、小さな子どもがいるひとは、
すべての「除染が終わってからにすべき」というひともいて……。
県立病院も閉鎖されているなか、帰りたいけど、
郡山までやはり通院しなければならないから仮設住宅に残る、というひとも。

原発事故は、こうして住民を二分してしまうのだ。
その願いも、希望も、暮らしそのものさえも。

1月30日

ダライ・ラマの言葉を思う。
一字一句、正確に記憶しているわけではないのだけれど。

……あなたの隣人を敵とみなして滅ぼすということは、
あなた自身を滅ぼすことと同じことなのです……

わたしたちは自らを滅ぼすような原発という選択をしてしまった。
しかし、過去を変えることはできなくとも、
未来を変えることはできる、とわたしは信じている。

2012年1月30日月曜日

1月29日

きょうも寒い一日だった。

一日も早く、わたしたちの家庭でも
自治体特区や、大企業のように,
どの電力会社から電気を買うか、
選べるようになることを心から願う。

2月19日の「朝の教室」の講師、
吉原毅城南信用金庫理事長のところでも、
すでに実施されていることだ。

2012年1月28日土曜日

1月27日、28日

昨日はついに徹夜仕事となって、27日分と28日分のブログをいっしょに。

東京の世田谷区が、区役所本庁舎や区民会館、小学校や中学校の電気に関して、
東京電力からの供給に限らず、それぞれの電力事業者による競争入札にする方針
を決めたという報道があった。
保坂展人区長は、脱原発を掲げて当選したひとだが、東京23区で初の「脱東電」の試み。
歓迎する。
落札した業者の電力供給は、新年度4月1日から。
区内の111か所の電気についての試みだが、
新聞報道によると約9000万(朝日新聞 24日朝刊)の経費減。
東電の今後の値上げ分を含めると、1億円以上の節約効果がある、という。
都も、他の区も市も、いいことは、まさに競争して取り組んでいただきたい。

28日。
「パックインジャーナル」で、当の保坂さんとお目にかかった。
他の自治体から問い合わせがつづいているという。
素晴らしい。
すでに実施している行政もあるが、これがひとつの前例になることを望む。
いままでどこもしなったから、だからやらないではなく、
それぞれが前向きな「前例」になることを期待しちゃう。

番組のテーマのひとつは、福島第一原発の事故後につくられた政府の原子力対策本部が、
これまでの議論の数々を議事録として残していなかった、というニュースについてだった。
そんなことがあるだろうか。
議事録をとることは、法律で決められている。あきらかな法律違反だ。」
「そんなこと、ありえない」。
議事録として残せない内容だから「とっていなかった」と言っているのではないか、
という声が多数だった。わたしもそう考えたひとり。
去年の5月に枝野さんは、その時点で議事録がないという認識があったし、そのことに言及している。
にもかかわらず、そのあとも、議事録は作成されないままであったことが年が明けてから判明。
これもヘンだな、というのが番組に参加したわたしたちの一致した意見だった。

13時に番組を終えて、クレヨンハウスに。
ランチをとりたかったが、混んでいたので諦める。
ああ、おなかすいた。これから東京を離れるので、東京駅で駅弁、買おう。

それにしても、「パックインジャーナル」のような番組は大事だ。
3月末で、この番組が終わってしまうのだという。惜しすぎる。

2012年1月27日金曜日

1月27日

『パパラギ』という本がある。

1980年代のはじめに、岡崎照男さんの訳で、
立風書房から刊行されたとき、夢中になって読んだ本であり、今でも時折り読み返している。
もともとは20世紀のはじめ、ヨーロッパを旅して、
はじめて「白人の文化」に触れたサモアの長ツイアビのメッセージで、
彼と親交があった詩人エーリッヒ・ショイルマンが、その記録を翻訳し、
スイスで出版したものだと記憶している。
立風書房では、単行本のあとに、イラストレーター和田誠さんで『絵本 パパラギ』も刊行している。
パパラギとは白人、「文明」と呼ばれるものが行き渡った国で暮らすひとびとのことで、
いまでは私たちが暮らすこの国も、
「パパラギ」以上にパパラギ的ではないかと読みながら思ったものだ。
岡崎さんの訳か、和田さん版かは忘れたし、一字一句覚えているわけではないが、
その中に次のような一節があったことを思い出す。
……だれかひとりだけが、「わたしは日向にいる。おまえは日陰に行け」
というのは大自然のこころではない……と。
 
汚れた雪が残る都会の道を見ながら、今夜は『パパラギ』を読み返そうと思う。

1月26日

一日じゅう、ばたばた走り回って、気が付けば夕暮れ。
屋根に、裏庭に、道路の隅に、ちょっと汚れた雪が残っている。
福島に降る雪は、福島の雪景色は、去年と同じように美しいだろう。
しかし、その美しい雪の中に、なにが含まれているのかを考えると……。

去年、ほっぺたを真っ赤にして雪だるまを作った子どもたち。
寒さをものともせずに、降る雪の中で雪合戦をした子どもたち。
わたしたち大人は、とんでもない社会を作り、
そのつけを子どもたちに払わせようとしているのだ。

あの日から10か月以上たったいま、わたしたちの社会は
たくさんの「忘れさせていく装置」を準備し、すでに作動させている。

次のようなメールが入っていたのでお知らせを。

緊急! 1月27日 経産省テント前へ
9月11日から設営されている経済産業省前テントは、反原発、原発再稼働反対、
福島の子どもたちを守れ、などの運動の象徴として、
国内の反原発を望む人達、全世界の反原発を訴える人たちから支持されてきました。
経済産業省はこのテント撤去の暴挙に出ようとしています。

これは原発再稼働に向けての策動の大きな動きです。

これに抗議して
27日(金) 13時~  弁護士会館10階 1006号室にて
抗議の記者会見が行われます。
また
同日 16時から テント前にて抗議集会が開かれます。
テントの撤去を27日17時までにするようにと経済産業省は要求しています。
撤去させないために、一人でも多くの人の参加をお願いします!!
http://sayonaragenpatsu.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/127-124b.html

2012年1月25日水曜日

1月25日

昨日の雪が屋根に残ったままの水曜日。
天気予報をチェックすれば、列島中が寒さに震えている。
そうして、いつものことを思うのだ、
被災地のお年寄りは? 赤ちゃんは? 子どもたちは? と。

日隅一雄さんという弁護士がおられる。
記者から弁護士になられたかただ。
その真っ直ぐな正義感
(というと、ご本人は照れてしまわれるかもしれないが)
と、仕事への姿勢にはいつも敬意を抱いてきた。
なにかの会で以前にご一緒した記憶があるし、
3月で終わってしまう朝日ニュースター「パックイン・ジャーナル」
でもご一緒したことがある。

3月11日後の東電本社での記者会見に連日出席。
原発の構造を熟知していないと発することができないような鋭い質問をされ、
情報公開を迫っていた日隅さんである。
その日隅さんが入院して手術をされたとうかがったのは、
去年の陽春だったろうか。
昨冬のペンクラブの「脱原発の集い」には、
マスクをかけて参加されていた。

闘病中だから、ということではない。
原発の過酷事故に対して、日隅さんがどのように考え、とらえ、
そこからなにを導き出したのか……。
ずっとお話をうかがいたいと願っていた。

彼のブログ、「情報流通促進計画」は必見。
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005
日隅さんの著書、『検証 福島原発事故・記者会見……
東電・政府は何を隠したのか』(木野龍逸さんと共著・岩波書店)。
2月に刊行予定の『「主権者」は誰か 原発事故から考える』(岩波ブックレット)等。
しっかり読みたい。

2012年1月24日火曜日

1月24日

きょう、首相の施政方針演説があった。
特に新鮮味のある内容であったとは思えないが、
まずは「大きな政治」「決断する政治」というスローガンに違和感を覚えた。
いま、わたしたちが必要としているのは、「小さな声をよく聞く政治」ではないだろうか。
政治が大きなことを言う時は、危険な時代に向かっているんだと思う。
3つの「優先課題への取り組み」を表明したが、わたしには型どおりに、空虚に響いただけだった。
① 大震災からの復旧・復興
② 原発事故との闘い
③ 日本経済の再生
どれもが大事なことではあるが、あれほどの大事故を起こした福島第一原発の過酷事故。
日本中、とりわけ福島のひと、世界中のひとへの心からの深謝がないなあ、と。
もしあるとすれば、全原発「廃炉」の言葉を聞けたはず。
ドイツは決断したのに、問題を起こした当事国・日本は「脱原発」を決断していないのだ、と改めて痛感。

いまも被曝されつづけている福島の子どもたちが、現にいる。
原子力発電所では、
広島の原爆1,000発分を優に超えるような「核分裂生成物」を1年ごとに作り出している。
この国は、世界中が心配しなければいけないほど、プルトニウムをもってしまったのだ。
この解決なしに、「原発事故との闘い」は言えないのではないか。
「大震災からの復旧・復興」を真剣に考えているとは思えない。

「日本経済の再生」もまた、消費税アップのためのエックスキューズに響いた。
事故の収束もみないのに、収束宣言をし、いちはやく原発輸出の交渉をはじめたこの国。
武器輸出三原則を緩和したこの国。
アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)、環太平洋連携協定(TPP)については、
議論が全く足りなかったと思う。
だが、もう既成のこととして「アジア太平洋の世紀を開く外交安全保障政策」として組み入れた施政方針。
違和感を抱かないほうがへんだろう。

1000兆円も借金のある日本だから、消費税をアップしなければ、
という言い方に慣れてしまっているわたしたちも問題だが、
政治や財界、官界がわが身を切って(たとえば民主党は政党助成金を辞退するなど)、
まず節約をしてみせなければ。
「市民にばかり節約を強いる」ような「日本経済の再生」おかしい。

段階的に消費税率を引き上げる、そのために「公平」を口実に、
国民一人ひとりが固有の番号を持つ「社会保障番号制度」の導入も言い始めた。
国民の財布を管理し、プライバシーも何もなくなっていくこともこわいことだ。

米軍普天間飛行場の移設問題にしても、沖縄の人々の不安に答えていない。
それが「大きな政治」ということか、
「決断する政治」ということなのか。

2012年1月23日月曜日

1月23日

予報があたって、夜9時になってから、雨が雪に変わった。
被災地の寒さを思う。

今朝、函館の友人から、野田政権への憤りのメールが入った。
当然の憤りである。
野田首相が、福島県内の18歳以下の医療費無料化を
断念する方針を固めた、というのだから。
財源確保が難しいというのが、非情な判断を下した理由だという。
首相は今月の8日に福島県を訪れた際、
「政府内でしっかり検討したい」と言っていたのだが。
無料化で増える受診に対応する医師の確保も、
新たなる問題点として浮上したというが、理由は何であれ、
これが、この国がやることだ! しっかりと覚えておこう。

こうして子どもたちまで見捨てられるのだ。
一度として、子どもは原発を選んではいないのだ。
にもかかわらず、原発事故の結果を、
「自己責任」として、一生背負っていかなくてはならないのか。
こんな酷いことが許されていいのか。

原発事故に限らないが、子どもは自分の家庭の状況を知っている。
経済的に苦しいと知ったなら、
からだの具合が悪くとも、伝えない子どもも出てくるだろう。
むごすぎる仕打ちだ。

2012年1月22日日曜日

1月22日

昨日の「朝の教室」の司会でも少し触れたが、
米国がイラン制裁のために
石油の輸入をセーブするようにプレッシャーをかけている。
「イランからの原油輸入額を年18%以上減らせ」と。

反・脱原発を考えるとき、代替の既成のエネルギー源として、火力発電があるが、
石油の輸入がスムーズでないとなると、火力発電案は暗礁に乗り上げないとも限らない。
それら対米事情を喧伝して、
「原発にやはり頼らざるを得ない」といった空気が、
ここでまた新たに出てくる可能性もある。
決して気を抜くことはできないし、
ここで問われるのは、わたしたちひとりひとりの覚悟、とも言える。

風邪をひきこんで、ぼーっとした頭で書いている。
今日のブログはここまでにするが、
反原発の基本をしっかり腹の底にすえて、脱原発への道を歩き続けよう。

1月21日

肥田舜太郎さんの「朝の教室」。無事終了。
寒い朝だったが、大勢のかたが参加してくださった。
受講されたかたから次のような感想をいただいたので、ご紹介を。

………………………………………………………………………………

ヒロシマの原爆地獄を体験し、自らも被曝しながら極限状態でも
ひるまずに患者を治療し、助けることに命を賭けていらした肥田さん。

戦後もすぐに南の島の生き残り兵(殆どは飢えと病で末期だった)を
船で日本まで治療しながら救出するお仕事を。
わが身をいとうまもなく、その後も怒涛のごとく地域医療や被爆者のため、
GHQと厚生省を相手に医師と労働運動の二足のわらじをはき、
リーダーとして戦後の歴史の最前線で闘ってこられたこと、
『ヒロシマを生きのびて』を読んで、深く深く感動しています。
それなのに、過酷な闘いの日々を想像すると、
実物の肥田さんの温顔とは結びつかないのです。

クレヨンハウスの講師の方々は、みなさん穏やかでやさしい、
フレンドリー(シャイな方もいらっしゃるけど)な方ばかり。
精神性の深さ、品性の高潔なこと、信じるに足る、尊敬せざるを
得ない方にお目にかかれるしあわせ…………。
感謝しています。
握手していただいた手のあたたかかったこと。
放射能地獄を生き延び、権力と闘ってなおご長寿でいらっしゃる肥田さんの存在は
私たちの希望です。奇跡…………です。
お肌つやつや、立ったままでの力強いお話。
”生きる力”を、いただきました。

………………………………………………………………………………

立ったままの1時間30分の講演会。
去年は週に7回、講演をされたこともあるとおっしゃっていた。
筆舌に尽くしがたい体験をされながら、そして権力と絶えず対峙されたながらの、95歳。
この非情な時代と社会を生きる、すべてのわたしたちにとって希望そのものだ。

「朝の教室」2月19日の講師は、城南信用金庫の吉原 毅理事長。
昨年の原発事故後、いち早く脱原発を宣言した城南信用金庫。
その決意のほどと、宣言されてその後、についてうかがうことができるはず。

旅先にて。

2012年1月20日金曜日

1月20日

都心は、お昼過ぎまで雪が降っていた。
いま(23時過ぎ)帰宅する頃には、すっかり消えていたが。
雪が降れば降ったで、風が吹けば降ったで、
セシウムなど放射性物質が気になる。
事実、ネット上ではそういった情報が飛び交っている。
公式の発表がないために、こうして市民は苦しむのだ。
そして、そういった市民の苦しみを
「風評被害」という言葉で封じ込めてきたのが当局である。
政治がいま熱意をもってやっているのは、消費税増税。
先の民主党大会で首相は宣言した。

「やるべきことをやりぬいて、民意を問うことを宣言したい」と。

やるべきこととは、消費税増税である。
この大不況のもとの大増税は、景気をさらに凍結するだけだろう。
社会保障のために必要だというのなら、
まずは自らの身を切ってみせて、はじめて民意に問う資格を手にするというものだろう。

明日は、肥田舜太郎さんを講師にお迎えしての、「朝の教室」。
それから、とスケジュールノートをチェックして、明日すべきことを数えあげる。
一度抜けたはずの風邪がひどくなった。
熱も出てきた。
東京新聞夕刊に、広島の原爆投下後に降った「黒い雨」に関して、
被爆者団体や広島市が求める救済範囲の拡大について、
厚労省の検討会の作業部会は、「黒い雨の降雨域の確定は困難」という報告書を提出。 
記事によると、黒い雨を体験したと答えた人が50%を超える地域は一部に限られた」という。
また、「60年以上も前の記憶でもあり、十分な解析は困難」であるとも。
福島第一原発の過酷事故の影響についても、たとえば10年後、20年後、そして50年後、
同じような措置がとられるのだろうか。

2012年1月19日木曜日

1月19日

関西電力大飯原発3号機、4号機のストレステストについて、原子力安全・保安院が,
「妥当」とする審査書案をまとめたというニュースがあった。
傍聴を望む市民を締め出しての会である。
自分たちの暮らしにかかわる会であるのに、
主役である市民がなぜ締め出されなくてはならないのか。
たとえ彼らが少々声を荒げたとしても、乱暴な言葉を使ったとしても、
国が、そして保安院がいままで、そして福島の苛酷事故のあともとってきた姿勢を考えるなら、
どちらが罪深いかは自明のことだ。

人権について考えるとき、わたしはいつも思う。
「足を踏まれた側」が何度となく忍耐を強いられ、最後の最後に発した言葉と声音をとらえて、
「感情的」だとか、「ヒステリック」だとか、誰が断罪できるのか。
「足を踏んできた側」こそ問われ糾弾されるべきことを、
なぜ「踏まれてきた側」が問われなければならないのか。
枝野さんは、どちらを責めているのか。
福島第一原発の原発暴走をめぐる政府などの最終報告書がまだでていないというのに、
もう再稼働なのか。
ストレステストを再稼働の可否に使うことに対して、専門家からは疑問の声がすでにでている。
またもや、この国は、あらたなる「安全神話」を土台に、再稼働に踏み切るのか。
こんなめちゃめちゃなことが通ったら、
大飯3・4号機が前例となり、次々に再稼働GO、であろう。

2012年1月18日水曜日

1月18日

一日も早い脱原発を希望するわたしには、
原発の延命策としか思えない。
原子炉等規制法の見直しが気になって仕方がないのだ。
特に、例外的「延長期間」が気になると、数日前のこのブログに書いた。
きょうの朝日新聞朝刊には、運転期間を、
原則として40年とする規制法の例外的に措置として、
延長期間はさらに20年とする方針が明らかになったと書いてある。
従って原発は最長では60年運転できることになるという。

延長の判断基準は、原子力安全庁ができてから
専門家の意見を踏まえて作成するらしい。
どちらにせよ、この法案が通常国会で成立すれば、
反・脱原発の市民の声は法律の壁に阻まれる。
またしてもわたしたちは、まるで原発などないかのような暮らしに、
押し戻されてしまうのか。
夕刊には、経産省は地熱発電の開発を支援するという記事が掲載されているが、
一方で自然エネルギーの開発を支援し、一方では延命策をこうじている政府。
矛盾した行政の本音は、原発推進ではないのか。

2012年1月17日火曜日

1月17日

今日は朝から、脱原発の署名活動にも積極的に取り組んでおられる、
ある生協会員のかたがたへの講演会。

新宿の駅頭でも署名活動をされる予定があるとおっしゃていた。
「街頭での署名は、今回はじめてなのですが、頑張ります」
本当にありがたい。多くの会員さんが、次世代、さらなる次世代のことも考えて、
原発のシビアアクシデントと取り組んでおられる。
「わたしたちの代で、答えをださなくては」と。

むろん「脱」に成功したからといって、核のゴミはそのまま残る。
一時、モンゴルに最終の核のゴミ捨て場をという声があったが、
幸い、モンゴルのひとたちの反対で、この計画は流れている。
それでもまだ「原発の輸出」をこの国は考えている。
脱原発をいうと、経済を破綻させる気かという声があがる。
が、「経済を守る」と言いながら、彼らが守りたいのは結局は、
大企業、その中でも輸出経済だけなのだろう。
汗水流して働いている、まっとうな市民の経済生活など、どうでもいいのか。
                      *
「子どもには、やはり食べものを選んでいます。
そうして選んでしまう自分が、とてもエゴイスティック思えて苦しくてならないのです」
会場で言葉を選びながら、苦しい胸のうちを打ち明けてくださった若い女性がおられた。
彼女の年代から考えると、お子さんはまだまだ小さいに違いない。
「エゴイスティックに思える」、「苦しい」とおっしゃったとき、目が潤んでいた。
「どうかご自分を責めないでください。子どもを守るのは大人の役目です。
わたしがあなたであるなら、同じことをします」
そんな風に応えながら、わたしもつい涙ぐんでしまう。
このところ、涙腺が緩くなっていて、すぐ涙ぐんでしまうのだ。
「涙は女の武器だ」と言ったひともいたけれど、そんなことはない。
涙を流すことを、わたしはおそれない。
それが、明日の力になるのなら。
それが、明日のエネルギーになるのなら、
涙もまた再生可能なひとのエネルギーであると信じている。

午後、クレヨンハウスに出社。
仕事の打ち合わせをいくつか終えてから、4月22日(日)の午後に予定している、
京都大学原子炉実験所の小出裕章さんの講演会の打ち合わせを
『クーヨン』編集長と、ミズの責任者と。
予約方法も含めて、詳細は追ってホームページでもお知らせします。

2012年1月16日月曜日

1月16日

月曜日がやってきた。
新しい一週間の始まりだが……、
朝刊には、福島二本松のマンションから、
高線量が測定されたというショックな記事が掲載されている。

朝日新聞の朝刊によると、この新築マンションには
原発の過酷事故で出た
放射性物質に汚染されたコンクリートが使われていたことが判明。
このマンションには、事故のために避難された人たちが
多く住んでいるという。
こういったことがこれから起きるのではないか、
と危惧していた矢先のニュースである。

記事によると、
コンクリートの材料になる石を出荷した砕石会社は、
浪江町が計画的避難区域に指定される前に、会社がすでに石を出荷していたという。
それまでは、吹きさらしの状態に石は置かれていたそうだ。
この会社から石を購入して建設会社に納入した会社も、
線量のことは頭になかったという。

問題は、下水汚泥などの汚染例もあり、予想されたことではあるのに、
基準を設けることも、注意を促すこともしなかった国のありかただ。
たとえばセメントに対しては、
原材料である下水汚泥から高濃度のセシウムが検出されたことで、
昨年、放射性物質に関する基準をつくっている。
下水汚泥の汚染が判明した時点で、
石や砂利にも基準をつくらなければならなかったと考えるが、
ここでも後手に回ってしまった。

すべてが「はじめての」ことばかりで、
対応が遅れてしまうこと場合もあることもわからないではない。
が、石→生コンクリート→建設会社という過程でも、
大勢のひとが作業にかかわっているはずだ。
また、このマンションには避難区域から入居してきた住人が多い。
「避難」した先でも、また汚染に苦しむ……。
この悪循環はをどれほど繰り返せば、
ただでさえストレスが多い日々に、
僅かでも安心を迎え入れることができるのか。

計画的避難区域内は放射線量が高い、
ということは、ずっと言われ続けてきたことだ。
今後、こういった事例が続かないと誰が保障できるだろう。
石や砂利などは、わたしたちの身の回りの、
いろいろなものに加工されている。

2012年1月15日日曜日

1月15日

2日にわたって行われた「脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA」が終了した。

残念ながら、わたしは東京を離れていて、参加できなかった。
福島郡山市から横浜に避難している10歳の少年の将来の夢は科学者になること。
夢をかなえるためにも健康でいたい、とアピール。
ドイツ緑の党のレベッカ・ハルムさんは、
「この原発の過酷事故を契機に、日本が変われるかどうか、世界が注目している」と。

10歳の子が、将来の夢を叶えるために、
「健康でいたい」とアピールしなければならないこと自体、
このうえなく不安な社会をわたしたちはいま、生きているということの逆証だ。

わたしのところにも、いろいろな情報が入ってくる。
そのたびに、迷い、悩む。
それらすべてをご紹介したいという思いと、
確証がないものは紹介すべきではないという思いとで、心が二分される。
不安だったけれど、何も起きなくてよかったね、という結果であればいいわけで、
すべてをご紹介すべきではないか、と気持ちは激しく揺れる。

福島に暮らす人々がいるのに、東京周辺で暮らすわたしたちがびくついてどうする!
それは原発被災者に失礼ではないかという心理も一方には確かにあって……。
安全神話を作って流布し、シビアアクシデントが起きると、
「安心神話」を流し続けた当局が風評被害を作っているなら、
(当然ながら、信頼できないから、風評被害が起きるのだ)
わたしたちは「賢く不安がる」ことがいま、
この「有事」には必要なのかもしれない、と考えるが、実に難しいテーマだ。

2012年1月14日土曜日

1月14日

東日本大震災から10か月と3日がたとうとしている。

もう一度大掃除をしなければ、と仕事部屋に積み上げられた資料の山を前に考えるのだが、
しなければならないことが多すぎて、整理は今回も後回しになりそうな予感がする。
そのくせ、しなければならないことに取り掛かると、資料整理が気になるのは、
遠い昔、試験勉強より、読みかけの小説が気になって仕方がなかった心理と似ているかもしれない。
それでも、この資料の山の中で、どこに何があるかは、わたししか知らないし、
ほかのだれかに触れられるのも困るのだ。

まず資料の山のひとつは、東京新聞「こちら特報部」の記事。
特に2011年3月11日以降の原発の記事は、とても参考になる。
デスクのおひとり田原牧さんには「朝の教室」での講演もお願いし、
間もなくブックレットとして刊行される。

講演内容に大幅に加筆してくださった。
その校正作業をしながら、わたし自身とても興奮し、何度も何度も読み返した。
この視点、この姿勢こそがジャーナリズムなのだ、と。
ジャーナリズム不在の社会と言われて久しいが(踏ん張っておられるかたもいる)、
「こちら特報部」のような記事こそ、多くの読者が求めるものではないだろうか。

「朝の教室」でのご縁がある前から、ずっと愛読してきた「こちら特報部」。
一冊の本にまとまらないかなあ、と思いながら、その日まではとっておこうと決めて、
部屋の壁を背に、月別に分けた大きな山が10個も。

2012年1月13日金曜日

1月13日

大阪→奈良をまわって、帰京。
そのままクレヨンハウスに直行。
20時30分から友人たちと会食。
原発の報道や権力にNOという姿勢が評価されてきた、
朝日ニューススターの「パックイン・ジャーナル」にかかわってきた友人たちだ。
残念ながら、この番組も3月で終了してしまうらしい。
こういった視点と姿勢をもった番組は、いまこそ必要だと思うが。

遅い帰宅となる。

過日、原子炉等規制法の改正案が発表された。
原発の運転を40年と制限する規制法である。
このように法律に明記されるのは初めてだから、僅かに前進、とは言える。
法律で規制されてこなかったことこそ、本当は問題なのだが。
けれど、審査を通れば「延長可能」という。
「シビアに見ていく」と細野さんは語ったようだが、
こうして下地を固めた上で、再稼働GO、という道筋ではないだろう、ね。
と、ちょっとばかり懐疑的なわたしである。

2012年1月12日木曜日

1月12日

3月の「朝の教室」の講師が先に決まったが、
2月の「朝の教室」の講師が決定した。
2月19日(日)9時~ 城南信用金庫理事長 吉原 毅さん。

お目にかかるのは今回がはじめただが、
福島第一原発の過酷事故のあと、
すぐに「脱原発」を表明された、城南信用金庫の理事長さんで、
新聞のインタビュー記事にも頻繁に登場されている。
それだけ、「珍しい」ことを表明された、ということだ。
わたしたちは感動するが、経済界で、こうした意志を明確に公表されることは
決して決して容易ではないと想像できる。
一方では、自国の事故の解明も未だの状態であるのに、
原発の海外輸出をするために、
首相に「収束」宣言をさせる経済界がある、この国である。
クレヨンハウスは吹けば飛ぶような零細企業だが、
城南信用金庫理事長 吉原 毅さんの存在に、
どれほど励まされているか。
お話をうかがうのが楽しみだ。

ご予約、お待ちしております。

2012年1月11日水曜日

1月11日

夕暮れから強くなった風が身にしみる。
風に背を押されるように
歩きながら、被災地の厳寒を思う。
さぞや、と。

仮設や借り上住宅で、充分に暖をとれていない被災者が少なくないという。
特に、ひとり暮らしのお年寄りが心配だ。
以前に書いたが、生活費を切り詰めるために、
準備された暖房器具も使わず、
布団の中で一日を過ごすかたもいる。
あたたかなものを食べておられるか。
爪先は冷え切っていないか。
トイレに立つのが面倒で、水を飲むのを控えてしまっていないか?
不安は山ほどある。

風の音が、不穏に響く1月11日。
東京で暮らす先輩の女性の入院が
さらに延びたという電話をいま、受けた。

2012年1月10日火曜日

1月10日

夕方に東京を発って、旅先でこのブログを書いている。
風邪も回復に向かっている。
2012年も、さあ、がんばるぞ、である。何に? 
むろん脱原発。まずは国内の、目指すは世界中の原発を止めることだ。
たとえいつかそれが実現したとしても、それをわたしが見届けることはできないだろう。

間もなく67歳になる。
あと、どれくらい現在のペースで書いたり語ったりできるかはわからないし、
現在は健康だが、いつどうなるかもわからない年代ではある。
もともとそういう指向が強かったが、このいのち何を惜しむ、
という感覚が、母を見送ってからは特に強い。
母を介護していた頃は、アフガンへの「報復攻撃」やイラク進攻の反対集会などに参加をして話をする、
時間的な余裕を作るのが難しい日々もあった。
それが絶えず、わたしの後ろめたさにつながっていたのも事実だ。
わたしと違って母は穏やかなひとであったが、2011年のあの日以来、
この国で起きたこと、起きていることを知ったなら、
母もまたせっせと署名集めをしてくれたに違いない。
「難しいことはわかんないよ」と言いながら、
ごくごく素朴な正義感を、自らの人生のベースに置いて生きたひとだったから。

それにしても、4号機についてのニュースがない。
1月1日の地震で、スキマーサージタンクの水漏れがあったのではないか
というベタ記事が数日遅れで出て以来、わたしに見落としがなければ、音沙汰なしである。
新年の休刊日には、セシウムの値が急上昇しているという情報がネットでは飛び交っていたし、
いまでも飛び交っている。

SPEEDIの情報公開を「パニックを避けるため」(と当局は言っている)に大幅に遅れさせたせいで、
自分たちが暮らすところより、はるかに放射能が高い地域に避難した福島の人々の無念さと悲しみを、
わたしたちは忘れることはできない。
風評被害は、こういった情報公開の遅れや隠ぺいで起きる場合が多いこともまた、わたしたちは知っている。
一体、どうしたのだろう。
わからない。

2012年1月9日月曜日

1月9日

遅くに帰宅。

懐かしいR&BのCDを聞きながら、ファクスとメールをチェック。
ふっと思い出した、あれはどなただったのだろう、と。

昨年9・19の6万人ウォークの時だった。
福島の子どもたちと一緒に、最初に明治公園を出発した
わたしたちのグループがゴールに到着。
それから鎌田慧さんと青山に戻ったのだから、
夕方の17時近くのときだった。後発のグループの
ひとつが表参道の交差点を曲がってきた。
その一台の車の外で、「原発、はんたい!」と
ハンドマイクを手に踊りながら、
ちょっとハスキーなかけ声をかけていた女性。
確か淡いベージュのワンピ風ドレス姿だった記憶がある。
R&BのCDを聴くたびに思い出す彼女。
どなただったのだろう。
ご存じのかたがおられたら、教えていただきたい。
とても素敵な女性だった。

明朝までの原稿がたまっているけれど
まずは2時間ほど仮眠をとろう。

福島第一原発4号基についての
いろいろな情報がネット上で錯綜している。
不安だが、こうなるのも、正確な情報を隠ぺいしたり、
矮小化してきた結果のことである。

2012年1月8日日曜日

1月8日

今日は夕方から夜の4時間半、打ち合わせで外出しただけ。
あとはずっと原稿と向かい合っていた。
2011年の5月から始まったエネルギーと原発を考える 「朝の教室」。
そこから誕生したクレヨンハウスブックレットの 校正である。
既刊が4冊で、今年は続々刊行予定である。

2011年が明けたとき、ブックレットは当然、
年間の編集スケジュールに は入っていなかった。
編集部スタッフの負担をできるだけ少なくしたいと、
わたしも 編集にかかわっているのだが、
かえって負担をかけているのではないか
とふっと不安になることがある。
入稿直前になって、あ、やっぱりあそこは直したほうがいいか、とか
いろいろ気になって、加筆してしまうのだから。

既刊は以下の通りだ。
『原子力と原発 きほんのき』 上田昌文(NPO法人 市民科学研究室 代表)
『食べものと放射能のはなし』 安田節子(食政策ビジョンセンター21 代表)
『「原発をつくった」から言えること』 後藤政志(元原子力プラント設計技術者)
『小児科医が診た福島の子どもたち』 山田真(小児科医)
 >http://www.crayonhouse.co.jp/mojo/ProductInfo/product_id/129638

それぞれのタイトルのサブに「わが子からはじまる」というフレーズをつけたのは、
「わが子」からはじまり、「わが子」と同時代を生きる日本中の、
そして世界中の 子どもたちのことを共に考えたいという思いが強いからだ。
このところ、韓国のメディアの取材を受けることが多い。
韓国も原発は多く、議論があるからだろう。

今夜はこれから、2冊のブックレットと、1冊の単行本の校正を。

2012年1月7日土曜日

1月7日

柳田邦男さんの「朝の教室」が無事終了。
風の冷たい土曜日の朝、続々と多くの受講生のかたがたが集まってくださった。
なぜ福島第一原発でシビアアクシデントが起きてしまったのか。
それは果たして、繰り返し説明されてきたような「想定外」のことなのか。
むしろ「想定外」という言葉の向こうに、
かけがえのない問いや疑問を強引に切り捨ててきた「国策」としての「それ」があったのではないか。
柳田さん独特の「解き明かし」に、
「シビアアクシデントの全容がすとんと心に落ちました……」
受講生からそんなお声も。

ところで今朝の教室でお知らせした、また、一昨日のブログでもお知らせした
「大間原発裁判報告会と説明会」について再度お知らせを。

大間の地に大間原発の話が持ち上がったのは、30数年前。
電源開発に最後まで土地を売らなかったのが、熊谷あさ子さん。
鎌田慧さんのご著書でも詳しく紹介されているし、
同じく朝の教室でお話しいただいた詩人アーサー・ビナードさんが
「ぼくがもっとも尊敬する女性」といっていたのも、熊谷あさこさんだ。
あさこさんは、「土地から穫れる野菜と海から捕れる海産物で、私たちは生きてゆけます」
そう言って、のけぞるほどに巨額な金額を提示されても、その土地を手放そうとしなかった。
その、あさこさんが不慮のアクシデントとしか言えないような最後を迎え、
いまは娘さんの厚子さんや、函館で暮らす有志たちが、その意志を継いでおられる。
昨年の9・19の集会にも、厚子さんは来られていた。
写真でしかお目にかかったこととのないあさこさんと面影が重なる厚子さんだった。
あさこさんについては、大間原発裁判の原告のおひとりから、
どんなに素晴らしいひとであったか、聞きしたことがある。
その大間原発の裁判報告会と説明会が、東京で開かれる。

・2月3日 午後6時30分~午後8時
・東京御茶ノ水のYWCAで、「大間原発裁判報告会と説明会」が開かれます。
・報告者:竹田としこ(大間原発訴訟の会・代表)
・報告者:森越清彦弁護士(大間原発訴訟・函館弁護団代表)
・報告者:原子力資料情報室スタッフ予定
・主催:大間原発訴訟の会 (函館市松蔭町1-12 函館YWCA内
電話&FAX 0138-51-9718
mail  ysnt@ms8.ncv.ne.jp

2012年1月6日金曜日

1月6日

どうやら風邪をひきこんでしまったようだ。
熱は下がったのだが、ちょいと怠い。
まさに、鬼のかく乱。

明日の「朝の教室」、2012年最初の講演会だ。
講師はご案内のように、ノンフィクション作家の柳田邦男さん。
日航ジャンボ機墜落事故やJR福知山線脱線事故など検証にかかわり、
昨2011年には、福島原発の事故調査・検証委員にも就任された。
昨年9月に刊行された『「想定外」の罠……大震災と原発』は、
当時、いやというほど繰り返された「想定外」という言葉の陰に隠された
「失敗の核心」を突いた力作である。

ところで、わたしはやはり元日の関東地方の地震以降
(昨日も福島で確か2度あった)の、
第一原発4号機の状態が気になって仕方がない。
ネットではいろいろな「声」が飛び交っている。
多くのマス・メディアからは一向に「その後」が聞こえてこないようだ。
何度も何度も矮小化や隠ぺい体質を体験させられてくると、
懐疑的にならざるを得ないのが、市民だ。
なんでもなければ、それでいいのだが。

『福島は訴える』(福島県九条の会・著 かもがわ出版・刊)を読む。
……「くらし」「子育て」「なりわい」を
原発に破壊された 私たちの願いと闘い……
とタイトルの横にはある。
本文の中で特に、「私たちも叫びたい 訴えたい」、
中学生が書いた朗読発表のシナリオ、というパートに登場する、
ひとつひとつの言葉が、そして言葉の向こう側にある混沌が、心に突き刺さる。

2012年1月5日木曜日

1月5日

新しい年も5日がたってしましった。
日を重ねるにつれて、わたしたちは緊張感を緩めていくのだろうか。
1日の地震の結果、4号機に何が起きたのか。
起きなければそれでいいのだが、
その後のニュースがないのが、気がかかりで仕方がない。

世界の子どもたちを映したカレンダーがわたしの部屋の壁にはある。
どこからか贈られてきたものだ。
南北問題から見ると、明らかに南、
より少なくしか持たない国で生きる子どもたちだ。
が、その目はなんと澄んで真っ直ぐなことだろう。
トルコやヴェトナムの子どもたちもいる。
この子どもたちが暮らすところに、原発を輸出などしてはならない。
絶対安全は存在しないことを、わたしたちはいやというほど、味わっているのだ。
今後もまた。

7日土曜日の「朝の教室」の講師は柳田邦男さん。
21日の講師は、肥田舜太郎さん。
3月には京大原子炉実験所の今中哲二さんのも講師をお引き受けいただいている。

お報せをひとつ。
いま注目が集まっている、「大間原発裁判報告会と説明会」があります。
以下、反対運動をしているかたからの、お知らせです。

下北半島大間町で建設途中の大間原発は、
昨年の3月から福島原発事故を受け、工事が中止されています。
いま国と東京電力は、国内の原発が定期点検も含めて、止まってしまうことを恐れています。
新規の原発建設の着工が難しいいま、
なんとしても「工事の再開」というより易い方向で、原発推進の道を開こうとしています。
大間原発建設工事は、昨年2月の時点での、37%強の工事の進捗率で、
このまま工事を止めるために、全国の皆様の注目と支持が待たれます。
このまま、工事再開と定期点検後の再稼動を許すことは
この国の原発政策を許すことです。
福島第一原発がいまだ、4号機のプールのひび割れによる、放射能汚染水の垂れ流しと
原子炉圧力容器、格納容器を破り、
コンクリートを浸潤していると思われる核燃料の存在さえ定かでない現在。
新たに原発を動かしてはなりません。
大間原発はプルトニウムとウランの混合燃料MOX燃料を全炉心に装荷します。
津軽海峡沖の活断層の存在など、原発を建ててはいけないところです。
ぜひ、大間原発を止めて、六ヶ所を止めて、すべての原発を止めましょう。
ぜひみなさま、ご参加ください。
★2月3日 午後6時30分-午後8時
★東京御茶ノ水のYWCAで、「大間原発裁判報告会と説明会」が開かれます。
★報告者:竹田としこ(大間原発訴訟の会・代表)
★報告者:森越清彦弁護士(大間原発訴訟・函館弁護団代表)
★報告者:原子力資料情報室スタッフ予定
★主催:大間原発訴訟の会 (函館市松蔭町1-12 函館YWCA内
電話&FAX 0138-51-9718
mail  ysnt@ms8.ncv.ne.jp
内容など詳しくはメール、電話でお問い合わせください。

2012年1月4日水曜日

1月4日

新しい年を迎えて、4日。
以下のブログをご覧ください。

「このままじゃ年越せない!」福島の女たち 東京電力へ 2011.12.28
www.youtube.com
http://www.youtube.com/watch?v=eN8GRYkBkjA&feature=share

12月28日、このままでは年を越せないとバスを仕立てて、
東電を訪れた福島のひとたち。
30分ほどの内容ですが、東電前(中には入ることができず)で
要望書を読み上げる彼女たちはいま、
このときも福島で新年を迎えています。

最後のほうで、わたしたちへのメッセージもあります。
……1日のうちの、5分でも10分でもわたしたち(福島の)ことを考えてください……と。
原発事故を福島のひとたちだけのテーマにしては決してならない。
「わたしたち」全員のテーマなのだ。
そして、わたしたちの子どもたちの、そのまた子どもたちの、
延々と続く「いのち」のテーマなのだ。

2012年1月3日火曜日

1月2日3日

2日の夜に京都在住の友人から届いたメールがあり、
その内容を確認してからこのブログを書こうとしていたら、
3日になってしまった。
3日の時点で、新聞に報道されている記事
(なぜ大きな記事にならない?)も参考に
このブログを書いている。

福島第一原発4号機の
使用済み核燃料プールの循環冷却用の水が、
隣接する別のプールに流出したとみられるという発表が東京電力からあった。
「1日の14時30分頃にあった地震の影響だとみられている。
タンクの水位は、自然蒸発もあり、通常でも毎時1・7センチさがっているが、
1日の午後2時から5時の間には毎時8センチさがった。」
原因箇所については、調査中のようだ。

京都で暮らす友人からの前掲メールに
以下をチェックするようにとあったので、お知らせを。
① 1月1日の「東京電力からのご連絡」
http://t.co/AH1Qbynn
② 四号機の冷却プールの水位低下
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65783395.html
特に②はご留意を。「スキマージタンク」についての説明もあります。
②では京都大学原子炉実験所の小出裕章さんが、
12月29日の放送で、今もっとも不安なのは地震であると述べている。
小出さんのコメントにもご留意を。

政府の「収束宣言」の影響があるかもしれないし、
年始体制で東電の発表をそのまま報道するしかない時期であるのかもしれないが、
こういうときわたしたちは、唯一マスコミ報道からしか、
それも東京電力発表のまま、報道でしか情報がえられない。
「冷却水 地震で流出?」
今後に注意したい。

元日の、少々長い、震度4の地震が気になっていた。
お正月2日、3日のブログに
こうした事態を書かなくてはならないのが、
原発の事故であり、「収束」などしていないということの、
残酷な逆証でもある。

2012年1月1日日曜日

1月1日

2012年元日が2日に変わる時間に
このメールを書いている。
 
誰かや何かの幸せや充実のために
ほかの誰かや何かが不幸や犠牲に
ならない時代と社会に向けて……。
「わたし」がどう生きるか、を心底考え、
考えたことを実行に移していきたい、と自分と約束する。
 
岩波ジュニア新書に『生きていくための短歌」(南 悟 著)という一冊がある。
昼間に働き、夜に学ぶ定時制神戸工業高校生が詠んだ短歌を集めたものだ。
 
その中に次のような短歌がある。
……若き日は働くばかりで学ばれず還暦過ぎて机に向かう……
                                東 潔
 
この歌を詠まれたかたは、2012年、どんな元日を迎えられているだろう。
 
鎮魂と復興を祈る除夜の鐘を聞いてから24時間。
2012年こそ……と、自分との約束を改めて心に刻む。