2011年7月31日日曜日

7月31日

移動の新幹線の中で、数日前に入手した
『幸田露伴の非戦思想………人権・国家・文明……(少年文学)を中心に』
を読み始める。(関谷 博・著、平凡社)
まだ第一章を読み終えたところだが、
ふっと気になって「あとがき」の部分を読みだす。
時々、こんなことがある。

………"あの戦争の時、この人はどんな発言をしていたのだろう。"
ある思想家なり、文学者なりを、読んでみようかと考えたり、
あるいは更に深く理解したいと望んだ時に、
こういう問いが自然に浮かんでくるのではないだろうか。
殊に、太平洋戦争を体験した作家に対するときは、
この類の問いを発することは、後世に生きる者の責務
のようなものと言ってもよいと思う。
もちろん、断罪などをしたいからではない。
国家と個人の関係といった問題について、重要なヒントの数々が、
そこにあると考えられるからである………。

こう記された著者、関谷 博さんは1958年生まれであると、著者紹介にある。
1945年、第二次世界大戦が終わる年の1月に生まれたわたしは、
2011年にこう問いかける。
………3月11日以降、この人はどんな発言をしただろう、と。
思想家や文学者に限ることはない。
ひとりの人として、このひとは3・11を、そしてそれに続く日々について
どんな風に考え、どんな風にその痛みを共有しようとしただろうか。
もちろん断罪などをしたいからではない。
中には断罪したいヤツもいるけれど、国家と人間、
人間と人権の関係といった問題について、
重要なヒントの数々が、そこにあると考えられるからである。

車窓から、遠くの裏庭に向日葵が咲いているのが見える。
7月も今日で終わり。春が来て、春が去り、夏が来たことさえ、
実感できない日々である。

2011年7月30日土曜日

7月30日

土曜の朝の教室。今回の講師は、
東京新聞「こちら特報部」のデスク、田原 牧さんだった。
メディアについて、興味深い話を多々うかがえたが、
個人的に最も印象深かったのは、
多くのわたしたちの内に潜む、「異端」になること、
「異質」と思われることをおそれる気持ちについて
触れられたところだった。
この社会で、この時代で、異議申し立てをすることは
容易なことではない。
その、掌にのせてみることも、匂いを嗅ぐことも、
触ることも見ることもできない(なにかと似ているが)
「異端になることへの不安」、
「異質と位置付けられることの恐怖」が、
私たちに沈黙を強いてきたのではないか。
改めて、そのことを自らの中の不安や恐怖と対峙したいと痛感。
大きな流れに逆らうとき、わたしはいつもこう自分に言い聞かせてきた。
「あなたが想像するほど、だれも、あなたを見てやしない」と。
また、エネルギーシフトがいま盛んに論議されていて、
それは当然だが、だからといって、
国策としてきた国や東電への責任追及を放棄してはならない………。
田原さんはそんな風にもおっしゃっていた。
その通りだ。
「卒」とか「減」といった流れの中で、
さらに次なるステップ、エネルギーシフトの論議のもとで、
責任問題が曖昧にされることは、大きな問題である。
同じ悲劇を繰り返されないためにも、
わたしたちは「責任の行方」をしっかり見定めていたい。

30日の東京新聞朝刊。
時事川柳の欄に次のような川柳が載っていた。

わらが吸い童が吸わぬ道理なし

稲ワラが吸った放射能を、童、子どもが
吸わないはずはない。
無念なことに、そうなのだ!

2011年7月29日金曜日

7月29日

汚染された牛肉が問題になっている。
飼料の稲ワラが原因であるようだ。

3・11以降に降った雨が、
宮城県でも屋外にストックしていた飼料を汚染させたのだ。
が、「屋外」にあった飼料が汚染されたとしたら、
それは稲ワラだけではないのではないか?
生産者のかたがたの痛みと憤りを考えると、
言葉にするのさえ息苦しいが、
その日、その時、屋外にあったものの多くは、
稲ワラと同じような目にあっていたのではないか?
いまは、稲ワラを食べた牛肉だけがクローズアップされているが、
放射能は稲ワラだけを選んで降る、わけではないだろう。

しばらくの後、同じような不安で不穏で不安定な騒ぎが起きないことを
祈るしかないのか、わたしたちは。

2011年7月28日木曜日

7月28日

3・11から3か月がたった6月11日、
広島の原爆ドームの前で、福島のひとりの女性、
宇野朗子さんがスピーチした内容については、
6月のこのブログで紹介させていただいた。
「目を凝らしましょう」と呼びかけた彼女は
スピーチの中で、福島のあの原発に作業員として向かう息子を、
ただただ祈るように見送らなければならない
母親の嘆きについても語っていた。

その事故収束に当たる作業員の、
被曝線量の上限値を、経済産業省原子力安全・保安院が「緩和」を要請するよう、
厚生労働省に働きかけていたことがわかった、
と28日の東京新聞朝刊が報道している。

すでに被曝線量の上限を、
通常の年間50ミリシーベルトまで緩和していたが、
福島第一での被曝量は、通常時の上限値を含めないよう緩和を要請。
従来、50ミリシーベルトを超えると1年間ほかの原発では働けなくなるところを、
5年間で100ミリシーベルトを超えない範囲なら作業を続けてもいい、
と4月25日の時点で厚生労働省が保安院に伝えた、というニュースである。
最悪の場合、2年間で、トータル350ミリシーベルトまで
被曝が認められるということであるようだ。

現場で作業されているひとも、その家族も多くが被災者でもある。
8割近くがそうではないかとも言われている。
同じ東京新聞の28日付「こちら特報部」では、
県の放射線健康リスクアドバイザーを委託され、
「放射能はニコニコ笑っている人には来ない」などの発言で、
福島のひとたちを憤らせた長崎大のY氏が、
福島県立大学の副学長に就任した報道がなされている。
言葉は文脈で解釈されるべきではあるが、
いま、なぜ!という県民の疑問は自然なことであるだろう。

2011年7月27日水曜日

7月27日

発行人をつとめる育児雑誌『月刊クーヨン』9月号(8月3日発売)の大特集のひとつは、
「いま、子どもに何を食べさせたら?」。
放射能を食卓に上げない四つのポイントなど、
非情ないまという時空を切り取った特集になった。

一方、コウケンテツさんの「元気の近道は家ごはん」や、
いまこそ大事な「まごわやさしい」食品等々、
からだを元気にする常備食材、「まごわやさしい」も特集。
「ま」は、マメ類。当然、豆腐や味噌、納豆もマメ類だ。「ご」は、ゴマ。
「わ」は、ワカメ。「や」は、果実、根菜、葉野菜など。「さ」は、魚。
「し」はシイタケ。「い」は芋類。
放射能への不安は募るが、対処法の基本のきは、排出力のある元気なからだづくり。
クレヨンハウスのオーガニックレストラン、ティータイム(14時30分から17時・ラストオーダー16時30分)でも、「まごわやさしい弁当」がオーダーできるようになった。

ところで、数日前のブログで、今年は蝉が少ないのではないか、と書いた。
と、出版の責任者からも、「毎年、うるさいほどすぐ近くの公園から聞こえる蝉の声がやはり聞こえない」との声が。
レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を書くきっかけになったのは、
春に友人から受け取った一通の手紙がきっかけだった。
毎年やってきた鳥がこの春は来ない、という。

蝉の声が少ない七月。
なんだか落ち着かない。

2011年7月26日火曜日

7月26日

今週土曜日のクレヨンハウス「朝の教室」の講師は、
東京新聞「こちら特報部」デスクの田原 牧さんだ。
すでに予約がいっぱいで、キャンセル待ちの状態になってしまって、お待ちいただいているかたも多い。
8月13日は哲学者の高橋哲哉さん。
誰もが犠牲にならない社会システムのありかたを共に考えたい。
8月27日は、かつて東芝で現実に原発原子炉格納容器の設計にかかわってこられた
技術者・後藤正志さんが講師だ。今回の福島第一原発の事故を受けて、
ペンネームを捨てて、ご本名で原発の危険性を告白され続けている、貴重な存在である。

クレヨンハウスは、8月6日~8日まで2泊3日で、
恒例の夏の学校を開催する。
絵本の世界から、メディアの世界から、多彩な講師を迎えての、夏の学校。
講師のおひとりとして、井上ひさしさんをお迎えした夏の学校もあった。
憲法を大事された井上さんでもあった。難しいことを難しく書くのはやさしい。
難しいことをやさしく伝えることが基本だ、とおっしゃていた井上さん。
いま、この2011年夏に井上ひさしさんがおられたら……としきりに考える夕暮れ。

東京では、数日前に蝉の声を聴いた。
が、気のせいか、蝉の声が少なくなっていないか?

2011年7月25日月曜日

7月25日

チェルノブイリの原発の事故のあと、『まだ、まにあうのなら』
(地湧社・刊。2006年に補強版刊行)というブックレットを書かれ、
多くの人々を脱原発へと背中を押してくれた甘蔗珠恵子さんから
長い手紙をいただいた。
そのお手紙の中で、ずっと以前、福岡で講演があった折り、お目にかかった瞬間、
わたしが彼女をHUGして、「そんなことには慣れていない」彼女は、
うまく対応できなかったことが申し訳ない、とあった。
そうだった。
実をいえば、わたしもHUGに慣れてはいない。
するほうも、されるほうもである。
それでもあの時、反射的にHUGしてしまったのは、
『まだ、まにあうのなら』への熱い共感と感謝の思いがあったからだろう。

甘蔗さん。
いつかどこかで再びお目にかかれる日があったときは、脱原発が成功したね、と今度こそお互い照れずにHUGさせてください!
福島第一原発のニュースが少なくなる中で、焦る思いと対峙しながら、25年近く前の、HUGをを思い出すわたしがいる。

今朝の新聞には、この国の市民の七割が原発には反対という数字が。

2011年7月24日日曜日

7月24日

そこらじゅうの茂みに、どくだみが生い茂っている。
独特の香りを苦手とするひともいるが、わたしは好きだ。
多くのわたしたちが花と呼んでいる、あの白い4枚の総苞も、また。
摘んで乾燥させてお茶にしたり、薬草としても昔は大活躍したどくだみだ。

画家、堀文子さんのエッセーに確か、次のようなフレーズがあった。

………むさぼらず、誇らず、黙々と
下積みの暮らしに徹する名もなき者の底力が、
どくだみを描く私の体に地鳴りのように響きわたる………。

1918年生まれの堀さんである。

底力をもって、どくだみのように黙々と………。
わたしたちも生きていきたい。
そうして、いのちを侵略するものとしっかり対峙していきたい。

昨日は終日、兵庫で講演だった。
伊方原発の反対運動をしてきた、「でも失敗をした。けれど、今度こそは」
という、醤油製造業の男性がおられた。
静かで穏やかな口調の中に、自分との約束を感じさせる、ひとだった。

宮城県産の稲わらが汚染されている。
3月、北に吹いた風が原因だろうと言われている。
畜産も農業も漁業も、
わたしたちはいかに東日本に頼ってきたことか。
肉牛の汚染はむろん問題だが、
宮城産の稲わらが汚染されているということは、
その日、外で仕事をしていたひとたち自身はどうなのか。
もどかしいことに、その情報が見つからない。

2011年7月23日土曜日

7月23日

今日は早朝から関西へ。
原発を再推進しようとする人々は
「行程もスムーズにいって、収束に向かっている」
そう言っている。
彼らが「収束」に向かわせようとしているのは、
「脱原発」の流れではないか。

ひとは絶え間ないストレスを
抱きつづけることに、どこかで疲れてしまう。
生物学的にも、それを回避しようとする。
回避の方法はいろいろあるのだろうが、
もっとも平易な方法は、ストレスから逃げるか、
ストレスを忘れるか、ストレスに「慣れてしまう」かである。
おおかたのわたしたちは、「逃げる」ことはできない。
とすると、慣れるしかない。
脱原発の「収束」は、推進する外部からもすでにはじまっているし、
同時にわたしたちの内部からも慣れる、という形ではじまるかもしれない。

わたしが最もおそれているのは、
まさに、この「内部崩壊」だ。

今朝も何冊かの原発を学ぶ本を抱えて、
新幹線に。

2011年7月22日金曜日

7月22日

今日はちょっと感動した話を。

長い間、男子サッカーの陰になって、光が当らなかった女子サッカーチームの大活躍。
心の晴れない時代に、久しぶりの感動を贈られた。

クレヨンハウスの野菜市場に自作の加工食品を卸してくれている
「がんじい」の箱崎恵三さんが、対スウェーデン戦の前に
澤穂希主将が読み上げたメッセージを送ってくれた。
日本のメディアでは報道されていないようなので、ご紹介する。

「日本代表チームは、人種・性別・種族的出身・宗教・性的指向・もしくはその他いかなる理由による差別も認めないことを宣言します。
私たちは、サッカーの力を使ってスポーツから、そして社会の他の人々から人種差別や女性への差別を撲滅することができます。この目標に向かって突き進むことを誓い、そしてみなさまも私たちと共に差別と闘ってくださるようお願いいたします」

ベスト8以降の試合で差別撤廃のスピーチをキックオフ前に行うことになっていて、澤選手が読み上げたものだという。
こんな素晴らしいメッセージを紹介しないなんて、もったいない。

Say  no to racism、Say  no to  sexism, Say no to  ageism,
Say  no  to ablism!
そうして、Say  no  to  NUKE!

2011年7月21日木曜日

7月21日

今日の東京は久しぶりに涼しい風が。
というか、夏服だとちょっと肌寒さを感じるほどの天候。
これなら、電力不足とは言えないだろう、とひとりにやり。
夕暮れの街を、犬がくいっと頭をもたげて誇らしげに散歩している。
被災地の犬たちは、猫たちは、そして家畜たちはどうしているだろう。
放射能に汚染された肉牛を、子どもたちが食べてしまった園があった。
被害を小さく見せようとする当局の姿勢がすべてを後手に回し、
ここでもまた小さな被害者たちが。
なんということだ。
このところ毎日書いているのだが、原発本体のニュースが少なくなっている。
政府は収束工程表の改定、ステップ1の安定冷却は出来たと言っているが、
メルトスルーしたものはどうなっているのだろう。
これもまた、ひと月ぐらいたって、後手のニュースにならなければいいのだが。

函館で脱原発の活動をしている女性たちが、
福島の子どもたちを函館に招く計画をたて、間もなく実現する。
新鮮なイカ刺を食べて、花火大会を楽しんでもらって………とプランを聞くだけで、心躍る。
おもっいっきり楽しんでほしい。おもいっきり深呼吸をしてほしい。
わたしたちHUG&READからも宿舎においていただく絵本をお送りした。
それにしても民間はみな、必死にできることに取り組んでいるというのに………。

この国のエライひとたちは一体、なにを考えているのだろう。
哲学がない。志がない。理想がない。痛みに対する想像力がない。
と、書き連ねるだけでも、落ち込んでしまう。
30日土曜日の、クレヨンハウス朝の教室の講師は、
東京新聞の「こちら特報部」で踏ん張っておられる田原 牧さん。
取材はスムーズにいくのだろうか? どこかから横やりは入らないだろうか。
どんな風に特集企画は決まるのだろうか。そして現実の取材は?
原発推進の一翼を担ってきたのは、言うまでもなくメディアであるが、
そのメディアで、その組織の中で、脱原発を唱えることについて、いろいろと伺ってみたい。
いまから、ちょっと興奮している。

2011年7月20日水曜日

7月20日

福島県産の肉牛のセシウム汚染が問題になっていることは、このブログでも書いた。
汚染されている600頭以上が出荷され、全国各地に流通されたというニュース。
原因は、牛の飼料となる稲わらで、屋外に保管されていたため、
高濃度の汚染がされていたということもすでに広く知られている。

が、こういった対応に対する憤りが、
当事者以外からあまり聞こえてこないことが不思議でならない。
福島では、確か3月19日に生産された加工前の牛乳から、
規制値の10数倍の放射性ヨウ素は検出されていたのだ。
放射性セシウムの検出もかなり早くから報道されていた。
それにもかかわらず、稲わらについて警戒が遅れたのは、
畜産にかかわるひとたちの責任ではなく、
当局の指導と警告の不徹底さ、不十分さ、
不誠実さにあったとしか考えられない。

今回もまた、可能な限り「被害」=「被曝」=「損害賠償」を少なくしようという
姑息な意図が働いたためではないか……。
と、懐疑的にならざるを得ないわたしがいる。
台風の影響か、天気もすぐれず、気分もすぐれない。

2011年7月19日火曜日

7月19日

夜、ビリー・ホリディの歌声を聴く。
『奇妙な果実』。
南部の大きな樹の枝にぶらさがる、黒い果実。
風雨にさらされ、強い日射しに焼かれ、そうしてやがては地に還る黒い果実。
あれは、白人たちにリンチされ、枝にぶら下げられたアフリカ系アメリカ人の姿……。
ビリー・ホリデイは同胞をそんな風に歌う。

このブログに何度も書いているように、基地がそうであるように、
原発もまた地域差別でもあるのだ。
それもこのうえなく破壊的な。
このうえなく残酷にして非情な。

福島の町。小さな商店街を抜けると、畑が続く。
真夏の午後。
縁側で、パンツ一枚の子どもが、西瓜にかぶりついていた。
いま、自分がすべきことのすべてが、ここにある、とでもいうかのように。
じいちゃんもステテコ一枚で西瓜にかぶりついていた。
丈の高い向日葵が庭には何本か咲き、
縁側の敷石の上のまわりには、松葉ボタンが色とりどりの小さな花をつけていた。
こんなありふれた光景さえ、すでに消えた町や村がある。

あの子は、祖父は、いま、どこに。

2011年7月18日月曜日

7月18日

「私たち」という言葉は誰をさすのか。
誰と誰と誰とを意味するのか。
「私たち」という言葉が人類すべてを表す日がくるよう祈り、
実践し続けたひとに、コスタリカの大統領オスカル・アリアスがいる。
軍隊をもたない国、コスタリカである。
彼は言った。
「私たちは、死の商売で金儲けをしてはなりません」
「国際武器貿易を自由市場の原理に任せてはならないのです。
………この武器貿易は、独裁者の友であり、人々の敵である場合がほとんどなのですから」
(『平和をつくった世界の20人』岩波ジュニア新書)。

ジュニア新書は文字が大きいので、老眼には心やさしい。

「わたしたち」の国にも、死の商売で儲けた人々がいる。
いまも、なお。
政・財・官・学・メディアの多くもまた。

2011年7月17日日曜日

7月17日

『会社万葉集』(青木雨彦・編著 光文社・刊)
いまは亡き青木さんから贈っていただいたものだ。
その中に、詩人・佐々木安美さんの作品が収録されている。

会社に行くのがいやになって
寝床の中で
頭が痛くなれ
頭が痛くなれと念じてみたけど
痛くならない
妻に起こされて
今日も
たらこを食べる
ぼくのために
からからになるまで焼いてくれた
妻の小さな
愛情を食べる

いい詩だ。ちょっとせつなくもある詩だ。
「からからのたらこ」も、心にしみる。
詩人は山形出身であるらしいが、福島にも、
こんな朝を何千と迎えた妻と夫がいたはずだ。しかし、いまは……。
すべてを破壊したのだ、原発は。

2011年7月16日土曜日

7月16日

菅さんは、どうしたいのだろう。
首相の脱原発宣言に、党内も大騒動。
「わたしひとりの考えで」発表したと首相。
心から「脱」と思うなら、貫くがいい。自然エネルギーのプランはどうなるのだろう。
さらに、まさにいま非情な日々を送っている福島のひとたちは?

ここ半年ほど、ヘンリー・D・ソローの世界に強く惹かれ、古い本を読み直している。
学生時代、ソローに傾倒したアメリカ文学の先生がおられて、
以来、折に触れて読み直すのだ。
そうして、3月11日。
ソローの言葉がより一層のインパクトをもって心に迫る。
たとえば、こんな言葉はどうだろう。
………ジャガイモを腐らせないようにする方法についての専門家の意見は、
年ごとに変わるかもしれない。
しかし人の心を腐らせないようにする方法については、
学ぶことは何もなく、ただ実践あるのみだ。
心腐らせてはならない、ただ実践あるのみ。

2011年7月15日金曜日

7月15日

わたしたちはいま、悲しいことに
「疑ってかかる」という姿勢を身につけざるを得ない日々を送っている。
その言葉を発するものが、この社会の政治を司り、
わたしたちをいやおうなく、ある方向へ導くものであればあるほど。
わたしたちの内に、外から入ってきて根付き、
いつの間にか、わたしたち自身の価値観になってしまったものも、
わたしたちは疑ってかからなくてはならない。

便利といった概念も。効率といった区分けも。
もしかしたら、もっとも個人的なものであるはずの、幸福の概念もまた。
どれが自前のものであり、どれが無意識のうちに取り込んでしまった外からの「核種」であるかについても。

母を在宅で介護していた頃、時間的な余裕はなかった。
それでも、前のめりになりがちなわたしの日々に、
むしろ「もっとゆっくり」と快いブレーキをかけてくれていたのは、
わたしを前のめりにさせているはずの、母という存在そのもの、
自らの暮らしを誰かの手に委ねなくてはならなかった母という
「いのちの原形」であったかもしれない。

「いのち」は急ぎ足を求めない。
突然の急変に、医師に緊急の電話をするときでさえ、
ここに在る「いのち」は、わたしに「やわらかな」感触を贈ってくれた。
この、いのちの手触り、いのちの呼吸、いのちの鼓動、いのちの温かさ。
それらは、荒々しく猛々しいものとは共存できない、
もっと深く、もっと緻密でありながら、
緩やかな生の営みであったはずだ。

今でも覚えている。
最後の最後まで聞こえた、母の心臓の鼓動を。尿の温かさを。
途切れがちになりながら、取り戻した脈の「不確かな、けれど確かさ」を。
ひとが、決して平坦とは言えない人生の、その最後の扉を閉める瞬間。
そこに放射性物質の恐怖などあってはならないのだ。
ヒロシマ、ナガサキを体験したわたしたちが、
最も熟知しているはずの「いのち」のやわらかなルールを、踏み外してしまったのだ。
その罪(CRIMEであり、SINでもあるが)を償うために、わたしたちは、選択をする。
猛々しさや荒々しさや、誰かの表面的な充実のために、
誰かが犠牲になるシステムを、
いま、ここから変えるために。

福島浅川町から出荷された牛肉から
放射性セシウムが検出されたというニュースは耳新しい。
浅川の場合も、県が実施する集荷時調査の対象外であったが、
全頭調査が急がれる。
しかし調査は福島だけでいいのか。
どこかほかの地域に雲にのって飛んでいっていないか?

2011年7月14日木曜日

7月14日

菅首相は、13日の夕方、今後のエネルギー政策について
「将来は原発がなくてもやっていける社会を実現」すると発表。
それらしきニュアンスのことは以前から述べていたが、
明確に脱原発に方向転換すると打ち出したのは、今回がはじめてだ。
福島の現実を考えると、遅すぎるという思いも正直あるにはあるが………。
まずは一歩(半歩か?)前進。

毎日放送の「たねまきジャーナル」で、
京都大学原子炉実験所の小出裕章さんは、南相馬市の牛肉のセシウム問題について、次のように述べておられた、というメールが、
毎回テープ起こしをされているかたからメールで届いた。以下。

………食品の放射性物質の基準値で、牛肉で基準の7倍のセシウム、
牛のえさに基準値の60倍のセシウムがあり、
この「基準値」に科学的な客観性はない。
放射線被曝はいかなる意味でも危険であり、微量でも危険であることに変わりはない。
どこまでは安全、という線を引くことはサイエンスでは不可能で、
「社会的にどこまで我慢するかを決めるだけ」。

日本の基準は水も野菜もウクライナより緩く、
こういう基準値を決めざるを得ず、ウクライナより緩いのは問題。
放射線はどんな微量でも危険で、どこまで受け入れるかは、
自分たちで決めないといけない。
牛肉に関して、専門家があちこちで話している。
1日何g食べて、1年でどれだけになり、心配がないという人が多いが、
「もしそう思われるなら、その人が食べてほしい」。
東電の社員食堂、国会議員も汚染されたものを食べて欲しい。
牛肉だけでなく、魚、野菜などたくさんあり、数値がどうのこうの以前に、
放射能汚染物質を食べても安全というなら、
そう主張する人や国会議員、東電社員が食べるべき………。

小出さんはもっと柔らかな口調で話をされているのだが、本当にそうなのだ。

2011年7月13日水曜日

7月13日

今日も暑い一日だった。
福島第一原発では、何がどうなっているのか。
その後、どんな進展があり、どんな「後退」があったのか。
ニュースがまったく見えない。

子どもを放射能から守りたいと願う、母親たちの集まりが昨日もあった。
みな必死だ。深呼吸のできない、この感情生活を、この声を、当局はどのように解釈するのだろう。
それとも、なんの意味ももたないのか。400人の母たちの存在を。
その向こうにいる、数えきれないほどの母や父や、
「わが子」はいなくとも、同時代の子どもたちを気遣う大人の存在を。

                           *

眠れない夜、夢見る風景がある。
ヘンリー・D・ソロー『日記』にでてくる次のような情景だ。
………人が眠りにつき、一日が忘れ去られようとするとき、
月明かりが人気のない牧草地を美しく照らしている。そこでは、
ただウシたちが静かに草を食んでいる………。

あの、美しく、ゆったりと時が流れる飯舘村にも、
ほかの村や町にあったはずの、これらの情景をも、
わたしたちは奪われてしまったのだ、人災によって。

2011年7月12日火曜日

7月12日

毎週、今日はどの週刊誌の発売日、と頭に入っている。
政治的スタンスが、わたしとは違うなという週刊誌も読んでいる。
同じテーマでも、全く違った角度から書かれているのも、ある意味、興味深い。
中には、わたしを怒らせてくれる記事もあるのだが、
それも含めて、「勉強」だと思う。
原発に関しては、『週刊現代』も
東京新聞「こちら特報部」と同じスタンスで踏ん張っている。

週刊誌の世界では旧聞に属するかもしれないが、
7月9日号の特集に、次のようなフレーズを発見した。
物理学者の武谷三男さんの言葉だ。
「原発は、危険だと言う人が扱ってこそ、辛うじて安全なものができる。
安全だという人が扱えば、こんなに危険なものはない」
マリー・キュリーや夫ピエール・キュリー、
ここ数か月、わたしたちがよく耳にする「ベクレル」のおおもと、
放射能の第一発見者アンリ・ベクレルの生涯を追った記事で
紹介された武谷さんの言葉である。
原発は、危険だというひとが扱っても危険なものではあるのだが、
「安全だというひとが扱って」きたのが、フクシマの悲劇と直結する。

2011年7月11日月曜日

7月11日

今日も猛暑だ。

午前中は移動が続いた。
少し歩くと(立ち止まっても)、我が怒髪の頭頂部から汗が滴り落ちる。
ハンカチーフではなく、バスタオルがほしい。

この暑さの中、朝に時計代わりに観た情報番組では、
さまざまな「節電」の方法が取り上げられていた。
毎日のように取り上げられているようだ。
不要な電気を使う必要はまったくないし、電力会社に余分な料金を支払う必要もまったくない。
だが、熱中症になってまで節電をすることはない、まずは体調だ、と、今朝、出掛けにすれ違った、ご近所のお年寄りに伝えてきたばかりだ。

八十三歳のMさんはひとりで暮らしている。おつれあいは五年前に亡くなった。
「小さな子どもたち、特に福島の子たちを考えると、申し訳なくて。わたしは、第二次世界大戦も、ヒロシマ、ナガサキも、第五福竜丸も知ってるのに、結局、なにひとつしてこなかった」

「だから」というだけではないかもしれないが、Mさんはせっせと節電に励んでいる。
まるで「なにひとつしてこなかった自分」を罰しているかのように。

お年寄り(わたしも高齢者だが)の中には、Mさんのように律儀で、当局の呼びかけにしっかり答えようとするかたもいるだろう。
余分な電気を使う必要は無いが、電力の家庭の消費は企業のそれに比較してきわめて低い。
熱中症になってはいけない。体調を崩してはならない。

それに忘れてはならない。同じ一ヶ月の中で、家庭は使うほど単価(電気料金)が高くなるのに、産業界では使えば使うほどに安くなるのだ。妙な話だ。
産業界も個人の家庭と同じように使えば使うほど電気料金がアップするようになれば、どの産業も当然ながら3、4割は節電するはずで、それだけでもピークは超えられるという試算もある。

メディアも、このあたりのことをもっと強調していいはずだ。

2011年7月10日日曜日

7月10日

メディアから福島第一原発のニュースが
減ったように感じるのは、わたしだけだろうか。
特に変化が起きない限り、newsではなく、
すでにoldsに属するというのだろうか。
とはいえ、3・11からの諸々を考えると、
大事なことがまた隠されているのではないか。
そして、ひと月、ふた月たってから、
突然発表されるのではないか、と不安になる。
九州電力の「やらせメール」にしても、多くの市民は
「こんな時に許せない」と憤りを感じるだろうが、
今まであった原発のトラブル隠しを考えれば、
無念なことにむしろこの体質は恒常的なものに思えてならない。

7月14日号の「週刊文春」の記事によると、古川康・佐賀県知事の父親は
九州電力の玄海エネルギーパークのPR館の館長もつとめたひとであるという。
玄海町長も九電とは関係が深いという。
たとえ親族が関係があったとしても、それとこれは別なのかもしれないが、大方のものは、そうは解釈しない。
李下に冠、である。

別冊ニューズウィーク日本版は
一冊丸ごと「原発はいらない」。
エネルギーミックス世界最新事情という
記事が興味深かった。

2011年7月9日土曜日

7月9日

「はんげんぱつ新聞」の編集長、西尾漠さんを講師に迎えて、
四回目の朝の教室が開かれた。

講演が苦手とおっしゃる西尾漠さんは、淡々と、いまわたしたちに
必要な視点と姿勢について、喧伝されている「電力不足」について
語ってくださった。けれん味もないおはなしだった。
会場からの質問に、西尾さんは「それは、ぼくにはわかりません」
と応じられる場面もあった。
なにもかもをひとりが答えることはできない。そんなとき、
「わかりません」と言えるひとは、逆説的に言うなら、
信じられるかただとわたしは考える。

詩人茨城のり子の「汲む」という作品に登場する言葉だが、
わたしたちは「初々しい」感受性を失ってはならない。「すれっからし」になってはならない。
………年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
………すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと………
そんな一節を思い出す瞬間があった。

十七歳の若い女性からの発言もあった。真っ直ぐな目をした女性だった。
チェルブイリ原発事故当時、この女性と同じように、17歳で原発のこわさに
気付いた当時の少女や少年も、いまはすでに四十代。
あの頃の真っ直ぐな思いをそのまま、自らの中に抱きつづけているだろうか。

次回は、今回の朝の教室でも話題になった「メディアの現在」という切り口から、
東京新聞「こちら特報部」(ほんとうに踏ん張った、いい記事を特集している)のデスク、田原牧さんを講師にお招きする。

2011年7月8日金曜日

7月8日

今日は栃木で、「関東地区高等学校PTA連合会大会」の講演会を。
むしむしする一日だった。
三枚のハンカチ―フが汗でびっしょり。

1000名以上の保護者や教師を前に、話をするのは、やはり緊張する。
もともと依頼を受けたときは、ほかのテーマで話をする予定ではあったのだが、
いま東日本大震災のことに触れないわけにはいかない。
むろん今もって収束がつかない原発についてもまた。
関東地区の大会なので、茨城や群馬、千葉など、なにかと不安を抱かざるを得ない地区からの参加者もおられた。
福島のいまは、ひとごとではない、という声も。

土曜日は四回目の朝の学校。
講師は、一貫して脱原発にかかわってこられた『はんげんぱつしんぶん』編集長の西尾 漠さん。
「だって電気は足りないのでしょう?だったら、原発も仕方がないじゃないですか? それに、この猛暑です」
そんな声に、西尾さんはどうお応えになるか。
電量不足は本当なのか? 節電の大合唱の裏に、別の意図が隠されていないか?
そして、なによりもエネルギーシフトの今後は?
また、広告制作会社にお勤めだった西尾さんが電気事業連合会の広告に、
どんな疑問を抱き、脱原発にかかわるようになったのか……。
興味深いお話をお聞き出来ると、とても期待している。

さ、早く寝なくちゃと思いながら、今日も徹夜になりそうな、
こわい予感が。
読みたい本が沢山あるのだ。

2011年7月7日木曜日

7月7日

空模様が芳しくない七夕。
七夕は毎年、快晴とはいかないようだ。

再稼動の動きが出ていた佐賀県玄海町の玄海原発。
事前に九州電力が、子会社などに再稼動の弾みをつける協力を求めていたことが判明したというニュースが、今朝の新聞のトップ記事になっている。「やらせ」である。
なんということか。
住民の意見に真摯に耳を傾けると言いながら、裏ではこういった「やらせ」を実行しているのだ。
九州電力の社長は、自らが指図したことではないと言ってはいるが、
「国の信用」を傷つけたことには謝罪する、と記者会見では言ったようだ。
彼らが謝罪しなければならないのは、まずは住民に対してである。
はじめから再稼動という結論ありき、ではなかったか。

だいたい「国が安全を保証する」という海江田さんの言葉も、
福島の現実を見るなら、まやかしでしかない。
今後は改めてストレステストがあると発表されたが、
福島も玄海原発も、当局にしても電力会社にしても、
住民のいのちと人生に対して、あまりにも鈍感でいい加減過ぎる。
さらに不安なのは、まだ何ひとつ解決していない福島第一原発暴走に関して、メディアのニュースの量が減ってしまった現実である。
7月8日付けの「日刊ゲンダイ」では、
「東電と経産省の術中にハマった大マスコミ」という記事が掲載されている。
いまもって放射性物質はダダ漏れの福島原発である。
高濃度の汚染水も満杯になったままだ。
それでも報道されるニュースが少なくなると、関心は徐々に薄れていってしまうのではないか。そしてそれこそ、推進派・再稼動派の思うつぼである。

今週土曜日のクレヨンハウス「朝の教室」の講師は、
「はんげんぱつ新聞」編集長の西尾漠さん。
広告制作会社に勤務していた頃、
電力危機を訴える電気事業連合会の広告に疑問をもち、
原発問題に携わるようになる。
『原発を考える 50話』(岩波ジュニア新書)、『原発は地球にやさしいか』(合同出版)ほか著書多数。
増補新版『脱原発しかない バクとマサルのイラスト・ノート 2011・3・11のあとで』(第三書館)は8日に刊行される。
現実の活動から見てきた原発の実体、そして「脱原発」への道について、しっかりお話をうかがいたい。

2011年7月6日水曜日

7月6日

七夕の短冊に「ほうしゃのう こないでよ!」という幼い文字を見つけた。
どこかの幼稚園や自治体の七夕祭りの短冊にも、同じようなことばがあったと聞いている。
福島から遠くはなれて暮す東京の子どもたちも、放射能を恐れているのだ。
子どもたちが原発のある社会を選んだわけではいないのに。

このブログでも触れた玄海原発の再稼動について、
毎日放送7月4日放送の「たねまきジャーナル」で、
京都大学原子炉実験所の小出裕章さんは(ご本人が「さんと呼んでください」とおっしゃるので)、次のようにおっしゃっている。

「国が安全だと言い、国が責任を持つというのですが、それなら、福島には安全性は保障していなかったのか。福島は地震の確率ゼロで、安全と言っていた、地元の人も信じていたのに事故になった。原発は事故になったらとんでもないのに、「国が安全というのだから、だから大丈夫」となぜ知事がそんなことを言えるのか。
玄海原発は老朽化しており、敦賀の1号機、美浜の1号機も誕生して41年。
老朽化は玄海のみではないが、老朽化すると、玄海では圧力容器の壊れる可能性がある。(中略)
(玄海原発の危険性については、東京新聞「こちら特報部」でも特集していた。落合付記)
鉄も中性子を浴びると脆くガラスのようになり、玄海のものは、90℃程度でガラスのようになり、90℃に冷やすと「割れるように壊れる危険性がある。
そうなれば手の打ちようがない(容器なし=メルトダウン、大気中、地下に出て行く)、環境に放射能が出るのです。
どのタイプ、何年たてば危ないかは、電力会社も分かっていない。
原子力は1954年に商業用原子炉がソ連で始まり、まだ新しい。何年持つか、40年と思いつつ、40年持つかは、原子炉に試験片を入れて、鉄がガラスになるか見ているものの、それでも不明で、敦賀でまだ動いている。安全性を食いつぶしてやっているのです」

ラジオ放送を聴いてまとめ、メールで送ってくださるひとが関西におられ、
それをご紹介しているので、ミスがあったら、ごめんなさい。

とにかく、玄海の再稼動はめちゃくちゃだと思う。
安全を保障というけれど、一度暴走が起きれば、誰もどのようにも手をつけられないのが原発である。
このときに、再稼動を要請する政府も政府なら、それを受け入れる側もやはり問題ではないか。
経済がすべての背景にあるのだが、一度ことが起きたら、どうしようもないことは、現在進行形の福島で起きていることではないか。

さらに、札幌の友人が北海道新聞の記事を送ってくれた。
毎日新聞のスクープでご存知だとは思うが、モンゴルに「核のゴミ」の処分場を作りたいと、「捨て場」を作りたいと、東芝の社長がアメリカ政府高官に計画推進を要請する書簡を送っていたのだという。
フィンランドの核廃棄物の最終処分場を撮った「10万年後の安全」についてはブログに書いたが、国内の予定地に「アメとムチ」を使って原発を作り、今度はモンゴルに同じような手を使い、核のごみを押しつけるつもりなのか。
アメリカが「死の灰」を撒き散らす実験をしたのも、自分たちが暮らすところから遠く離れたビキニ環礁だった。
そして第五福竜丸は被曝し、久保山愛吉さんが亡くなったことは、当時子どもだったわたしも知っている。
どこで実験するかには、明らかに「人種差別」があったはずだ。
同じことを今度は原発暴走の収束もつかない、この国がするのか。
なんと酷い、なんと非情な国なのだろう。

2011年7月5日火曜日

7月5日

数日前のこのブログにも書いたが、詳しい内容について、再度。

福島県郡山の小中学校に通う子どもたちと保護者が、
学校ごと疎開をする措置を求める仮処分を、地裁支部に申し立てた。
14人の児童・生徒と、保護者16人だ。
学校の被曝線量に関しては、文部科学省が暫定規準として
年間20ミリシーベルトと決定。
その中には内部被曝の線量は含まれていないし、
なぜこんなにも高い暫定基準値にしたのか、
と多くの反対の声が、海の向こうでもあがった。
20ミリシーベルトと決めた過程、議事録もなし、という酷い告知だった。
その結果、高木文部科学大臣が、改めて1ミリシーベルト以下を目指すと変更した。
が、このまま郡山市の学校に通いつづけると、1ミリシーベルトを超え、
健康被害が起きる可能性があり得る………。
そんな理由で、仮処分を申し立てたのだという。

それがどこであれ、なんであれ、
ひとつの集団の中で、「みんなと違った」ことを発言したり、
行動をとることは、さまざまなストレスにさらされる場合が少なくない。
この子たちと、その保護者がとった行動が、周囲に充分に通じるように、と心から願う。
そして、それが他の多くの子どもたちのためになることを。
弁護団には、金沢地裁の裁判長時代に、
北陸電力滋賀原発2号機の運転を止める判決を下した
井戸謙一さん(現在弁護士)も参加されている。

今回の原発暴走を通して、わたしたちはつくづく、
信用と信頼に足るひとと、そうでないひとの「仕分け」を
目の当たりに体験しているようだ。

2011年7月4日月曜日

7月4日

節電が盛んに言われている。
やみくもに電気を使う必要など全くないし、
電力会社への支払いは可能な限り抑えたい。
しかし、15パーセントの節電という基準は何を根拠としたものなのか。
節電をしなくても電力不足にはならないという、かなり確かな試算がある。
とすると、この節電への呼びかけは何を目的としたものだろう。
「電力の足りない夏」、「猛暑情報」、「電力予想」。
なにが本当で、何が本当ではないか。

わたしたちには、メディアリテラシー(本当にそうなのかと情報を読み解く力)が必要だ。
「日本の多くの大メディアがやっていることはジャーナリズムではない」、
当局の「広報」でしかない、と海外のメディアが指摘している。
悲しいかな、それに反論する材料がほとんどない、わたしたちの現在である。

大震災後、さかんに「絆」という言葉が使われている。
人と人の、人と土の、人と海の、人と、その人が生まれ育ち、住み続けようとした
郷里との「絆」をずたずたに断ちきったもののひとつが、
原発であることをわたしは忘れない。
この、最悪の悲劇から何も学ばないのであるなら、わたしたちは終わりだ。

2011年7月3日日曜日

7月3日

今日も暑い一日だった。日テレの『バンキシャ』へ出演。
番組は玄海原発再稼動のニュースからはじまった。
言いたいこと山ほど!と、エックスクラメーションマークを
9999999回並べたいほどだが、しかしなにせ時間が足りない。
番組が終了すれば、いつもの自己嫌悪へ辿り着く。
もっと適切にして、もっと過不足ない表現の仕方はなかったか、と。

原発暴走は地震や大津波、自然災害だけで誘発されるものではない。
原発そのものの老朽化が暴走に直結する場合もある。
ということは、この国に存在する原発の多くが、
「いつ、なにが起きても不思議ではない状態」にあるのだ。
にもかかわらず、福島第一原発の暴走の原因は「想定外の大津波」と
3月11日以降言われ続けてきた。

九州電力玄海原発についても、安全性を評価するのは、経産省の原子力保安院だが、
多くのわたしたちは推進を目的とした「安全神話」を、もう信じることはできない。
安全と言われても、保安院は福島の暴走を防ぐことはできなかったのだ。
そもそも原発を推進する側が評価する安全性とは、一体、何なのか。
福島原発では、今朝も五号機のホースに亀裂が入っていることが判明し、
冷却注水が一時停止した。
なにひとつ収束が見えない福島の「いま」を目の前にしながら、
さらなる安全神話を垂れ流すとは……。わたしには理解できない。

番組中、地震速報が入った。福島沖が震源地の震度3、ということだが、
脆くなっている原発では震度3でさえ、何が起きるかわからない。
慣れてはいけない、と今夜もまた自分と約束する。

2011年7月2日土曜日

7月2日

曇天の土曜日。

昨夜は、昨日あたりから書店に並んだ拙著『「孤独の力」を抱きしめて』(小学館)のご担当の女性ふたりと、打上げを。
話題はやはり福島第一原発について。
「なんだかこうして食事をしていることが後ろめたい」
「そう、3・11以降、ずうっと」

署名でもなんでも自分のできることから一つ一つクリアにしていこう、
現行では無理だが、なんとか「国民投票」を、といった声も。
現行の「国民投票」は、憲法というテーマにのみ限られている。
しかし民意の反映は民主主義の基本である。
来週にも、国民投票をしようと呼びかける会のかたがた
(わたしも賛同人のひとりだが)が国会で記者会見をする。

被災地支援のために出張で現地に入り、被災地の山菜を
たくさん購入することで、もうひとつ別の支援を考え、
実行した父であり夫であるひとから、メールが。
放射性物質が最も被災地近隣の空中に飛散したときの、山菜を、
愛する子どもたちに沢山食べさせてしまった………。
それを悔やむ自分がいまいる、給食の食材も不安だ、と。

放射能に対する感受性は、特に胎児や子どもが強い。
「基準値」があること自体、問題だ。どんな少量でも本来、
体内に取り込んではならないものであるのだから。
体内にとりこむことは内部被曝になるのだから。それでも
取り込んでしまったものをできるだけ排出する方法はある。
とにかく、それを「基準値」を敢えて設けることで、
曖昧にしてしまうような流れに、本当に腹が立つ。

今日はこれから岡山へ。

2011年7月1日金曜日

7月1日

七月になった。
なんとも言葉で表現しようもない
悲しい七月だ。

ハンゲショウ、という植物がある。
緑の葉の大半が、白粉を塗ったように
この季節、白くなる植物だ。
半化粧、と漢字では書くのだろう。
いつものこの季節なら、ハンゲショウの
葉が白くなった、間もなく夕顔や朝顔の
蔓に支えを立てなくては、
と夏の植物と戯れるのだが………。

毎日放送が26日深夜に放映した映像’11。
その中で京都大学原子炉実験所の小出裕章さんは
次のようにおっしゃっていた。
参議院に招致されての話の中で、である。
原発事故の被害は、「大きく見積もるべきなのに。
政府も東電も過少に見積過ぎている」と。
いつになく激しい口調で、おっしゃっていた。
この福島第一原発の暴走に関してだけではなく、
原発のあらゆる事故は「過少評価」され、
場合によっては隠蔽されてきた。

3万人とも言われる故郷を棄てざるを得なかった福島の人々の日々はこれからどうなるのか。
そうして、「出ていくことも叶わなかった」人々の人生は。
また作付けできなくなった農家の苦悩は?
出荷停止にならずとも、「出荷できない」と
自ら判断した農家の人々のこれからは?
自主避難をした人々への「支援」は全くできないのか?
海開きを前にして、日本中の海に放射性物質は飛散していないだろうか?
体育の時間のプールは?
ほとんどが日本がはじめて体験することだ。
だからこそ、過少評価をしてはいけないのではないだろうか。
きちんと調査をして、精度の高い数値を発表するのが
政府の責任であるのだが………。
海開きができなくなるのではないかと困惑している
観光地も、しっかりした調査をして発表したほうが
信頼されるようになると思うのだが。

なんとももどかしい。