2011年9月30日金曜日

9月30日

今日は北海道へ。
教師たちの集まりで、お話を。

昨夜、「朝の学校」に参加されているかたから
送られてきたメールです。
福島の女性の言葉をかみしめてみてください。

6月の集会でのスピーチですが、
現状は、3か月以上たったいまでも、
変わっていないのではないでしょうか。

福島の梅農家、渡辺ミヨ子さん(69歳)
6月19日福島市の集会でのスピーチです。

-----------------------------
私は東京電力福島原子力発電所から20km-30km圏内の田村市都路町から
三春町に避難してお世話になって居ります。
全国から、世界中から支援物資、義援金、あたたかいお言葉がよせられて
今の生活物資に不足はありません。本当にありがとうございます。

世界中に、こんなにもあたたかい愛に満ちあふれた人たちがたくさんいるのに、
3月11日から100日過ぎました。…
大きな津波で流された福島県浜通りの人たちは、原発が何基も爆発して誰も近寄ることができず、けがして動けなかった人たちは誰にも助けられずにどんなにか無念の死を迎えたことでしょう。
放射能汚染による恐怖、深刻さは増すばかりです。

4月初め、私が住んでいたところで、部落の人たちから頼りにされてた60歳の男性が自ら命をたちました。
また、有機農業の人、酪農家の主人が放射能から自分の仕事を守るすべをなくした人たちが何人も自ら命を落としていったのです。
あの日から福島は生き地獄となってしまったのです。
それでも「経済発展のために原子力が必要」か
それでも(海江田)経済産業大臣は、日本の経済発展のために原子力が必要だと言っています。

経済発展のため、そんなに原子力が役立つとおっしゃられるなら、
去年あたりの失業者の数、若者までが仕事がなく、生活保護を受けなければ生きられない、
毎年3万人以上の自殺者がいるという現状はあってはならなかったはずです。
もし経済が原子力を頼らなければ成り立たないとしたら、その経済はもはや人民を奴隷とし、
人民の身も心も破壊してしまう魔物です。

「人民による人民のための人民の政治」
アメリカの大統領リンカーンが奴隷解放の折り、言った言葉です。

「人民による人民のための人民の政治」
福島県民の命は、いや原子力発電所立地地域の住民の命は、
原子力発電が国策として始められた時から軽視されていたのです。
そうでなければ、原子力のことが起きた時に、国の誰もがうろたえ、あわてふためき、何の手だてもなく過ごせるはずがありません。
福島の子どもたちが高い放射能にさらされることはなかったはずです。

福島県になぜ原子力発電なのでしょう。
東京には身動きできないほどのりっぱな会社があります。
国策であるならば、あとわずかでも、広い土地のある福島県に回せば、
東京の人たちもそうきゅうくつな思いをせずに生活できたはずです。
今の日本の経済は、国策として使われる原子力という悪魔が、
とどまることを知らない欲望の経済をあやつり、人民を奴隷としているのです。
それが何より証拠に、恐ろしいモノを安心・安全とウソをつき、高い放射能を低いと言い、
恐ろしいと怖がる正直な人たち、正直な心を、「ヒステリックだ」と自民党の石原(伸晃)国会議員が堂々と言ったのです。

福島の地震を「想定外」というのであれば、今すぐにでも起きてもおかしくないと言われる地域の地震は起きないという「想定外」もあるのではないか。
それならば、東京に原子力発電所を作り、東京の会社を東北にもってきてはどうでしょう。

私は福島県沖の海が、たくさん魚の取れるゆたかな海が、大好きでした。
県土に広がるゆたかな山々が大好きでした。
この福島を復興させることができるとすれば、原子力に頼る悪魔ではありません。
世界中の愛ある人民の、正直な、思いやりのある、おだやかで、
誰一人として死ぬことのない再生可能なエネルギーを、世界中の人民の、
日本中の人民による、東北の人民のがまんと思いやりのエネルギーを日本に、
そして世界中に送ることです。

みなさん、本日は、ほんとうにありがとうございました。

都路町からの避難住民 渡辺ミヨ子さんの6・19集会アピール

2011年9月29日木曜日

9月29日

福島第一原発の、冷温停止のニュースが
今夜のテレビで盛んに取り上げられている。
冷温停止の条件のひとつは、100度以下だが、
2号基は、97度である。
もちろん低温に向っていることは歓迎したいが、
それほど大喜びすることなのか、
わたしにはわからない。
被害を小さく小さく見せようとしてきた
今までの経過を考えると、にわかに大喜びする気には
なれないわたしがいることも確かだ。

19時すぎには、震度5の地震がまたあった。
不安になることに、わたしたちは疲れている。
それも事実だ。
が、ぬか喜びはしない、という姿勢も大事ではないだろうか。

高濃度の放射能の中で、黙々と作業をつづけるひとたちが
今、この瞬間にもいるのだ。

2011年9月28日水曜日

9月28日

ケニアのノーベル平和賞受賞者、
ワンガリ・マータイさんが亡くなった。
「MOTTAINAI」という言葉と、その概念を
世界的に広めた女性だ。

荒れ果てた大地に三千万本の木を植えたマータイさんは
「木を植える女」でもあった。
同時に彼女の人生のほとんどは
弾圧と権力との闘いの歴史でもあった。
前政権下では、何度も投獄。
不屈の女性でもあった。
28日付東京新聞の「筆洗」では、そのマータイさんと
足尾銅山の鉱j毒問題と闘った田中正造の思想と姿勢を重ねた、
すがすがしくも凛々しい文章が掲載されている。

「どの社会にも業界にも、東電的、保安院的体質があるのだよねえ」
 NHKで収録を終えてから、
仲間数人と退院したばかりの友人を見舞った。
その帰り道、遅い夕食をとりながら仲間たちと話し合う。
「こんな時しか、会えないね」
「今度はみんなが元気な時に会おうよ」
仲間たちとの食事は、数年ぶりである。

環境省が示した汚染土壌の除染土は
最大で2879万立方メートル。
最大で東京ドーム23杯分に相当するという。
中間貯蔵や仮置き機関についても気になるところだ。

2011年9月27日火曜日

9月27日

短い原稿を何本か書いて、あとは校正をしただけなのに、
なんだか、やたら疲れた一日だった。

今夜は、パソコンの前を離れて、ゆっくりと本を読もうか。

ここ数か月、次々と出版される
原発に関連する本を優先して読んでいるせいか、
頭の中が過飽和状態。

突然、開高健さんの本が読みたくなった。
さっきコーヒーをいれようと書棚の脇を通ったとき、
ふっと目についたからかもしれないが。

開高さんの言葉に、次のようなものがあった。
一字一句記憶しているわけではないが……。
「思想は本屋に行けばすぐに手に入るけれど、
皺を手に入れるにはつらい時間がかかるもんだよ」
思想とはいかないまでも、
ものごとに 対するわたしなりの考え方は、ま、
ささやかながら、手に入れることができただろう。
皺だって、ちゃんと、ここに。
あとは、考えたことをどこまで誠実に、
どこまでしっかりと、かつ柔軟に実現していくか、だ。
年齢を考えると、そんなに残された時間はない。

2011年9月26日月曜日

9月26日

昨夕、ブログを更新した時点では、未だ判明していなかった
山口県上関町の町長選の結果が判明した。
原発推進派の現町長が立地反対派の候補者に
「大差をつけて」(とほとんどのメディアが報道している)3選された。
建設を計画されているのは2基の原発で、
上関町が原発の誘致を明らかにしたのは1982年。
以来、町税収入2億5000万円の上関町に、
合計45億円の交付金のほか、中国電力から多額の寄付金が支給されてきた。
当時7千人いた人口は、いまや半減。注がれた原発マネーが、
地域興しに役立っているようには見えないことを証明している。

一方祝島では「自然エネルギー100%プロジェクト」をスタート。
人口3500の上関町が推進派と反対派に二分された対立の歴史は
決して短くはない。
東京新聞9月26日朝刊の社説は、それらの経過を踏まえながら、
「原発マネーと別れよう」と提案している。

……地域に溝を掘ったのは、安心安全と財源をてんびんにかけ、
住民の心を揺らし続けた原発推進の国策だ。
祝島の自然を生かした持続可能な地域おこしに、
法外な原発交付金を付け替えるなど、政府も責任を負うべきだ……。

きょうの夕刊には、
「静岡・牧之原 浜岡永久停止を決議 原発10キロ圏で初」とある。
福島原発事故が、いまだ収束していない現状で、牧之原市議会の決議こそ当然ではないか。

2011年9月25日日曜日

9月25日

三連休の終わりの日曜日。
東京は午前中は晴れ間が見えたが、午後からは曇り空。

さて、野田佳彦首相の国連演説について感じことが。
所信表明演説同様、国連でのそれも新味に欠けた気がしたのは、
わたしだけだろうか。

地震、津波、原発事故への世界中からの支援に対してお礼を言ったのは当然だが、
もっと踏み込んだお詫びをすべきだった気がする。
世界中に、とりわけ、世界中の「子どもたちの未来」に迷惑をかけたのだ。

半減期が約30年と長いセシウム137だけみても1万3500テラベクレル
(テラは1兆)も、海に拡散してしまった責任。
中東・北アフリカの民主化支援で総額10億ドルの円借款を実施、
南スーダン国連平和維持活動(PKO)への陸上自衛隊施設部隊派遣に向けて
活動するとか、◯◯します! 的なことを、アメリカを意識して言うより、
地味でもきちんとしたお詫びをすべきだったんじゃないか、と思っている。
そのためには、「原発問題が核問題だった」と、野田首相の認識が
欠けているんじゃないか、と不安だ。

原爆被爆国としても、「核不拡散」を意識した発言を、すべきだった、と思う。
福島原発事故というのは、核拡散をしてしまったのだから。

その意味では、アメリカのオバマ大統領も、人工衛星の落下について、
世界中にお詫びすべき。
「ひとに当たる確率」の心配は当然ですが、「世界中の原発に当たるかも
しれない」心配とお詫びをすべきではないか。

つまり世界中のひとが集まってくる国連で、野田首相は、
原子力発電と宇宙開発の危険性を「平和」の問題から研究し直そう、
子どもの未来について考えよう、
と発言すべきだったとわたしは考える。

「われわれの首相が、平和について哲学を語るひとであってほしい」!

午前中は昨夜の続きで、被災地に送る冬ものの衣料やかけ布団、
毛布などを「選択&洗濯」。
今朝までで終わる予定が、終わらなかった。

午後は打ち合わせをいくつかして、それから日テレの「バンキシャ」出演。
時間が足りない、としみじみ。

このブログを書いている時点では
まだ開票が始まっていないが、
今日は上関の町長選挙の日。
原発推進派の現町長に、
祝島から反対派の候補者が立候補している。
なんとか祝島のひとたちの勝利という結果にならないか。
祈るように願う。

2011年9月24日土曜日

9月24日

連休二日目の土曜日。
せっせと、ふたつの「せんたく」を。
選択と洗濯だ。
北の冬の訪れは早い。
冬物を送ってという作家・渡辺一枝さんのメールを、このブログでご紹介したことがあった。
9・19の1000万人アクションが終わる前は全く時間的余裕がなかったのだが、
その後も原稿がたまっていた。
それを昨夜まで、というか今朝までに終えて、
さ、冬物の選択と洗濯を。
午後は出かけ、いま戻ったところだが、
これからアイロンをかけることにする。
このブログを読んで、
すでにお送りいただいたかたも
少なからずおられるようだが、
呼びかけたわたしが遅れているのが、
気になっていた。
整理をし、選択をして、そして洗濯を。
どんなかたの手に届くだろう。
母にプレゼントして、一度も手を通さなかった
冬用の寝間着や肩掛けもたくさん出てきた。
わたしが身に着けないような、
きれいなピンクやブルーや花柄のものばかりだ。
ひとつひとつが思いでの品だが、
被災地のどなたかにお役に立っていただければ、
こんなにうれしいことはない。
母もきっと喜んでくれることだろう。
明日の朝にはいくつもの段ボールが
玄関に積まれているに違いない。
さ、夕飯をしっかり食べて、夜なべ仕事だ。
 
 

2011年9月23日金曜日

9月23日

秋分の日の二十三日。
今日は珍しく、一日中、東京にいた。
日中の気温は高かったが、朝夕の風はやはりもう秋。
「むかしのひとの言う通りだねえ、暑さ寒さも彼岸までって」。
わたしには、充分確固たる「むかしのひと」と思えた祖母が
お仏壇の花の水を取り替えながら、空を見上げていったのは、
何十年前のことだったろう。
祖母がいて、母がいた彼岸だった。
この秋はまだ金木犀の香りを東京店ではかいでいないが、
あれは、金木犀が香るお彼岸の朝だった。

ところで、二十四日午前一時から午後一時の間に、
宇宙のゴミと呼ばれる人工衛星のかけらが、
宇宙からこの地球に落下するという。
いま問題になっているのは、
一九九一年にアメリカが打ち上げたものだ。
「宇宙のゴミ」が、人に落下したことは、いままで一度も
ないらしいが、そして、大気圏に突入にした時、
燃え尽きる場合が多いと言われてはいるが‥‥。
万が一、どこかの国の原発に落下したら、どうなるのか!
一九八五年には、那智勝浦の人家に、旧ソ連の人工衛星が落ちている。
お役目ご免になった人工衛星の「宇宙のゴミ」自体、
大国の威信と宇宙制覇をかけた競い合いの副産物でしかない。
結局は軍事力の果てしなき競走でしかない人工衛星のゴミが、
原発を直撃したら、どうなるのか‥‥。
それも「想定外」という説明がされるのか。
今更ながら、地球に生きるわたしたちは、
ぎりぎりの崖っぷちで暮らしていることのおそろしさを痛感させられる。

どこまで人間は、自らの欲望に支配され続けるのだろう。

2011年9月22日木曜日

9月22日

ジェーン・グールドさんという、
イギリス人の動物行動学者がおられる。
日本でも彼女の本は刊行されているが、
30年近くもタンザニアで生活している。
チンパンジーの行動についての記述が多いが、
単に「研究対象」としてみるのではなく、
「共に生きる同士」として遇する姿勢が素晴らしい。

彼女は、ひとに接するときも、
ひと以外の動物に接する時も、
いのちへの敬意を忘れてはならないと主張する。

その彼女の言葉がいつも心にはある。
WE HAVE A CHANCE TO USE THE GIFT OF OUR LIVES TO MAKE
THE WORLD A BETTER PLACE.
わたしたちは、贈られたいのちを、世界を
より拓かれたところにするために使うチャンスを持っているのです。

明日から三連休。
わたしは休みなし、だけれど、贈られたいのちを有用に使うために、
今夜はちょっと古めのジャズなど聴こうか。

2011年9月21日水曜日

9月21日

台風の影響で、クレヨンハウス東京は夕方18時に早めの店じまい。
心配していた大阪店に午後に電話をすると、「もう天気になりました」。

18時というと、オーガニックレストラン「広場」の夜のビュッフェの料理は
すでにできあがっている。 
「じゃあ、スタッフみんなで食べて、早く帰って」と、
みんなを地下の「広場」に送り出す。
が、食事をして帰ろうとしたら、止まっている交通機関が多くあり、
「まだまだ帰れない」状態のスタッフも。

窓の外、今は風雨もおさまっている。妙に静かだ。
豪雨で地域ごと避難した住民もいるし、行方不明者や、亡くなったかたもいる。
お年寄りの施設が土石流で全滅したことを思い出す。
そうして、こういった施設の多くは、
「風光明媚」な「人里離れた危険な場所」に建っている。

これ以上、被害がひろがらないように、と願っている矢先、
福島の地域で大雨が、というニュースが。
原子炉建屋の、例のたまりにたまった汚染水は大丈夫か?
溢れだすことはないか?
そして、またもや避難所に避難させられるひとびとの、疲労とストレスは?
落ち着かない夜だ。
なんだか今夜は、とても疲れた。

2011年9月20日火曜日

9月20日

昨日の9・19集会&パレードについて
いろいろなメールやファックス、電話をいただいている。
その中から一通のメールを、ご了解をいただけたのでご紹介したい。
学校名をお出しすることもOK、ということだった。

自由の森学園のある先生からのメールである。

今日(19日)の集会に、同僚5人、生徒4名、
保護者数名とともに参加してきました。
(中略)
僕は、会場の一番端っこにいました。
デモを一緒に歩いていた生徒がこう訊いてきました。
「ねぇ、今日のデモって、将来教科書に載るかな?」
僕は応えました。
「教科書に載るかどうかはわからないけれど、
日本の民主主義の年表には、太字で書かれるべきことだよね」と。

心地よい疲れを味わい、
また明日から生徒たちとともに社会と世界と
向き合いたいと思います。

なんと素敵なコール&レスポンスだろう。
時代は幸せとはほど遠いが、
なんと幸せな生徒と教師の関係性だろう。

ありがとう!

2011年9月19日月曜日

9月19日

長い一日が終わろうとしている。
「朝の教室」。小児科医の山田 真さんのお話が素晴らしかった。
フクシマの子どもたちのいま。そして、そこで暮らす大人たちのいま。
お年寄りのいま。隣人との関係性のいま。
穏やかな口調の中に、激しい憤りの炎を感じるお話だった。

朝の教室を終え、お昼を食べる時間もないまま、
パンをかじって明治公園に。
鎌田慧さん、大江健三郎さん、内橋克人さん、私、そして、
この日のためにリハビリを続けてこられた澤地久枝さんの順番で、
呼びかけ人の4分間スピーチ。
それからFoEドイツ代表のフーベルト・ヴァイガーさん、
ハイロアクション福島原発の武藤類子さん、俳優の山本太郎さんのスピーチが。
そうして、三つのコースに分かれて、「さようなら原発」のウォーク。
呼びかけ人は、明治公園から代々木公園までのコースだった。
無事、完走ならぬ、完ウォーク。途中、いろいろなかたと出会い、
言葉を交わしながらのゆったりウォークだった。

わたしは、以下のようなスピーチを。

こんにちは! こんなにも大勢のあなたに出会えたことに感謝します。
けれど、こんなに暴力的ないのちへの犯罪が、出会いのきっかけで
あったことを考えると、無念です。
この国は、なんという仕打ちをしたのでしょう!

ビートルズに「IMAGINE」という歌がありました。
想像してください。
子どもは、どの国の、どの社会に生まれてくるかを、
選ぶことはできません。にもかかわらず、その子どもたちに、
いまもなお、被曝させ続けているのです。

想像してください。
フクシマの子どもたちを。そして、この国の子どもたちひとりひとりを。
母親の胎内にいる子にも、です。
いま、この時にもです。
スリーマイル島、チェルノブイリ、そしてフクシマ。

想像してください。
今度はどこで? 次は誰が? という絶え間ないストレスと不安を
押し付けられて生きているのが、わたしたちの現実であることを。
放射性廃棄物の処理能力を持たない人間が、原発を持つことは、犯罪です。それは、いのちへの、人がすこやかに自分自身を生きていくことへの、国家的な犯罪なのです。
容易に核兵器に変わり得るものを持つことは、
恒久の平和をうたった憲法を持つこの国の、許容できない侵害なのです。

想像してください。
幼い子どもが、夜中に突然目を覚まし、「放射能、来ないで」と叫ばざるを得ない社会を。
わたしは、この犯罪に加担したくはありません。
わたしは、この人権侵害に、この差別に、加わることを拒絶します。

それでも想像してください。
今日の、この一歩が、反戦を反核を、
そして原発という呪詛から自由になることを心から願う、
すべてのそれぞれの、わたしの、
具体的な行動の、再びのはじめの一歩になることを。

核という、この強大なる脅威と暴力、組織的犯罪と対峙するには、
わたしたちはあまりにも非力かもしれません。
それでも、わたしは信じています。
何万人のひとびとが、今日ここに集まっている、というその事実を。
北の空。大間原発が見える海に集まり、
函館の駅に向かう北のひとびとがいまいることを。
日本各地で、この時間に歩き出すひとがいることを。
この明治公園から始まるウォークに参加するために
オーストラリアから帰国された、順子さんがおられることを。

世界中から、原発と核が消えるをわたしたちのゴールに、
まずは再稼働を止めましょう。
暴力に対して、わたしたちは非暴力を選びます。
それがわたしたちの、最大の、力なのですから。

わたしたちはあきらめません。
わたしたちは慣れません。
わたしたちは忘れません、目を逸らしません。
このウォークをけが人ゼロ、熱中症ゼロ、
むろん逮捕者ゼロで終わらせましょう。
明日からの日々に向けて、あるきだしましょう。

以上、一字一句記憶しているわけではないが、こんなことを話した。
今日を再びのスタートに、1000万人の署名を目指して………
今夜は眠る!
おやすみなさい。

2011年9月18日日曜日

9月18日

明日は、さようなら原発1000万人アクションのデモ当日。
慣れないこともあり、多少混乱気味だが、
怪我人や病人を出さないことばかりに、気持ちが向く。
そんな中で、こんなメールをいただく。
申し訳ない、と思うと同時に、この取り組み方に感謝の念がわく。
「多くの日本人日本人に知ってほしい」とあるので、再びペーストさせていただきます。

ーーーーーー
突然のメールで申し訳ございません。
ドイツにいる友達が下記のYouTubeのサイトを送ってくれました。

ドイツのTV局ZDF「フロンタール21」シリーズが 8/26 放送した番組
http://www.youtube.com/watch?v=yk3lIFxxaxo

多くの日本人に知ってもらいたいと思いますので落合さんにもお送りいたします。
日本人は事実を知らされていないということに怒りを感じます。
日本社会はどうしたら変わっていけるのでしょうか。
日本の子供たちの将来が心配です。特に福島の子供たちはどうなるのでしょう。

わたしはオーストラリア在住ですが、9月18日には日本に帰国し、
19日の明治公園「さようなら原発集会」に参加させていただきます。
庶民が立ち上がり、社会を変えていく時がきているのだと確信しております。
市井Blades順子
ーーーーー

市井Blades順子さん、ありがとう!   明日、お会いできるかな?
そしてみなさん。わたしたちは、このドイツのTV局以上の報道を、
日本のTV局で見ることが出来ない。この事実に、怒らないわけにはいかないよね。
日本のメディアは、もはやメディアじゃないんだ。どうした!

だから、明日19日を、成功させなければ。
この国を目覚めさせ、メディアを目覚めさせなければ。
福島の子どもたちが、日本の子どもたちが、心配でならない。

いろいろ不安はありますが、どうぞよろしく。
繰り返しますが、体調が思わしくないかたは
どうか無理されないでください。お水、帽子もお忘れなく。
(飴玉など数個、ポケットに入れておいたら、いいかも)
また、ひとりで参加されるかた、はじめてデモに参加されるかた、
ご高齢のかた(わたしもそうだっ!)は特に、ご無理されないように。
かけがえのない意思表示が、苦痛に終ってしまったら、悲しいです。
とにかく「楽しみ」ましょう。
また来たい、という一日にしたいですね。

このブログでご紹介した南相馬に入った
作家、渡辺一枝さんから次のような
メールが届きました。ご紹介します。

ーーーーーー
………南相馬への支援物資の件で、
ブログに載せて下さってありがとうございました。
「落合恵子さんのブログで見ました」のお手紙と共に
多くの方からの支援物資が届いていました。
また、クレヨンハウスにお勤めの方からも届いていました。
先週の日曜日、仮設住宅から被災者の方達がホテル六角に来て、
それぞれ必要な衣服を持って行かれました。
また明日、その後に届いた支援物資を、先週とは別の仮設住宅の
被災者がとりにくる予定です。
ありがとうございました。

このブログをお読みのかた、ありがとうございます。
実はわたしは19日の1000万人アクションの準備や
地方でのプレ講演会などに行っていたので、
冬物の選択と洗濯(両方、センタク!)がまだ終了していない。
19日が無事終ったら、選択と洗濯をしなくては。

以下「一枝通信」より、一部ご紹介。
先月末にみなさまに、ここ南相馬の被災者に冬物衣類の支援を送って下さるよう、お願いを致しました。
その後、多くの方から南相馬ビジネスホテル六角の大留さんに宛てて直接に、また私の自宅宛にも支援品が届きました。(略)
ここ六角は大留さんを中心として仮設住宅に住んでいる自らも被災者の方たちが、
仮設住宅に住む他の方達をボランティアとして支援する活動のセンターになっています。
(略)
先週末までに集まっていた分は、11日の日曜日に全て必要な人たちの手に渡っていました。
そのやり方はこうでした。
食品などはこちらから各仮設住宅を回って配っていくというやり方ですが、衣服は六角までとりにきてもらうという方式をとったのです。
予めボランティアが男性用上着、セーター、ズボン、女性用上着、セーター、ズボン、子供服、などと仕分けしてブルーシートの上にそれぞれを並べ、コート類はハンガーにかけて並べて、そこから選びとってもらうようにしたそうです。
この日は1時間の間に全ての品が無くなったそうです。同じ仮設に住んでいてその日に来られない人の分も、来た人が持って帰ったりもしてくれたそうです。
三足あったスニーカーは、直ぐに貰われて行ったようです。
みなさん本当にとても喜んで下さったそうです。六角に直接お送りくださった方達にはきっと、「原発被害からいのちと環境を守る会」からお礼状が届いたのではないかと思います。
その後も衣服は届いてきていますが、まだまだ必要としている方達は大勢います。
どうぞみなさま、引き続きご支援をお願い致します。冬物衣服の他にスニーカーなどもとても喜ばれます。
今回来て被災者のみなさんからの話を聞くと、夏はタオルケットで寝ていたがこれから寒さに向かって毛布が必要です。掛けふとんもお年寄りが多いので重たい綿のものではなく軽い羽毛ふとんがあればとても助かります。もしも不要のものがありましたら、どうぞ送って下さい。
また、冬になれば暖房も必要です。こたつは1台ずつ行政から配られましたが、暖房器具なども必要になります。台所の足元カーペットなども不要のものがあったら、ぜひ送って下さい。
これらの他に、引き続き食料などもみなさんとても喜んで下さいます。昨日もちょうど届いていた生鮮野菜や果物などを仮設住宅に配りました。「わぁ、梨が食べたかった!」とビニール袋にたった一つずつ入った林檎と梨に、頬ずりするおばあさんがおいででした。
今日もまたお米や茄子、インスタントみそ汁などをボランティアの方達が配りに行きました。お米は5キロ入りや10キロ入りの袋で届きますが、それをボランティアの方が小分けして、他の品と併せて配るのです。仮設住宅に住んでいる多くはお年寄りです。どうぞ、これからも支援をお願い致します。
送り先は下記です。

〒975-0049 福島県南相馬市原町区大甕字林崎51 ビジネスホテル六角 大留隆雄さん宛
      Tel 0244ー24ー2639

ーーーーーー

2011年9月17日土曜日

9月17日

なんだか久しぶりに東京にいる、という感覚だ。
連休の初日の今日は、東京駅も大混雑。
家族連れが多い。
笑い転げたり、ぐずったり、走り回る子どもたちを目にすると、
気持ちはやはり福島へ。
福島の子どもたちは、どんな連休を迎えているのだろう・
中には、帰還宣言をし、村に帰るスケジュールをたてている村もあるのが、 
「年間1ミリ以下」は大丈夫なのだか。
除染は可能なのか。
帰りたい気持ちは痛いほどわかるが、それがどんなに厳しくても
国は、個別の正確な指針を示すべきではないだろうか・。
「自己責任」の名のもとに、
すべてがなし崩し的に動きそうで、こわい。

午後からは幾つかの打ち合わせが。
夜は園関係の講演が。
今日も長い一日になった。

2011年9月16日金曜日

9月16日

昨日に続いて、今日も東北。

明朝いちばんで帰京予定だが、
少々疲れはたまり気味。だが、
丈夫な身体に生んでくれたおふくろに、感謝、感謝!

学生時代、デモに明け暮れた友人に9・19について、
相談したところ、以下のアドバイスが。
はじめてデモに参加するひとや高齢のかたは、
デモの「中間あたり」に入ったほうがいいのでは、と。
慣れているひとはいいが、はじめてのひとが戸惑われたり、
アクシデントに見舞われたら………。
そう思うと(想像力はいつもペシミスティックな方向に傾く)、
ここ数日、不安でならなかった。
事務局に伝えよう。
繰り返しになるが、怪我人ゼロ、熱中症などの発症ゼロ、
逮捕者ゼロで終えよう。
「力」に対抗するのは「力」ではない。
無理することはない。
今回参加できなくとも今度がある。
呼びかけ人がブレーキをかけるようなことを
言ってはいけないのかもしれないが、どうかどうか、
自分の体調と慎重に相談してください。

辞任した鉢呂さんの「失言」。
「放射能、つけちゃうぞ」は、いじめを誘発する言葉でもあり、
確かに問題だが、「死の町」発言は、
「ゴーストタウン」と同じような意味で言ったのかもしれない。
その言葉がどんな意味を持つかは受け取る側、
ひとりひとりの感受性に任されるが。
政治家は発する「言葉」が大事だし、同時に、
市民から発せられた言葉を真摯に受け取って欲しいが、
彼が原発依存からの脱却を主張していただけに、
なんだかなあ、である。
メディアは、ワシントンでの前原発言についても、
もっと問題提起すべきではないか?

2011年9月15日木曜日

9月15日

なんだか気分がすぐれない。
朝一番に、アイルランドのアーティスト、エンヤの歌声を聴く。
母の介護をしていた頃、
エンヤは母とわたしの朝を迎える曲だった。
「おかあさん,今朝は朝顔七つ咲いたよ。
水色のきれいな花だよ」
認知症と診断された母のベッドサイドでそう声をかけると、
母はぽっかりと目をあけて、
赤んぼうみたいに真っ直ぐに娘を見つめたものだ。

フランスの核施設での暴発は
どうなったのだろう。
その後の、詳しい情報が公開されていない。
当局は、放射能漏洩なしと言っているが、
不安は募る。
ここでもわたしたちは、情報公開が不充分、
という壁につきあたる。
世界有数の原発輸出国フランスでも
正確な被害状況を公開することに
ストップがかかっているのでは?
そう疑ってしまう。

エンヤの歌声に送られて、今日は山形へ。

2011年9月14日水曜日

9月14日

19日は、いよいよ「さようなら原発1000万人集会」。
呼びかけ人の内橋克人さん、大江健三郎さん、
鎌田慧さん、澤地久枝さん、わたしも参加する。
「いよいよ」と書いたけれど、力む気持ちは、いまは正直ない。
「参加しますよー」と大勢のかたからお声をかけられるけれど、
むしろいまは、「どうか無理をなさらないでください」という思いが強い。
天気予報では晴れ、とのことだが、晴れれば晴れたで、熱中症がこわい。
帽子も、水も忘れずに。

「行くぞー」と朝、目を覚ましたら、
なんとなく気分が悪いといったかたは、
なにも無理することはないと思う。
19日が、ゴールではないのだから。
いま、わたしが願うのは、当日、怪我をしたり、
具合が悪くなるかたがひとりも出ず、
逮捕者ゼロで終ることだ。
先週末の新宿のパレードでは逮捕者が出た。
「力」に対して、「力」で競い合うのは、悲しい。
穏やかに、確かな歩みを刻みたい。
誰ひとり傷つくことなく。
もういちど、参加されるかたは、お水、帽子を忘れずに。
気分が悪くなったら、途中で抜けてもいいのだ。
頑張りすぎず、に、ね。

当日は、クレヨンハウス「朝の学校」。
講師は福島の子どもたちを診療されてきた小児科医の山田 真さん。
権威にならず、メディアに媚びず、
淡々と子どもと共にを選択されてきた山田 真さんの姿勢に、
わたしは心から敬意を抱いている。

当日、「朝の学校」からそのまま明治公園に向かうひとも多そうだが、
どうか無理されないように。

2011年9月13日火曜日

9月13日

原発大国と呼ばれる、フランス南部マルクール原子力施設にある
核施設に爆発があった。「一人死亡」、「四人負傷」と報道は伝えている。
フランス原子力安全機関は「施設内部と外部に
放射性物質のよる汚染はない」と発表している………。
というところまでしか、ニュースは伝わっていない。
国策としての原発に事故が起きた場合、正確にして早急な情報提供を
どれだけわたしたちは期待できるか。
「フクシマ」を考えても、正直懐疑的にならざるを得ない。
正確にして迅速な報道がほしい。
また、報道通り、「一人死亡」であっても、
その「一人」には当然ながら、
かけがえのない人生があり、家族があったはずだ。
「一人」が正確な「数字」であったとしても、
「一人で良かった」には決してならないはずだ。
無機的な数字で、かけがえのない「いのち」が語られ、
スルーされてしまうことを、
わたしはなによりもおそれる。

2011年9月12日月曜日

9月12日

このところ、「属する」といったことについて考えている。

わたしはできるだけ、どこにも属さない方法を選んできた。
というよりも、わがままなようだが、どこかに属する時間的余裕もないし、その「どこか」と「わたし」の間に往々にして違いを見つけ、
それが苦痛になることも過去、少なからずあったからだ。

「ひとりの時空」の中でようやく紡ぎだした、
たとえ貧弱であっても頼りなくとも、わたしなりの考えは、
わたし「ひとり」のそれであり、それをほかの多くとシェアするほどの力を
自分は持ち得ていないとも考えてきた。
拙著『「孤独の力」を抱きしめて』にも書いているように、
いろいろなことを考えたり、感じたことをより深く自分の内側に受け入れ、
ひとつの選択や決意のもとに行動を起こすためには、
「ひとりの時空」が、わたしにはなによりも必要だ。
だから余計、できるだけどこかに属さない、大仰にいってしまえば、
わたしが属することができるのはわたし、という方法をとってきた。

むろん、どこかに属することは、属するどこかが自分の考えかたに
きわめて近いことが条件ではあるが、属したどこかの内部に
決して許容できない差別的体質やヒエラルキーなどを見つけてしまうこともあって、
ここ十数年は特に「所属ナシ」でやってきた。
属した組織との間に埋めようもない亀裂を見つけ、深い傷を負って、
そこを立ち去るひとも大勢見てきた。
そんな過去のトラウマふうな風景が、よけいわたしを「団体」とか
「集団」とか「組織」との間に距離をとらせ、自前で動いたほうが
はるかに気持ちよいとしてきた。

けれど自前で動いても大きな力になり得ないという矛盾も、
それは同時に抱えることではあった。
いろいろな集会の賛同人になることはあっても、できるだけ呼びかけ人にはならないという形をとってきたのも、そういう理由からだった。「ひとり」として賛同するならいいが、呼びかけるとなるとそれだけの責任がより生じるからだ。

午後まで今日はせっせと原稿を書いて、
それから幾つかの打ち合わせ&インタビューを。
そして今夕は、日本ペンクラブの平和についてのセクションで、
脱原発についての会議が。これも会員のひとりとして参加している。
脱原発についてはもう少し早く立ち上げたかったが、
今まで会議の日は仕事で東京を離れていて不参加だった。
大事なテーマなので、今夕は、万難排して参加する。

2011年9月11日日曜日

9月11日

「まだ続けていますか?」
そう、よく訊かれる。
被災地の子どもたちに絵本を送る、
「HUG AND READ」のプロジェクトについてのお問い合わせだ。
先日も講演先で訊かれた。
脱原発の活動を並行していても、もちろんわたしたちは忘れない。
毎週、倉庫に入って仕分けを続けているスタッフもいるのだから。
けれど、ほかのかたから「まだ続けていますか?」と訊かれると、
覚えていてくださったのだと嬉しい。
まずは「忘れないこと」も東日本大震災で被災されたそれぞれのかたへの、サポートの第一歩だ。

きょうで半年を迎えた。
いまはメディアの報道は続くだろうが、この時期を過ぎると、
ニュースも減っていく可能性が高い。
だからこそ、「わたしたち」は忘れない。
政治の手厚い支援を被災地のかたがたと共に求めるのと並行して、
個人としてもつながりたい。

東北の冬は早い。冬物の衣類(下着から上着まで)も必要だ。
また、雪が多くなる季節、室内で過ごす時間が増える子どもたちに向けて
「HUG AND READ」の再びの頑張り時がやってくる。

「もちろん、つづけています」「本をお送りください」とお願いしたい。
多くのプロジェクトが事実上「店じまい」をしてしまったのだからこそ余計、
わたしたちは続けることを約束する。
よろしくお願いします!!!

もうひとつ嬉しいニュースを。
・HUG & READで本をお送りした、福島県いわき市立高坂保育所のかたが来られ、子どもたちが大喜びでした、どうもありがとう、とおっしゃっていかれた、
という日報が子どもの本のフロアから。

わたしは外でのあれこれが忙しく、このところクレヨンハウスにはいられないのだが、
こういった伝言に接すると、素敵な深呼吸を贈られたような。
いわき市に送られた本は「あなた」からの絵本かもしれない。
ありがとうございます。

福島にとっては一層厳しい冬がやってくる。

2011年9月10日土曜日

9月10日

土曜日は朝から「パック・イン・ジャーナル」。
ほぼ原発特集の2時間だった。
「朝の学校」の講師をお願いした
後藤正志さんもご出演されていた。
番組が終って、そのまま日本教育会館へ。
「週刊金曜日」創刊18周年記念の講演会。
18年になるのだ、と改めて考える。
わたしは途中から、編集委員のひとりとして参加した。
先輩編集委員の筑紫哲也さんも、井上ひさしさんも、
もういらっしゃらない。
それぞれのかたから受け取った「宿題」を
しっかり握りしめていきたい、と改めて痛感。

それにしても………。
民主党の前原誠司政調会長は、7日、ワシントンで
「3・11以降の日米同盟」というタイトルで講演を。
PKO(国連平和維持活動)で、
自衛隊とともに活動する外国部隊が攻撃を受けた場合、
反撃できるようPKO参加、5原則を見直す考えをスピーチ。
また、すべての武器輸出を禁じる、
武器輸出三原則の見直しについても触れた。
憲法9条が禁じてきた「海外での武力行使」や
「他国の武力行使との一体化」に抵触する内容ではないか。
武器輸出三原則とは、すべての武器や武器技術の輸出を
禁じる政府方針だが、この禁が緩和されれば、
「なんでも、あり」にならないか。
事実上の、憲法「改変」はスルーしてしまいかねない発言だ。
こうして「なんでも、あり」の風潮が広がれば、
憲法はなし崩しとなり、「核のゴミ」もモンゴルに「輸出」か。
気分曇天の、週末である。

2011年9月9日金曜日

9月9日

友人のジャーナリストから、以下のメールが入った。
フランスの元環境大臣コリンヌ・ルパージュさんが
最近福島を訪れ見聞した報告記事がフランスの
インターネット新聞「Rue89」に掲載された。
わたしたちが既に知っている情報も中にはあるが、
以下、ご紹介する。

2011年9月2日 仏インターネット新聞「Rue89」
http://www.rue89.com/corinne-lepage/2011/09/02/de-retour-de-fukushima-ou-le-silence-et-les-mensonges-tuent-220331

福島からの報告、そこでは沈黙と嘘が住民を殺す

すでに数週間前から、福島原発事故の危機は
すでに現実的な問題ではなくなっている。
大多数のフランス国民は、問題はすでに解決されており、
東電と汚染水処理を担当するアレバ社は
完全に事態を掌握していると思っている。
避難すべき住民はすでに避難しており、
放射能の測定値は低下し、フランスから見ると日本は
原発を間もなく再開するように見える。
フランスの原子力ロビーから情報提供されたフランスのマスコミは、
この原子炉、あの原子炉が間もなく再開されるだろうと報道しています。
しかしそれらは悲劇的な嘘なのです。

●数百万平米の水が汚染されている
まず第一に、私は環境大臣、環境副大臣、福島県副知事に会ったが、
彼らは「危機は去っていない、何も解決していない」
と言っていた。

正確な情報は非常にまれなのです。

日本の行政当局は
「3つの原子炉の炉心が溶融し圧力容器を貫通したこと」
を認めています。
しかもいまどのような状態なのか分からないのです。
特にもっとも肝心な点である格納容器が、
溶融した核燃料で穴が開いたかどうかさえも分からないのです。
もしも格納容器に穴が開いていたとしたら、
必然的に地下水は放射能に汚染されたことになります。
グリーンピースは汚染水の処理に関して、
処理はたった今始まったばかりと言っています。
日本の行政当局は誰も話したがらない
放射能に汚染された汚泥が増え続けていることと
数百万トンの汚染水が貯まっていることを認めています。

●放射能測定器が空港で止められている
二つ目に心配なことは、福島地方に居住している家族が
文字通り悲劇的な状況にいることです。
私は断固とした決意をもって闘っている女性たちが率いる
数百家族が集まっている市民団体と話をしました。
彼女たちの言う事は十分理解できます。
彼女たちに起きたことは
かつて私たちがチェルノブイリ原発事故の際に遭遇したことと同じなのです。
日本の気象庁は福島原発事故が起きた時の風向きを表示する地図を提供できませんでした。
住民は風がどの方向から吹いて来るのかがわからなかったのです。
住民には何の避難指示も出されずヨード剤も配給されなかったのです。
汚染度に関する情報が公表されるまでに一か月待たねばならなかったのです。

40,000個の放射線測定器が政治的な決定で
東京国際空港にいまだ留め置かれたままになっているのです。

●子どもを心配する母親たち
食品検査に関して事前検査は行われていますが、
検査結果は食品が流通した後に知らされているのです。
母親にとって一番の問題は子供たちの状況です。
国際原子量委員会(AIEA)加盟の日本を含めたすべての国は
年間の許容放射線量を1ミリシーベルトと決めています。
原発労働者の年間許容放射線量は20ミリシーベルトです。
福島県内の原発近くに居住する人の年間の放射線量は
5ミリシーベルトを大きく超え、場所によると20ミリシーベルトになるのです。
彼女たちは子どもたちのためと自分自身のために、
1ミリシーベルトの環境で住める権利を要求しています。
問題は誰も彼女たちの質問に積極的に応じられる答がないことです。

●より広い地区からの避難を考えるべき
考えられる二つの解決法は除染と、充分に議論された避難です。
50cmから60cmの深さで土を掘って除染する訓練が行われています。
そのことで汚染レベルを下げることができますが、
県全体を除染することはできません。
そして考えるべきは二つ目の解決方法です。
希望する人々を出発させることです。
離れていく人がほかの地域でも生活できるようにすることです。
実際のところ日本の行政当局は、悲劇的なことですが、
行政のやり方でしか行っていません。
住民には十分な情報が届かず本当の状況を知る手段は拒否されているのです、

●農民は損害賠償されず
変化と技術的観点から、農業も例外とはならず
行政当局の不作為によって犠牲にされています。(中略)
生産者は生活のため損害を補償されるべきなのです。(中略)
日本が直面しているこの悲劇的な状況は、全ての工業国に対して
同じ危険と同じ悲劇が生じることを示しています。

沈黙が日本を支配している理由は、正確に言えばこのためなのです。

●医師たちが独自のネットワークを立ち上げた

医師は語る権利がなく、敢えて語る事をやめています。
小児科医のネットワークが現地にでき、農村部で医師たちが
住民の健康を守ろうと努力し、医学的フォローが始まっています。
しかしこれらの全ては市民によって行政とは別建てで組織されているのです。
原子力当局は福島原発事故による疫学的な影響に関する、
詳細で正確な結果は得られないだろうと決めています。
私たちが闘わねならないのはこの沈黙の壁なのです。
なぜならば、福島の子どもたちはフランスの原発が立地するフェッセンハイムやブジェやブレイエの子どもたちと同じ運命だからです。
大きな困難と現場で戦っている市民団体について、語り行動し支援することは私たちの責任なのです。(後略)

2011年9月8日木曜日

9月8日

東日本大震災から3か月がたった6月11日。
このブログでもご紹介したが、
広島原爆ドームの前で心に響く廃炉のスピーチをされた女性。
彼女は幼いお子さんと一緒に福島を離れ、
廃炉のためのアクションを続けておられる。
スピーチを拝読してから、彼女とは時々、メールを交換している。
わたしたちクレヨンハウスが被災した子どもたちに
本をお送りする{HUG&READ」の本が、
彼女たちが暮すところにも届いた、
というメールとともに、次のようなメッセージが昨日、入った。

………今朝の新聞で、
福島の先生たちの除染活動などの記事がありました。
子どもたちの被曝量を減らすための除染、
子どもたちが放射線について考える教育・・・
最初の最初で、かけちがえてしまったボタン。
<今、ここに子どもがいてはいけない。
大人は何としても子どもたちを外(福島)に出さなくてはいけない>
という現実認識を大人が持てない悲劇に、叫びたい気持ちです。
9・11は、福島県立医科大学で、
山下俊一氏らが呼びかけて放射線医療の国際会議があるそうです。
今「科学」や「医学」は、私たちを苦しめ、あざ笑う巨人です。
確率、リスク論といったものに、子どもたちを預けてしまうことはできません………。
この切実な叫びを、ここまできてしまった社会の構成員たるわたしたち大人は、
真摯にシェアしたい。
しかし、どうやって「外に」だすことができるのだろう。
このことを多くの人たちは随分前から考えてきた。
何度もプロジェクトが立ち上がりそうになり、
けれどそのたびに立ち消えていった。
正直、わたしたちはいま、具体案を持ち得ないでいる。
政府はむろん動いてはくれない。
どうしたらいいのか。

2011年9月7日水曜日

9月7日

東京は、久しぶりの晴天。猛暑は続いている。

日刊ゲンダイ(9月7日)には
「結局 原発15基分の電力が余った!
あまりにもデタラメだった『節電令』」と題して、
次のような記事が掲載されている。
……就任したばかりの鉢呂経済産業相は、
5日の会見で、今年の冬の「電力使用制限令」を
出さない意向を示した。(略)この夏の制限令だって、
本当に必要だったのか(略)
東電によると、9月直近の需要見直しは
4080万キロワットで、供給力は5510万キロワット。
つまり電力は、1500万キロワット余っているのである………。

記事はそう問題提起をした後、原発問題に取り組む
「たんぽぽ舎」の共同代表・柳田真さんの以下のコメントを紹介している。
「原発の発電量が一基平均約100万キロワットとして、
現在は原発15基分の電力が余っている計算です。
日本にある全原発54基のうち、
現在稼動しているのは11基だから、余力の電力量に相当する。
原発ゼロでも全く問題がないことが証明されたのです」
電力が余り、「大量にダブつき始めた途端、
慌てて解除(節電令を)するありさまだから呆れる」と記事は記す。

電力が足りなくなるイコール原発は必要なのだ、というロジックは、
こういった記事と数字を確認すると、当然ながら成立しないことになる。

8日は夕方から日本青年館で、「1000万人アクション」のプレ講演会が。
内橋克人、大江健三郎、鎌田慧、私の呼びかけ人と
賛同人の山田洋次監督、崔善愛(チェ・ソンエ)さんのピアノ演奏がある。

少々疲れ気味のせいか、奥歯が酷く痛む。
頬も腫れてきたがなんとか抗生物質でおさえている。
薬はあまり飲みたくないのだが。

2011年9月6日火曜日

9月6日

きょうは、市谷アルカディアで
「さようなら原発1000万人アクション」の記者会見を。
呼びかけ人の大江健三郎さん、鎌田慧さん、私。
そして賛同人の弁護士・宇都宮健児さんも参加してくださった。
野田内閣についての要請など、会場とのやりとりも活発な一時間余。
わたしは、「老朽化なら廃炉。新設なし。けれど再稼動」という、
野田政権の考えかたについて「2つのことを無視した考えではないか」と発言。
1・現に被曝しているひとが居つづけるということを忘れている。
放射能の感受性が高い乳幼児や子ども、おなかのなかの赤ちゃんなど。
いまこのときも、被曝しつづけていることを無視した政策であること。
2・放射能廃棄物(核のゴミ)の処理する技術をわたしたちは持っていない。
にもかかわらず原発を稼動し続ける限り、核のゴミはこれも現在進行形で貯まっていて、その処分の方法に解決策はない。そのことも無視した、政策ではないか。

話している間中も、新しい九月を迎えた福島の子どもたちが
気になって仕方がなかった。
会場では以下のチラシが配られたので、ご紹介を。

わたしたちは、福島第一原発事故のあと、原発社会からの脱却を願って、九月一九日の「さよなら原発五万人大集会」と「一○○○万人署名運動」をよびかけているものです。

このたび発足しました野田内閣は「経済重視」と「原発再開」を掲げております。
経済生活の立て直しは、たしかに緊急の課題ですが、こと原発との対比で語られますと、経済回復のための原発再開、という民意に反する、危険な強権的なものになります。

はたして、経済活動は生命の危機より優先されるべきものでしょうか。
このたびの原発事故は、いったん事故が起きれば、土も空も海も地球上のすべてを汚染し、人間と動植物の生活の場を破壊する恐怖を示したばかりです。

それなのにまだ性懲りもなく、経済優先を語る無痛覚、無責任さには驚かされます。
もう二度と原発事故を起こさせないためには、前首相の浜岡原発停止の英断につづく、積極的かつ真摯な政策が必要とされています。

技術的に未完成、かつ危険な「もんじゅ」と「再処理工場」の停止と破棄、
緊急停止中の原発の再稼動中止、全原発の段階的な運転停止、
という大英断が必要とされています。

人類が自然のなかで大らかに、核の恐怖に怯えることなく、
平和にして持続的な自然エネルギーに依拠して暮らす、その人間的な権利を手にしましょう。

一、被曝したひと、被曝した食物、被曝した動物、生物の補償が円満解決するまで、政府と東電は交渉を打ち切らない。
一、子どもたちの健康調査と治療は、将来的にも打ち切らない。
一、停止している原発は、再稼動させない
一、老朽化、危険な原発から即刻廃炉にする。
一、もっとも危険なプルトニュームを原料とする、もんじゅ、再処理工場、MOX加工工場は、操業せず、廃棄する。
一、持続可能な、自然エネルギーを中心に据えた、新エネルギー政策への転換を早急に開始する。
以上を求めます。

二○一一年九月六日
9・19大集会呼びかけ人、賛同人一同 

2011年9月5日月曜日

9月5日

会ったこともないのに、あのひとはどうされているだろう?
元気でいてください、と祈るように思うひとが、いる。

たとえば北海道泊原発の近くで暮らし、毎日、毎日、一日も休むことなく、
海水の温度を測っている男性がおられる。
もと保育士だったかただと記憶している。

原発は温暖化を促進する「海あたため装置」であり、
100万キロワットの原発一基ごとに一秒間に70トンの海水を取り入れ冷却し、
排水口から放射能や化学物質をともなって、海に放出される。
その結果、海水は7度から10度は上昇している。
その海水温度を彼は毎日計り、記録をとっているのだ。

それを紙芝居にして、請われれば、集まりに出かけていって上演していると知ったのは、
確か新聞の記事だった。(東京新聞「こちら特報部」だった記憶がある)
各地でこういった地道な活動をされているかたがたの声。
警鐘を鳴らし続けた専門家たちの声。
そうして「誰」かに「頑張ってください」と託すのではなく、
ほかでもない、ひとりひとりの「わたし」の声が、
柔らかくひとつになりますように、と思う夜。

8月20日。抱っこした生後二ヶ月の赤ちゃんの重みが、いまだ両腕にある。
この子たちは、なにひとつ選んではいないのだ。

2011年9月4日日曜日

9月4日

福井に行ってきた。
飛行機で行く予定だったが、
台風の余波で欠航もあり得ることを考えて、急遽陸路で行くことにした。
東京駅から新幹線で越後湯沢に出て、
越後湯沢から「はくたか」に乗り換えて富山入り。

荒れ模様の天気だったが、大勢の方が集まってくださった。
10年前にも、同じ会場で話をしたことがあり、
そのとき担当をされた女性が、会場である富山県民共生センターの
いまは館長さんになっておられた。
時に遅々とした歩みに思える「男女共同参画社会」も、
ささやかながら確かな足取りでこうして進んでいるようで嬉しい。
奴隷と王さまだって、ひとつの社会に「共生」はできる。
差別を積み残したままの「共生」にどんな意味があるのか、
という疑問は依然存在するのだが、できることは、
それがなんでもやったほうがいい。
雨の中、こんなにも多くの女性(男性は団塊の世代以上とお見受けした)が集まり、
さまざまなテーマ(といっても、いのちと人権が基本だが)をともに考える……。
それはやはり大きな「前進」だと捉えたい。
話を終えた後、何人かの女性から
「9月19日の1000万アクション、上京します」と声をかけられる。

帰路は飛行機で。ずいぶん揺れた。
この台風で行方不明になられたかたも少なからずでている。
自然はわたしたち人間を大きな懐でHUGしてくれる一方、
時に人間など抗することのできない刃をむく。
その自然を手中に収めたがごとき幻想と錯覚の上で、 
わたしたちが文明と呼ぶものは「進化」してきた。
というか、進化したと思いこんできた。
次はどこに大地震が?
次はどこに大津波が?
次は? 次は? と怯えて暮らす人生が、
わたしたちの「進化」のあかしなのか。

オーストラリアの女性小児科医、ヘレン・カルデコットさんの
あの「茹でカエル」の話を、
羽田からクレヨンハウスに戻る車中で噛み締める。
熱湯に放り込まれたカエルはその熱さに外に飛び出して助かるが、
水を入れた鍋に入れられたカエルは、鍋ごとガスにかけられ、
水がやがては熱湯になっても、それに慣れて(慣らされて)
茹で上がってしまう、というあの話だ。彼女を思い出したのは、
昨日このブログで紹介したイギリス、インディペデント紙が報じた
「フクシマ」のこれからという記事に彼女の名前を見つけたからだ。
あの日から、まもなく6か月。
わたしたちは「茹でカエル」状態になっていないか?
日が短くなった。
短くなっていく日に合わせて、何かを選びなおすプロセスをはしょってはならない。

2011年9月3日土曜日

9月3日

台風の動きが不安だった土曜日。
西日本各地への被害は心配だが、
「朝の学校」は、ジャーナリストの鎌田 慧さんを迎えて無事開講。
原発が各地で、どのようにして推進されてきたか。
住民はどのように反対を唱え、けれど屈服させられていったか等、
取材を通して見えてきた「この国のありよう」を詳しく説明してくださった。

講演の後、「さようなら原発1000万人アクション」についての打ち合わせを。
静かな会議室で話し合っていると、3・11以降の日々が
まるでいつかは醒める、悪夢のように思えなくもない。
けれど、これが紛れもなく「わたしたちの現実」であるのだ。

イギリスのインディペンデント紙の電子版が29日に(現地時間)
伝えたというニュースが関西在住のかたからメールで入っていた。
>http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0901&f=national_0901_034.shtml

2011年9月2日金曜日

9月2日

どうしてこうも、ニュースは次々に
前のめりになるのだろう。
3月11日以降のあれこれのほとんどは
まだ片付いていないというのに。
フクシマの子どもたちは、その家族は、
胸潰れるような思いを今尚、
そしてたぶん10年先も味わっていかなければならないというのに。

組閣もむろん大事だし、野田政権の今後も
わたしたちの暮らしそのものを直結するものではあるが………。
いま、わたしたちが最も知りたいと願い、
しかし充分に知ることのできない「フクシマ」の「あれから」と「今」が、
充分に伝わってこない。
伝えられていない。
作業している人々の被曝量は、どうなっているのか。
新学期を迎えた、子どもたちの「いま」は!
新しい出来事を伝えるのがニュースであるなら、
それはそれはでいい。
しかし未決のニュ―スを執拗にフォローすることもまた、
ニュ―スであるはずだ。

数年前だったか。
旅先で読んだ地方紙に車の事故を起こした加害者と、
被害者の遺族の5年後だったかを丹念に追った社会面の記事を
読んだことがある。
人としての深い姿勢を感じる、充実した記事だった。
「新しいニュースを追うことだけが報道ではない。
過去にニュースになったものに新しい光を当てることも、
私たちの使命である」
そんなコピーが載っていた。
収束していない原発の事故をしっかり報道すること。
それらが新政権のもとで、どのように扱われるかを取材することも、
ジャーナリズムの大事なテーマであるはずだ。

台風が気になるが………。
明日は、鎌田 慧さんの「朝の教室」。
お気をつけて、ご参加を!

2011年9月1日木曜日

9月1日

九月だというのに猛暑は続き、さらに
大型の台風が西日本に近づいている。
今回は大雨の不安はないだろうが、
大降りになると聞くと、福島第一原発がさらに心配になる。
作業されているかたの高濃度の放射線による被曝の不安はそのままだし、
いま、何が、どこまで進んでいるのかも正直わからないところが市民にはある。
さらにその中で行われた民主党代表戦は、
まるで原発事故などなかったかのように、
きわめて内向きな抗争に終始。
財務省の「組織内候補」と呼ばれたひとが、
経産省の、これまた組織内候補と呼ばれるひとを破って、
新首相が誕生した。
選挙中、少し影を顰めた、増税の声もまたぞろ聞こえる新内閣。
停止中の原発は今後、どうなるのか。
「フクシマ」の収束が見えないまま、
再稼動は、あまりにも民意に背いた「稼動」でしかない。
改めてわたしたちは、新首相にそれを問いかけたい。

台風の大荒れが予想される土曜日、
クレヨンハウス「朝の教室」の講師は
ジャーナリストの鎌田 慧さん。
無事に開講できるよう、明日は天気予報に注意。
 
久しぶりに21時に帰宅。
このところ東京を離れる日が多く、
外食ばかりだった。
名残の夏野菜をたっぷりとりたくて、遅い夕食の支度をする。
オリーブオイルで、ズッキーニ、青唐辛子、パブリカ、ピーマン、
トマト、タマネギなどのざく切りを炒めて、野菜ブイヨンを加えて煮込む。
即席のラタトウイユとレーズンパン。
グリーンサラダで、久しぶり野菜たっぷりな夕食。