2011年10月31日月曜日

10月31日

イタリア、スイスが脱原発を決めて、
ドイツも脱原発の時期を早めている中、
ベルギーでも脱原発に合意し、
2015年から段階的な閉鎖に向かい、
25年には七基すべてを全廃するとのこと。

ベルギーではこの七基の原発が
国内の電力の5割以上をまかなっているというが、
それでもこの半年以内に代替エネルギーの開発計画をつくり、
全廃への道に踏み出すという。

それに比べて……である。

2011年10月30日日曜日

10月30日

今日は富山に。
旅が続き、原稿も重なり、少々疲れ気味。
空港での売店で、文庫本を一冊購入。
重松清さんの『せんせい。』
読みだしてすぐに、以前読んだことがあったと思い出す。
単行本の時の タイトルを改題したものだった。
が、以前読んだときには通過していた一行や言葉が多々あり、
改めて熟読。
重松さんの作品の、わたしは熱心な愛読者だが、
この短編集もしみじみと心に響き、しみる。
文庫本のタイトルが示すように、
教師(この本に登場する教師はやっぱり「せんせい」と呼びたいひとばかりだが)と、
生徒との出会い、再開、わだかまりと和解を描いたものだ。
読みながら、何度も涙ぐんだ。
疲れのせいにしたいところだが、人間を信じるやわらかにして、
けれど硬質な感受性が素晴らしい。

明日は、クレヨンハウス朝の教室から生まれた、
後藤政志さんのブックレットの校了。最後の読み込みを。
ブックレットに関しては編集者も兼任しているので。

日刊ゲンダイに連載されている重松さんの
被災地への思いとレポートも心に響く。

2011年10月29日土曜日

10月29日

土曜日のきょうは北海道北広島に。
ずっと以前、何かの本で、北広島という地名は、
その地に入植したかたが広島出身だったので故郷をしのんで、そう名付けた……。
というようなことを読んだか聞いたかした記憶があった。
地元で尋ねてみると、やはりそうだった、とのこと。
ひと、というものは、どこかにこうして自分が生まれ育ったところへの思いを
残したいと考えるのかもしれない。
晴天の北海道。空は高く青かった。

原発被災の福島のかたたちは、奪われた郷里への思いを
どう受け継いでいかれるのだろう。
講演をお聞きいただいた中に、「さようなら原発」の、
みっしり署名のある用紙を手に、お声をかけてくださった女性がおられた。
感謝。

2011年10月28日金曜日

10月28日

「さようなら原発 1000万人アクション」の取材が続いている。

わたしは、すべてのメディアを「封筒」と考えている。
その封筒を使わせてもらって、わたしはわたしのメッセージを書いたり、
語ったりさせてもらう。

これがメディアの片隅で、考えてみれば40年、ささやかながら
発信してきたわたしの、わたしとの約束であり、
少々振りかぶった言い方をするなら、覚悟でもある。

さて、11月5日は、クレヨンハウス朝の教室。
写真家であり映画監督でもある本橋成一さんと、絵本作家スズキコージさん
おふたりをお招きしての講演会。

2011年11月5日(土)9:00〜10:30
スズキコージさん(絵本作家)、本橋成一さん(写真家・映画監督)
「脱原発を表現すること、伝えること」

「もう、原発をやめていきたい」という想いを共有してつながりあえれば、
実現に一歩近づくはず。

アーティストの表現には、わたしたちが学ぶことがあります。
さて、これからどう伝えていくか……作品を見ながら、おふたりに
語り合っていただく。

同時にクレヨンハウス一階では、展示会も開催。

NO MORE ATOMIC ENERGY
本橋成一(写真)× スズキコージ(ART)
ゲンパツ イラナイ展
2011年11月1日(火)〜 11月15日(火)

本橋さんの「チェルノブイリ三部作」の写真を、スズキコージさんが
コラージュした作品を展示販売。
おふたりの著作やグッズを特集します。

是非、ごらんください。

2011年10月27日木曜日

10月27日

27日付「日刊ゲンダイ」の「にっぽん改国」欄。
田中康夫さんがTPPについて書いておられる。

アメリカのモンサント社については、このブログでも書いたことがあるが、遺伝子組み換え作物の開発で有名な会社である。
いま政府や多くの識者も、「乗り遅れるな」と盛んに喧伝しているが、
TPPは日本の市民にとって、そんなに意味のあるものなのか。
わたしには疑問だ。

田中康夫さんのコラムはそこのところを見事に解きあかし、
「日本にとってプラス」と主張する人々を、
「行先も判らぬバスに乗り込むなんて」と疑問を呈しておられる。
「ルールづくりから入って、ダメだったらやめればいい論」もあるが、
それを田中さんは「離婚するかも知れないけれど取り敢えずは結納の打ち合わせしませんか」と言っているようなものだ、と見事に看破。
いい加減「アメリカへの阿諛追従」はやめたほうがいいという田中論を、
わたしは支持する。

2011年10月26日水曜日

10月26日

今日は名古屋での福祉についての講演会。
このところ講演続きで少々疲れ気味だが、
介護やリハビリは母がわたしに遺していってくれた大事なテーマでもある。

話し始めると、体の内側から熱くなる。
PT(理学療法士)やOT(作業療法士)を職業とするひとや、
将来その職業につく学生たちも多く参加してくれた。
茶髪の、まだ少年のような表情の若者が、
まっすぐとしたまなざしで聴いてくれている様子を見ると、
それだけで胸が熱くなる。

真面目とまっすぐ、がやっぱりいいよね。
斜に構えて、エックスキューズばかりがうまくなる人生よりも、はるかに。

2011年10月25日火曜日

10月25日

東京新聞の「こちら特報部」相変わらずがんばってくれている。
きょうの朝刊は、原発大国フランスで来年の春にある大統領選に
「ヨーロッパエコロジー・緑の党」の候補として立候補する、
欧州議会議員のエヴァ・ジョリさん(67歳)のクローズアップ記事。
大統領選でミニ政党の候補者が当選する可能性は小さいが、
しかし社会党を中心とする左派が選挙で躍進すれば、
連立政権樹立で私たちが必要となるだろう」と彼女。

こういった筋の通ったしたたかさは政治には必要なものだ。
「私たちにとって大統領選の中心問題は」原子力発電だというエヴァ・ジョリさん。
「今後20年ですべての原発をシャットダウン」。
新しい原発の開発も認めない、という。

9月にフランス・マルクール地区の核廃棄物施設で事故が起きた。
ひとりのかたが亡くなったというニュース以降、詳しいフォローに
あまり触れられないまま今日に至っている。

フランスの原子力安全局は、放射性物質による汚染はないと早々に発表し、
事故を終結させてしまったことに対して、
彼女は、「政府というのはいつでもリスクを小さく見せるものだ」と指摘。

どこの国でも「国策」はこういった隠ぺい体質とワンセットですすめられてきたものであり、抜本的な解体をしない限り、今後も同じ体質を持ち続けるのだろう。

2011年10月24日月曜日

10月24日

実りの秋、という言葉とイメージが、今年ほど
切なく心に迫る秋もない。
私たちの主食のお米は本当に大丈夫なのか。
汚染の実態を反映した調査をしているのか。
放射性物質検査は緩くないか。

消費者の不安が、せっかく出来がいいと言われている
生産者を違った意味で不安にさせている。
福島の佐藤雄平知事は安全宣言をした。
しかしそれだけで、充分だろうか。結果的に売れ行きが
思わしくなく生産者を苦しめることにならないか。
消費者にとっても現行のサンプル検査だけでは不安は
消えない可能性もある。

民主・自民・公明・みんな、社民各党の一議員が
唱えている、食品の全量検査を義務づける議員立法が
実現しないか。

充分にして正確な情報開示が遅くなったり、情報を
隠しすことで生じやすい、[風評被害]を国が作ってはならない。
おおもとの原発それ自体が、市民不在の「国策」であったことを
わたしたちは忘れない。

2011年10月23日日曜日

10月23日

青森からただいま帰京。
男女共同参画社会の講演だった。
15年前の10月22日、同じ会場で同じテーマで、
わたしは話をしている。
15年前の22日が男女共同参画社会採択のオープニングだった。

あのころはまだ母がいた。
あのころ、わたしは50代に突入したばかりだった。

青森といえば六ヶ所村。そして大間がある。
男女共同参画社会の基本にあるのは、人権であり反差別であるだろう。
脱原発は、男女共同参画社会のテーマでもある。
原発推進のおおもとにある核兵器保有も、競争社会で勝ち抜くことも、
個々の男性ではなく「男性社会」の効率至上主義と重なるものだ。

脱原発を選択したドイツの人工衛星が落下した。
落下物が人にあたる確率は2000分の1と言われていた。
ということは2000人に1人ということで決して低い確率ではない。
アメリカの人工衛星落下の時も書いたが、「開発」の名のもとに宇宙でも
各国は勢力争いをしたのだ。

その象徴のひとつである人工衛星の「かけら」が、
世界のどこかの原発に衝突したら……。
今回も同じことに恐怖を感じた。
幸いはそうはならなかったようだが。

2011年10月22日土曜日

10月22日

珍しく東京にいる土曜日。
午前中から午後まで、来年に予定している
プロジェクトの打ち合わせを数時間。
気が付けば午後二時近い時間。

おっ、お昼を食べていなかった。
朝も野菜ジュースと、リンゴを一個かじっただけだった、
と思った途端、猛烈な空腹を覚え、クレヨンハウスのランチバイキングに飛び込む。

ガーリックが効いたパスタサラダが美味だった。
カリカリに上げた油揚げに細切りを散らした、グリーンサラダも満足。
オーガニックチキンのシンプルなから揚げも美味しかった。

女友だちとランチに来られた素敵な女性に声をかけられる。
「行きましたよ、9・19のデモ。また呼びかけてください。
ブログしっかりチェックしています」 
つれの友人はカナダ出身で、日本の大学で教えているそうで、
「さようなら原発の署名をたくさん、集めたよ」と。

夕方からは、クリスマスのリース作りを。
いくつか見本を作って、それを観てスタッフが来週あたりから、本格的に作り始める。

気分を出すために、自宅からクリスマスソングのCDを持参して、
今日は静かな土曜日の会議室で、ひとり歌いながらのリース作り。

気が付くと、21時。
明日は朝早く東京を離れる。
夕ごはんもクレヨンハウスですまそうか。
それとも帰って作ろうか。ただいま考慮中。

2011年10月21日金曜日

10月21日

曇り空の中を、介護の講演で高松空港へ。
飛行機はよく揺れてくれたが、
少々疲れ気味だったせいか、
新聞を読みながら、時々居眠りを。
機内の 楽しみのひとつに、いわゆる地方紙を読むそれがある。
朝一番に、どこから発ったかによって、
全国紙以外のどの新聞が搭載されているかが決まる。
行きは西日本新聞。帰路は、琉球新報と沖縄タイムズが。
どれも好きな新聞で、大歓迎。

沖縄の2紙には、基地の騒音訴訟についての記事が大きくとりあげられていた。
沖縄の置かれた歴史と原発を受け入れた地元の事情は重なるものがある。
どちらも、地元だけの問題でないことは言うまでもない。
それを多くのわたしたちは地元の問題として、普段は目を逸らしがちだった。
福島も沖縄も、地元以外に暮らすわたしたちがむしろ問われているテーマとも言える。

明日、伊方原発に集まるんですよ。介護も原発も、命の問題ですよね。
そう声をかけてくださった女性が会場におられた。

帰郷してから、クレヨンハウスで女性記者のかたふたりと遅い夕食を。
帰宅は今夜も23時を回ってしまった。

2011年10月20日木曜日

10月20日

今朝、東京新聞一面を見て、愕然とした!
「7基、計画通り推進」
見出しには大きな文字が。
野田首相は、福島第一原発事故を受けて、
「新規は困難」と言っていたはずなのだが。
電源開発の大間(青森)、日本原子力発電の敦賀3,4号基。
中国電力の島根3号基。上関1,2号基(山口)、九州電力の川内(せんだい)3号基。
これら7基については、計画通りすすめると、電力事業者は回答したという。

野田首相は就任以来、「新規は困難」とは言っているが、
建設中の原発については、「個々の案件ごとに判断していく」
と含みを残した言葉を使っている。
第三者委員会の調査報告書を無視した九電といい、
福島第一原発事故の「教訓」は彼らにはまったくないのか。
真冬を目の前にして苦しい暮らしを強制されている
原発被災者の声は、彼らには聞こえないのか。

朝日新聞朝刊「耕論」に、市民運動のこれからについての、
わたしへのインタビュー記事が掲載されている。ご一読を。

10月19日

今日はほぼ一日NHKに。
「ニッポンリハビリ応援団」の二本分の収録が。
ずっと気になって、番組でも触れていた
被災地のお年寄りの介護状況とリハビリの実態について
11月7日と8日二夜連続で放映予定。

二本とも、ボランティアで被災地に入っていた
PT(理学療法士)のかたがたがゲストだった。
被災地での情報ゼロの中で、ひととひとを結び、
リハビリを復活させるために彼らがとった行動は素晴らしいが、
避難所から仮設に、また自宅へのと被災者の方々が移動したことで、
「かえって、お年寄りの需要も状況も見えにくくなってしまった」。
被災状況の非情さに
「勤めている病院を辞めて、被災地に入ろうかどうか悩んでいました。
小さな子どもがふたりいますし。そんな時、行くべきでしょ、当たり前よ、
と僕の背中を押してくれたのが、妻でした」

わたしから見れば、半分ぐらいの年齢の彼らが、穏やかに淡々と、
「やれることに取り組む」姿に感動した。
ただし、すべてボランティアなので、
「交通費だけでも大変です」。
なんとかできないものか。

昨夜はくたくたで、ブログを書けずに爆睡。20日になってから書いている。
「朝の学校」で原子炉格納容器の設計をしていた後藤政志さんが
お話をしてくださったのは、8月末。
そのブックレットを作成中だが、その校正もしなくてはいけなかったのに。

2011年10月18日火曜日

10月18日

佐賀県、玄海原発の再稼働をめぐる「やらせメール」問題。
第三者委員会が調査をしたことは、
すでに広く知られている事実だ。
従来の隠ぺい体質を考えると、必要な措置だった。
が、その第三者委員会の、「やらせメール事件」は、
古川知事の発言が発端であるという認定を、
最終報告書にまったく盛り込まなかったことが、
また問題になっている。
酷いものだ。
隠ぺい体質ややらせ体質を、抜本的に改善するための
第三者委員会の報告を、またもや、隠ぺいし、
なかったという「やらせ」をしたのだ。
九電社長は続投だという。
福島第一原発の暴走を目の前にしても、
体質はまったく変わらない、ということである。
すでに多くの人が気づいているのだが、これで、
九電と知事の蜜月関係も、再確認できたということだ。
まったくもって、地元住民のみならず、日本中を、
世界中をコケにした話である。
「こういうひとたち」が原発をつくり、
再稼働をしようとしていることを、
わたしたちは決して忘れてはならない。

2011年10月17日月曜日

10月17日

昨日は山形だった。
このところ、東京を離れる日が続いている。
いま、東京にいてしなければならないこと、したいことがあるのだが、
以前から決まっていたスケジュールなので、粛々と。
「行ったよー、9・19に」
空港や駅で、そんなお声をいただく。
あの日の、静かな昂揚感が甦る瞬間だ。
クレヨンハウス「朝の学校」も、無事に続いている。
9・19を一過性のイベントに終わらせないため、
しっかりと、かつ柔軟性をもって足元を見つめなければ、と自分と約束する。
集英社「すばる」への脱原発特集の原稿、15枚をようやく書き終える。
書けないのではなく、書きたいことが多すぎて、
何を削るかに手間取ってしまった。

2011年10月16日日曜日

10月16日

ニューヨークにはじまった「OCCUPY WALLSTREET」(ウォール街を占拠せよ)の抗議デモは、全米100の都市に広がり、ますます勢いを増している。
「1パーセントの金持ちと、あとはわたしたち99パーセントの持たざるものたちで、この国は成り立っている」。「富めるものには税金を。わたしたち貧しいものには食べ物を」。さまざまなプラカードが掲げられている。

「勝ち組・負け組」という、いやな言葉が、流布した季節がこの国にもあった。そしてアメリカでも、主に若者たちが、自国の市場原理主義に「NO」と意思表示をした。
オバマ大統領の誕生に、アメリカンドリームを賭けた、
かの国の国民が、いま失望と憤りの反旗を翻す。
むろんオバマ大統領も富裕層からの税金を必死でとろうとしているし、雇用の改善もはかっているが、長年続いた共和党政権のつけがここにきて破綻。
この構図は、自民一党支配とも見えた戦後の歴史を覆し、
民主党政権へと変わった直後の混乱とも重なるところはあるが……。
いまもって、アメリカの破綻しかかった「新自由主義」をなぞろうとしている野田政権である。
日本もまた、新自由主義、市場原理主義に破壊されてしまった。
そうしていま、原発暴走という、未曽有ないのちへの犯罪を迎えてしまった。
間違いなく迎えるであろう、この国の大不況を前にして、つらい状況にあるひとはさらに苦境に陥るだけだ。
そのうえ、消費税10パーセントを強行しようとしているのだから、酷い。

2011年10月15日土曜日

10月15日

二日前にブログでもご紹介した
東京世田谷・弦巻での「ラジウム騒動」のニュース。
区道沿いにある住宅の床下にあった瓶の付近から、
毎時30マイクロシーベルト以上の放射線が検出されているという。
が、文科省の会見では、
瓶の中の物質に放射線セシウムが検出されなかったことから、
福島第一原発の事故とは関係ないと判断したという。
本来、放射性物質は、徹底した管理下に置かれるべきものであり、それがなぜ、民家の床下にあったのか。もともと専門の大学の研究室や病院などにしかないはずなのだが。住民の不安は募るばかりだ。

今週は岐阜・山形・関西と日々移動が続く。
ほんとうはいまは東京にいたいのだが。

2011年10月14日金曜日

10月14日

今日も一日、バタバタ気味。
午後はクレヨンハウスで、「さようなら原発1000万アクション」について、
朝日新聞の取材が。
たぶん来週ぐらいの、オピニオン「耕論」に掲載される予定。今回の6万人が集ったアクションが今後の市民運動に、どんな影響を与えるか等。
取材に来られたご担当の記者のかたは、30代のはじめでいらっしゃる。
「すべてがはじめての体験でした」と。
わたしは彼の二倍以上も生きていることになるのだが、
わたしにも「はじめて」と感じたことは、多々あった。

デモに、ひとり参加、家族参加、はじめて参加等、
動員とは別に、本当に自主的・自前で参加されたかたが多かった。
官製管制の、すべての仕組みの象徴である「原発」に対する静かな憤りが、
そして、「わたしたちの代」で。
それを終わらせなくてはという思いが、あの高揚に結びついたのだと考えている。
むろん、わたしたちの活動は、9・19がむしろ、
再びの「はじめの一歩」になるのだが。

2011年10月13日木曜日

10月13日

東京の世田谷では毎時2.7マイクロシーベルトの高放射線量、
そして横浜港北区のマンションの屋上からはストロンチウム、
が検出されたというニュースが。

いまもって測定できていない各所でも、同様のことがあるのだろう。
原発暴走以来、そして「ただちに」深刻な影響はないと
安心神話が流布されていた頃から充分に「想定」できたことではあるが、
悲しくも無念な確信があったことではあるけれど……。
これが、わたしたちの「わかった範囲での現実」である。
まだまだ「わかっていないこと」、そこにありながら手にできない情報が、
多々あるのではないかと、これも「想定」できる。
3月のあの日からの、政府や保安院の発表はいったい、
何であったのだろう、と今更ながら腹が立つ。

ジャーナリスト斉藤貴男さんの『民意のつくられかた』(岩波書店)を購入する。
お目にかかったことはないが、このジャーナリストが書く視点と姿勢には、
いつも共感と敬意を抱いている。
そうして「民意」は「つくられてきたし、絶えずつくられつつある」
という苛立ちを、わたしも抱いているからだ。
操作された「民意」に対抗する、わたしたちの自然発生的「民意」を
どのように広げ、深めていくべきか。

真剣に考えたい。

2011年10月12日水曜日

10月12日

東京新聞。朝いちばんにそれを開いて、「OH!」。
思わず声を。
東海第二原発について「地元村長が廃炉要望」
との大きなリードが目に飛び込んできた。

記事によると、村上達也村長は、11日、細野原発事故担当相と会談し、
東海第二原発について、周辺人口の多さと老朽化を理由に、廃炉にするように求めた。
1978年に運転が開始されたもので、東日本大震災で原子炉は自動停止。現在、検査中である。

(ちなみに1号機が日本初の商業用原子力発電所。1966年7月に営業運転開始。27年間、営業運転をし、98年3月に停止。2014年日本初の原子炉解体開始に向けたプロジェクトが進行しているという。停止から原子炉解体開始まで16年。廃炉まで何年かかるかわからない。さらに使用済み核燃料の無毒化に、気の遠くなるような時間が必要なので、そこまでの管理が!……これだけでも、原子力発電の複雑さ、怖さが伝わってくる)

村上村長は再稼働について、次のように言っている。
「原子力安全委員会や(中略)保安院の信用は失墜した。
原子力規制体制を早期に確立しなければ、第二原発の再稼働は受け入れられない」と。
第二原発についての意思表示であり、ほかは?と大いに気になるが、まずは半歩前進ととらえたい。

地震や津波のような自然災害がなくとも、老朽化した原発それ自体が
事故の可能性をはらんでいることは、このブログでも何度かふれた。

同じ日の「こちら特報部」は、放射線審議会が住民の被曝線量を1ミリシーベルトから「1~20ミリシーベルト」に大幅に緩和した方針について、見事な意義申し立てをしている。

こちらもご一読を。

2011年10月11日火曜日

10月11日

徹夜してしまった。

カナダの絵本作家ニコラス・オールドランドの、
個性豊かな森の仲間たちを描いた絵本で、
いまわたしの手元にある一冊は、
なんでもハグしてしまう大きな熊の話と
もう一冊は、ちょっと無気力な、
これまた大きなヘラジカが主人公のはなしだ。

春から夏にかけて、バタバタと走り回ることが多く、
一応はあらい訳をつけてはいたのだが、未完成のままだった。

昨日は、「被曝労働者」を撮り続け、
その存在を社会に広めることに40数年をかけてこられた
フォトジャーナリスト・樋口健二さんを、
「朝の教室」にお迎えした。
その熱く、まっすぐな口調、
腹をくくったところから生まれる解放感に感動し、
そのはずみの延長線上での、徹夜であり、
二冊の絵本の仕上げだった。

なんでもハグしてしまうくまさんが主人公の絵本は
『ハグくまさん』というタイトルに決めた。
好きなものより嫌いなものが多すぎる無気力ヘラジカの話は、
タイトルが決まらないまま朝を迎えた。

一匹のヘラジカの、「before&after]の話であるが。
通常のエッセイはいつでもどこでも書けるのだが、
絵本はなかなかそうはいかない。
それでも、とにかくほっとしている。

これから脱原発について、少し長い原稿を『すばる』に書かなくては。

そういえば、昨夜、ぐらついていた奥歯が一本抜けてしまった。
すっぽりきれいに抜けてくれえばいいのだが、
歯茎に残りの歯があって、それが舌に当たる。
舌を刺激するのはよくないので、
歯医者さんに行きたいのだけれど、今秋は余裕なし。
ご飯がおいしくない。
食いしん坊のわたしが珍しく小食きみになってしまった。

きょうは11日。あの日から7か月になる。
遅々として進まない、いろいろのこと。
冬は近い。
心配と怒りはつのるばかりだ。

2011年10月10日月曜日

10月10日

「朝の教室」、今日はフォトジャーナリスト樋口健二さんの講演だった。
かつて『原発ジプシー』という本(復刊、ぜひご一読を)があったが、
昨日ブログでご紹介したドイツのテレビが報道したように、
現場の過酷さ、絶え間ない不安と恐怖、
いのちを使い捨てするような体制は全く変わっていない。
現場にいるかたがたの日々を、そのご家族の苦悩を
わたしたちは決して忘れてはならない。

福島の女性たちが、経産省の前でシットインする。
エントリーするひとを集めている。
以下、ブログを是非是非!ご覧ください。
募集チラシは、こちらのブログからどうぞ。
http://onna100nin.seesaa.net/article/228900129.html
原発のない世界へ(小出裕章さんの新刊のタイトルと同じだが)、
わたしたちひとりひとりの、いま声をあげるとき!

2011年10月9日日曜日

10月9日

今日は、いつもと違った場所からのメールだ。
敬愛するジャーナリストから
次のような一文と映像が送られてきた。

ドイツZDFテレビ「福島原発労働者の実態」
隠れて撮影された「福島原発労働者の実態」です!
ぜひ、動画を観てください。

ドイツZDFテレビ「福島原発労働者の実態」
   http://www.youtube.com/watch?v=aAE-QBmC1VA

この映像の中で、3人の作業員が、
非人間的な労働条件について話している。
彼らは身元がわれて報復されることを恐れている。
「この地方にはもう仕事はありません。それで東電の仕事をしています」
「話したことがバレたらクビです」
「仕事がないから、家族を食べさせていけません」
作業員達にジャーナリストとの接触を禁止する契約書もある。
敷地内では続々とホットスポットが見つかる。
しかし作業員はたいてい後になって、テレビを見てそれを知る。
8月上旬に致死量を越す、放射能10シーベルトが発見された時もそうだ。

「命の危険がある場所がどこかも教えてもらえない。
説明会で少し注意されるだけ」
「私の測定器はマイクロシーベルトしか測定できません。
原子炉建て屋に入るとエラーが出ます。
測定器が測定しきれないくらいの高い数値なのです。」

放射線専門家は警告する。
「作業員は外部被曝だけでも極めて高いものを受けます。
呼吸や飲食から受ける内部被曝も加えると大変な量です。
最近計測された10シーベルトは、計測器が振り切れたのでそれ以上かもしれません。
人間は7~8シーベルトの被曝で死んでしまいます」。
しかしもっと低い被曝量でも長い期間受け続ければ、
作業員やその子孫に、深刻な健康被害を与える可能性がある」
「十年後、二十年後、病気で仕事ができなくなるのが不安です。
そしたら家族をどう養えばいいのか…
子どもが健康に生まれてくるかどうかも心配でたまらない」

これが日本式の人権蹂躙だ、でしめられるファイルは上掲のアドレスで。

ドイツZDFテレビの告発は、きわめてクールに、かつ人道的だ。
しかし、日本は……。
10日の「朝の学校」は、フォトジャーナリストの立場から
原発作業員の「いままで と いま と これから」を
告発しつづけている樋口健二さんの講演。
予約は 03-3406-6465 クレヨンハウス内
ミズ・クレヨンハウスに。

作業をされているかたがたや、その家族を孤立させてはならない。
上掲のフィルムの中には、今後健康的な被害が生じても、
損害を東電や下請け会社に請求することは
できない、というような契約の一文も紹介されている。

詳しくは、上掲のアドレスで。

2011年10月8日土曜日

10月8日

脱原発を巡るもろもろのご依頼が増えている。
いつでもどこにでも参加したいのだが、
多くは土曜日に開催される。
が、残念なことにすでに土・日は以前からスケジュールが
決まってしまっていて、動きがとれない現実がある。

10・9集会に向けて、今朝書いたメッセージは以下のものだ。

…誰かに「頑張ってください」とは言いません。
  ひとりひとりの「わたし」のテーマです。
  ひとりからはじまる意思表示です。
  この国はもとより、世界中の原発が廃炉になるその日まで。
  それは、平和と差別のない社会への第一歩です。

とはいうものの「廃炉」になったとしても
全面的安全にたどりつくには、10万年もかかる。
それを思うと眩暈がするが。
それでも、それがいまできることを諦める理由にはならない。

2011年10月7日金曜日

10月7日

10日の、「朝の教室」はフォトジャーナリスト
樋口健二さんの講演会。
反・脱原発の活動の中でも、
もっとも「声をあげにくい側」に登録され、
しかも高濃度の放射能を被曝しつづける原発作業員のかたがた。
その苦悩と憤りをカメラで追い続けた樋口さんは
この国が誇るべき筋金入りの「反権力」のフォトジャーナリストである。
脱原発! と言いながらも、
わたしたちがついその存在を忘れがちな作業員のかたがたの
日常を知ることは、そのまま、福島の「いま」に直接つながるテーマでもある。
9・19の6万人集会はまだまだはじめの一歩でしかない。

「いま」と「これから」を考える上で、是非、ご参加を。

2011年10月6日木曜日

10月6日

今日は朝から授業だった。
若い女性たちと共に拓くジェンダー論。
授業のはじまりの10分間は、
「今週のわたしの気になるニュース」
について、語ってもらうコーナーを設けている。
好むと好まざるとにかかわらず、
わたしたちは社会と無縁に生きることはできないのだから。
前期もそうだったが、後期の授業も、
「気になるニュース」の筆頭は、原発について。
郷里が福島の学生もいて、みなそれぞれに心痛め、
「自分たちにできること」を考えている。
後期の授業の三回目に当たる今日のジェンダー論は、
「普通ってなんだろう?普通じゃないってなんだろう?」だ。
ひとの数だけ「普通」はあり、
あなたの普通と、わたしの普通は違うのに、
いとも簡単にわたしたちが、
「普通」というあいまいな基準に自分を明け渡してしまうのはなぜなのか……。
絵本「さっちゃんのまほうのて」を軸に考えてみた。

知性とは、他者の痛みへの想像力であり、
同時に、いまここにある「お墨付きのもの」を
「本当にそうなの?」と距離を置いて見直し、
考え直す姿勢と思想から生まれるものかもしれない。

2011年10月5日水曜日

10月5日

夕方からの雨が激しくなった水曜日の夜。
明日はまた気温が上がるそうだが、
今日は肌寒さを感じる一日だった。

ずいぶん前に、このブログでご紹介したが、
福島の郡山市で集団疎開を求めている14の家族がいる。
当然の要求だろう。
その家族は、福島地裁郡山支部に仮処分の申請をしているが、
それについての決定が今月中には出るらしい。
原告の家族たちは、今月の15日(土)に、
JR郡山駅西口広場で集会をやるというお知らせを、
知人からいただいた。

詳しくは、以下を。
http://fukusima-sokai.blogspot.com/
手続き上のすべては終わったとしても、
やむにやまれぬ思いに背を押されるまま
集会をする福島の子どもたちと、家族のかたがた。
わたしも参加したいが、すでに他所での
講演が決まっていて、当日は動けない。
彼らの思いが、どうか実を結びますように。

雨がますます激しくなったようだ。

2011年10月4日火曜日

10月4日

今日は朝から、月に一度のクレヨンハウス社員ミーティング。
会議が重なり、朝食もお昼もとれないまま、ただいま17時30分。
今日は日付が変わる時間まで仕事があるので、
ここらで、ちょっとひと休み。

クレヨンハウスの地下で、
オーガニック食材のディナービュッフェをとってこよう。
お料理6,7品プラス味噌汁と玄米か胚芽米、そしてデザート。
さらに各種野菜のサラダバー付き。もちろんお替りは何度でも。
といった按配だが、時々、夜にこんなに食べちゃっていいの?
と自分でも不安になる。
ランチタイム・ヴァイキング同様、よろしく! と書きながら、
おなかがグーと鳴る。

わたしが敬愛するアメリカの女性作家・いまはなきメイ・サートンの言葉に
次のようなものがある。
「わたしがいま懸命になって努力していることのひとつは、
 野心を捨て去ることです」。

「成功」とか「野心」とかいったものに対して、
わたしはあまり執着してはこなかった(その方が楽だからだ。
要するに、そういったものに対しては怠惰であるのだ、ほかのことには
わりと勤勉なほうだと思う)が、いまは……。
「成功」がほしい。おおきな「野心」がある。「志」もむろん。
それは、日本中の、そして世界中の原発が止まる日を迎えること。
わたしの「野心」はそれであり、わたしの「成功」とはそれだ。

諦めない、目を逸らさない、逃げない。

あーあ、おなか、すいた。
さ、食べてこよう。

2011年10月3日月曜日

10月3日

また月曜日がやってきて、新しい一週間のはじまり。
ところで、新しい一週間は、日曜日から始まるのだろうか。
遠い昔、会社勤めをしていた頃の刷り込みか、
わたしには、月曜日が一週間の最初の日、という想いが強い。
「ブルーマンデイ 憂鬱なる月曜日」という言葉もあるが、
被災地のかたがたの雇用状況を考えると、
仕事がある、ということのありがたさと、うしろめたさを実感する。
リーマンショック以来、非正規で働くひとは多いし、
そこに東日本大震災である。

あーあ、力がほしい。
望むひとすべてを受け入れることができるぐらいの、
キャパシテイを持った会社がほしい。
集団で移住を望む原発震災の被害者の願いを、
叶えるだけの「力」がほしいと、ため息をつく月曜日。

昨日、大阪伊丹であった「さよなら原発1000人講演会」
1200人近くの人が集まって、大盛況ではあった。
が、「さようなら原発」はイベントに集客ができて、
それで終わり、というテーマではない。
すべては、原発が止まる日にむけて。

今朝の東京新聞に、中沢新一さんが
脱原発をテーマとした「緑の党」を結成するという記事が。
今日はこのあと東京新聞の取材があるので、
詳しくおききしてみよう。

2011年10月2日日曜日

10月2日

今日は伊丹での「さようなら原発1,000人集会in関西」で講演。

灰谷健次郎さんとご一緒に数々の本を作ってこられた
画家の坪谷玲子さんもご参加されるというメールが入っていた。
久しぶりにお目にかかれる。

一昨日北海道空知では、気温30度の東京から半分の15度。
長沼ナイキ事件の地元。
山の上のほうにある小さなコーヒーショップでお茶を。
地元のひとが木片で作る人形が展示してあった。
木を切ってではなく、たまたま見つけた木片を集めて、
動物や人間の人形を作るのだという。
その中に、乱れた髪を風に舞わせてすっくと立つ
女の人形があった。

STAND ALONE、これって、わたしのテーマだもんね。
それに、この人形の乱れた髪型も、
わたしの怒髪に似ている! と、買ってきた。

女性ひとりで切り盛りしている、小さな店だったが外は森。
小さな人形を「こわれないように」と、
とても丁寧に包んでくださった。
人形はいま、わたしの机の上にSTAND ALONE。

昨日は埼玉での講演会。帰京(というほど遠くはないが)して、
クレヨンハウスで、札幌の女友だちとランチをいっしょに。
北海道の友人と東京で会う不思議。
一時間の再会だったが、とても静かで緩やかな時空が。
いつ会っても、静かな中に熱い情熱を感じさせてくれる友だちである。
わたしが死んだときの、お葬式の司会はずっと前から彼女に頼んである。
楽しいランチのひと時のあとは、人形のように髪振り乱して
仕事へと失踪。

そして、今日は大阪。
タフな落合が続いている。
ベトナム戦争の枯葉剤の悲劇をテーマにした
映画「沈黙の春を生きて」を観た別の友人からメールが。
観たいと思いながらまだ観ていない。
そのうち、と思っているのだが。

2011年10月1日土曜日

10月1日

昨日金曜日は北海道空知で講演。
羽田を発つときは、気温30度近くで、
札幌について雨の中を移動するときはなんと、15度。
半分の気温しかなく、空港で冬物のストール調達。
講師たちの集まりだった。
空港から会場まで、会場から千歳空港まで、往復二時間余。
たっぷりと現在の政治、教育のありかた、むろん原発について、話をする。

帰路の千歳空港。女性おふたりに
「9・19のデモ、わたしたちも行きました!」と声をかけられる。
「わたしたちの日々」はまだまだ続く。
だれるなよ、折れるなよ、と自分と改めて約束をする。

さて、10回目に当たるクレヨンハウス「朝の教室」(10月10日 月・祝)の講師は、
フォトジャーナリスト、樋口健二さん。
推進派も、反対派も、ともすると忘れがちな、
原発の現場で働く人々の「いま」と「それから」を追い続けてこられた、
世界的なフォト・ジャーナリストだ。
国や電力関係者が、ずっと目を逸らしてきた原発被曝者が、ここにも! 
「誰か」を置き去りにしたまま、誰かの存在を消したまま、
脱原発はすすまない。

原発の現場で働く人々は「平時」であっても常に被曝している。
今もなお。
彼らの犠牲の上に、原発は稼働し、彼らの支えなしには原発は動かせない。
そんな彼らの現実を、樋口さんの写真とトークを通して考えてみよう。
1960年代から四日市公害や原発労働者被曝の問題を追い続けてきた
樋口さんが見てきた原発労働の実態とは!

『これが原発だ カメラがとらえた被曝者』(岩波ジュニア新書)、
『闇に消される原発被曝者』(八月書館)、『原発被曝列島』(三一書房)
ほか著書、写真集多数。2001年には、ワールド・ウラニウム・ヒアリングに
よる「核のない未来賞」受賞。日本写真芸術専門学校副校長。

これから埼玉での講演。
以前に読んだ、樋口さんのご著書を手に、行ってまいります!