2011年5月31日火曜日

5月31日

福島原発LINKをご覧ください、というお報せ。

28日に一回目を迎えた、原発をもっと知ろう、クレヨンハウスMORNING STUDIES。
1回目の講師に上田昌文さんをお迎えして、大盛況のうちに終了した。
(こういった会が盛況であることを果たして、喜んでいいのかどうかはわからないが)
そのとき、会場からひとりの女性が、息子さんが甲状腺がんになり摘出したこと、
その息子さんが「ぼくのような人間をもう二度とつくらないように、みんなに話してきて」
と言って、送り出してくれたことも、彼女は話してくださった。
息子さんがまだ乳児だった頃、彼女は母乳で息子さんを育てておられた。
その息子さんが甲状腺のがんであることがわかったとき、
医師からは「育児中、ヨーロッパにいましたか?」と訊かれた
ということも彼女は会場で話をしてくれた。

チェルノブイリの原発事故のあと、
ヨーロッパ各地に風にのってホットスポットが出現したことを受けての、
医師の言葉であったのだろう。
しかし、彼女も息子さんも当時もいまも日本で暮らしている。

上田さんからは、チェルノブイリの原発事故のあと、
あの年の5月3日頃がもっとも放射線量が酷かったと、
答えておられたが、原発事故との因果関係は、無念なことに立証することはできない。
司書をされている、このひとりの女性であり、母であるかたの
悲しみと憤りはどれほどのものであろうと考えると、胸が詰まる。息子さんもまた。

そして、2011年、福島第一原発暴走である。
わたしたちは以下の行程をしっかり覚えておかねばならない。
3月11日 19時3分。
政府は、緊急事態宣言を発し、
21時23分に、3キロ圏の避難、10キロ圏の屋内退避を指示。
12日 午前5時44分。避難区域を10キロ圏に拡大。
そうして、それから避難区域は20キロ圏まで拡大され、30キロ圏には屋内退避が指示。
3月25日 政府は30キロ圏の屋内退避指示をした住民に対して「自主避難」勧告。

このブログでもずいぶん前に書いたが、「自主避難」とは、
今後どのようなことがあっても、たとえ健康被害が生じても、国はどんな保障もしない、
「自己責任」で対処するように、という意味の通達である。
そうして、福島の子どもたちへの年間被曝線量20ミリシーベルトと発表。
原子力安全委員会と当局の、「どっちが言った」「こちらは言わない」
といった醜い責任逃れの対立風が続いた。
これも当ブログに記してある。

そうして、ようやく努力目標として1ミリシーベルトとする、
という文部科学大臣の発言はあったが、それにしてもあくまでも努力目標である。

被曝の影響には「しきい値」は存在しない。
被曝には安全値はないにもかかわらず、である。
さらに、20ミリシーベルトが規準になったときも、
そうしていまも、「内部被曝」については曖昧なままだ。

3日前のこのブログに、5月17日に福島飯館村の住民が、
政府と福島県、福島県立医科大学付属病院大学の三者に提出した要望書をご紹介した。
「……とりわけ放射能に対する感受性が高い子どもたちが、
このニヶ月間に受けた体内被曝量が、事実として、いかほどであるかを正しく測定し、評価し、
記録しておくことは、今後の私たち村民の健康管理にとって必要不可欠」と考えてのことである。

内部被曝、ホールボディカウンターによる体内放射能測定に関する要望書である。
そこには、一週間以内に文書で回答をと記されているが(5月29日のブログ、参照)。
その後が気になって、当事者のおひとりに「福島原発LINK」を教えていただいた。
ここに詳しく記されているので、是非、ご一読を。
http://fgenpatsu.blog55.fc2.com

結果からいうと、要望書で区切った回答期限が過ぎた26日夜に、
福島県立医科大学から「検討中」という電話連絡があったという。
来週ぐらいには回答するということらしいが、これはやはり事実上の回答保留と考えざるを得ない。
さらに驚愕と憤りを覚えるのは、政府と県からは未だ無回答、という事実だ。
「無回答」!!!!である。

すでにご存知と思うが、被曝には外部被曝と内部被曝があり、
園や校庭の土を削りとる作業にも取り組んでいるが、
内部被曝はホールボデイカウンターでの調査が必要であり、
いずれの場合も成人より子どもの被曝の感受性ははるかに高い。
それゆえに、要望書は提出されたのだ。
にもかかわらず、「無回答」とは信じられない対応だ。
飯館村は原発暴走の後もかなり放置されていたところであり、
さらにその住民たちの切なる願いまで、この国は放置するというのか。
ホールボディカウンターによる内部被曝調査は、いま現在の内部被曝を測定するだけではなく、
将来起こり得る健康被害(決して起きてはほしくはないが)について、
原発事故との因果関係を証明するためにも不可欠な立証資料でもある。

それらの要望に対して「無回答」とは、どういうことなのか。
子どもたちのいのちと、国の財政や東電が秤にかけられ、
後者を選ぶための、「無回答」なのか。
またもやこの国は「自己責任」と逃げるのか。
最初に「自己責任」を流布したのは、自民党政権だった。
政権が変わっても、「民のいのち」は、こんな風に棄てられるのか。
ワープロを打つ指先の震えが止まらない。

「福島原子力発電所事故対策統合本部本部長 菅直人様」宛ての、
この要望書に、住民の叫びに、菅さん、あなたは応えないのか。
薬害エイズの被害者の前で流したあなたの涙は、一体なんだったのか。

要望書のこのフレーズを、あなたはどう読むのか。
「………私たち村民のほとんどが、子どもたちを含め、『放射能の雲』が村に流れていた3月15日には、
空間線量率が40マイクロシーベルト/時に達したことも知らないまま、
マスクなどの防護もせずに屋外での活動を続けておりました。
大人たちは他の地区からの避難者の受け入れに奔走していました。
その後も、飯館村には国から『屋内退避』の指示が出されることもなく二ヶ月が過ぎました。
またチェルノブイリ原発事故によるベラルーシ共和国の汚染地域では、
飯館村の汚染レベルより低いレベルの汚染地域でも、政府の政策として、
地区の中央病院に設置されたホールボデイカウンターで、毎年の検診時に、
住民の体内放射物質(セシウム137)の測定が行われ、
住民への健康・生活指導がなされていると聞いております。
以上のような趣旨から、飯館村の村民に対してホールボディカウンターによる測定を行うことをお願い致します。
また、その際には測定結果(核種と量)を正確に記載した記録を本人に手渡して
被曝評価などの説明が必ずなされるようお願い致します」

ヨウ素131など、半減期が短い核種は、すでに測定はできないだろうが、セシウム134や137は測定可能だ。
なにをためらう。なんのための無回答なのか。

詳しくは「福島原発LINK」をご覧ください。

2011年5月30日月曜日

5月30日

緊急増刊『朝日ジャーナル』、「原発と人間」は、とても心に響く一冊である。心にすとんと落ちる、とも言える。
それぞれの執筆者は数値やデーターや表を駆使しながら、
原発の「いま」と、これからわたしたちが向かうべき未来について描いておられる。
が、多くのテレビの情報番組の中での解説のように、数値だけがひとり歩きして宙に浮かず、しっかりと心に根づく理由は、それぞれの執筆者ご自身の、確かな生きる姿勢がそこにあるからだろう。
重ねてきた人間としてのキャリア、こうありたいと願い、こう生きてきた「自分」、そして他者とのゆるぎない関係性が、それぞれの執筆者が紡ぎだされる言葉の背景と土台にあるからだろう。
失礼なものいいになるのではないかと不安だが、それぞれの執筆者の、人としての品性、DIGNITYのようなものさえ感じる文章である。そこにあるのは、垂れ流される「情報」ではなく、確かな「哲学」である。

この社会とこの時代に必要なのは、もしそう呼んでよければ、「哲学」ではないかと常々考えてきた。哲学者のための哲学ではなく、机上のレトリックでもなく、生きる上の根っこのような哲学である。
哲学者・高橋哲哉さんは「原発という犠牲のシステム」というタイトルで寄稿されている。
その中に次のようなフレーズがある。全文を読まれることをぜひお薦めするが。
……少なくとも言えるのは、原発が犠牲のシステムである、ということである。(中略)犠牲のシステムでは、或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、健康、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには、生み出されないし、維持されない……。その後に続く、「無責任の体系」(丸山眞男さんいうところの)の記述も心にしみる。
高橋さんは次のようなフレーズで原稿を終えられている。
……問題は、しかし、誰が犠牲になるのか、ということではない。犠牲のシステムそのものをやめること、これが肝心である。

原発だけではない。誰かが誰かの、誰かが何かの犠牲の上に成り立つシステムを抱えこんだ社会(大小さまざまなこのシステムが重なり合い、絡み合った社会にわたしたちは生きている)は、そこに暮らす人間は決して、幸せにはしない。欲望に支配され、欲望に所有されたものが牛耳るこの社会とこの時代の、最も醜悪で酸鼻な「いのち」と生きる権利への侵害が、今回の原発暴走だと言える。
収束など果たしてくるのかと考えさせられる福島第一原発の暴走以降、今も尚、「捨て場のない」、「どこにも持っていけない」核のゴミをつくり続けている、わたしたちがいまここにいるのだ。

最近声をあげて笑ったのは、いつのことだったろう。

2011年5月29日日曜日

5月29日

今日は朝から名古屋へ。
週刊朝日緊急増刊の『朝日ジャーナル』をしっかり持って新幹線へ。
「原発と人間」という通しタイトルがついた特集号だ。
10代から20代の頃、『朝日ジャーナル』をしっかり持って、集会に出ていた頃を思い出す。
すべてを読み解くことはできないうちに次号が発売、の繰り返しだったが。

昨夜、年若い友人から、以下のメールが入ったので、ご紹介する。
緊急のメールなので、ご一読、納得されたらアクションを!
よろしくお願いいたします。

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*内部被ばくの調査を求める飯舘村住民の要望書に対し、政府、福島県、福島県立医科大学・附属病院は、すべて無回答で対応


5月17日付けで飯舘村住民が出していた
「ホールボディカウンターによる体内放射能測定に関する要望書」に対し、
要望の回答期限が過ぎた26日午前現在、政府、福島県、福島県立医科大学・附属病院はいずれも無回答であることがわかりました。
飯館村住民でつくる村民団体「負げねど飯館!」は、村民の内部被ばく調査の
実施を求めて、政府、福島県、福島県立医科大学・附属病院宛に要望書を提出していました。

要望書は、内部被ばくが時間の経過とともに測定困難となる性質をふまえ、
一週間以内の早期の回答を求めてきました。

しかし、要望書の提出から一週間以上がたった本日26日午前、
「負げねど飯館!」の愛澤卓見氏に電話で確認したところ、
いずれの提出先からも回答が得られていない事実が明らかとなりました。
事実上、飯館村住民の要望は、日本政府、福島県、
福島県立医科大学・附属病院のすべてから無視されている状況です。

飯舘村で観測される高い放射線量と、
事故以来そこで生活しつづけてきた飯舘村住民の不安を考え合わせると、
この行政側の「無回答」という対応はあまりに残酷なものです。

さらにこの内部被ばくの調査は、村民の不安に応えるというだけでなく、
将来起こりうる健康被害において原発事故との因果関係を立証するために必要不可欠な資料となります。
政府、福島県、福島県立医科大学・附属病院には、
飯館村住民の切実な想いに応える誠実な対応を求めたいです。
飯舘村の人々に思いを馳せる方は、ぜひ各方面における働きかけをお願いします。
またツイッターやメール、ブログなどで
この「無回答」という事実を広めて下さるようお願い致します。

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*ホールボディカウンターによる体内放射能測定に関する要望書*

福島原子力発電所事故対策統合本部本部長 内閣総理大臣 菅直人 様

東日本大震災及び福島第一原発事故の災害対策へのご尽力に、心から敬意を表します。
ご承知のとおり、この度の大震災により福島第一原発は深刻な損傷を受けました。
炉心溶融と水素爆発等に伴い、チェルノブイリ原発事故の10分の1にも相当する量の放射性物質がすでに放出され、国際的な評価尺度でも「レベル7」の重大事故であることが公に確認されています。
そして事故を起こした複数の原発は、未だに事態の収束メドが立たない事態に陥っております。
私たちの住む飯舘村は、この度の原発事故による放射性物質の放出のために高濃度に汚染され、「計画的避難区域」(外部被曝だけでも「事故発生から1年の期間内に積算線量が20ミリシーベルトに達するおそれのある区域」)に指定されました。
私たち村民のほとんどが、子どもたちも含め「放射能の雲」が村に流れてきた3月15日には、空間線量率が40マイクロシーベルト/時に達したことも知らないまま、マスクなどの防護もせずに屋外での活動を続けておりました。
大人たちは他の地区からの避難者の受け入れに奔走していました。
その後も、飯舘村には国から「屋内退避」の指示が出されることもなく二ヶ月が過ぎました。
このような中で、私たち村民は地上に降った放射性物質からのガンマ線による外部被曝だけでなく、この二ヶ月の間の呼吸や飲食によって体内に取り込まれた放射性物質による内部被曝の両方による被曝をしていると考えます。
外部被曝については、公表されているモニタリングの空間線量や村や個人が所有する線量計での測定値から、ある程度推定することも可能です。
しかし、内部被曝については村や個人の努力では測定も評価もできません。
私たち村民、とりわけ放射線に対する感受性の高い子どもたちが、この二ヶ月間に受けた体内被曝量が、事実として、いかほどであるかを正しく測定し、評価し、記録しておくことは、今後の私たち村民の健康管理にとって必要不可欠だと考えます。
また、チェルノブイリ原発事故によるベラルーシ共和国の汚染地域では、飯舘村の汚染レベルよりも低いレベル(37,000ベクレル/平方メートル以上)の汚染地域でも、政府の政策として、地区の中央病院に設置されたホールボディカウンターで、毎年の検診時に、住民の体内放射性物質(セシウム137)の測定が行われ、住民への健康・生活指導がなされていると聞いております。

以上のような趣旨から、飯館村の村民に対してホールボディカウンターによる測定を行うことをお願い致します。
また、その際には測定結果(核種と量)を正確に記載した記録を本人に手渡して
被曝評価などの説明が必ずなされるようお願い致します。
事故後二ヶ月が経過した今では、ヨウ素131など、半減期の短い核種については、すでに測定できないだろうとのことは承知しております。しかし、比較的 (物理学的)半減期の長いセシウム134 (2.5年)とセシウム137(30年)は、生物学的半減期(大人:50-150日、子ども:44日)を考慮してもまだ測定可能です。
特に避難が始まるまでのこの二ヶ月間の内部被曝を評価するには早急に測定を行う必要があると考えます。
この要望へのご回答は、一週間以内に下記に文書にて送付下さいますようお願い致します。

2011年5月17日

愛する飯舘村を還せプロジェクト「負げねど飯舘!」(仮)
「代表常任理事 大井利裕
連絡先 愛澤卓見
住所:福島県相馬郡飯舘村飯樋字笠石25
電話:090‐9633‐4149
Fax:0244‐43‐2807」

ホールボディカウンターによる体内放射能測定に関する要望書
【内閣総理大臣宛】
http://fgenpatsu.up.seesaa.net/image/20110517_01.jpg
【福島県知事宛】
http://fgenpatsu.up.seesaa.net/image/20110517_02.jpg
【福島県立医科大学学長・付属病院長宛】
http://fgenpatsu.up.seesaa.net/image/20110517_03.jpg

愛する飯舘村を還せプロジェクト
「負げねど飯舘!」(仮)のホームページ
http://space.geocities.jp/iitate0311/index.html

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2011年5月28日土曜日

5月28日

クレヨンハウスの若いスタッフの声で実現の
一歩を踏み出した『原発とエネルギーを学ぶ朝の教室」。
今朝からスタートした。

一回目の講師は、市民科学研究室主宰・上田昌文さん。
一貫して市民の視座から、暮らしと科学と社会を検証されてきた
上田さんのテーマは「原子力と原発きほんのき」。

様々な情報の中で、なにを信じていいのか、
福島第一原発はいまどうなっているのか、これからは? 
をプロジェクターを使いながらわかりやすく説明していただいた。

沖縄に台風が接近して雨がちの土曜日の朝。
9時スタートの講座に、早い受講生は8時頃にすでにお見えなっていた。

上田さんのお話の後、会場からは、さまざまな質問が。
チェルノブイリの原発事故当時、
東京で母乳で子育てをされていたひとりの女性からの質問が。
………当時生まれて間もない男の子を母乳で育てていた。
その息子が甲状腺がんになった。
医師たちからは、
「当時ヨーロッパにいたんですか?」
と訊かれたが、当時は東京で暮らしていた。
因果関係を解き明かすことは不可能かもしれないが、
「息子がぼくのような子どもを二度とつくらないために
参加して、と言っておりましので」……。
上田さんからはチェルノブイリ原発事故後、東京でもっとも
放射線量が強かったあの年の5月3日を例にあげ、説明。
因果関係を証明することは叶わないが、と。

その他、お子さんが保育園に通う若い保護者や
教育関係者からのもろもろの質問も。
受講生同士が互いの情報をもちより、共有する姿もあって、
全体像を把握するための一回目が無事終了。
二回目からは食べ物と放射能、といったように
より専門的なテーマになる予定です。

PS.上田さんたちが刊行される報告集、
『原爆調査の歴史を問い直す』(NPO法人市民科学研究室/刊)は、
6月の初めに、クレヨンハウスにも並びます。

2011年5月27日金曜日

5月27日

今日が何月で何日なのか……。時々、わからなくなる。
どこかで上の空なわたしがいる。 
そういえば中学時代、上の空を英語で「absence of mind」
というのだと習った記憶がある。
まさに、そんな感じの「mind」が続いている。
一方に、全身全霊でとてつもない集中力を要することがあり、自分の日常と感情生活のほとんどがその一点に向かっているせいか、ほかは奇妙なabsentが続いている。

こういったときこそむしろ、ささやかで微妙な感情の揺れに丁寧につきあい、
季節の花と深く向かい合い、旬の食材を使ったシンプルな料理を作り
(旬の食材などは、あれこれ手を加えず、シンプルなほうがはるかにうまい)
そしてゆっくりと味わい、といきたいものだが。
それらが、だいじなことだと充分に知ってはいるのだが……。
目を通さなければならない資料や本が次々にあり、なんだかとても心せかされ、
そして一日の終わりにはなぜかぐったりしてしまうのだ。こんなことではいけないのだが。

暮らしの基本を何よりも尊ぶことが、荒々しくも前のめりで大きな「声」や「存在」に抵抗する、わたしたち市民のもっとも平和な「闘いかた」だと思うのだが。
相手と同じペースや声音になったら無意味だと考えるのだが……。
どうしても焦ってしまう。いや、いや、これではいけない。

旬のそら豆を茹でてみた。きれいな翡翠色が目に染みる。
……老いてみな花のごとしや豆の飯
わたしと同じ終戦の年に生まれた唐 振昌さんというかたの句集『陶枕』(花神社)に見つけた句である。
かの地のお年よりはどうしておられるだろう。
仮設住宅に出入りするときの入り口の段差が気になる。
トイレを使うために上らなくてはならない段差もまた。

28日。台風が接近しているというが、「原発とエネルギーを学ぶ朝の教室」の第一回目。
講師は「市民科学研究室主宰」の上田昌文さん。
参加を希望される大勢のかたがたからご予約をいただいている。

6月11日。「食べものと放射能のはなし」で講師をお願いした安田節子さんからまわってきた5月12日のメールは……。
「以下のHPを見つけました。せっかくの税金を使って、
ある意味ではこんなに素晴らしい環境パラメーターシリーズを
刊行しているのにもかかわらず、今回の福島原発の過酷な
事故後にさっぱりいかされてないのは、どうしてでしょう。
(略)いずれにしても、食物から入る核種による内部被曝を
考えるときに、種々の点でそれなりに利用できることが
多々ありそうです」
http://www.rwmc.or.jp/library/other/kankyo/
旧原子力環境整備センター(現原子力環境整備促進・資金管理センター)の紹介がある。

2011年5月26日木曜日

5月26日

炉心溶融が明らかになっても、
収束の日程に今のところは変化なし、の政府である。

政府の発表に納得いかない家族は、福島から子どもをつれて「疎開」をしている。
が、疎開も叶わず、今日も福島で暮らしている家族のほうが圧倒的に多い。
これらの現実は、たとえどんなにハードな現実であっても、
正しい情報を知りたいと願う「すべてのわたしたち」と
福島の子どもへの決して許容できない人権侵害であり、
存在への「虐待」ではないか。

ここにきて、政府は何をためらう。
首相は何を惜しむ。
ひとに惜しむものがあるとすれば、
次世代、そのまた次世代のいのちであり、安全ではないか。
それを後回しする政治家に
子どもたちのいのちを任せるわけにはいかない。
海外では、どれほどのメディアが今回の規準「20ミリシーベルト」を
非難しているか、彼らは知っているのだろうか。
高木文部科学大臣は、現実を把握する力が欠如しているのか。

今朝、クレヨンハウスに次のようなメールが入っていたので、お報せを。
「チェルノブイリでは炉心溶融でストロンチウムまで大量放出、福島でも、それに近い状態?」とある。

ストロンチウム90は過去の事例から遠くへは飛ばないと言われていますが、
下記ブログで示したように過去の核実験では
セシウム137:ストロンチウム90が1:0.7の割合で日本に降下しています。

ブログも更新していますのでご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/soil_niigata/e/92b1420cee04a267cf8076e8d4f383a7

2011年5月25日水曜日

5月25日

結局、また徹夜をしてしまった。
今日は授業があるから寝ておかなくては、と思っていたのだが。
長い間、書店から消えていた堀江邦夫さんの『原発ジプシー』
(現代書館)の増補改訂版が刊行された。
「被曝下請け労働者の記録」というサブタイトルは、本書が
はじめて刊行されたおよそ30年ほど前、表紙に記されて
いたかどうか記憶にはない。
いま改めて読んでも、あらたなる憤怒と哀しささえ覚える告発の書である。
憤怒は、ひとのいのちに対する、ひとかけらの畏怖の念も
欠如した原子力行政や当局へのそれであり、哀しみは、そうと知りながらも、
働かざるを得ない人々への現実から生まれる。
その現実の下で、わたしたちはつい最近まで煌々と電気を灯し続けてきたのだ。

「最終章」に著者が記しているように、電力会社社員と、非社員
(サブタイトルにある「下請け労働者」)の被曝量の相違(2008年度)には、
改めて驚かされる。電力会社社員の被曝量は、「全体のわずか3パーセント
程度。つまり、原発内の放射線下の作業のそのほとんどは、『非社員』=下請け労働者たちに委ねられている事実。そしてさらに付け加えるなら、わたしが働いていた当時にくらべ、電力会社社員の被ばく量だけは着実に減少しているという事実………」。
添えられた図からも一目瞭然である。
さらに最終章には、次のような記述もある。
「………身元の不確かな者たちが原発で大勢働いている、という話がひろまっていたことへの電力会社の対策の一環ともいわれ、最近では原発周辺地域住民のなかから労働者を募集することが増えている。
このことからすると、各地の原発を渡り歩く日雇い労働者のその存在は
もとより、『原発ジプシー』ということば自体、やがて近い将来消え去って
しまうかもしれない。ならばなおのこと、1970~80年代という時代の
なかで懸命に生き働き続けてきた『原発ジプシー』たちの存在を、あるがままに
きちんと記録しておく必要が………」。
著者は、美浜から福島第一、そして敦賀原発でも働いた。

敦賀で働いた最後の日の記述を紹介しよう。
………午後一時から、ホールボディ。私より前に来ていた中年の労働者が、
係員になにやら尋ねている。どうやら彼も今日、退域するらしい。
「いや、あんた、一二〇〇ぐらいたいしたことありませんよ。サウナにでも入れば、毛穴に入っている放射能はみんな落ちてしまいますよ」と係員。
中年労働者は、「そんなもんですかねえ………」と半信半疑の口調でそう言うと、部屋を出ていった。
この二人が話し合っているとき、なにげなく係員の前の机に目をやった。
測定結果を記録した台帳が開いてあった。外人の名前が二人並んでいる。
両者とも「正味係数」欄には、二〇〇〇前後の値が書いてあった………。
そうして、著者本人のである。
………敦賀原発入域時(三月二十六日)の「正味係数」は、ニ四二。すると、
わずか一カ月弱で六八ニカウントもの放射性物質を体内に取りこんだことに
なる。六八二カウント………この"数値"は、私の将来にどのような影響を
及ぼすのだろうか………。

福島第一原発でも、本書に記述されているようなことが繰り返されていないか。
「改善されている」と当局は言うかもしれない。
しかし、原子炉建屋の中で作業に従事する人たちは、室温40度、湿度99パーセントの異様としかいえない環境にいる。ロボットさえ、先に進むことを諦めた、異常な環境だ。
この国は「円高」でありながら、「人間安」だと言われた時代があったが、
その日々は終わらず、いまもって続いているのでは。
危険きわまりない、劣悪な環境で働くのは、
いつだって非正規の労働者であるのだ。
わたしたちは彼らの健康被害の上に、電気を使ってきた。世界で名だたる
高い電気を。「トイレのないマンション」より劣悪な、最終の核のゴミをどこにも
持ってきようのない、原発の電気を。

こうしている間にも、核のゴミは作られつづけている。こうしている間にも、
作業をされているひとたちは、このうえなく酸鼻な環境の中で、被曝している。

2011年5月24日火曜日

5月24日

SPEEDI(スピーディ、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)
については、以前にも書いた。
巨額を投じながら、なぜわたしたちに予測図を発表しないのか。
なぜ隠しつづけるのか。隠さなければならない根拠はどこに、何にあるのか、と。
「こんなこと」は起きてはならないのだが、「こんなとき」の「こんなこと」のために、それはあるのではないか、と。

SPEEDIの予測は、ようやく今月になってからかなりが公開されるようになったが、それにしても奇怪なのは、原子力安全委員会による発表が、今でも一日遅れであることだ。一日遅れの「予測」である。それは「予測」ではないだろう。
事故直後にSPEEDIの予測が発表されていれば、先月も半ばを過ぎてから「計画的避難区域」とされたところの住民は、もっと早くに避難できたはずだし、少なくとも自分たちが置かれている現状について考え、選択決定する余裕はあったはずだ。

「………原子炉内の高線量区域に相当する値なのに、地元の人は何も知らずに暮らしていた。放射能汚染に対する準備はゼロだった」(東京新聞 5月24日『こちら特報部』。京都大学原子炉実験所・今中哲二助教のコメントより)。
本当に酷い。酷すぎる事実だ。
こういった隠蔽に対して、何が、とか、どこが具体的には指摘できなくとも、多くの市民は、この情報隠しをすでに知っている。
悲しく無念なことなのだが、何か、どこかで「隠しているはずだ」と。だからこそ、「風評被害」が起きるのだ。
テレビカメラの前で何を食べてみせたところで、「あなた」たちの不誠実な姿勢が風評被害を産んでいるのだ、と自覚すべきだ。
せめて、せめて、それくらいの誠実さを持ち合わせてみたら、どうだ。

それでは、自民党が現政権だったら、と考えてみる。彼らはどうしただろう。
住民のいのちと暮らす権利に関して、もっと真摯だったろうか。
情報を誠実に発表しただろうか。何かを隠したりしなかったか。
そう考えると、自民のほうが「まし」とも思えない。

それでは、どの政権だったら? どの政党だったら? わたしは、……既成のどの政党も心底、信頼と共感を抱けないでいる。こっちよりあっちのほうが、少しは信頼できる、といった程度ではないか、という実に惨めな結論に達してしまう。それがわたしだけのペシミズムであるなら、いいのだが。

原子力行政というのは、何もかも隠さないとスタートできなかったのだ。スタートしてからも、何もかも隠さないと続けられなかったのだ。そして、こんな事故が起きてさえ、いまもって隠し続けているのだ。

昨日も、福島の住民たちが校庭の線量上限「20ミリシーベルト」撤回を求め、文部科学省を訪れた。大臣との面談は実現しなかった。
そして、福島第一原発の1・2号機は、従来言われてきた大津波が到達する以前、地震で冷却に必要な水配管が損傷していた事実が、東電の公表資料から判明。
「大津波」を理由とすることに、わたしは以前から懐疑的だった。地震から目を逸らすことに役立つからだ。
しかし、大津波以前から冷却機能に損傷があったとしたら、そしてそれが暴走の第一次の理由だとしたら、どんなに堅牢な防潮堤をつくったところで、大した意味はないといえないか。
いったんは停止となった浜岡原発(防潮堤ができたら再開と首相明言)も、いや、この地震列島の上にある、原発すべて、がである。
それらをオブラートに包み込むために、「大津波」原因説が主流になっていたのではないかと、悲しいことに、ここでも懐疑的にならざるを得ないわたしがいる。
この国の、この対応をみていると、である。
国会議事堂の堅牢な「建屋」の中で、一体、あなたたちは何を守ろうとしているのだ。
うんざりだ。

2011年5月23日月曜日

5月23日

2日間、東京を離れると、いろいろと仕事がたまってしまう。
それでも原稿を書きながら国会中継を聞いていた。
「衆議院東日本大震災復興特別委員会質疑」である。

質問する側は相手の瑕疵を言い募り、
問われる側はなんだか曖昧な言葉で蓋をする………。
そんな風にしか思えない時間だった。
互いが党利党略を超えて、東日本で被災されたひとたちのことを、
そして収束が見えない福島第一原発について語り合い、
なんとかよりよい方向へというのが、
この国が「いま」必要とされている姿勢であるだろう。

質問をしている野党第一党は、長年にわたって原発の推進を
してきた側である。
そのことにして、自分たちはどう思うのか。
そのことをわたしたちは訊きたい。
問われる民主は、現在の原発について今後のこの国のエネルギーシフトについて、もっと明快に答えてはどうか。

23日の朝日新聞の朝刊、「声」欄に掲載された二つの投書が印象的だった。
ひとつはチェルノブイリ原発事故当時、ドイツ、フランクフルトで仕事をしていたという男性らの投書である。
事故当初、フィンランドやスウェーデンに向かって吹いていた風の向きが一変し、チェルブイリから15000キロも離れたフランクフルトに方向へ吹き始めたときの、ドイツ政府の対応について、投書者は書いておられる。すぐに住居地域の緊急告知で自宅待機を促され、学校も職場も休みとなった、と。25年前のドイツ政府の対応は、福島第一原発暴走のそれ(言うまでもなく、現在進行形であるが)、「情報公開の素早さと正確性」に格段の差があった、と。

なにかというと、「風評被害」が問題になる。
が、「風評」を生産しているのは、政府をはじめとする当局の、
情報「非」公開、あるいは「一部」公開、「過小」公開にある。

野菜や茶葉の生産者や、漁業従事者など、
堅実に第一次産業と取り組んできたひとびとにとっても、
動きのとれない苦しみを与えているのは、一体、だれなのか。
パフォーマンスでそれらを食するのを見せられるのも、ごめんだし。

同じ「声」欄、隣のスペースには子どもの被曝を怖れる福島の女性の投書が載っている。
「国によると、この地域の放射線量は大丈夫とのことですが、
専門家である内閣参与が辞任した際の記者会見での発言を聞くと、政府の情報を信じていいのかわかりません」。
これらの「声」が、政治家にはどのように届いているのだろう。

2011年5月22日日曜日

5月22日

今日は関西でのシンポジウム。
昨日に続いて旅空の下、である。
クレヨンハウス東京の女性の本のフロア(むろん男性も大歓迎)に揃えた本を昨日はご紹介したので、今日は一階の子どもの本のフロアの本をご紹介する。
昨日、記したように、原発についての言及は、
旅先では急な変化に対応した文章に変えることが難しいので。

子どもの本のフロアは、窓側のカウンターと、フロアの真ん中に、
「坐り読み用」のテーブルを設置している。
ご関心のあるかたは、是非、「坐り読み」を。
すんなり入っていける本から読み始めるのが、大事だと思う。

以下、子どもの本のフロアで特集している原発に関する本のリストです。
子どもの本売り場 原発関連書籍

2011年5月21日土曜日

5月21日

本日は終日、長崎だ。
昨日のブログにも書いたように、1945年8月9日に原爆を投下されたところである。
編集委員をつとめる「週刊金曜日」の読者のかたがたを軸にした集まりである。
同じく編集委員の佐高信さんは昨日から長崎入りをされているそうだ。
わたしは一日送れての合流だが、テーマはやはりこの大震災と原発暴走になりそうだ。

東京は離れているときのこのブログの原稿には、正直逡巡する。
都内や近県にいるなら、何らかの変化(主に原発の)にも対応できるが、
遠く離れてしまうと、その変化にも対応できない。そこで今日は、
クレヨンハウス東京店の三階、ミズ・クレヨンハウスが3月のあの
日から揃えた原発についてもっと知るための、書籍を列記する。
何事も、悪しき変化は起きないように、と祈りつつ。

まず、リストには入っていないが、今週半ばに入荷予定の書籍をご紹介する。
30年前、わたし自身が読んで、とてもショックを受けた本だ。
原発のまさにただなかで働く人々の「現実」を自らもその職について体験した堀江邦夫さん。
待ちわびたこの本が増補改訂版として再び、わたしたちの手元に届くようになった。
是非、ご一読を。

もとの本が発行された当時、わたしは私設宣伝係として、この本をお薦め2回した。
当時は「下請け」と呼ばれた作業に従事されているかたがたの現実は、「協力会社」と名称は変わっても、福島第一原発でも繰り返されているに違いない。是非、ご一読を。
「原発ジプシー増補改訂版」堀江邦夫/著、現代書館/刊
また、関連書籍で、講談社から、現代書館のダイジェスト版のようなものが刊行される。
文庫「原発労働記」堀江邦夫/著、講談社/刊

>ミズ・クレヨンハウスの原子力関連所蔵書籍一覧

2011年5月20日金曜日

5月20日

某省から、広報の出演を依頼された。
意味がわからず、どんなことを期待されているのか、訊いてみた。
と、たとえば風評被害に気をつけるとか、そういった呼びかけを
先方は期待されていることがわかった。

確かに風評被害で辛い思いをしている農業従事者や漁業従事者はいる。
しかし、なぜ風評被害が起きるのか。
問題は、わたしたち市民が正確な情報を手にできているか、
正確な情報の発表がされているのか、
当局に対する不信感が大元にあるからではないか。

原発の事故に関しては、情報隠しや、当局の「過小評価」が、あまりにも多かった。
だから、みな不安になり、風評に足を掬われるのだ。
風評被害を気をつけよう、と呼びかける前に、
風評の原因を糾すことが基本であると思うし、
わたしはそうとしか言えない、とお断りをした。

この企画を考えた省庁のひとたちも、本当に心からそう思い、
風評による被害をなくそうと思ってのことかもしれない。
しかし、なあ。
どれほどの市民が不安に怯えているか。
真実を知らされていないのではないかと疑心暗鬼になっているか、
大元はそのままにして注意を喚起する感覚は、
申し訳ないが、わたしには理解できない。

福島の親たちや教師たちが何をおそれているのか。
このブログでも何度も繰り返しているが、
子どもの年間被曝許容量を20ミリシーベルトとする文部科学省規準に、
福島の大人たちは不信感をもっている。
わたしも同感だ。
成人に比して、子どもの放射能の感受性は五倍だと言われる。
さらに、この基準の緩さに対して異議の声があがると、文部科学省も、
内閣府の原子力安全委員会も互いに責任を押し付け合うばかりで、
これも以前、書いたが、決定過程への議事録も残っていないというありさまだ。

五月の連休後、校庭の土の表面を削った自治体もあったが、放射能を計測する計器の確保さえ充分ではないと言われている。
福島市内で、
「健康被害はない。放射能の影響はニコニコ笑っている人にはきません」
と講演してまわっている専門家がいる。
真実であるなら、わたしたちは泣きながらニコニコ笑ってやる。
この専門家は、広島、長崎で原爆被曝をしたかたがたの前で、そう断言してみるがいい。
「ニコニコ笑っている人には放射能の影響はきません」と。
笑っていたものも不機嫌だったものも、みな、
1945年8月6日と9日に被曝しているのだ。
もっとも、この「専門家」は長崎の大学のひとだが。
あまりにもばかにしたもの言いではないか。

今日の東京新聞「こちら特報部」の特集は、まさに「子ども守れぬ」という大きな見出しで、この年間被曝許容量20ミリシーベルトについて、特集している。
以前から「こちら特報部」の特集の愛読者だったが、
原発についての特集はいま、最も優れていると思う。
クレヨンハウスの「原発とエネルギーを学ぶ朝の教室~Morning study of SilentSpring~」の連続講座にも、
この「こちら特報部」のデスク、田原 牧さん(わたしは、田原さんが書く記事がとても好きだ。確かな市民目線がとても心に響く)を講師としてお迎えすることができた。
詳しい日程は、クレヨンハウスのホームページを。

2011年5月19日木曜日

5月19日

一体、これはどういうことだろう?

17日、ソウル市内であった講演で、劇作家で内閣官房参与でもある
平田オリザさんが、次のような発言をしたという。
東京電力が福島第一原発から放射能汚染水を海に棄てたのは、
「アメリカからの要請であった」と。
首相補佐官の細野豪志議員は本人の勘違いだと言っているが………。
鳩山首相の所信表明の原稿作りにもかかわった平田さん。勘違いで、
そんなことを言うかなあ。

浜岡原発を菅首相が停止と決めたのも、実はアメリカからの要請ではないかと、
『アエラ』で内田樹さんが書いている。原発はもう推進できないとしたアメリカが、
収束のための機材を「売り」、さらに自然エネルギーのあれこれもという、
販売戦略なのではないか、と。

真偽のほどは知らない。確かなことは、わたしたち市民はいつだって
蚊帳の外だということだけだ。
民主主義って、なんだっけ?

今日は大学での授業だった。
女子大なのだが、あるクラスで、女の子が涙ぐんでいた。原発の話をしていた
ときだった。祖父とおじさんが福島の警戒区域にいるという。
「不安で、心配で……」と涙ぐむ彼女に、誰も何も言えない。
大人のひとりであることが、情けない。
もうひとり、クレーンの運転をする父親が六月から福島原発に入るという
女の子もいる。母親も彼女も必死に止めているのだが、自分が行かなければ
ほかの誰かが行くことになる、と父親は譲らないという。

緑が生い茂り、風が木の葉を揺するキャンパスで、影だけが深くなる。

2011年5月18日水曜日

5月18日

東京は夕暮れの時間を迎えた。
クレヨンハウスの店頭にはいま、ビオラやパンジー、スウィート
アリッサムなど、春の花が最後の競演のときを迎えている。
小さな蝶々のような形のロベリア(亡くなった母が大好きな花の
ひとつだったが)も、濃い紫、浅い紫、ピンクががった紫と
発光するような眩しい花をつけてくれている。

一見、穏やかな初夏の夕暮れである。
けれど、気持ちは一向に晴れない。見えない恐怖に怯えている。
昨日のブログにも書いたように、福島第一原発、一号機格納容器の
水漏れや、高度汚染水の現状をみると、収束へのゴールはさらに
遠ざかってしまったような。
当初の格納容器を水で満たす「水棺」方式は断念。タービン建て屋に
たまった高濃度の汚染水を浄化し、冷却水に再利用する、いわゆる
循環式を選択するようだ。が、その循環式を確立するにしても、
どれほどの作業が必要であり、どれほどの時を必要とするのか。
そして、どれほどの作業に従事する人々を。

炉心の冷却のために日々500トンの水を注水しているというが、
一号機から四号機のタービン建て屋などには、すでに8万7500トンの
放射能汚染水があるといわれている。六月中を目途に汚染水を浄化。
冷却水として再利用する計画だというが、果たしてシナリオ通りに進むのか。
祈りと憤りが、晴れない心を二分する。

一方、政府と東京電力は避難住民への支援策も17日に発表した。が、
わが家をわが土を、わが郷里を失った漂流感はいかほどのものだろう。
「怒ること自体に疲れました」
そんな住民の声に、喪失の、その深い洞に、誰がどのように応えること
が可能だろう。誰も何も応えられない。
これが、2011年5月の、わたしたちの現実であり、真実でもある。

原発について、もっと知ろう、という土曜の朝の連続勉強会。
参加のお問い合わせが次々に。
詳しくはホームページを。

東京新聞の朝刊の「本音のコラム」でいつも確かな視点のコラムを
書いておられる、作家の鎌田慧さん。彼のコラムの中に
「核燃まいね」という脱核燃の活動を青森で続ける女性のおひとり、
倉坪芳子さんのお名前を見つけた。
「反原発おばさんだけで、あたしの一生が終わるのはいやだ」
20数年前に言っていた彼女は、いまもって核の燃料は要らない、いやだ、
という活動を青森で続けておられるのだ。
当時、女性たちと制作していた「落合恵子のちょっと待ってMONDAY」
という番組に何度も登場していただいた女性だ。
お子さんたちももう、大きくなっておられたことだろう。
地に足つけて、身の丈で、決してひるむことなく活動を続けてきた彼女である。
「そこ」で暮らしながら、「そこ」の多数派といやおうなく対立することへの
苦悩を抱きながら、「そこ」での活動をやめなかった彼女。
お声、聞きたいな。会いたいなあ。
うん、わたしたちも踏ん張っていくよ、倉坪さん。

鎌田慧さんにも前掲の連続講座に講師としておいでいただくようお願いしている。

2011年5月17日火曜日

5月17日

なんて、ことだろう。

福島第一原発の一号機はすでにメルトダウンを起こしていたのだ。
それも、震災発生から間もなく。
3月11日から二か月以上がたって、
はじめてその事実が東京電力から発表されたのだ。

発表が遅くなったのは、なぜなのか。
隠していたのだろうか? あるいは、本当にわからなかったのか。
前者も恐ろしいが、後者は尚のことおそろしい。
前者も当然許容しがたいことだ。しかし、後者の場合は……。
これだけ、すべての人々を恐れさせ、
原発周辺の住人に苦難を押し付けながら、
これだけの原発暴走を、当の東電も、安全神話を垂れ流した専門家も、
本当に誰ひとり把握していない、ということになるのだから。
今更ながら、ひとの力ではハンドリングできないものを、
わたしたちは「国策」として持ってしまったことになる。
2号機、3号機はどうなのか。

現場で作業にあたる男性がひとり、心筋梗塞で亡くなった
というニュースがある。
亡くなった理由については、いろいろ言われているが、
先に亡くなった女性職員と共に、彼も犠牲者のひとりだ。
「協力会社」の名のもとにどれほど多くの、従事者が
いのちをかけた苦闘を続けていることか。

2011年5月16日月曜日

5月16日

きょうは、北陸へ出張。
帰りも遅いので、またまた絵本をご寄贈いただいた方へのお礼の電話が遅れてしまう……。
気になります。ごめんなさい。

ゴールデンウィーク中も、たくさんの絵本が、各地から届きました。ありがとうございました。
お送りいただいた絵本のダンボールが、倉庫で大きな大きな山に。
スタッフ総出で、開梱し、お送りしているところです。
一方で大震災から2ヶ月経って、避難所の様子が変わってきたような。
また福島原発事故の計画的避難区域となって避難されるところも増えてきました。
そのせいか、「○○に子どもたちが○人います。絵本を送って!」と連絡をいただくことが増えてきました。大歓迎です。
もちろん、絵本の送り先のご紹介も大歓迎。

きょうは、一昨日発表の企画、朝の教室“Morning Study of Silent Spring”について改めてお知らせを。

福島第一原発の事故後、クレヨンハウスでは、原子力や原発関連書籍を買い求める方が多く、また、若いスタッフたちからも「あらためて原発のことを勉強したい」という声が上がりました。
チェルノブイリの事故以降に生まれたスタッフもいるのですから。
たしかに、メディアの情報をただ受けているだけでは、未消化です。
そこで、脱原発、自然エネルギーへのシフトを実現していくために、知っておきたいことを学ぶ「朝の教室」をはじめることにしました。

司会はわたし、落合恵子が担当。
講師は毎回幅広いジャンルから。原発の基礎知識から、食のこと、自然エネルギーのこと……幅広いテーマで包括的に学びます。
すでに2回目まで講師が決まっています。

■むずかしい原発問題が「やさしく」わかる連続講座です。
原発の仕組みや実態、問題点などは、なかなかわからないもの。
市民の視点に立つ専門家に、テレビや新聞ではわからない本当のことを
わかりやすく語ってもらいます。
■ 「朝活」としてもおすすめ!
毎回土曜日の9 時から開催予定。
涼しく明るい朝におこなうことで、省エネルギーも目指します。
昨今、流行の「朝活」にもぴったりです。
■クレヨンハウススタッフも一緒に学びます。
お客様とともに考えていきたいとスタッフたちが発案のこの企画。
ご一緒に勉強させていただきます。

【原発とエネルギーを学ぶ朝の教室“Morning Study of Silent Spring”】
・司会/落合恵子(クレヨンハウス主宰)
・場所/クレヨンハウス東京店B1 レストラン「広場」
・参加費/1,000 円(税込)
・申込/要予約 電話03-3406-6465 ミズ・クレヨンハウス(11:00~19:00)
email josei@crayonhouse.co.jp

第1 回「原子力と原発きほんのき」
講師/上田昌文さん(市民科学研究室主宰)
日時/5 月28 日(土)9:00~10:30

第2 回「食べものと放射能のはなし」
講師/安田節子さん(食政策センタービジョン21 代表)
日時/6 月11 日(土)9:00~10:30
★3 回以降、続々企画中。

2011年5月15日日曜日

5月15日

朝日厚生文化事業団主催、「認知症」についてのシンポジウムを終えて、
このブログを書いている。
「住み慣れたところで最期を」というメインタイトルがついていた。
4年前に見送ったわたしの母も、パーキンソン病とアルツハイマー病を併発した認知症だった。

3月11日以降、ずっとわたしの心を離れないのは、何度もこのブログに書いている、原発の暴走による被曝の問題(特に子どもは放射能の感受性が大人の5倍とも言われている)。そして、被災地の介護を必要とするひとたち、認知症のひとたち、この社会が「障がい」と呼ぶものがあるひとたち、定期的なリハビリや人工透析等を必要とするひとたちのこと。言ってみれば、社会的に「声の小さい側」にあるひとたちの存在だ。

介護保険のスタートとほぼ同じ時期に発症した母は、介護士さんたちの助けも借りながら、在宅でおよそ7年の日々を過ごした。
認知症が進むにつれて、母は言葉も失った。
食事も排泄も着替えも、部屋のなかを10センチ移動するだけでも……やがて母は自分の日常のすべてを、他の誰かの手にゆだねるしかなくなった。
何を望み、何を求め、何を拒否しているのか、何を快いと感じ、何を不快とするかも、わたしは、そして介護の手助けをしてくださるひとたちも、母の表情や、いままでの人生のあれこれから推察するしかなかった。そのためにも、推察の、キイパーソンが必要だった。あらゆる意味で、「彼女」が「彼女」でありつづけるために。
どれかひとつが欠けても、「彼女」は「彼女」でありつづけることはできなかったのだから。
娘のわたしが完璧に、そのミッションを遂行できたわけではない。悔いはいまでも山ほどある。
しかしもし母がいま「ここ」にいて、そして、「ここ」が被災地だったら……。
そうして娘であるわたしがいまもって行方不明になっていたら……。
介護士さんも被災されて、通うことができなくなったら……。
そうなったら、どうなるのだろう。想像するだけで、息が詰まる。

住み慣れたところで、と望みながら、見知らぬ病院に「収容」された認知症のひとは、自らの環境の変化に、どのように対応したらいいのだろう。
不安と不穏と不可解な変化に戸惑うばかりではないだろうか。

震災関連死と呼ばれるものが増えているという。

2011年5月14日土曜日

5月14日

大阪で朝を迎える。
昨日は東大阪市で、人権についての講演会があった。
多くのかたに集まっていただき、感謝、感謝。
人権は、いつも磨きをかけておかないとすぐに曇ってしまう
鏡のような存在だ。遠くから仰ぎ見るものでもなく、自らが素手に握るものであるだろう。
自分の人権に対してセンシティブでないと、
自分以外のひとの人権に対しても雑になってしまう。
講演の中でも、原発の事故について言及せざるを得なかった。
これほどの「人権侵害」、いのちへの侵害はないのだから。
東大阪での講演を終えて、十三へ向かう。
学生時代(はるか昔だ)、「関西遠征」(遠征というのも穏やかな呼称ではないが)と称して、同志社や関西学院大学や関西大学、立命大などの学生と
ディベートの試合をしたことがあった。
十三は打ち上げのときに訪れたところでもある。
十三と書いて「じゅうそう」と読むことも、そのときに知った。

その十三の第七藝術劇場で、専門家の立場から一貫して原発の危険性を警告し、脱原発をアピールされてこられた、京都大学原子炉実験所の小出裕章さんの講演があるからだった。
ずっとお話をうかがいたい、と思ってきた。
しかし、チケットはすべて完売。
モニターを通してお聞きする第二会場も、当日券が数枚あるのみ、とのこと。
クレヨンハウス大阪店のスタッフが早朝5時30分から並んでくれて、
ゲットしてくれたチケットである。ありがたい。
大阪店のスタッフは、関西のどこかで土・日にはある小出さんの
講演会に参加するそうだが、わたしは13日を逃すと、ずっと先になってしまうので、少々焦っていた。
小出さんのお話をうかがいたいと思った大元には、福島第一原発の、暴走がある。
そしていまもってゴールの見えない現実に怯えるのと同時に
腹を立てて生きているわたしたちだが、
「もっと知りたい」「正しく知りたい」という思いが強い。

一部は上映会。毎日放送が2008年に制作したドキュメンタリー、
「なぜ警告を続けるのか…京大原子炉実験所・異端の研究者たち」。
このドキュメンタリーの存在もずいぶん前に知って、観たかった。
「熊取(地名)六人組」と呼ばれる小出さんたち研究者の日々を追った作品だ。
「原子力ムラ」に属することを拒否し、原発の危険性について警告を発しつづけた6人の、素晴らしき異端たち。いまは小出さんと今中さんのおふたりしか実験所には残っていない。
「異端」であるために蒙った精神的ハラスメントや研究上の実害などについては、詳しくふれてはおられないが、力学のもとでのそれが、どれほど醜く、どれほど時に屈辱的なものであったかは、ささやかながらメディアの中で「メディアとは寝ない」と決めてそうしつづけてきたわたしにも想像できる。

第二部は小出さんと、プロデューサー・今井一さん、
前掲のドキュメントを制作した津村健夫さんとのティーチインだった。
警告を発しながらも、結局は原発事故が起きてしまった
現実に深い悲しみと悔いを抱いておられる小出さんの講演は、
その言葉のひとつひとつが心に突き刺さった。
安全神話を垂れ流し、ひとたびことが起きれば、今度は「安心神話」で、
真実を隠蔽しようとする御用学者の存在に憤りを覚えながらも、
こうしてブログに書くしかなかったのだが…。
HE IS A TREASURE OF US!である。
同時に小出さんや今中さんや、故・高木仁三郎さんや西尾獏さんや
原発の警告をされ続けてきたかたがたに「頑張ってください」
と下駄を預けるのは、間違いだ。
昨夜の会でも突然指名され、しどろもどろになりつつ会場で申し上げたが、
わたしたちひとりひとりがもっと学び、さらに学び、
人間としても深くなり、警告を発すること、
脱原発を生き方として身に付けられるようになることが、
こころから学者とお呼びしたい方々への、わたしたちからのプレゼントになるだろう。
重たいこと、しんどいこと、危険を伴うことを、誰かさんだけに背負わせてはならない。

そんなことも含め、原発について、放射能について、もっと知ろう、
学ぼうという勉強会、モーニング・スタディを
5月28日からスタートする。
一回目の講師は、「脱原発社会」の理論的リーダーでもあり、
80年代後半、クレヨンハウスが原発について学ぼうという勉強会をはじめたとき、講師をつとめてくださった高木仁三郎さんが創設された「高木学校」の一期生、市民科学研究室主宰・上田昌文さんをお招きする。
詳しくは→ http://www.crayonhouse.co.jp/home/event1105.htm#gen

2011年5月13日金曜日

5月13日

心配なことがある。
たとえば6月頃、梅雨の蒸し暑さが続き、例年ならば、節電を念頭に置きながらも、除湿機やクーラーをつけようかどうか迷う季節だ。

そのとき、「電力不足」がキャンペーンされたとしたら(たぶん、されるだろう)………。
いま、史上最悪といわれる原発暴走を前にして、自然エネルギーへのシフトを考えはじめた多くも、「やっぱり原発は必要」とまでは言い切れなくとも、「必要悪だね」という結論に落ち着いてしまう流れが出てこないだろうか。
いや、そういう流れを作るためのシナリオがすでに作成されつつあるのではないか、という不安がわたしの中にはある。

浜岡に限らず、すべての原発を停止したとしても、電力は不足しないという。
このことをわたしたちはしっかり学びたい。学ぶための書籍も多々ある。
電力不足という意図的「風評」が、いつ、いかなる形でわたしたちをアタックした
としても、わたしたちは慌てず、立ち止まり、その「風評」の源が何なのか、
しっかり考えたい。

ここ数日、全炉停止となった浜岡原発について、このブログにもいろいろ書いているが、
停止はあくまでも一時的なものであり、防潮堤が完成すれば(2、3年後といわれている)、再開させると首相は言っている。再開させた、その2、3年後に「想定外」(こういった言葉自体、アンフェアだが)の大津波や地震が東海地方を襲ったら………。
新しい防潮堤さえ越えてしまう「未曾有」のそれだったら、どうするつもりだろう。
そのときも、「想定外」というのだろうか。
浜岡に限らず、どこで何が起きても不思議ではないといわれる原発を、地震列島にこれだけ抱え、収束のつかない最悪の事故を目に前にしながら、エネルギー政策の転換については触れない政府とは、一体誰のために存在するのだろう。

2011年5月12日木曜日

5月12日

小雨がちな日が続いている。
レインコートを羽織ってちょうどいい気温だ。
被災地の気温は? 気になることばかりだ。

「死者・1万4981人 行方不明・9853人」と今日もまた朝刊が伝えている。
避難をしているひとの数は11万5098人、うち1都6県に1万0691人のかたが避難されている。
同じ朝刊で、11日には福島第一原発3号機の取水口近くの立て坑付近で、高濃度の放射性物質を含んだ汚染水がまた海に流出したことも伝えている。
東京電力の工事で、汚染水はその日のうちに止まったそうだが、一時、近くの海水の汚染濃度は、周辺の1000倍になったという。
また、1号機の原子炉建屋の2階では、毎時1000ミリシーベルトの放射線量を検出したという記事もある。

東京新聞12日付け朝刊「こちら特報部」(頑張っている)では、原発事故による土壌汚染について、アメリカエネルギー省と文部科学省が共同調査をした結果、「計画的避難区域」と定められたところの「外側」(カギカッコは筆者)でも、チェルノブイリの原発事故では避難を指示された水準の、汚染地域があることが判明した、という。
記事の中に、元放射線医学総合研究所主任研究官の崎山比早子さんというかたのコメントも掲載されている。
そのままご紹介しよう。
「チェルノブイリ事故と被ばく状況は問題と思ってきたが、日本政府の対応はそれ以上にひどい。しかも事故は収束しておらず、今後、線量が増える危険がある。少なくとも妊婦や子どもたちを放置していい状態ではない」。
素人であっても、わたしもそう考える。福島では校庭の土の表面を削ったりもしているが、住人の生活圏内すべての土壌を除去することは不可能だ。
最悪の場合を考え手を打つのが基本ではないか。その結果、杞憂に終わった、「心配しすぎたね」と頷きあうことができたなら、それはそれでいい。が、
過少に見積もって、あとで次世代やそのまた次世代に健康被害が及んだとき、それもまた「自己責任」で逃げるというのか。

クレヨンハウスでは、放射能の被害も含め、「原発をもっと知ろう」という学習会を企画しています。ホームページでお報しています。http://www.crayonhouse.co.jp/home/event1105.htm#gen

2011年5月11日水曜日

5月11日

大震災から2か月。

首相要請を受諾して、浜岡原発が全炉停止が決まった。
中部電力が9日の臨時取締役会で、要請を受け入れ、
数日中に静岡県御前崎市にある全炉を、数日中に停止することを決めたからだ。

それでは、中部電力が首相の要請を突っぱねたら、どうなっていたのか? できレースという一部の噂もわからないではない。
そもそも「浜岡は危ない」という声はずっと以前からあった。
しかし、炭鉱のカナリアのように危険性を指摘する声も、今回の福島第一原発の暴走がなければ、ねじ伏せられていたに違いない。

首相は浜岡を「特例」としながらも、自然エネルギーを基幹エネルギーに「加える」と表明した。他の原発に関して見直しはするのか。
浜岡にしても防波堤ができれば、2,3年後には運転再開である。
それも、経産省原子力安全・保安員の評価を得れば、再開スタートであるのだ。
原発を推進してきた「原子力ムラ」は、そのまま残るということか。浜岡だけは一応、「みなさまのお声もあって、止めてみました」ということなのか。このあたりの真意が不明だ。
運転を再開した、たとえば2年後や3年後に東海地震が来ないと、誰が保証できるのだろう。
今回の停止は、東海地震への不安というだけではなく、ある種のガス抜きと、浜岡原発が暴走すると、「首都圏が危ない」という政治的配慮が後押ししただけなのでは?

浜岡が福井であったら、北海道泊であったら、一時停止を選択しただろうか。
一般市民のいのちへ思いを馳せる想像力を、この国に求めることは全く無意味なのか。首都圏に暮らすものと、別のところに暮らすものの、いのちの重さは違うのか。

折りしも昨日10日、いまもって収束のめどがたたない福島第一原子力発電所から半径20キロ以内の、「警戒区域」に住んでいたひとたちの、一時帰宅がはじまった。わが家でありつつ、防護服に身を包み、第一陣として「わが家に」一時帰宅したのは、川内村の54世帯、92人である。わが家でありつつ、わが家ではなくなった、わが家へ、である。
2時間ほど滞在し、必要なものを持ち出したり、片付けをしたというが、一時帰宅は「自己責任」とするような、ただでさえ苦汁に充ちた帰宅をする人々の神経を逆撫でするような、そのやりかた。
自分たちの責任を回避するために、相手に責任があるように仕向ける「自己責任」という言葉と概念がまたもや、この国を席巻するのか。

2011年5月10日火曜日

5月10日

今朝、わたしの手元に届いたメールから

フランスの「ル・モンド紙」は4月28日、ある大学で教鞭をとる女性の寄稿文を掲載したという。
彼女はその中で、政府や東電を批判する日本のマスメディアが、福島原発事故の前夜まで
多額の広告費と引きかえに、原子力発電所の安全性を宣伝していたことを批判。
財界も政府も「経済の復興を」「仕事に戻ろう」と経済のみ優先し、現在50以上ある稼働中の原発を今後どうするのかという問題とは向き合っていないと指摘。

また、今後も新たな地震の発生が予想されること、政府の原子力関係者が技術面でも信用の面でも充分でないことから、福島で起きたのと同様の事故が繰り返される可能性があると述べている……。

そんな内容に続き、日本の民主主義を問う内容の寄稿であったという。
「原発マネー」、「原燃マネー」と呼ばれる多額なお金の動きのひとつに広告料がある。
雑誌でいうなら、一冊一冊の購読料の何百倍、時に何千倍もの収入を保証してくれるのが、広告料だ。
そうして、あらゆるジャンルのクライアントの中で、もっとも出稿料と量が多いのが、電力会社のそれであると言われている。

「泣く子とスポンサーには勝てない」という諺があるが、福島で泣く子は放置しても、クライアントには勝てないのが商業雑誌をはじめとして、「おつきあいのある」メディアであるだろう。

すでに完全に崩壊したが、原発の安全神話を喧伝した専門家たちのところにも、原発マネーは届けられているはずだ。あのひとにも、このひとにも。
個人だけではなく、研究所への助成金としても。
そのお金は、言うまでも無く、わたしたちの電気料金から支払われている。
それらを支払っているのは、ほかでもない「わたしたち自身」であるのだ。
自分たちが支払った電気料金で、放射能の恐怖まで強引に贈られる…。
それが、わたしたちのWAY OF LIFEであるのだ。

福島の子どもたちの年間被曝量が20ミリシーベルトにアップされたことについては、このブログでも何度も書いている。
180センチの高さで測定して、と言われるが、180センチの乳幼児がいるだろうか。これひとつとっても、いい加減きわまりない、「20ミリシーベルト」である。

2011年5月9日月曜日

5月9日

以前この欄でもご紹介したが、『まるで原発などないかのように』
(原発老朽化問題研究会・編、現代書館・刊)のタイトルが
いまでもわたしの中で、エンドレステープのようにぐるぐると回っている。
堅牢な防潮堤ができれば、それで安全ということにはならない。
地震、大津波がなければ、それでいい、ということでもない。
原発そのものを問い直すことを、わたしたちは忘れてはならないはずだ。
前掲の本のサブタイトルは、「地震列島、原発の真実」だが、
むしろタイトルのように、いつか「わたしたち」は、「まるで原発などないかのよう」な日常に戻ってしまうのではないだろうか。
いまはまだ多くのわたしたちの意識は、福島第一原発に、そして浜岡へと向いている。
が、やがては、いつかは本書のタイトル通り、「まるで原発などないかのように」
暮らし始めるのではないだろうか。
ひとはみな忙しい。ひとはみな、そのひとなりの悩みや憂いを抱いている。
未決の事項もまた。その中で、わたしたちは「まるで原発などないかのように」ずっと暮らしてきたのだ。
ましてや、派遣切り、人員整理はいまもって続き、大震災以降は
やむを得ずそうせざるを得ない企業や工場も増えている。
考えなければならないこと、取り組まなければならないことが山積みの日常、
「いつまでも原発にとらわれてはいられない、それより雇用が先」という
ひとがでてきても、なんの不思議はないし、そのひとを責めることはできない。
それでもわたしたちは、考えつづけなければならないだろう。
いかなるときでも、原発はいのちにかかわる危険と表裏一体の上に存在することを。
福島、浜岡だけではない。
ほかの原発はどうなのか。福島第二は?
前掲の著書の中で、田中三彦さん(九年間、民間企業で原子炉圧力容器の設計などに従事、その後、自然化学系の著述や翻訳に従事)は、次のように分析し、書いておられる。
「実は、原発推進という国策を最も強力に後押ししているものは、
大都会の人間の、無関心だ。寝ているものを目覚めさせてはならない……
これが原発を推進する行政の暗黙の戦略であるだろうし、
それは同時に、電力会社によるあの呆れたトラブル隠しやデーター捏造の
背景でもあるだろうし、東京という大都会に原発が存在しないもう一つの
理由でもあるだろう。寝ているものを目覚めさせてはならない………」

3月のあの日、わたしたちは、ようやく長い眠りから目を覚ました。
福島の人々の、かけがえないひとやものの喪失の上に、目覚めのときは訪れた。
猫なで声の、子守唄はもういらない。もう、自らを眠らせてはならない。
わたしたちは、「原発列島」の上で、暮らしているのだ。
子どももお年寄りも、みな、それぞれに自分の人生を紡ぎながら。
そのことを改めて心に刻む、5月。
3・11から2か月になろうとしている。

2011年5月8日日曜日

5月8日

昨日の続きである。
原発が絶対安全というなら、なぜ、もっと人口が多い仙台に
原発をつくらないのか? 女川原発を建設する話がでたとき、
地元のひとに問われ、答えを見つけようとした京都大学の
小出裕章さん。人口の多い地域に原発が建設されないのは
それだけ危険であり、安全神話はでっちあげだと気づいた時から、
彼は「脱原発」を主張しておられる。
さまざまなアカデミック・ハラスメントにさらされながら。
その事実を知って改めて思い出したのが、
本田雅和さんと風砂子・デアンジェリスさんの著書、
『環境レイシズム―アメリカ「がん回廊」を行く』である。
アメリカのがん回廊を丹念に、そうして痛みをもって取材した
彼らがたどりついたのと、小出さんの結論は同じだ。
アメリカでも、人体に明らかなる悪影響があるものを排出する
工場などは、白人たちが暮らすところでも、アッパーミドルの
住居が多い街でも都会でもなく、
貧しいネイティブアメリカン(かつてはインディアンと呼ばれたが)や
アフリカ系アメリカ人、あるいは人種的マイノリティが
居住するところから「切り崩し」にあったという。
雇用先が増える、税収などで町も潤う、といった「アメとムチ」作戦は
原発や核燃料の地にも適用されてきた歴史は、洋の東西を問わず長い。
「環境レイシズム」というタイトルは、人種差別の上に環境問題も
成立している意味である。酷すぎる「棄民」である。
「環境レイシズム」は版元品切れ状態が続いているが、クレヨンハウスでは
おふたりの著者に委託を受けて蔵書しているので、是非お目通しを。
原発の「いま」と恐ろしいほど、重なる言及が多いことに、
あらためて驚愕する。

2011年5月7日土曜日

5月7日

小雨がちの表参道を「脱原発」のパレードが行く。
若い人たち、小さな子ども連れの家族も多い。
わたしたちの世代はデモ(デモンストレーション)
と言っていたが、彼女らや彼らは「パレード」と呼ぶようだ。
赤、青、緑、黄色と色とりどりの風船を
手にした様子は、確かに心躍るフェスティバルやパレードのようだ。
このパレードのモティベーションそのものを考えると、
気持ちは晴れないが。


昨日6日。菅首相は、浜岡原発の一時停止を発表した。
堅牢な「防潮堤」ができあがるまで、という理由だ。
二年という停止期間が終了した後、浜岡原発はどうなるのか。
浜岡に限らず、この国にあるすべての原発は。
何度でも繰り返す。津波や地震だけが問題なのではない。
老朽化した原発はもとより、原発それ自体が制御不能となる
可能性をもった、きわめて危険なモンスターであり、
使用済みの核燃料についても同様に「捨て所」のないものである。

午前11時から2時間。朝日ニュースターの『パック・イン・
ジャーナル」に出演。
脱原発をアピールしつづけてきた京都大学の原子炉実験所の
小出裕章さんと電話でお話をする機会があった。
福島の子どもたちの外部被曝の暫定基準値、20ミリシーベルトに
ついても改めて伺ってみた。
わたしは、子どもの場合は大人の三倍と覚えていたが、小出さんは
「五倍」と考えています、ということだった。
女川原発を建設するとき、地元のひとに、なぜ原発が安全であるなら
仙台に建設しないのか、と問われ、その答えを探す日々の中で、
「原発は安全ではない」という結論にたどりついて以降、一貫して
脱原発を訴えつづけている研究者である。

2011年5月6日金曜日

5月6日

「こどもの日」が終わって、いつもの金曜日が戻ってきた。
しかし、戻らないものがある。戻れないものもある。
一度失い、奪われたいのちは、戻ってはこないのだ。
そうして、これ以上わたしたちは、いのちを、健康を奪われてはならない、特に子どもや若者は。

福島郡山市では、自治体の判断で、年間積算暫定規準の「20ミリシーベルト」を減らすために、校庭の土の表面を除去する作業を行っている。
その結果、4月27日の除去前には3・3ミリシーベルトあったものが、
表土を除去した後では、1・7ミリシーベルトになったというニュースもある。
しかし、すべての土の表面をくまなく測定しているわけではないだろうし、
なによりも問題なのは、除去した土の行き場がなく、
校庭などの片隅に積まれた仮置き状態が続いているということだ。
東京電力は、法的にもこの除去した土を安全に集め、
安全に保管する責務(このひとたちの「安全」は信頼できないが)と、
そのための費用を担う義務があるはずだ。
が、申し入れた郡山市に対する返事は、連休明けまで待つように、というものだったという。
たぶん今日あたり返事があるのだろうが。
単なる「生ゴミ」の話ではないのだ。
いまもって収束が見えない原発暴走の過程で起きた「大事件」である。
「連休明けまで」という返事に、彼らの、「お役所風」な姿勢が見える。

今回の20ミリシーベルトに対する文部科学省や厚生労働省、原子力安全委員会の、このうえなく曖昧な答弁とどこかで重なると感じるのは、わたしだけだろうか。
汚染された土の除去作業をしているひとたちも、
たぶん同じ県内の作業に従事するひとたちだろう。
誰が、安全・安心を保障するのか。
責任の所在を曖昧にすることに腐心するのが、「エライひと」たちが必死に取り組む、唯一無二のことなのか。

さらに、保育所は厚生労働省、幼稚園は文部科学省管轄と縦割り行政もまた、子どもたちの「いま」を脅かす。
子どもは、ひとりの子どもとして生まれ、そこに生きているのだ。
(わたしはずっと「子ども省」として、子どもを丸ごと考える行政の提案をしてきた……)
その子どもの人体への影響は(いろいろな解釈はあるが)、大人の3倍と考えたほうがいいと言われている。
「そこまで考える必要はない」という声もある。しかし、これは「そこまで考えるべき」テーマではないか。
最悪の場合を「想定」して考え、万が一、最悪までいかなかったら、「よかったね」というテーマである。
何年後かに、子どもたちに症状が発してから、「想定外」だったとは、言わせやしない。
その時には、3.11以降の取り決めをしたほとんどすべてのひとは、責任をとれるポジションにはいないだろう。
そしてきっと答えは、「前々任者が」云々になるのだろう。

ひとのいのちを、子どものいのちを、なんと考えているのか。
大人の3倍の影響という数値をもとにしてみると、個体差があるとはいえ、
20ミリシーベルト×3=60ミリシーベルトの被曝が許容されているという恐ろしい数値が見える。
20ミリシーベルトは、今まで類のない規準であり、国際的規準の一番高い数値を敢えて選んだ結果であり、職業的に被曝する大人の場合も、従来の実績では0・7ミリシーベルトに抑えられていたのではなかったか。
「放射能がここまで広がったのだから、もうしょうがない。20にしておこう」なのか。
こういったもの言いはいやなのだが、言わせてもらおう。
今回の20ミリシーベルトの決定に関与したすべてのひとたちは、自分の子や孫を、福島に「疎開」させてみてはどうか。
それでも、20ミリシーベルトという規準はそのまま放置しておけるのか。

以前このブログで記したように、この20ミリシーベルトには、
食物などによる内部被曝は積算されていないのだ。
菅 直人首相。
あなたにも子どもがいる。
あなたたちがなしえた政権交代は一体、何だったのか。
原発が自民党政権下で推進されてきたことは誰でも知っている。
政権が交代したとき、多くの有権者は夢見たものだ。
いままでの政・官・財、ずぶずぶのどす黒い関係性を、新政権が断ち切るのではないか、と。
しかし、「事業仕分け」は何のためのものだったのか。
原発関係の魑魅魍魎がうごめく「事業」には、なぜに果敢に手をつけなかったのか。
なぜに、「天下り」を温存させたのか。
電力会社に勤務する通常の生活者に刃を向けているのではない。
ましてや、多量の被曝をしながら福島第一原発の作業をしている「協力会社」のひとたちを責めているのでもない。

民主党政権もまた、自民党のように、この社会に生きるひとりひとりを切り捨てていくのか。
安全神話の垂れ流しの後に、崩壊した神話をさらになぞり、子どもたちの安全を脅かすのか。
原子力発電はクリーンである、という罪深い神話同様、あなたたちがしていることも、子どもたちのいのちに対する、罪深い神話の上塗りでしかない。

気が遠くなるほど続いた自民党一党独裁を、わたしは一度たりとも支持したことはないが、同じ自民党の中でも、原発に一貫して反対してきた河野太郎議員(様々なハラスメントをされたそうだが)のほうが、はるかに人間として良心的に思えてしまう、このネジレを、元に戻すなら、菅さん、いましかないのだ。

原発を「白紙に戻して考える」という答弁は久方ぶりに耳にする、「あなたらしい」声ではあった。
だが、福島の子どもを放置したままで、「白紙に戻す」ことはできない。
そうして、わたしたちが20ミリシーベルトにとらわれているいまも、
沖縄電力が沖縄に小型原子炉の導入を検討中というニュースが!

なんという国だ、このニッポンは。
「ニッポンはひとつ」じゃない。
ニッポンという国は、こうして声の小さいものたちのいのちと人権を踏み台にして、築かれてきたのだ。
ACジャパンのコマーシャルで流される「精神論」に接すると、気分が悪くなる。
こういった精神論が第二次世界大戦を「聖戦」にし、大本営発表を唯一のニュースソースとした歴史を、わたしたちはこの世紀にも繰り返すのか。
一方の手で心臓をえぐりとりながら、
もう一方の手で包帯をさしだすようなやりかたは、あざとすぎはしないか。

2011年5月5日木曜日

5月5日

5月5日、こどもの日。
こんなに悲しく、こんなに胸が痛むこどもの日が、昨今、あっただろうか。
それぞれの子どものいのちを、子どもの将来を、子どもの人生を、
この社会のほとんどすべてを決定する「支配層」は、どのように考えているのだろう。
「少子化」社会を憂える彼らにとって、それぞれの子どもは独立した存在、人格であるより、将来の生産性をあげるための道具でしかないのか。道具は、「壊れれば」新しいそれに取り替えればいいのか。

子どもは,子どもの権利条約に記された独立した人格と人権を有した、なにものにもかえ難い存在ではなく、この「弱肉強食」の社会を底辺から支える明日の「歯車」でしかないのか。
第二次世界大戦中、まずは東北の寒村の若者が次々に兵隊にとられていったように。そして、いのちを奪われていったように、「数」だけで、カウントされる存在なのだろうか。

被災地の、それぞれの子どもの、顔が見えない。声が聞こえない。
子どもの思いがなかなか伝わってこない。

テレビカメラを向けられれば、子どもは、カメラが求める姿や表情を察して、反射的に「そうする」だろう。
それを、「元気で健気で、むしろ大人を励ます被災地の子どもたち」と括ってしまうのは、子どもを表面だけでしか見ていないことにはならないか。子ども自身さえも気づかない、深い傷に蓋をさせてしまうことに役立つだけではないか。

そうして、福島の子どもである。
何度もこのブログに書いているように、4月19日に決められた、年間被曝量「20ミリシーベルト」の撤回を求める再々度の交渉が、5月2日、参議院会館で行われた。
わたしは仕事で参加できなかったが、当編集部のスタッフが参加した。
「福島の子どもたちを放射能から守れ」という手書きで大書された紙を背に、厚生労働省がおよそ30分、文部科学省と原子力安全委員会がおよそ1時間30分。
結局は、「20ミリシーベルト」と決めたのが「どこ」なのか、誰なのか、責任の所在はうやむやのまま、終了しただけだったという。
第一回目の交渉のときにもブログに書いたが、正式な会議なし、決定の過程は不透明、議事録もなし、という形で、しかし発表されたそれは、一人歩きをし、福島の子どもたちに摘要されているのだ、今日もまた。
これが、わたしたちが暮す国の、暗澹たる「現実」であるのだ。
もし、そこにいるのが「わが子」であっても、彼らは「20ミリシーベルト」なら問題なし、と言い続けることができるのか。

撤回交渉の話し合いの席には、テレビカメラも入っていたようだが、このうえなく杜撰な、けれどいのちにかかわる「数値」についての話し合いを、じっくり報道した番組があっただろうか。
多くのわたしたちは、知らないまま、知らされないまま、「今日」を見送り、「明日」を迎え、そうして「異常事態」そのものにも、やがては徐々に慣らされ、慣れていってしまうのだ。

「………子どもは、今日を、今を生きている。子どもの血肉はいま作られている。その子どもに明日まで待て………というのは大いなる誤りだ」というようなことを書いたのは、チリの女性詩人であり教育者であり外交官でもある、ガブリエラ・ミストラル(1889ー1957)である。
1945年南米初のノーベル文学賞受賞者である。
福島の、それぞれの子どもの、血肉も、まさにいま、作られているのだ。
なんという、なんという「こどもの日」だろうか。

2011年5月4日水曜日

5月4日

日曜の朝というと、いつもは新幹線の中か飛行機の中というように
移動中の時間帯が多く、テレビを観ることは少ない。
が、出かける準備をしながら久しぶりにテレビを観た。
ゆるやかなリベラリズムを感じさせてくれる、好きな番組のひとつだ。
が、番組中、ちょっとした言葉に引っかかって、落ち込んだことを告白しておこう。
わたしがナーヴァスになりすぎているのかもしれない。
目くじら立てて「異議あり!」と叫ぶほどの事柄ではないかもしれない。
福島第一原発についてディスカッションする場面でのことだった。
出演者のひとりが、一字一句、正確に記憶しているわけではないが、
次のようなことを述べていた。
……原発はまだまだ収束がつなかないようだ。
そこで、わたしたち国民のひとりひとりは
選択しなければならないと思う……。
テレビを観ながら、わたしは大きく頷いた。
話は次のように展開すると思い込んでいたのだ。
即ち、今後、わたしたちが原発をどうするか、「脱原発」という選択をし、安全で持続可能なエネルギーに向けてシフトを変える……。
その選択が大事だ、という方向に話は向かうものだと思い込んでいた。
が、そのひとが言ったのは、収束のつかない原発の次なる危機から、
いかに避難するかを、「国民」ひとりひとりが「選択」すべき、だと。
しなければならないということだった。
そうして彼はつけ加えた。
彼自身はすでに避難するルートを確保してあり、
海外の友人から、「いつでも来いよ」と言われている、と。
海外に避難できる、あらゆる条件が整っているひとはいいだろう。
しかし、大方のわたしたちは、逃げたくとも逃げられない現実を背負って
今日を明日につないでいる。
福島の子どもたちは校庭での年間被ばく量20ミリシーベルトを暫定基準と決められた。
それでも、子どもたちや家族の多くは、そこで暮らしていくのだろう。
高い被ばくが予想される地域でも、「逃げられない」年老いた親を介護しつつ、自分も逃げないと決めた息子や娘はいる。
すべては原発があることが原因なのだ。
福島第一原発で作られた電気を使ってきたのは、
わたしや、たぶん発言した彼も含まれるであろう首都圏に暮らすわたしたちだ。
わたしは東京に何が起きても、この地を離れないと決めている。
それが、わが家に戻ることすらできない福島の人たちへの、
せめてもの、わたしの責務であるからだ。
逃げられるひとは逃げていい、子どもや若者にはおすすめする。
しかし、それでも逃げられないひとたちは多いはずだ。

わたしと同世代の発言としては、申し訳ないけれど、ちょっとね、である。
つい本音が出たという意味では、言質を取られまいとして
慎重な上にも慎重な言葉の選択をする官僚たちよりは
マシかもしれないと思いつつも……。
なんだかなあ、の発言に思えたのは、わたしだけだろうか。
怒っているのではない。
かなしいのだ。

2011年5月3日火曜日

5月3日

菅総理に辞任を迫る声が日々高まっている。
永田町でも、街中でもそうだ。
個人的にわたしは既成の政党に何かを
託す思いはすでになくなっている。
それでも、政権交代がわたしたちに、
わたしたちの民主主義を取りもどすきっかけになれば、
という思いはあった。政権を交替させることができるのは、
わたしたち自身だ、という自信が必要だと考えていたからだ。
しかし、せっかく交代した政権で、コップの嵐を見せつけられ、
「ブルータス、おまえもか!」の無念さに
とらわれたのが、この二年間であった。

薬害エイズが判明したとき、当時の厚生大臣として
涙ながらに謝罪した菅さんはどこにいったのだろう。
涙を流せばいい、というわけではないが、
痛みに対する想像力が希薄ではないか、
と彼の答弁を聞きながら思うことがある。
言葉は言葉でしかないが、言葉と沈黙に込められる思いは確かにある。
それが菅さんには希薄なのだ。
しかし菅さんが辞任をして、後は誰に?と考えると、先行きが見えない。
「強いリーダーシップ」を求める声は高まるばかりだが、
強権的なリーダーの出現は、違った意味でおそろしい。

菅さん。いつまでも「総理の座」にしがみつくことはないではないですか。
任期を自ら区切って、「白紙で」と答弁した原発について、
「脱」というヴィジョンを思い切って示したら、いかがですか?
自然災害はおそろしいものだが、今回の大震災の復興を大きく阻んでいるのは、
社会全体に絶え間ない不安と恐怖を
撒き散らしているのは原発の暴走なのだから。
活断層の上に原発があり、「次はどこで?」という恒常的な恐怖を抱えながら、生きていくのはあんまりだ。

ドイツのメンケル首相は、選挙結果を見ての結果ではあるが、
原発推進派から「脱」へと180方向を転換した。
彼女を変えたのは、緑の党に一票を投じたドイツのひとりひとりだ。
この国の統一選は終わってしまったが、菅さんの背中を押すのは、
わたしたちひとりひとりの「声」であることに変わりは無い。

菅さん。支持率がどん底のいまこそ、「でっかいこと」をやる、
またとない機会であることをお忘れなく!
ひとりの人間として、自らの人生を全うすることのほうが、
「吹けば飛ぶよな・総理の座」に居座ることより、
はるかに実りある、はるかに素晴らしい人生に思えるのだが、いかがですか? 
すっから菅、とか、あき菅、と揶揄(下品な揶揄だが)されるより、はるかに。

そうして小沢さん。いま必要なのは、党内を二分しての政争ではないのです。
あなたの郷里、岩手も被災し、多くの住人が苦しんでいます。
ここでこそ、あなたは「正しい豪腕」をふるうべきではないですか。
あなたの口癖、「挙党一致」の時が、今なのです。

きょうは憲法記念日。
福島第一原子力発電所で、放射線を浴びて仕事をしているひとたちに、
基本的人権がはたして守られているのか。
「憲法違反の強制労働」が押し付けられてはいないか。

2011年5月2日月曜日

5月2日

松谷みよ子さんと司修さんがコンビを組んだ『まちんと』(偕成社)。
あの夏の日。向日葵を背にし、日に焼けた
肩と頬をみせて立っていた、女の子。
8月6日、何が起きるかは誰も知らない、広島の日々。
そして、その日、その瞬間。
そして、それに続く、たくさんの明日。
その中で、女の子がようやく口にしてくれたのは、小さなトマト。
「まちんと」と呟く女の子の声に、母親はトマトを探して彷徨する。
なにもかもが一変した街を、街とは呼べない街を。
しかし、ようやく探したトマトを手に母親が
戻ってきたとき………。女の子は………。
いま白い鳥となった女の子は、
「まちんと、まちんと」と鳴きながら、
空高く飛んでいるという。
高層ビルが建ち並ぶ、この都市の空を。
犬と散歩に出るひとがいる、あの住宅街を。
「まちんと まちんと」と鳴きながら。

2011年5月1日日曜日

5月1日

「手を振ってるんじゃない 溺れてるんだ」
この不思議なタイトルの詩を書いたのは、
60年代、イギリスで脚光を浴びた詩人
スティーヴィー・スミスだ。
遠くで手を振っている(と思えた)ひとに
手を振り返し(支援のための)、わたしたちは
わたしたちの日常に戻る。そうして、知るのだ。
後になって。
あれは手を振っていたのではなく、助けを
求めていたのだ、と。
一見、元気に駆け回る子どもの姿をテレビの
カメラはとらえ、わたしたちの日常に流す。
しかしカメラはとらえることはできない。
子どもたちが呼吸をしている、空気、そのものを。