2012年3月6日火曜日

3月6日

東京は久しぶりに、暖かな一日だった。
春の花がいっせいに咲き出すのではないかと思われる一日。
けれど、気持ちは相変わらず晴れないまま。

友人のジャーナリストから以下のメールが届いた。

福島に来ています。
ある人が教えてくれた県立図書館と県立美術館の間にある公園の中の
素敵なカフェで昼食を取りましたが、
その傍らで工事業者が盛んに芝生と土を掘り返してはトラックに積んでいます。
食事後、現場監督らしい人に声を掛けました。

僕「何の工事ですか?」
監「芝生の張り替え」
僕「放射能の除去のための?」
監「そう、市内のあちこちでやっているヤツと同じ」
僕「作業員の方はマスクさえしていませんね?」
監「マスクなんかしたら眼鏡が曇ってやってらんねえ」
僕「でも健康のためのギアですからした方がいいと思いますが・・・」
監「あのねえ、そんな大した線量じゃないの。大したことないの」
僕「そんなに線量低いなら、やる必要ないじゃないですか?」
監「そんなこと、国と県が決めたことだから・・・
  こんなことやるの最初だけ。やってますよ、って見せるためにやってんだよ」
僕「除染に効果はあると思いますか?」
監「この裏山見なよ。この工事のあとも雪どけでここへ流れてくるんだよ。
  山ごとやれないだろ????」

今週の日曜で、一年を迎える東日本大震災。
福島の現実は無念にも非情にも、変わってはいない。
「あれから1年」の「儀式」が終わったら、どうなるのか。
何度も書いているが、「忘れさせる装置」に自らを明け渡してはならない、と再確認する。