2012年3月12日月曜日

3月12日

昨日の続きで、詩人長田弘さんの『詩ふたつ』を
移動中の車の中で読み返している。
クリムトの画といえば、女性のあの絵がすぐに浮かぶが、
この詩集は、長田さんのリクエストで、植物画だけを集めている。
わたしは知らなかった、クリムトの、もうひとつの世界である。

おさめられたふたつの詩の中のひとつ
『花を持って、会いにゆく』は次のように始まる。

春の日、あなたに会いにゆく。
あなたは、なくなった人である。
どこにもいない人である。

どこにもいない人に会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。

どこにもいない?
違うと、なくなった人は言う。
どこにもいないのではない・

どこにもゆかないのだ。
いつも、ここにいる。
歩くことは、しなくなった。

歩くことをやめて、
はじめて知ったことがある。
歩くことは、ここではないどこかへ、

遠いどこかへ、遠くへ、遠くへ、
どんどんゆくことだと、そう思っていた。
そうでないということに気づいたのは、
死んでからだった。もう、
どこにもゆかないし、
どんな遠くへもゆくことはない。

そうと知ったときに、
じぶんの、いま、いる、
ここが、じぶんのゆきついた、

いちばん遠い場所であることに気づいた。
この世からいちばん遠い場所が、
ほんとうは、この世に

いちばん近い場所だということに。
生きるとは、年をとるということだ。
死んだら、年をとらないのだ。

十歳で死んだ
人生の最初の友人は、
いまでも十歳のままだ。

病いに苦しんで
なくなった母は、
死んで、また元気になった。

死ではなく、その人が
じぶんのなかにのこしていった
たしかな記憶を、わたしは信じる

……まだまだ続く詩ではあるが、特に
上掲の最後の3行を、わたしは
いま抱きしめている。