2011年5月25日水曜日

5月25日

結局、また徹夜をしてしまった。
今日は授業があるから寝ておかなくては、と思っていたのだが。
長い間、書店から消えていた堀江邦夫さんの『原発ジプシー』
(現代書館)の増補改訂版が刊行された。
「被曝下請け労働者の記録」というサブタイトルは、本書が
はじめて刊行されたおよそ30年ほど前、表紙に記されて
いたかどうか記憶にはない。
いま改めて読んでも、あらたなる憤怒と哀しささえ覚える告発の書である。
憤怒は、ひとのいのちに対する、ひとかけらの畏怖の念も
欠如した原子力行政や当局へのそれであり、哀しみは、そうと知りながらも、
働かざるを得ない人々への現実から生まれる。
その現実の下で、わたしたちはつい最近まで煌々と電気を灯し続けてきたのだ。

「最終章」に著者が記しているように、電力会社社員と、非社員
(サブタイトルにある「下請け労働者」)の被曝量の相違(2008年度)には、
改めて驚かされる。電力会社社員の被曝量は、「全体のわずか3パーセント
程度。つまり、原発内の放射線下の作業のそのほとんどは、『非社員』=下請け労働者たちに委ねられている事実。そしてさらに付け加えるなら、わたしが働いていた当時にくらべ、電力会社社員の被ばく量だけは着実に減少しているという事実………」。
添えられた図からも一目瞭然である。
さらに最終章には、次のような記述もある。
「………身元の不確かな者たちが原発で大勢働いている、という話がひろまっていたことへの電力会社の対策の一環ともいわれ、最近では原発周辺地域住民のなかから労働者を募集することが増えている。
このことからすると、各地の原発を渡り歩く日雇い労働者のその存在は
もとより、『原発ジプシー』ということば自体、やがて近い将来消え去って
しまうかもしれない。ならばなおのこと、1970~80年代という時代の
なかで懸命に生き働き続けてきた『原発ジプシー』たちの存在を、あるがままに
きちんと記録しておく必要が………」。
著者は、美浜から福島第一、そして敦賀原発でも働いた。

敦賀で働いた最後の日の記述を紹介しよう。
………午後一時から、ホールボディ。私より前に来ていた中年の労働者が、
係員になにやら尋ねている。どうやら彼も今日、退域するらしい。
「いや、あんた、一二〇〇ぐらいたいしたことありませんよ。サウナにでも入れば、毛穴に入っている放射能はみんな落ちてしまいますよ」と係員。
中年労働者は、「そんなもんですかねえ………」と半信半疑の口調でそう言うと、部屋を出ていった。
この二人が話し合っているとき、なにげなく係員の前の机に目をやった。
測定結果を記録した台帳が開いてあった。外人の名前が二人並んでいる。
両者とも「正味係数」欄には、二〇〇〇前後の値が書いてあった………。
そうして、著者本人のである。
………敦賀原発入域時(三月二十六日)の「正味係数」は、ニ四二。すると、
わずか一カ月弱で六八ニカウントもの放射性物質を体内に取りこんだことに
なる。六八二カウント………この"数値"は、私の将来にどのような影響を
及ぼすのだろうか………。

福島第一原発でも、本書に記述されているようなことが繰り返されていないか。
「改善されている」と当局は言うかもしれない。
しかし、原子炉建屋の中で作業に従事する人たちは、室温40度、湿度99パーセントの異様としかいえない環境にいる。ロボットさえ、先に進むことを諦めた、異常な環境だ。
この国は「円高」でありながら、「人間安」だと言われた時代があったが、
その日々は終わらず、いまもって続いているのでは。
危険きわまりない、劣悪な環境で働くのは、
いつだって非正規の労働者であるのだ。
わたしたちは彼らの健康被害の上に、電気を使ってきた。世界で名だたる
高い電気を。「トイレのないマンション」より劣悪な、最終の核のゴミをどこにも
持ってきようのない、原発の電気を。

こうしている間にも、核のゴミは作られつづけている。こうしている間にも、
作業をされているひとたちは、このうえなく酸鼻な環境の中で、被曝している。