2012年3月14日水曜日

3月14日

韓国釜山にある原子力発電所で、電源喪失の事故があったことが、ひと月たってから判明した。
どこの国でも、原発事故の全容は「ただちには」発表しないものであるらしい。
だからこそ風評被害が起きるのだが。

1年と3日がたった、去年の3月11日から。
強引に『収束』させられた第一原発の2号基は? 4号基は、いま?
3月8日付の毎日新聞朝刊、「ザ・特集」には、
沢田研二さんのインタビュー記事が掲載されていた。
いま、何を考えていますか? 
と問う記者・太田亜利佐さん(いい視点の、いい文章をいつも書かれる記者である)に、
沢田研二さんはひとつひとつ丁寧に、しかし気負いのない言葉で答えておられた。

憲法九条を守ろうとの思いを込めた『我が窮状』もそうだったが、
こういったメッセージソングも自分で作詞され、うたう近年の沢田研二さんである。
3月11日に発売されたばかりのCD『3月8日の雲』には、
この国はいったい何を護るのか、バイバイ原発!と繰り返す曲も収録されているそうだ。
(明日、公演の合間に絶対、買いに行く!)

インタビューの中で、彼は次のように答えておられる。
「この年齢になったから、ちゃんと言っていかないと恥ずかしいよね。集会やデモの先頭に立って、ではないけれど」。

太田記者はこのロングインタビューを次のように締めている。
「還暦を過ぎても、タオルを巻いていても、この人はカッコいい。多分、若い頃よりも」と。
現在、新宿紀伊国屋ホールで上演されている『お嬢さんお手上げだ』の稽古場を訪ねてのインタビューである。
タオルとは稽古場で首に巻いていたものだ。
年を重ねれば重ねるほど、自由になっていきたい、とわたしたちは心から願う。
沢田研二さんは,それに成功した、見事なおひとりであるだろう。
京都大学原子炉実験所の小出裕章さんは、沢田さんの『朝焼けへの道』を
上野不忍の池の反原発の集会で、大勢のひとたちとうたったことがあるとおっしゃっていた記憶がある。

すでにご案内したように、小出裕章さんの講演会を4月22日に開催する。
今日午後は、その会場の下見のために、青山学院講堂に行ってきた。
クレヨンハウスからすぐ近くだ。青学には時々行くが、講堂ははじめて。
広ーい。ミサにも使われるようで、重厚!
すでに大勢のかたに予約のお申し込みをいただいているが、会場のキャパは1700人!
青山通りから講堂への道程は? 受付のテーブルは? 照明は? 音声は? スクリーンの高さは? 
と、あれこれ難しい(わたしにとっては)レクチャーを受けたり、準備しなければならないことが。 

青学からクレヨンハウスに戻ったら、3月26日刊行の、
子どもから大人まで、原発と放射能を考える副読本
『原発に反対しながら研究をつづける  小出裕章さんのおはなし』
(小出裕章・監修、野村保子・著)の見本がOH!一冊だけ届いていた。

わたしたちはやがていなくなる。
そのとき、福島第一原発の苛酷事故について、
子どもにも理解できる言葉で事実をありのまま遺しておきたい。
そして、「放射能と共にあるこの社会」で生きていくために何が必要なのかも、
しっかり次世代やそのまた次の世代に遺しておこう……。
そんな思いで、ほぼ1年がかりでつくりあげた本だ。
きっかけは去年の4月、大阪十三で小出さんの講演をうかがったことだった。
小学校5年ぐらいから自分で読める本であると同時に、
大人向けの本を読んだけどなんだか難しくって、と頭を抱える大人にも読んでいただきたい本である。

表紙の小出さんの写真の吹き出しには、小出さんご自身からのメッセージが。
「科学者として みなさんに伝えたいことを
この本にこめました。
本当に大切なものはなんなのか?
自分で考え、自分で決める「ひと」になってください。
わたしもまた、自分で考えながら歩きます」と。