2011年7月31日日曜日

7月31日

移動の新幹線の中で、数日前に入手した
『幸田露伴の非戦思想………人権・国家・文明……(少年文学)を中心に』
を読み始める。(関谷 博・著、平凡社)
まだ第一章を読み終えたところだが、
ふっと気になって「あとがき」の部分を読みだす。
時々、こんなことがある。

………"あの戦争の時、この人はどんな発言をしていたのだろう。"
ある思想家なり、文学者なりを、読んでみようかと考えたり、
あるいは更に深く理解したいと望んだ時に、
こういう問いが自然に浮かんでくるのではないだろうか。
殊に、太平洋戦争を体験した作家に対するときは、
この類の問いを発することは、後世に生きる者の責務
のようなものと言ってもよいと思う。
もちろん、断罪などをしたいからではない。
国家と個人の関係といった問題について、重要なヒントの数々が、
そこにあると考えられるからである………。

こう記された著者、関谷 博さんは1958年生まれであると、著者紹介にある。
1945年、第二次世界大戦が終わる年の1月に生まれたわたしは、
2011年にこう問いかける。
………3月11日以降、この人はどんな発言をしただろう、と。
思想家や文学者に限ることはない。
ひとりの人として、このひとは3・11を、そしてそれに続く日々について
どんな風に考え、どんな風にその痛みを共有しようとしただろうか。
もちろん断罪などをしたいからではない。
中には断罪したいヤツもいるけれど、国家と人間、
人間と人権の関係といった問題について、
重要なヒントの数々が、そこにあると考えられるからである。

車窓から、遠くの裏庭に向日葵が咲いているのが見える。
7月も今日で終わり。春が来て、春が去り、夏が来たことさえ、
実感できない日々である。