2011年11月2日水曜日

11月2日

昨夕は本当にショックと憤りで、くらくらした。
昨日のブログにも書いたが、玄海原発4号機の再稼働のニュースである。
2,3号機の再稼働について、第三者を装い、再稼働に賛成の声を寄せた「やらせメール」事件が問題になった。
その後、第三者委員会の意向を無視し、換骨奪胎した報告書を提出。
最終報告書の再提出を求められながらも未だ応じていない現実がある。
それを目の前にしても、「国」は再稼働GOなのか。

問題の4号機の自動停止は、10月のはじめだった。
部品交換の手順に誤りがあり、発電タービンが停止。
連動して、原子炉も止まった「事件」である。

手順書そのものに不備があったらしい。
ということは、初歩の初歩の、初歩的なミスである。
初歩的ミスが、原発の場合は致命的な暴走につながるのだ。
自然災害だけが原発事故を招くのではなく、人為的ミスや原発そのものの老朽化もまた事故の原因になる。
そして、一度事故を起こしたら、取り返しのつかないことになるのは、原発被災地福島をみても、充分理解できる。
「対処」療法だけで、すべてが解決する問題ではないし、
同じような人為的ミスや地震などが、ほかの「どの原発」で今日、
起きないとも限らないのだ。明日も。
老朽化した原発もしかりである。
いのちあるものと共存してはならないものを、
わたしたちの社会は持ってしまったのだ。
むろん核のゴミの問題も依然解決してはいない。
次はどこで? という恒常的不安と絶望を抱えながら、
わたしたちは、わたしたちの子や孫は、生きていかなくてはならないのか、
今後もずっと。何十年も何百年も。
わたしたちの次世代もまた次世代もずっと、ずうっと。

2日は、朝日ニューススターで、
先日の朝日新聞オピニオン欄に掲載された
市民運動に関するインタビューを軸に討論。
放映は11月6日22時30分だそうだ。

自分が出た番組というのは、見たくなくて
(画面の中の自分がなぜか他人みたいに思えるのだ)、
今回も見ないだろうが。
生ではなく、収録というのは、どこをカットされるかで全体の印象が違ってくる。
それでも出ることにしたのは、9・19を一過性のイベントには決してしない、
という思いがあるからだ。
原稿の締め切りをいくつか抱えたまま、スタジオに。
と書いたところで、新たな衝撃的なニュースが。

福島第一原発2号機からキセノン133と135が検出された。
キセノンは半減期が短いものだが、核分裂でできるものだ。
ということは、規模はどうであれ、2号基で「臨界」状態が起きた、ということだ。
半減期を考えると、それも最近に。
「起きたとしても小さなもの」という説明をどれだけ信頼していいのかはわからないが……。
一度起きたら、取り返しのつかないことになる、をまた証明してくれた2号機である。

それでも、再稼働をするのか。
「多くの住民の理解が得られた」という町の発表もあったが、
2000戸のうち、「賛成・激励」の回答があったのは、30数戸であったという。
福島の「収束」がまったく見えない現実を目の当たりにしながら、
「こう!」であるのだ、この国は。
廃炉に持ち込むことができなかったら、終わりだ、この国!
民主主義はまったく機能していない。