2011年12月12日月曜日

12月12日

4日ぶりに終日東京にいた。
たまった洗濯物、山積みされたままの資料、
返事をしなければならないメールやファックス、
もろもろの未決事項に囲まれた1日でもあった。

3月11日から9か月と1日。
わたしたち被災地から少し離れたところで暮らすものと、
被災地での9か月と1日全く違うに違いない。
東京の真昼は日差しも暖かで、母を見送った年の12か月を思い出した。
どうにもやりきれなくて、日だまりの中でぼんやりしていた午後があった。
喪失の悲しみそのものは依然心にとどまったままだったが、
日差しに温められた、わたしの外側が、内側をも温めてくれて……。
日差しの中で瞼を閉じると、
気持ちよく涙が頬を伝った午後でもあった。

新刊の打ち合わせの後、
この国の行方、といったテーマで新聞の取材を受ける。

1 市民のきもちと、国のきもちが、離れすぎていること。
2 経済優先すぎること。
  それも原発の輸出等、輸出企業優先主義ではないか等、話をする。

恒久的な平和を志向する平和憲法を遵守し、食料自給率を
もっともっとあげることもまた。

さようなら原発1000万人アクション。
署名はまだまだ。
夜。
詩人、長田弘さんから送っていただいた『詩の樹の下で』(みすず書房)を読む。
幼少期を福島で送ったこの詩人のこの詩集の帯には、
「FUKUSHIMA REQUIEM」とある。