2011年11月17日木曜日

11月17日

相変わらず、ばたばたと走り回っている。
去年の今頃、わたしは何をしていたのだろうと思うのだが、
もちろん明確な記憶は甦ってこない。
たぶん、来年の今頃に今年を振り返ると、
憤りと不安と追いつめられた気持ちで、
とにかく、できることからと、あたふたと走り回っていたことだけは、はっきりと思い出すことができるはずだ。
 
昨日のペンクラブのシンポジウムでも会場の参加者から、
「原発のとらえかたについて温度差があり過ぎる」
という声があがっていた。
地域差もあるし、むろん個人差もある。
春から夏へ、そして秋から初冬へと、季節はめぐり、
日常の中にある「原発」が、また見えなくされているような。
 
なにをして「収束」と呼ぶのか別として、
収束など遠い日々の中で、
絶え間ないストレスと苦悩を抱えたひとたちが2011年の11月の今、
ここにいることを忘れてはならない、と自分と絶えず確認し続けなくてはと、確認する。
 
今夜も冷え込みそうだ。