2011年5月7日土曜日

5月7日

小雨がちの表参道を「脱原発」のパレードが行く。
若い人たち、小さな子ども連れの家族も多い。
わたしたちの世代はデモ(デモンストレーション)
と言っていたが、彼女らや彼らは「パレード」と呼ぶようだ。
赤、青、緑、黄色と色とりどりの風船を
手にした様子は、確かに心躍るフェスティバルやパレードのようだ。
このパレードのモティベーションそのものを考えると、
気持ちは晴れないが。


昨日6日。菅首相は、浜岡原発の一時停止を発表した。
堅牢な「防潮堤」ができあがるまで、という理由だ。
二年という停止期間が終了した後、浜岡原発はどうなるのか。
浜岡に限らず、この国にあるすべての原発は。
何度でも繰り返す。津波や地震だけが問題なのではない。
老朽化した原発はもとより、原発それ自体が制御不能となる
可能性をもった、きわめて危険なモンスターであり、
使用済みの核燃料についても同様に「捨て所」のないものである。

午前11時から2時間。朝日ニュースターの『パック・イン・
ジャーナル」に出演。
脱原発をアピールしつづけてきた京都大学の原子炉実験所の
小出裕章さんと電話でお話をする機会があった。
福島の子どもたちの外部被曝の暫定基準値、20ミリシーベルトに
ついても改めて伺ってみた。
わたしは、子どもの場合は大人の三倍と覚えていたが、小出さんは
「五倍」と考えています、ということだった。
女川原発を建設するとき、地元のひとに、なぜ原発が安全であるなら
仙台に建設しないのか、と問われ、その答えを探す日々の中で、
「原発は安全ではない」という結論にたどりついて以降、一貫して
脱原発を訴えつづけている研究者である。